第5話 勇者ピンチ

 【勇者ミーリア】


 勇者ミーリア達一行は、ゲシュタ王国を出発し、魔国の中央付近にある魔王城へと向かう旅に出た。


 魔国との国境に隣接したゲシュタ王国は、魔国への通り道として他の国々も理解している。国境付近は多少狭くなっており、両側を海で囲まれた細長い土地が続き、その先が魔国になる。

 そして魔国の中心に向かいうには、先ず【深淵の森】を通らねばならない。


 一説によれば、太古の昔、有毒な魔素が満ち溢れた時、そこで魔人が最初に生まれた土地という話だ。

 現在になっても他の土地と比べ魔素の濃度が高く、比較的強力な魔物が徘徊している魔の森として恐れられている。魔国側もそれを承知なのか、この森を開拓しようとは未だに思っていないようだ。

 さもすれば、この森があるからこそ、魔国と他国はいがみ合う結果になったのかもしれない。


 魔国の国境を越え森に侵入すると、すぐに昼なお暗い鬱蒼とした森になる。

 辺りを警戒しながら慎重に歩みを進める一行。

 勇者一行は総勢5名。勇者であるミーリアを筆頭に、盾剣士の男性ガングル、レンジャーの男性リー、魔法使いの女性サン、聖女のハル、である。


 索敵が得意なレンジャーのリーを先頭に他の者も続いた。

 そしてしばらく進むと、先行しているリーが不穏な空気を察知したのか、心細げに口を開く。


「なあ、本当にこの森を突っ切らなければいけないのか?」

「ええ、この森を抜けなければ魔国の中心には行けないの」


 リーの問い掛けにミーリアが真摯に答える。


「船とかで行けないのか?」

「行けない。魔国との境界には幾つもの大渦があって、船は航行できないと聞いているわ」

「そうなのか……」


 船で渡れるものならその方が安全だと思わせるほど、この森は危険だ。そうリーは判断したのかもしれない。


「なんでそんなこと訊くの?」

「この森はヤバイ。よくこんな森を歴代の勇者は通って行ったもんだ……」

「そんなに?」

「ああ、気を抜けばおそらく無事ではいられないだろう」


 リーは右へ左へと進路を変えながら、魔物との遭遇を避けて移動しているようだ。それだけこの森の魔物は危険だということなのだろう。


 確かに時折にこの森からゲシュタ王国に魔物が侵入してくるケースがあるが、そのどれも強力な魔物で手を焼いている。この森に一番近い街などは、巨大な壁を築き魔物の侵入を阻止しているぐらいなのだ。

 近年ではゲシュタ王国側の狭くなった場所へ巨大な防護壁を築く計画も持ち上がっており、建設に取り掛かろうとしているが、予算の関係で遅れ気味だという話である。



 深淵の森に入って数日が経過した。


 おそらく森の半分ぐらいまで来たという所で、大きな湖がある場所に到達した。


「はあ、はあ、見えたぞ」

「ふう、ふう、あ、あれがアビス湖……」

「「「……」」」


 全員が息を切らし、ようやく森の中心部にあるアビス湖に到着したことに、安堵よりもどこか気落ちした様子で湖の水面を見詰めた。


 それもそのはずだ。

 ここに到達するまでに、途方もない苦労をして来たのだ。リーの誘導で魔物を避けながら進んだとはいえ、それでも魔物との遭遇は避けられなかった。大きな怪我人こそでていないが、予想以上にこの森の魔物は手強く、かなりの消耗戦を強いられた。それに夜も最大限の警戒をしなければ、まともに睡眠をとることもできず、疲労も蓄積している。

 多くの魔物との戦いを繰り返しながらようやく森の中間。

 この森を抜けるまでに、まだ半分もあるのかと思うと、勇者一行はどこか気が遠くなる。

 生きてこの森を抜けられるのだろうか、と。

 仮に生きて森を抜けられたとしても、魔王と闘う余力など残らないとさえ思えてしまう。

 そんな諦めにも似た心境になるのだ。


「と、とにかく湖の畔で小休止しましょう……」


 勇者ミーリアが見晴らしの良い場所を差しそう言った。

 その言葉に全員が無言で頷く。少し休憩しなければ、身体が持たない。皆そう考えているようだ。

 森の中で休憩するよりは、湖を背にしているだけで警戒は半分で済む。ここで体力を回復させなければ、残りの道程は困難を極めるだろうと、全員が理解しているのだ。


 湖畔の見晴らしの良い場所で火を熾し食事を摂る。そして交替で仮眠をとり疲労の回復に努めることにした。

 食事も質素なものだ。ゲシュタ王国は貧困のさなかにあり、それほど多くの携行食は持ってこられなかった。森で倒した魔物の肉が、唯一新鮮な食材になるのだが、そうそう余裕をもって解体などもできない。解体している最中に、また魔物に襲われる危険性があったので、多くは置き去りにしてきた。今持参している肉も、ようやっと隙を見て解体してきた少量の肉しかないのだ。

 けち臭い王は調味料も支給してくれなかったので、食事は焼くだけの味気ないものである。しかし食べなければ身体が持たない。我慢して食べる勇者一行だった




 食事も終え一人が見張りになりその他が仮眠をとり始めた。

 最初は勇者ミーリア(じゃんけんが弱い勇者)が見張りを受け持つことになり、4人は横になるとすぐに眠りに就いた。余程疲労が溜まっていたのだろう。


「ふぅわぁ~っ……むにゃむにゃ……あと1時間くらい……だね……」


 いちおう見張りは約2時間交代にしようと決めていた。

 しかしここで予期せぬ事態に陥ることになる。


「……すぅ~……Zzz……」


 ここ数日の疲れで、見張りをしていたミーリアが居眠りをしてしまったのだ。

 久しぶりに昼なお暗い森の中ではなく、ぽかぽかとしたお日様の下で安心したのかもしれない。程よい温もりと湖の細波が奏でる優しい波音に、疲労困憊した身体は、労せず睡魔に屈服してしまったのだ。


「……Zzz……ん……?」


 しばらく舟を漕ぐミーリアは、微かな地面の揺れで目を覚ます。


「──ハッ⁉」


 その地面の揺れの正体に気付きミーリアは眼をみはる。

 黒くて大きな四足獣が、今まさに自分達を襲おうと向かって来ていたのだ。ギラリと太くて長い牙が光り、鋭い眼光がミーリアを睨み付けている。


「へ、ヘルタイガー‼ 大変! ──みんな起きて‼」

「……ん~ん、うるさいなぁ」「……むにゃむにゃ」

「……もうお腹いっぱい……」「……くかぁ~」


 ミーリアは即座にみんなを起こすが、さすがに疲れが溜まっていたのだろう。みんなは寝惚けた状態で全く起きようとしない。

 その間にもヘルタイガーはどんどん近付いてくる。

 ミーリアが居眠りをしていなければ、ここまで近くに魔物が来る前にみんなを起こすことができたはずだ。

 ミーリアは自分が仕出かしてしまった失態を今更ながらに悔やむ。


「早く起きて‼ 魔物よ‼」


 ミーリアはみんなを起こすために湖に入りみんなに向かって水をかけた。


「ぷはっ! 何するんだ?」「わっ!」

「きゃっ、冷たい‼」「ひゃっ!」


 水をかけられた4人は、余りの冷たさに飛び起きた。


「魔物よ!」 

「──ゲッ! ヘルタイガー‼」「あわわ……」

「マジかよ!」「し、死んだ……」


 ヘルタイガーをその寝惚けた眼で確認した全員は、さーっと顔色を無くし絶望を感じ始める。

 災害級の魔物。太古の昔からいるとも言われているヘルタイガーは、けして少人数で勝てる相手ではない。

 少人数で出会ったが最後、確実に殺されてしまう。地獄から召喚されし虎、そう言われる程狂暴な魔物なのだ。


 そんな絶望を前に寝起きの四人はガクブルと震えるだけだ。

 ヘルタイガーは既に目の前まで近付いている。


「リーは弓、サンは魔法で牽制、ハルは何でもいいから阻害魔法を、ガングルはしんがりを務めて! さあ、ぼやぼやしてないで逃げるわよ‼」


 ミーリアの指示と、先制の魔法攻撃がヘルタイガーに向かって放たれた。

 それを見た他の4人も、弓や魔法で牽制し、少しでも逃げる余裕を作りたかった。

 しかし魔法が当たるも、依然としてヘルタイガーの勢いは変わらない。硬い体毛で阻まれ、矢も魔法もほとんど効いていないのが現状だった。


「走れーっ!」

「「「「わーっ!」」」」


 最後の手段は、体力の続く限り全力で逃げることだ。

 こういった場合、誰かが脱落しても助けることはしないと決めている。格の違う相手に、助け合いなど通用しないからだ。助けに向かった途端その両方が死んでしまう。それならば一人を犠牲にして他のみんなは助かるべく行動すべきなのだ。

 今の所全員が順調に逃げている。だがそれもいつまで持つか……。


 最初全力で走っていたにもかかわらず、湖畔の砂は脚力をおおいに奪う。

 徐々にヘルタイガーとの距離は縮まってきた。


 ──も、もう駄目か……。


 そう思いかけた時、不意に森の方に何かが見えた。大きな頑丈そうな屋敷が森の中に建っている。

 このまま湖畔を走っても、その内体力もなくなり、悪戯にヘルタイガーの餌食になるだけ。それならば森の中にある頑丈そうな屋敷の方に逃げ時間を稼ぎをし、何か策を練った方がいい。

 そう考えたミーリアだった。

 今はこの森になぜそんな屋敷があるのか考えている余裕もない。


「みんな! あそこに逃げ込みましょう!」


 ミーリアが指差す方向に、ワーワーと絶叫を発しながら全員が追随した。


 森に入るとすぐに柵のようなものがあったが、今は行儀よく入り口を探している余裕もない。意外と華奢な造りの柵だったので蹴破ることにした。

 屋敷の敷地に入るとなぜか畑のような所だった。色鮮やかな野菜が至る所に植えられており、元農民上がりの勇者ミーリアにとっては、懐かしくもあるが、今はそれどころではない。


 奥の屋敷まで逃げることができれば、多少は時間も稼げるかもしれない。

 その一心だった。


 畑を無造作に蹴散らし、作物を踏み潰す。今は罪悪感すら薄れてしまっている。


 すると屋敷方向から、鬼の形相をした何者かが猛然と向かって来た。


「ぐおらぁぁぁーっ! 貴様らーなにしくさってくれとんのじゃ────────っ‼」


 ──えっ⁉


 向かって来る男性は、何か非常に怒っているようだ。

 それにその後ろを付いてくる大小4匹の狼、いや、


 ──ふぇ、フェンリル────────っ‼


 前門のヘルタイガー、後門のフェンリル。絶望的な魔獣に前後を取られてしまった。

 オワタ……全員が即座にそう判断できた。

 後方から迫るヘルタイガーと前方から迫り来るフェンリルを交互に見て、


「「「「「ひぃ────────っ‼」」」」」


 全員でそんな悲鳴を上げることしかできなかった。



 魔王討伐の志半ばで倒れることになろうとは……。

 今ミーリアはこの人生を、半ば呪わずにはいられなかった。

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