八〇三フロア  ミツオシエの宝物 前編

「えーと……。八〇三階層か」


 管理人室前庭の小さな読書卓テーブル。異世界古代端末「黒電話」を前に、お嬢はいつもより機嫌が良さそうに見えやした。


 というのも今日の仕事は、エルフの里での管理人業務。このアパート「楡の木荘」には、エルフの里たる森林フロアが、いくつか点在してやす。実際の生地ではないものの、お嬢にとっては、故郷に帰るような気持ちでやんしょう。


 毎日忙しく働いて気が紛れているとはいうものの、やはりここ管理人室での孤独な暮らし。心の奥深く寂しさが沈殿していることに、間違いはありやせん。


「ジーコ、ころころころ。ジーコ、ころころ……」


 黒電話に、フロア情報を入力しやす。気のせいか、今朝は黒電話のダイヤル音も楽しげで。


「ギイイイーッ……」


 前庭の亜空間扉を開くと、そこは八〇三フロア。目前、頭上はるか高く、巨木が多数、屹立してやす。入り口の壁の工事痕跡を見る限り、五十メートルほどの天井高の三フロア、そいつをぶち抜いた森林地帯ですな。つまりここは、下から八〇三、八〇二、八〇一の三階層を一体化させた、魔改造フロアってことでやす。さらに下の八〇四フロアとの境のインフラ空間には、蒸気パイプや下水管、水道管なんかに絡みつくように、巨木の根が迷宮のごとく這い回っているに違いありやせん。


 こうした場合、便宜上の階層は、「床」になっているフロアで表すのでやす。なので、あっしらが立っているこの床、つまり八〇三フロアが、ここの行政管理上の階層名ってことで。


「いい空気……」


 管理人制服姿のお嬢。胸をいっぱいに広げて、深呼吸してやす。


「森林ならではのこの豊かな香り……。生き返る気がする」

「さいですな」


 過密フロアのスラムで育ったあっしにとって、故郷の香りといえば、人いきれと大量のホコリ。それにゴミの悪臭でやす。そんなあっしですら、癒やしに満ちしっとりと肌を包んでくれるこの森の香りは、あっしのいるべき場所――って感じがするくらいで。本来森暮らしが似合うお嬢では、なおのことでしょうな。


「ふふっ」


 お嬢が思わず微笑んでやす。


「お仕事なのに、なんだかウキウキしてきちゃった」

「そうっすね、お嬢。楽しく業務をこなしやしょうや」


 そのとき――。


「イ、イェルプフ王女!」


 脇から聞こえた叫び声に、あっしは飛び上がったっす。


 そちらには、今回の依頼主と思しき年配のエルフ。ミスリルを用いた豪奢な装束からして、おそらくこの階層を治める族長と思われやす。


「あらまあ」


 お嬢の落ち着き払った声に、少しだけ安心しやした。


「あっしは『おうじょ』じゃなく『おじょう』と呼んだんで。語呂は似てやすが、聞き間違いっす。こ、このお方は、管理人っすよ」


 あっしは思わず早口になったっす。お嬢が謎の王女であることは、「楡の木荘」最大級の秘密。知ってる人物がいてはいけないんでやす。


「いや、イェルプフ王女だ」


 力強く言い切って。彫りの深い顔に、すべてを見通すかのような、鋭い眼光が輝いてやす。やっぱりフロアのトップでしょうな。雰囲気からしても。


「たしかにわたくしは、イェルプフです。ですがエルフとしては低い階級出身の、ただの管理人ですよー。名前はイェルプフ・ケルイプ――森の駆け手、です」


 エルフの習俗に従って、正式に二つ名まで名乗るお嬢。


「そうですか……」


 溜息を漏らしてやすな。


「私はオイシン・キェルクプ――樹上の見張り手。この階層に暮らすエルフの族長です」


 お嬢の姿をまじまじと見渡してやす。


「イェルプフ王女は、有翼ハイエルフの王族。ハイエルフならば背中に一対の羽があるはずですが、そう言えば、あなたにはない。それに王女の姓はケイリィーシだし、二つ名も違う。王女は『世界の救い手』でしたし」


 有翼ハイエルフは、エルフの上位種族。魔力や身体能力は段違いでやすが、見た目はほぼエルフ。外見上の最大の相違点は、名称のとおり、羽を持つことでやす。羽といっても鳥のようなものでなく、蜉蝣かげろうのような、透明で金色に輝く繊細な奴で。


 いえ、飛べはしないんで。生物学者によると、説はふたつ。はるか古代に飛翔能力を失ったという、退化説。もうひとつは、外見上の差異化のために、羽が生えどんどん豪華になったという説。必要以上に豪勢な羽を異性に見せつけ誘惑する鳥のような意味で。


「他人の空似でしょう。父上」


 後ろに控えていた若いエルフが、一歩前に出てきやした。見事な装束、端正でオイシン族長に似た顔つきからも、息子であることは明白でやす。


「二百年ほど前、イェルプフ王女御生誕の折、あやかって赤子に同名を名付けるエルフが続出したのは、誰もが知る事実。おそらく彼女もそうしたひとりでは」

「たしかに。管理人殿はイェルプフ王女と同世代に見えるし」


 首を傾げたまま、族長はうなってやす。


「失礼しました。私ははるか昔、エルフ族長会議の末席から、遠目ですが王女の御尊顔を一度だけ拝謁したことがあるのです」


 思いを振り払うかのように、首を振って。緊張を解くためか、ほっと息を吐いてやすな。


「……それにしても似ている。力強くも繊細な、その御姿みすがた。そして優雅に揺れる、細やかな巻き毛……」

「父上、王女は王土戦争のときに、ご逝去されたのですよ」

「……それはそうだ」


 エルフなら……いや近代史に興味を持つ店子なら、誰もが知る事実でやす。


 有翼ハイエルフの王女ながら王土戦争の先頭に立って戦ったイェルプフ・ケイリィーシ――世界の救い手は、戦争終盤で決定的な働きをして、相手の講和を引き出した英雄でやす。ところが大詰めの大詰めのこと。気心の知れた数名と遊軍を組んでいた王女は突如、彼らと戦線を離脱して反転。敵陣でも味方の陣地でもない、あらぬ方向へと向かい、全員消息を絶ったのでやす。


 これは近代史最大の謎。「英雄王女の謎反転」と名付けられ、歴史家や好事家の様々な憶測を呼んできた事実でやす。


「それより、今日の御用はなんでしょうか」


 困惑したような笑顔を浮かべたままだったお嬢が、おずおずと口を開きやした。


「なにかお困り事が、という話でしたけれど」

「そうそう。すみません。あまりに似ておられるので、つい我を忘れて。……ケルヌンノス、お前が説明しろ」


 息子にバトンを渡すと、一歩下がり、お付きの従者になにやらいろいろ指示を始めたっす。多分、別件で忙しいのでやしょう。


 自らも名乗った息子さん――ケルヌンノスが、説明してくれたっす。


「いえ、事はミツオシエが発端でしてね」


 ミツオシエというのは小鳥で、古くからエルフとの共存共栄で知られてやす。森に暮らすので、エルフは蜂蜜が大好物。特殊な口笛でミツオシエを呼ぶと、小鳥は啼きながら蜂の巣まで案内してくれるんでやす。


 蜂蜜を手に入れたエルフは、ご褒美に蜂の巣を後に残しやす。この蠟が、ミツオシエの大好きなご馳走。――要するに、自分では破壊できない蜂の巣をエルフに壊させて、蠟を得るってわけで。


「いつものようにミツオシエと蜂蜜狩りをしていたとき、小鳥が蜂の巣でなく、不思議な建造物に案内してくれたんです」

「建造物でやすか」

「ええ」


 その建造物は、とある大木のウロにあった。というか、成長する大木に覆われおそらく数千年も隠されていた。寿命を迎えつつある老木の根本にはいつの間にかウロが開いており、そこに建造物があることが、ミツオシエの誘導でわかったって話でやした。


「それを調べてほしいってことでしょうか」

「そうです。ウロの周囲を削って広げてみたんですが、扉が固く閉ざされており、中に入れません。『楡の木荘』を隅々までご存知の管理人殿なら、なんとかなるでしょう? ――そちらのキッザァ殿は、解錠の達人という話ですし」


 なんか勘違いしてやすな。あっしら、自慢じゃないが、数万室もあるアパートの全貌なんか、わかりっこないんで。「これやれ」と頼まれたところだけ、ちょこちょこなんとかするだけの、小間使いみたいなもんでやす。管理人なんて大仰な名前のほうが、そもそも不釣り合いなんで……。


「老木はもう寿命なので、自然に倒れる前に伐採して、倒壊の危険を除去したいんですよ」


 そうすれば老木を家具や工芸品に生かせる。伐採後には新樹の苗を植えられるので、これから数百年後の子孫の役にも立つ。そう、ケルヌンノスは続けやした。


 伐採するには、謎の建造物が無害なのかどうか確認しないとならない。たとえばそれがこのフロアのインフラを担う重要施設だったりしたら、壊せば問題が起こって危険だ。だから正体を調べてほしい――。


 そんなような話でやした。


「それにしても、なんでミツオシエがそんなところに誘導してくれたのかしら」


 名探偵と化した(と本人は思ってるに違いない)お嬢が、ぽつりと呟きやした。


「謎なんです。それも調べていただけると」

「もしかして、蜂蜜の貯蔵施設じゃないかしら。そう。だからミツオシエが案内したの。中にはもう、たーくさんの、おいしいおいしーい蜂蜜が満載で……」


 いかん。瞳がキラキラ輝いてるっす。


「さあ。行くわよコボちゃん。さっそく調査しないと。蜂蜜を見つけてお土産をいただいて、蜂蜜酒を仕込んで蜂蜜ケーキも。それにそれに――」


 いきなりやる気になってやすな。


「お嬢、よだれが垂れてやす」

「あっ間違えた。施設が危険かどうか調査しないと、だったわ。てへっ」


 ほんわか癒し系食いしんぼエルフという、お嬢の謎属性と謎言動に、ケルヌンノスは不安げな表情。まあ当然でやすが……。


 そんな彼を従えて、あっしら「お嬢探検隊」は、蜂蜜を求めて――じゃなかった施設の謎探求のために、鬱蒼と茂る大森林の奥へと踏み込んだのでやす。

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