第一章 『この薄暗い異世界の闇の中で』

『髪の少ないおっさん』一

『死にましたー』


 美しい女性に告げられた死亡宣告。

 何故か目の前の存外は、〝美女だ〟としか認識できません。

 この美女は死者をお迎えに来たエンジェルさんなのでしょうか。

 となれば全てが真っ白なこの空間は、死後の世界?

 それとも、その狭間?


「私は、死んでしまったのでしょうか……」

『死にましたー』


 質問に対して返ってきた言葉は、またもや『死にましたー』という定型文。

 質問の答えにはなってはいますが、話の通じている気配はありません。

 念の為に自分の体を確認してみると……居ない。

 最後の瞬間に視えた鬼の姿が、どこにも見あたりません。

 一体どうなっているのでしょうか。

 まぁなんにせよ、目の前に佇む美しい女性をチラ見しておきましょう。

 チラッ。


『死にましたー』


 執拗に死んでいることを告げてくる美女。

 発言はともかく、美女であることは間違いありません

 なのでもう一度、チラッ。


『死にましたー』


 赤い一つ目鬼は、この美女が追い払ってくれたのでしょうか。

 あの鬼は死後の世界にまでは来られない存在だった?

 ……長いようで短かった人生。

 これからは死後の世界を楽しむとしましょう。

 ですが、その前に――。


「他の言葉は話せないのですか?」

『〝一万回女神様は美しい〟と言いなさい』

「……えっ?」

『死んでも生き返る能力をプレゼントして、別の世界へと送って差し上げます』


 ようやく別の言葉を発した美女……否、女神様。

 言葉の内容から考えるに、転生の手続きなのかもしれません。

 しかしその瞬間に背筋を走り抜けたものは、鋭い悪寒。

 言葉としては表現難い、世界が歪むような感覚。

 この悪寒は不思議と、生きていたころから外れたことがありません。

 だというのに口が勝手に、その言葉を紡ぎ出そうとしています。

 ……せめて、せめてほんの少しだけ。

 本当にちょびっとだけでも、抵抗してみせましょう。


「一万回女神様は美しい、一万回女神様は美しい、一万回女神様は美しい……」

『…………』

「一万回女神様は美しい、一万回女神様は美しい、一万回女神様は美しい……」

『…………』

「一万回女神様は美しい、一万回女神様は美しい、一万回女神様は美しい……」

『……ピキピキ……』


 ナニカ……嫌なナニカが、全身に染み込んできました。

 圧倒的な不快感と、理解させられる能力。

 その能力は世界の理を無視する、生命を冒涜する規律。

 強制的に理解させられた能力は――。

 死んだ瞬間に浄化済みの魂を使って生き返るという、冒涜的な能力。

 ……そんな無茶苦茶、あっていい訳がありません。


『では、さようなら』


 ……きっと、言葉を捻じ曲げたのが悪かったのでしょう。

 それでも……まッ……ッテ……!!



 ◆



 耳に入ってきたのは、雑多な話し声や物音。

 不思議と感覚だけは研ぎ澄まされています。

 そして、これがチート能力というものですか、と体感させられるような全能感。


「う、ん……?」


 ――それが気のせいであると理解されられる、三分前。

 目を開けてみると、右も左も人、人、人。

 日常では見る機会も無いような格好をしている人々。

 こちらに突き刺さる、通り過ぎてゆく人々の視線。


「ままー、あの人ー」

「シッ、見ちゃだめよ」


 ……イケメン転生でもしたのでしょうか?

 そっと、頭頂部に手を伸ばしてみます。

 手に伝わってきた感触は、僅かに油っぽく、ツルリとしたもの。

 そしてそれを囲むかの如く生い茂る、便座カバーのような頭髪。


「……悲しい」


 独り言を呟いている最中にも、針のように突き刺さる視線が無くなりません。

 薄れていく全能感。徐々に全身へと広がりつつある、膝が震え出しそうな寒さ。

 季節は恐らく冬か、冬近くの秋。

 きっと髪がフサフサなら、こんな寒さもなんともないのでしょう。

 ……悲しいみ。


「ちょっとキミ、詰め所まで来てもらえるかな?」


 一人深い悲しみに打ち震えていると、男性が声を掛けてきました。

 パッと見はファンタジーの衛兵さんのような格好をしています。


「……い、いえ、私はこの世界に来たばかりなので……」

「ふんふん。それで、薬でもやっちゃったのかな?」


 それは正に、空港職員の常套句。

 口の動きが違っている事から考えるに、言葉は翻訳されて聞こえているのでしょう。

「翻訳ミスですよね?」

「は……?」

「私はやってません!」

「おい、応援を呼んでくれ。頭の逝ってる全裸の男を捕まえた」


 他の衛兵さんにそのような言葉を投げかけた目の前の衛兵さん。

 翻訳ミスです。間違いありません。

 だと言うのに衛兵さんは、手首をがっちりと捕まえて離しません。

 その手から伝わってくる感情は一つ。

 それは……この男だけは絶対に逃がすまい、という固い意志。

 どうせがっちり掴まれるのなら、美人の婦警さんがよかったところ。


「ったく……」


 頭鎧の隙間から見える目に浮かんでいるのは、心底嫌だという感情。

 ほんの数秒抵抗しないでいると、手首の拘束が緩みました。

 手首を捕まえているのが、そんなに嫌だったのでしょうか。

 ……まぁそれよりも、衛兵さんの言葉の中に、気になる点が一つ。

 衛兵さんは――『全裸の男を捕まえた』と言っていました。

 嫌な予感がしつつも自身の体を見下ろして見ると、予感通り。


 それは正に――全裸――。


 なぜ女神様は、服をくださらなかったのでしょうか。

 私はアダムとイヴの、アダムだったのでしょうか?

 知恵のリンゴは、いったい何時下さるのでしょうか……?

 全裸であることを認識してしまったところで、再度周囲の様子を確認します。

 道行く紳士淑女、子供達が、こちらを見ているのを理解しました。

 親御さんに手を引かれて去ってゆく子供達。

 小さな悲鳴を上げながら逃げてゆく淑女の皆さま。

 確か全裸を見た者の反応としては適切なのでしょう。

 私は美女というわけでもなければ、イケメンでもありません。

 ただの……便座カバーヘッドのおっさん。

 ……しかし何故?

 当然の光景だというのに、この確かな違和感は。


「――っ!」


 ようやく気が付きました。

 いえ、気が付いてしまいました。

 道行く人々の誰一人にも――〝鬼〟が取り憑いていないという事実に。

 視えなくなった、と考えれば全て解決なのですが、直感が違うと告げています。

 視える状態でのコレは初めての現象であり、これは絶対にあり得ない光景。

 何か気づいてはいけない真実を、理解してしまいそうになりました。


 ――が。


『『『不審者はココか!?』』』


 集まってきたのは六人の衛兵さん達。

 ……そう。思考の海で溺れる間もなど与えられませんでした。

 衛兵さん達が容赦なく連行してくるのです。

 このように両腕をがっちり拘束されていては、溺れる余裕などありません。


「詰め所まではこのまま連れていってやるからな、これに満足して次はやるなよ」


 優しい瞳で、そんな優しい言葉を掛けられてしまいました。

 変態じゃないのに……悲しいみ。



 ◆



 気が付いたら奴隷のような服を着せられ、石床の上に転がされていました。

 周囲には鉄格子と石のベッド。

 トイレらしき穴も確認できます。

 光源は通路の壁に掛けられているものが一つ。

 松明ではありません。

 ランタンに似ていますが、別の何か。

 じっくりと観察してみても、その正体はわかりませんでした。


「無罪なのに……」


 今確かなのは、この場所が牢であるという事実だけ。

 これまで守り続けてきた投獄バージン。

 たった今散らされてしまいました。

 私がいったい、何をしたというのでしょうか。

 ただほんの少し、連行されている最中に息子を揺らしてみただけで……ええ。

 投獄されるようなことは何一つしていません。


「冷たい……」


 ……鉄格子に触れてみると、その冷たさが掌に広がりました。

 ひんやりとしていて、全く気持ちよくありません。


「おっさん、あんた、名前はなんて言うんだい?」


 向かいの牢から投げかけられた質問。

 若い女性の声です。


「私は――…………?」


 名前が……何故か思い出せません。

 とはいえここでの未回答は失策。

 今後の牢生活を灰色のものとしてしまうこと間違いなし。

 可能な限りご近所付き合いには気を配っていきたいところ。

 ……十秒ほど考えた末、頭に思い浮かんだ言葉を口にします。


「私のことはオッサンと呼んでください。前部分で少し区切って、オッ→サンです」

「偽名? ……まぁいいか。それでオッサン、あんたは何をしてこの場所に?」


 少し前に出てきて腰を下ろしたお向かいさん。

 向かいの牢に入っていたのは、赤髪の気が強そうな女性。

 こちらと同じく、裾丈の短い奴隷のような服を着ています。

 むっちり太腿を存分に晒すその姿勢に、私は早くもノックアウト寸前。

 この汚れ無き双眸からの視線がその太腿に吸い込まれてしまったとしても……ええ。

 それはもはや不可抗力。

 私は断固、無実を主張します。


「私は女神様と出会い、この世界に転生させられた者です」

「へぇ……」

「しかし何故か大通りに全裸で召喚されてしまい、そこを衛兵さんに……」

「……ふむ、そいつぁ運が無かったね」


 お向かいの女性は、異世界から、という言葉を信じている様子。

 異世界人は一般的に認知されている?

 ……いえ、衛兵さんにしたその言い訳は通じませんでした。

 一体どういうことなのでしょうか。


「……信じて頂けるので?」

「大衆が認知している訳では無いが、異世界人がこの世界に来ることはある」

「なんと!」

「認知している者は異世界から来た者を〝異世界からの旅人〟、と呼ぶ」

「カッコイイ呼び名ですね」

「全裸転移は聞いたことが無いが、考えられる可能性としては――」


 ――なるほど。

 つまり私は運が悪かった、ということなのでしょう。

 私を捕まえた衛兵さんが異世界人事情に疎い者であったこと。

 最初の場所が町の大通りであったこと。

 ……いえ、町の中だったというのは本来であればプラスに働くパターン。

 女神様が服の一枚でもプレゼントしてくれていれば、状況も違っていたはず。

 冤罪で捕まってしまった腹いせに、目の前にいる女性の太腿をガン見します。

 何度見ても飽きない、筋肉質で素晴らしいムッチリ太腿。

 クリスタルのように澄み切ったこの双眸にて、しかと堪能させていただきましょう!!


「――と私は思うわけだ」

「…………」

「おい、聞いているのか?」

「はい、いい太腿……あ、罪人仲間で仲良くしましょう」

「そうかそうか、全く話を聞いていなかったという事だけは理解した」

「すみません、つい衝動的に」

「お前が捕まるのは、早いか遅いかだけの問題だったんじゃないのか……?」


 深い溜め息を吐きながら、ゆっくりと立ち上がった赤髪の女性。


「まぁ良い、お前にチャンスをやる」


 そう言いながら鉄格子の扉に歩み寄った赤髪の女性。

 ……かと思えばそのまま扉を開けて、牢の外にまで出てきました。

 こちらの牢も開くのでは。

 と同じようにして鉄格子を揺らしてみるも、カチャンカチャン、と音が鳴ったのみ。

 牢の扉が開く気配はありません。


「お前には二つの選択肢が用意されている」

「選択肢ですか?」

「そうだ。ここで死ぬか、冒険者となって野盗のアジトを潰すか。この二択だ」

「死ぬ? ダーイ、するのですか? 公然猥褻罪で死刑までいくものなのですか?」

「お前はいく」


 そんな理不尽な。


「……ムッチリさん。まさか貴方、詰め所の衛兵さんですね?」

「同じ囚人なら正直に話す事が多いからな。あとムッチリさんは止めろ、これは筋肉だ」


 不愉快そう顔を顰めさせながら、こちらの牢へと歩み寄ってきた彼女。


「私の事はダイアナと呼べ。ダイアナ・マルコーニャ、この詰め所と東門の責任者だ」

「文字通り全裸でこの世界に飛ばされたのですが……」

「装備品は支給してやる。ロングソードもな」


 ロングソード。

 物語が好きな男児であれば一度は憧れるであろう定番の剣。

 しかし鉄の塊でもあるロングソードを、今の私が扱えるでしょうか?

 ただでさえ剣の心得など無いというのに、体力も落ちているこの体で?


「ちなみにだが、死刑か免罪依頼の二択になっている理由、聞きたいか?」

「はい」


 とはいえ無能であることを知られれば、このまま投獄され続けかねません。

 なんとか免罪の依頼を達成し、自由の身を手に入れましょう。

 他の道は、ありません。


「異世界から来た者は総じて特別な力を持つと聞く。で、お前はどうだ?」


 思い出される、女神様の言葉。

 〝死んでも生き返る〟という、輪廻の理を冒涜していると思われる能力。


「…………たぶんありますね。かなーり危険なのが、最低一つ」

「そうか。異世界人はその危険性から、このような対応がされる事が多い」

「なるほど……」

「よし、持ってこい!!」


 ダイアナさんの呼び掛けで姿を現した数人の衛兵さん。

 衛兵さんがロングソードと鉄のドックタグを渡してきました。

 得物であるロングソードはともかく、このドックタグは何なのでしょうか。


「このドックタグは?」

「登録済みの冒険者証だ」

「冒険者証……?」

「簡単に言うと、命を奪った相手の種族名と数を記録するもの。身分証にもなる」


 冒険者証。

 小さなものですが、無くさないよう注意しましょう。


「冒険者ギルドの機器などで確認することができる。まぁ、一種の魔道具だな」

「どんな仕組みなのですか?」

「知らん。ちなみにだが、依頼は既に受注済だ」

「……賊の殲滅、ですか」

「ああ、達成すれば無罪というだけでなく、当分の生活ができる程度の報酬が貰える」

「変わった免罪システムですね」

「ん、まぁ初犯の異世界人には、こっちが本来の目的だな。さあ――行ってこい!」


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