無限創牙のドラグーン~龍の聖女と異界の女神~

秋津呉羽

一章 深緑の谷エステリア村――運命と必然の出会い

第1話 プロローグ――錬金術師コレット

 アスカが目を開けると、視界いっぱいに狼の顔が映った。


「…………」

「…………」


 今、自分がどういう状況に置かれているのか全く理解できない。

 ただまぁ、そんなことより、アスカとしては、正直今にも目の前の狼が大口を開けて、顔に噛みついて来るんじゃないかと気が気じゃない。

 逃げることもできず、だらだらと密かに冷や汗を流していると……。


「んにゃ――――――ッ!!」


 尻尾を踏まれた猫のような声と、どんがらがっしゃーん! と盛大にものをひっくり返すような音が聞こえてきた。おうっ!? と体を震わせたアスカとは対照的に、目の前の狼は人間臭くため息をついた。


『まったく……あの子は。慣れないことをするから』

「は!? 喋った……!?」

『そりゃ、幻獣だからね。しゃべるさね。ちょっと待っときな』


 そう言って、狼は――想像以上にデカい――のっしのっしと部屋の奥へと消えていった。

 この時点になって、ようやくアスカは一息つくことができた。


「俺は寝かされてたのか……」


 上体を起こし、周囲を見回してみれば……そこは、学校にある理科実験室のような部屋だった。人間一人簡単に入れそうな大釜が口を開け、机の上には色とりどりの鉱石がキラキラと光を放ち、良く分からないガラス製の機材がゴロゴロ置いてある。


「ここは一体……いや、そもそも俺は何でここに……」


 そう呟いて今までの経緯を思い出そうとして……何も思い出せないことに気がついた。思い浮かぶのは、『アスカ』という名前だけで、他に何も頭の中に思い浮かばないのだ。


「ま、待て待て、落ち着け……」


 さぁっと血の気が引いていく音を聞きながら、記憶喪失、という単語が脳裏をかすめる。基本的な一般常識は持ち合わせているようだが、自分の生まれや、ここに寝かされるまでの生活の一切が思い出せない。

 何か、自分の記憶の取っ掛かりになるものはないだろうかと、改めて辺りを見回し……鏡を発見する。そこに映っているのは、妙に強面な男の顔だった。


 太めの眉に、三白眼、口はへの字に結んであり、トドメに額から眉に掛けて傷跡が走っている……たぶん、一般人が思い浮かべる悪人顔ってこんな感じだろな、と他人事のようにアスカは思った。夜道で警察官に出会ったら、そのまま補導されてしまいそうだ。

 自分自身の顔にショックを受けるという、割と珍しい経験をしていると……部屋の扉が勢いよく開いて、先ほどの狼と女の子が入ってきた。


「あ、あはは、騒がしくしてすみません。あの、体調の方大丈夫ですか?」

「あぁ、問題ない。そっちこそ大丈夫か? 何かひっくり返したような音が聞こえたが」

「えへへ、普段料理なんてしないのに、良い所を見せようとしたのがまずかったですね……」


 そう言って愛嬌のある笑みを浮かべるのは、金髪緑瞳の少女だ。

 彼女の印象を一言で言うなら、野暮ったい、だろうか。白のベレー帽を被り、ポケットがたくさんついた膝丈まであるボロボロのジャケットを着ている。女の子っぽい服装というよりも、作業着と言ったほうがしっくりくる。実際、腰まで届く金髪もところどころ跳ねている。

 ただ……顔立ちは驚くほど整っており、鈴の音を思わせる声も耳に心地よい。色々ともったいない少女であった。


「本当はお粥を作ろうと思ったんですけど、貴重なお米をさっきひっくり返しちゃったんで……ちょっと硬いですけど、パンは食べられますか?」


 そう言われると、腹が減っていることに気が付いた。

 アスカが頷くと、少女は何が嬉しいのかニコニコしながらアスカにパンを手渡してくる。その隣では、二人のやり取りを先ほどの狼がジッと見ている。


「私、錬金術師のコレット・ルークウッドと言います。気軽にコレットと呼んでください。こっちは、ルークウッド家の契約幻獣のエリアル」

『エリアルさ。よろしく、坊や』

「あぁ、俺の名前はアスカと……ん? 錬金術師?」


 一瞬、聞き間違いかと思って聞き返したアスカだったが……何を勘違いしたのか、コレットはエッヘンと腰に両手を当て、胸を張った。


「ふふん、まだまだ駆け出しですけど、国家資格を持った正式な錬金術師なんですよ」

「………………そうか」


 反応に困ってそれだけ呟いたアスカだったが……錬金術師と言われれば、確かにこの理科室のような部屋にも色々と納得がいく。確かに、それっぽい内装をしている。


 ――俺がおかしいのか……?


 錬金術師という単語が平気で出てきたり、狼が喋ったり……先ほどから妙にファンタジーな出来事が連続しているような気がする。アスカは大きく咳払いを一つすると、コレットに向かって口を開いた。


「すまない、どうも倒れる前後の記憶が曖昧なんだが……俺が、どういう経緯でここに寝かされていたのだろうか」

「あ、そうなんですか? ポポロニャット平原で倒れているのを私が発見して、エリアルに運んできてもらったんですよ」

「ポポ……ん? なに?」

「ポポロニャット平原です」

「なんだそのパスタの茹で加減みたいな名前の平原は……ここは外国か?」

「剣の国エルメールですよ。アスカさんは人間みたいですから、ここの出身だと思ってたんですけど……もしかして、ヒュレイズ連合国の方で暮らしていたんですか?」

「…………ふむ?」

「…………うん?」

『会話がかみ合ってないねぇ』


 アスカとコレットの間に、何とも言えない沈黙が横たわったのを見て、エリアルがため息と共に立ち上がった。そして、アスカの顔を真正面からじっと見つめてくる。


『アスカ、ちょっとあんたの事を話してみな? どうも、その服装や、においが、私達と違う気がしてしょうがない。もしかしたら、マレビトかもしれないねぇ』


 マレビト……という単語にコレットが首を傾げる。


「マレビトって、あの異世界からやって来た人のことですよね?」

『そうさね。昔からたまーに見かけられた人間のことだね』

「異世界……」


 口の中で転がしたその言葉は、まるで口に馴染まない。他者ではなく、自分の方がこの世界にとって異物であるという事実は、なかなかに受け入れがたいものである。


「すまないんだが……どうも、記憶があやふやなようで、自分の名前しか分からないんだ」

「わぁ、記憶喪失ですね」


 目を丸くするコレットに、頷き返す。自分自身の手掛かりを探すように、服のポケットをひっくり返してみると……クシャクシャになった紙が入っていた。眉をひそめて内容を確認してみると……第一種奨学金の申込書とある。

 何の変哲もないその紙だが……なぜか、妙な不快感があった。アスカはそれを改めてポケットの中に突っ込むと、他を探したのだが、あいにく、他に入っているものはなかった。


『記憶喪失か……アスカ、アンタこれからどうするんだい?』

「……わからん」


 呻くようにアスカは言う。

 今までの情報をまとめると……どうも、アスカは一切の記憶を失った状態で異世界に放り込まれたと、つまりはそういうことらしい。一体何をやったら、そんな人生を賭けた罰ゲームみたいな状況になるというのだ。

 悲壮な状況になっているアスカとは対照的に、コレットは呑気にパンをもぐもぐしている。

 呑気すぎである。


「じゃー三食昼寝付きで、家で雇っちゃいましょうよ、エリアル」


 そして、そのまま、呑気極まりない発言をした。

 そんなコレットに、アスカとエリアルが同時に冷めた視線を送った。


『あのねぇ、コレット……もうちょい自衛の意識を持ちな?』

「そうだぞ。こんな得体の知れん男を家に泊めるなんてどうかしてる」

「え、それ自分で言っちゃうんですか!?」


 えー!? と不満そうに言うコレットに、アスカは大きくため息をつく。自分自身の記憶が完全にない今、アスカは自分という存在に対して自信が持てない。最悪の場合……『アスカ』という人間は犯罪者である可能性もあるのだ。

 そんな二人に対し、あくまでも呑気にコレットは提案する。


「でもエリアル、正直、私達のアトリエって色々足りてないですよ。契約幻獣がいなくて、アトリエの設備が全然使えていないのは、もちろんのことなんですけど……男手があれば、素材の回収や重い荷物を運ぶこともできますし」

『確かにそれはそうなんだけどね。でも、それ以上にコレットの身の安全の方が大事さね』


 心配そうに言うエリアルに対し、ふふん、とコレットは得意そうに笑う。


「それに、こういう時に役に立つアイテムがあるじゃないですか!」


 そう言ってコレットは立ち上がると、先ほどアスカが自分の顔を確認した鏡を壁から取り外した。そして、満面の笑みを浮かべてそれを高く掲げた。


「じゃじゃーん! お母さん作の『真実の鏡』!」

「高く掲げる意味あるのか?」

『しっ! そこはサラッと流してやんな』


 怒られてしまった。


「これは、魔力を流し込むことで、鏡面に映す相手の真実を暴くという優れものなんです! 殺人者なら手が血で真っ赤に染まりますし、悪心を持っている人なら黒い魂が浮き出てみえます! お母さんが作っただけあって、とってもすぐれた一品!」

「魔力ぅ……?」


 胡散臭さ爆発である。

 だが、当のコレットは胸に鏡を抱いたまま鼻息を荒くしており……とてもではないが、こちらを騙そうとしている人間には見えない。彼女のこれまでが全て演技であったのならば、それこそ名役者になれることだろう。

 コレットとは初対面だが……何となく、この少女は悪意を持たない人間なのだということを察することができる。


「ということで、アスカさん、これで映してみても良いですか?」

「すでに、人相の悪い男が映っているぞ」

「チャーミングですよ!」


 素直にバカにされるより、よっぽど傷ついたかもしれない。

 アスカはもうどうにでもなれとばかりに、軽く頷いた。ここで全身血塗れの自分が映っても良いようにと、内心で覚悟を決めておく。


「ではいきます……ふっ!」


 恐らく、魔力とやらを込めたのだろう……半信半疑だったアスカだが、驚くべきことに鏡面の中に映っている自分の姿が、グニャリと歪んだ。そして、混沌としていた色彩がゆっくりと一つの像を結んでゆく。


「はい、完了しました! さてさて、どんなものが映って……」


 強靭な牙、刃すらも弾き返す鱗、縦に裂けた瞳孔、蒼穹を掛ける翼。


 その場にいた誰もが沈黙した。


 そこに映っていたのは、この世界では神として崇められている幻想種――ドラゴンだったのだから。

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