第22話『フリックス・フリント』

「うわぁぁぁ!!」

「あれは、皇狼!?」


 サバミコの町の救援に向かう衛士達。その前に突如現れた巨大な狼。皇狼はこの地に住まう魔獣の中でも最強といわれる魔獣だ。

 剣も矛も通さない強靭な体を持ち、風のように早く走る。この世界の人間にはどうすることもできない化物である。


 彼らは警邏隊の中でも一握りの精鋭と呼ばれる猛者だったが、あまりにも相手が悪い。だが、浮足立つ警邏隊の衛士達の中で、先頭に立つ漆黒の具足を纏った男だけは動じること無く、むしろ笑みを浮かべて向かってくる巨大な銀色の狼を見つめていた。


 皇狼は男めがけて飛びかかる。男はそれを見上げ、まるで受け止めようとでもするかのようにその腕を頭上に掲げる。


 空中で皇狼の体がまるで蜃気楼のようにぼやけて消える。代わって現れたのは、一切衣を纏わぬ美しい乙女の姿だった。


 乙女は銀色の長い髮をなびかせ男の胸へと飛び込み、男はそれをしっかりと抱きとめる。


 お互いの感触を確かめるかのような抱擁、肌が、髪が、視線が絡み合い、やがて2人の唇が重なる。


 それはつかの間の口づけ。やがて唇が離れ、名残惜しそうな表情を見せながら乙女の姿が消えると、そこには金色の瞳で男をじっと見つめる巨大な皇狼の姿があった。


 それは僅か10秒足らずの出来事。しかしお伽噺のワンシーンのような光景は強烈な印象を彩兼に与えることになった。



***



「も、もう! マロリンったら!」

「ぉー、相変わらずラブラブだねぇ」

「見せつけてくれるぜまったく」


 言葉を失っている彩兼とは対象的に、黄色い声を上げるマイヅルの魔法少女3人娘。


「……今のマロリン?」


 彩兼が聞くとその様子がおかしかったのかアズは口元に笑みを浮かべる。


「おいおいおい。なにを驚いてる? 人の姿になることくらい狐にだって出来るだろ? マロリンに出来ないわけないじゃないか」

「……ど、こまで凄いんだよ」

「マロリンに惚れるんじゃねえぞ? あの2人の邪魔をしたらマジで命ないからな?」

「確かに……」


 男の顔には見覚えがあった。


 警邏庁北方本部長官フリックス・フリント。マロリンの愛を受け止めた男である。


 フリックスは20人前後の衛士を引き連れていた。彼らは畏怖のこもった目で遠巻きにマロリンと、そしてフリックスに視線を送っている。そんな彼らにフリックスは先に町へ行くよう支持を出す。威勢の良い返事を返して町へと駆けていく衛士達からは緊張から開放された様子が見て取れた。


 どうやら衛士の誰もがこの巨大な魔獣に慣れているわけではないようだ。そしてフリックスのことも。

彼らを見送ると、フリックスは彩兼の方へと目を向ける。


「また会ったなニッポンジン。どうやら巻き込んでしまったようだな。こちらの力不足ですまなかった」


 フリックスの持つ力強さと存在感の前に、彩兼のこの数時間張り詰めていた緊張の糸がぷっつり切れた。


「いえ、俺は大丈夫です。それより町の人を助けて下さい!」


 普段の彩兼ならば人の力をあてにするような言葉を軽々しくは言わなかった。不用意な一言が取引の材料にされかねないことをを知っているからだ。


 だが人の死を目にし、慟哭を受け止め、命がけの戦いを経験して、彩兼の精神もまた限界だった。


 彩兼は幾つもの資格を取得し、世界が認める天才だ。銃の撃ち方も知っているし、米軍の訓練を体験したこともある。


 だが戦士ではない。戦場において彼の心は普通の少年と変わらないのだ。


 彩兼の心境を察したかのようにフリックスは彩兼の肩を叩く。そして彼が視線を送るのは町へと走る部下たちの背中だ。


「あれでも奴らは精鋭だ。マリンリーパー程度に遅れを取ることはない。本隊も間もなくこちらに来るだろう。町の人々は我々警邏隊が必ず守ると約束する」


 まだ20代半ばに見えるフリックスだが、それでも警邏庁を統べる長である。その発言には確かな自信と、重みがあった。


 続いてマイヅルから来た少女達へと向き直る。


「3人共よく来てくれた。カイロス学長も虎の子の愛弟子を送って来るとは、よほど彼は重要なようだ」

「よく言うよ。本当はマロリンさえいればよかったんじゃないか?」


 アズの軽口に少し口元を吊り上げるフリックス。ファルカの例もあるがマイヅル学園の生徒とフリックスはかなり親しいようだ。


「それでも手伝ってくれっるんだろう?」

「まあな」

「ボクの魔法で一発です!」

「わ、わたしもがんばります!」

「期待している。マロリンもな」


 フリックスの言葉に小さく吠えるマロリン。


 しかし、この3人の力は良くも悪くも規格外で、このまま警邏隊と合流させても力を発揮できないだろう。

 探知能力を持つアズは兎に角、マロリンとクレアの力は完全に持て余す。どうしたものかとフリックスが顎に手を当てていると、頭を上げたマロリンが木々の向こうへと視線を巡らせる。


 グルル……


 小さく唸り声を上げると森の方へと走っていく。


「マ、マロリン? もう……また?」


 サクラが止める間もなく、その巨体はあっという間に木々の中へと消えていった。


「マロリンは忙しいねぇ」

「まったく、サクラはちゃんと手綱握っておけよ? そのへん歩いてるイケメンに襲い掛かったとか洒落にならないぞ?」

「マ、マロリンはお利口だからそんな事しないよ!」

「あ、あの……さっき俺……」

「「「あ」」」


 マロリンは大の面食のようで、さっきも町の外から見かけた彩兼に興奮して飛び出して行ってしまったらしいのだ。


「ほう。マロリンに気に入られるとはやるなニッポンジン」


 フリックスとは種族を越えた恋仲らしいが、彼はそのやり取りを聞いても平然としている。それだけ強い絆があるのか、単に器がでかいのか……?


 マロリンを信用している様子の一同だったが、森の中から悲鳴が聞こえた。


 きゃぁぁぁぁ!!


 「ついにやっちまったか」


 アズの呟きに気まずい空気が流れる。その後マロリンが何かを咥えて戻ってくる。


 見覚えがあるシャンパンゴールドの長い髪、ミルクをこぼしたような白い肌。白い鱗に覆われた下半身。それは人魚の姿に変幻メタモルフォーゼしたファルカだ。


「むきゅぅぅぅ……ふぎゃ!?」


 マロリンは目を回していたファルカを無造作に地面に置くとお座りして尻尾を振る。


 その姿は飼い主が投げたボールを持って帰り、褒めてとおねだりする飼い犬そのままだった。



***



「もう、どうしてあたしにばかりいつもいつも……」


 サクラの背中に隠れ、涙目でマロリンを睨むファルカ。


 マロリンはといえば、今はもう何事もなかったかのようにすまし顔でフリックスの傍らでお座りしている。

 このようにファルカはよくマロリンに弄られているらしい。


「そ、それはファルカちゃんがいつも裸でいるからじゃないかな……?」

「ああ。男子の視線を独り占めしてるもんな。それが気に入らないんだろ」

「マロリン、やきもち焼きさんなんだぉ」


 アズが羽織っていたマントをファルカにかける。彼女は傍目にはヤンキーで口も悪いが、中々面倒見が良く気が回る。


「ぶー、裸じゃないし! ちゃんと隠してるし!」


 ファルカも学園では普通に制服を着て通っているのだが、プライベートな時間では大抵今の格好で普通に出歩いている。刺激的なファルカの肢体が脳裏に焼き付いた男子は自然とファルカを目で追うようになってしまうのは無理がないのかもしれない。


 グルルルル……


 唸り声を上げてファルカを見据えるマロリン。


「うぅぅ……」


 マントに包まって首をすくめるファルカ。

 見かねたフリックスが間に入ると、マロリンはぷいっとそっぽを向いてしまった。


「それで、ファルカ殿。メロウ族の方は?」

「あ、うん。もう沖に集まってる。それで港にいたあのべらんめぇな局長さんにどうすればいいか聞いたら、こっちに行ってフリフリ長官に聞けって言われたの」


 ケニヒスはどうやら対処を上司に丸投げしたらしい。


 眉間のシワで眉毛がつながって見えたと、ファルカがその時のケニヒスの様子を伝える。それを聞いて苦笑するフリックス。


「そういえばメロウ族の件をあいつに言うのを忘れていたな」

「おいおい、そんなんで長官務まるのかよ!? もう役職返上した方が良いんじゃないか?」

「そうしたいのは山々なんだがな。俺に命令できるのが陛下しかいないのだから仕方がない」


 悪びれた様子を見せず無責任極まりない発言をさらりと言ってのけるフリックス。だが、これには理由がある。今回メロウ族の手を借りるために領主の承諾を得ている時間がなかったからだ。


 事後承諾で怒られるなら自分1人でいい。そういう判断である。


 誰もが呆れた様子で彼を見る中、フリックスがふと真剣な表情に戻る。鹿に乗った衛士がやってくるのが見えたからだ。鹿といってもトナカイに近く大ぶりの体躯に巨大な角が生えている。


 伝令役の鹿乗衛士だ。マロリンに怯える鹿を叱咤しながら駆けてくると、大声を張り上げる。


「長官! 海岸に新たに大規模な群れが出現しました!」

「なんだと?」


 衛士の言葉に和んでいた雰囲気が一変する。フリックスが発した研ぎ澄まされた気配に呑まれ、周囲は緊張感に包まれた。

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