第6話 訓練開始

「では、始めよう」

 両手で剣を構える私の後ろで、ギースが言った。

 手に力を込めると、柄を握る手のひらからずるずると体からエネルギーが吸い取られていく。まだ慣れない、気持ち悪い感覚だ。吸い取られるエネルギーが一定量を超えると、剣の柄に装着された宝石が淡く輝く。

 連れてこられたのは、街の中心部にある訓練場だ。ガリオン兵団はじめ、他の傭兵団もここで訓練を行っている。壁はレンガ造りの円形状で、見た目はイタリアのコロッセオにそっくりだった。

 だが、古代ローマと違うところは、ここでの訓練で用いられる標的は、藁を巻いた案山子でも丸太の組み木でもなく、目の前で浮かんでいる、銀色の魚だった。

 複数の傭兵団が同時に、時には合同で演習を行えるほど広い訓練場の片隅で、私はその銀色の魚に囲まれている。

 プラエ特製、訓練用魔道具『フォルミ』だ。中心に魔力をためるコアがあり、それを動物と木の皮で包み、その上から銀と鋼を混ぜ合わせた合金でコーティングされている。作り方が野球のボールと似ているそれは、ゴーレムという種類に位置づけられるものだそうだ。ゴーレムの定義は、魔力で操り、人の代わりに色んな作業が行える魔道具のことで、私が知っているような、泥とか石でできた巨人だけのことじゃなかった。もっと広義の意味らしい。なんとなく、現代の人間の方が固定観念に縛られていて、負けている気がする。こう感じるのは私だけだろうか?


 プラエのところで鑑定して貰ったのが、三日前。

「良いかい? この剣には風の魔術が組みこまれているんだ」

 そうして、プラエは剣の説明に入った。彼女の説明は、何と言うか、一言で表すなら学会の論文だ。素人にはサッパリ分からない。絶対に私が理解していないのを知りながら、それでも説明を止めないのだから良い根性をしている。彼女も技術者や科学者に良くある、自分の好きな事を延々と相手の顔色も周囲の空気も読まず喋っていられるタイプの人間らしい。きっと、空気は読むものではなく吸うものだと真面目な顔で言えるタイプだ。

 とりあえず、頭が沸騰しそうなほど大量に流れ込んできた専門用語や無駄な装飾語を省き、要点だけを繋げて自分なりに解釈する。

 剣の話をする前に、基本的な魔力の事から解説は始まった。とはいっても難しい話じゃなかった。体力とか生命力とかと根源を同じにするものだ。

「人間の中に、こう、水たっぷりの水がめがあると考えな」

 力を使ったり走ったりすれば水は体力として減り、魔術を使えば魔力として減り、年を取ったり怪我や病気になれば生命力として減る。減れば疲れる。休んだり、栄養を付ければ水が元に戻り、訓練すれば増加する。体力、魔力、生命力と、水の出る蛇口が違うだけだ。

「魔術を学問として教えている連中からすればとんでもない略式で大雑把な教え方だけど、あんたには丁度良いだろう。理解するよりも、体で覚える。戦う人間はそれで良い。細かい理屈はあたしらが担当するから」

 そして、次に剣の説明に入った。

 まず、この剣の銘はウェントゥス。風の魔術が込められたエメラルドがはめ込まれている。魔力を流し込む事で、様々な効能を発揮する。

 剣の柄部分には、ヤドリギ科の樹木の皮が巻かれていて、裏地には魔術回路が書き込まれている。この魔術回路だが、私たちの知識に照らし合わせるとICチップとか、電子回路とか、プログラムのコードを合わせた働きをする。例えば、もし人が柄を掴んだ場合、魔力を吸い取る命令が発動、その命令の発動がトリガーとなって、次の魔力をエメラルドに流し込むという命令が発動、という風に、連鎖的に命令が実行される。

 効能は、いくつかの段階に別れている。

 レベル一。剣の強度、鋭さが増す。剣の回りに薄く風の膜がまとわりつくことでそれを可能とする。流し込む魔力の量で、強度と鋭さが代わる。この効能は、地味に凄いらしい。剣は、生物を切れば血糊がつき鋭さが失われるし、剣同士や盾と打ち合えば欠けたり、場合によっては折られる可能性がある。この剣は、剣のデメリットを魔術を持ちいる事で打ち消している。研ぐ必要も無く、半永久的に使用できる剣は、かなり画期的だ。

 レベルニ。長さを変えられる。剣の鍔から、小さなレバーが伸びている。拳銃の引き金のように湾曲したレバーだ。引き金のように、それを一度指で引くと、柄の中の魔術回路の分岐器が作動し、レベルニの魔術回路に切り替わる仕組みだ。まるっきり線路の分岐器と同じ仕組みで、魔力の流れる経路が変わり、発揮される効能が変わる。伸ばせる長さは流す魔力の量に比例する。これは、戦いに置いてかなりのアドバンテージを発揮する。安全圏から攻撃できるのだから。

「代わりに、消費量はうんと跳ね上がるからね。魔力の使い方に慣れない内は、使用を控えな」

 楽観的になりかけた思考を、プラエが引き締めた。

 レベル三。レベル一と二を同時に発動する。先ほどの引き金を二度引けばレベル三の発動条件は整う。だが、これまで以上に魔力を消費するのは間違いない。たとえレベル三の力で敵を倒せても、力尽きたら元も子もない。レベル三はレベルニ以上にプラエに禁じられた。まずはレベル一の使用から慣れる事。そうして渡されたのがフォルミだ。レベル一を使い込み剣に慣れる訓練と、ロストルム戦に向けて訓練を合わせて行う事になった。


「準備は良いか?」

 ギースの問いに、頷きで答える。その間も、魚からは目を離さない。

「始め」

 合図と同時に、フォルミたちが動く。水中でもないのにすいすいと宙を泳ぎ、私の周りをぐるりぐるりと巡る。その数、三匹。横目でフォルミの位置を確認し、いつでも剣を触れるよう身構える。

 背後に回ったフォルミの一匹が、突如、急角度で曲がった。人の後頭部目掛けて突進してくるそれを、しゃがむ事で躱す。しゃがんだところを隙と見たか、今度は二匹目が右から襲う。それに向けて、今度は躱すのではなく、迎え撃つ。しっかと握り込んだウェントゥスを裂ぱくの気合と共に降りぬく。

「だぁ!」

 目論見は半分成功、半分失敗だった。タイミングも軌道も完璧で、剣は確実にフォルミを捉えた。しかし、剣はフォルミを切り裂くどころか、突進に押され、弾かれる。流し込んだ魔力が、フォルミを切り裂くほどの鋭さを得ていなかったのだ。フォルミは元の軌道である私への衝突コースを逸れて、勢いを半分残したまま左側へ逸れて行き、私の右腕には鈍い痺れが残った。思わず右肘を左手で押さえる。

 まずい、と頭では理解した。だが、反射的なものをどうこらえろというのか。

 視界から消えた最後の一匹が、私の右側の尻につき刺さった。下からつきあげるような衝撃に一瞬体が浮き、意図しない形で前に飛ぶ。不細工な着地の後は、ゴロゴロと痛みで転げ回る。絶対に青あざが出来てる。

「止め」

 ため息で声帯を振るわせたような呆れた声でギースが告げると、フォルミ三匹は大人しく彼の手のひらに戻った。這いつくばって地面に触れている頬骨に振動が伝わる。重々しいギースの足取りだ。

「また同じ失敗だ」

 天上より声が降り注ぐ。それは未知に迷いし哀れな子羊を導くための天啓であろうが、素直に受け取れないくらい棘々しかった。

「何度言ったら分かる。敵から目を離すなど自殺行為だ。敵から目を離していいのは確実に仕留めた時か、全力で逃げるときだけだ。戦いの最中に目を離す馬鹿があるか。戦いの時に目を離して良い人間は、気配で動きを察知できるほどの達人か、経験にて動きを予測できる熟練者だけだ。お前はそのどちらなのか?」

「どちらでも、ありません・・・」

 歯を食いしばって痛みを堪えながら、何とか答える。これで何も言わずにいたら、頭から水をぶっ掛けられる。

「良いか、本番は、この程度では済まんぞ。さっきのが本番なら、お前のケツにはロストルムの牙が食い込み、喰い千切られ、上半身と下半身がバラバラになっている」

「で、でも、本番は鎧を着込むんじゃないんですか。それなら奴らの牙だってそう簡単に貫通しないんじゃ」

 痛みがマシになって来た所で反論を行う。しかし、帰ってきたのは鎧と鎧の隙間を縫って突く鋭い正論だった。

「愚か者。鎧を着たら、お前の動きはもっと鈍るだろうが。たとえ一撃目が防げたとしても、鈍ったお前の命を狩る事など、奴らには容易い。鎧を着用していない状態で、この程度の攻撃もいなせずして、どうしてロストルムを倒せるというのだ」

 仰る事はごもっともだが、やはり納得はまだ行かない。

「じゃあ、せめて最初は一匹ずつ練習させてくださいよ。いきなり三匹相手とか、無理ですって」

「つくづく愚かだな。ロストルムは群れで行動する。一対一で相対するなどほとんどありえない。下手な慣れを作るべきではない。また奴らは賢い狩人だ。弱い兵士をすぐさま見抜き取り囲む。たとえ、別の兵士と戦っていたとしても、強靭な足腰でかいくぐる。奴らはわかっているのだ。一人ずつ倒せばいいのだと。一人欠け、二人欠け、出来た穴を、少しずつ広げて行けば良いのだと。お前のような新人が、最も奴らに狙われるわけだ。その時、一匹ずつかかってこいと奴らに言う気か?」

 もはや反論する余地も気力も潰えていた。

「そもそも、今のお前では一対一でも勝てない」

 ぐうのねも出ない。

「私では、到底勝てないから諦めろってことですか」

「そうではない。団長に推薦した以上、私はお前が合格するのを助ける義務がある。正直面倒だがな。だが、手は抜かない。本気でお前を、傭兵団で運用するための方法を練っている」

「ロストルム一匹にも勝てないのに、ですか?」

「勝てなくても、負けなければ話は変わる。これは、そういう訓練だ」

「どういう・・・意味ですか?」

「説明しても今のお前にはわからんだろう。とにかく今は、このフォルミの攻撃をかいくぐる事だけを考えろ。全部切り落とすか、十分、いや、まずは五分耐えて凌げ。それが出来たら、訓練の意味を教えてやる」

 ほら、サッサと立て。ギースが急き立てる。いや、少し待ってほしい。口を動かせるようにはなったが、いまだに尻には鈍痛があり、少し身じろぎしただけでも脳天まで貫くような痛みが走る。動くのはちょっと、いや、絶対無理。

「あの、ギースさん」

 苛立ちを隠さず私を見下ろすギースに、横から声をかけた者がいる。上原だ。

「何だ、マサ」

「先に僕から、お願いします」

 そういって、上原は自分の武器を構えた。彼がモヤシから貰ったのは、刃渡り五十から六十センチほどの刀だった。刀、とはいうが、時代劇などで良く見る、反りがあり、美しい波紋がある日本刀ではなく、もっと無骨な代物だ。刀身の幅は二十センチほど、その三分の二は刀というより板と呼ぶ方がしっくりくる。刃がないのだ。厚さは二センチくらいで、どう考えても切れるとは思えない。残り三分の一から急に鋭さを帯び、刀身と呼べる形になっている。長いかまぼこ板の先に出刃包丁の先を引っ付けたような、そんな不恰好なものを刀と呼んで良いのかははなはだ疑問ではある。

 しかし、何度か彼の訓練を見て、あの武器の形状は利に適っていると考えるようになった。

 ギースは上原と私を一瞬見比べて、視線を彼に戻す。

「分かった。アカリ、下がれ」

 言われなくてもそうする。四つんばいで這いずって、壁際まで後退する。

「行くぞ、マサ」

「はい!」

 再び、フォルミが宙を泳ぐ。

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