第2話 命の代金

 息は既に上がっている。心臓は過重労働を強いられストライキ間近だ。反対に脳は酸素不足で何も考えられず、足は一歩踏み出すたびに筋肉が削れて力を失っていく。それでも走った。止めたら死ぬ。命を削って、命を守ろうとしている。相反するようで、至極全うな、本能に従って体は動いている。

 後ろで悲鳴が上がった。本当の悲鳴は、ドラマや映画のような甲高いものじゃなかった。風前の灯火がかき消えるような、弱々しくてか細い声だった。それでも、確かに誰かの命が消える声だったのだ。

「たすけ」

 それ以上は意識的に聞かない。聞こえないようにした。止まってどうなる。助けに行けと? ちっぽけな剣と、ちゃちな正義感を武器に? 無理だ。体は恐怖に負け、後ろを向く事すら許さない。

 最悪なのは、誰かが死ぬのを喜んでいる自分がいる、という事だ。吐き気がするほどクズだが、まごうことなき本心だった。誰かがロストルムに食われている間、自分は逃げる距離を稼げるからだ。涙を流す代わりに、その水分が唾となって飲み込まれた。少しでも遠くへ逃げる為に。数ヶ月だが、共に過ごしたクラスメイトたちの死が、自分を生かした。生きる事がせめてもの供養だ、どうせ彼らは他人だ、と心の中で無数の言い訳をして、ひたすら走った。

 城壁が近づいてきた。上に人がいるのが見える。彼らに向かって叫ぶ。最初は切る風に押し流されてしまった。これでは聞こえない。僅かな呼吸で得られる空気をカツカツに削って、もはや肺を歯磨き粉のチューブが如く凹ませて押し出した空気で無理やり声帯を振るわせる。

「助けて!」

 私だけじゃない。隣で走る男子の加藤から、前を行く陸上部の西島から、後ろからは井沢の切迫した声が城壁に向かって投げ込まれる。ようやく、城壁の上にいた誰かがこちらを振り向く。私たちと、その後ろからくるロストルムの接近に気づいたその人は、近くにあった鐘を打ち鳴らす。ガンガンと火花が散るほど激しく鳴らした後は、こちらに向かって矢をつがえた。

「頭ァ低くしろ!」

 向こうからの指示が届く前に、矢が私の頭上を飛び越えていった。苦しくて顎が上がりそうなのを堪えて、前傾姿勢をとる。ここまで来て、誤射で死ぬなんてごめんだ。一定の周期で聞こえていた矢音は次第に間隔を短くし、雨音のように間断なく聞こえ始めた。矢を射る人間が増えたためだ。ギャンと明らかに人間のものではない鳴き声が一度、二度上がると、そこかしこでギャンギャン鳴き声が上がり始めた。その頃には、私たちは城壁にへばりつき、開けて入れてと叫んだ。ちらと後ろを見ると、ロストルムはこちらを追ってきていない。ある程度の距離を置き、横一列に並んでいる。賢い。丁度、矢が届かないラインだ。

 一際大きく長い汽笛のような鳴き声が荒野に響き渡る。発しているのは、ロストルムの中でも一際大きな個体だ。そいつがくるりと踵を返すと、他の個体も真似をして引き返して行く。

 城壁に背中を擦りつけながら、膝から崩れ落ちた。肩はまだ上下していて、全身が熱い。沸騰した血が体中をかけ巡っている。それでも助かった。それでも生きている。

「おい!」

 突然耳元で叫ばれ、肩を掴まれた。驚いて振り返ると、厳つい顔の男がこちらを覗き込んでいた。年は三十から四十の間くらいだろうか。日焼けした顔には年相応の皺が刻まれていた。

「大丈夫か? どこかやられたのか?」

 粗暴な言葉遣い、荒々しく肩を揺さぶる無骨な手、本来であれば敬遠したいものばかりだ。が、つり橋効果でも発生したか、全てがこちらの心配をしてくれている、頼りがいのある男だと好意的に受け入れられた。なにより掴まれている手から感じる温もりが、体以上に震えていた心を落ち着かせてくれた。

「動けるか?」

 声を出そうとしたが、まだ体が声に使う空気のリソースがないと突っぱねた。頷く事で、彼の質問に答える。

「よし、じゃあ、早く来い。いつまた奴らが戻ってくるかもわからん」

 そう言って男は立ち上がり、油断なく辺りを見回して他のへたりこんでいるクラスメイトたちにも声をかけていた。

 壁に手をつき体を支えながら立ち上がる。膝はまだ笑っているが、歩ける程度には体力は回復していた。声をかけてきた男の背中を追う。


「お前たちは、何者だ?」

 城門を潜るなり、私たちは壁際に並ばされ、武器を担いだ屈強な連中に囲まれた。切っ先を向けられているわけでもないのに、命を握られているような感覚に陥る。実際、少しでも反抗的な態度を取れば、それらは簡単に私たちの体を貫き、命を奪うだろう。

「この時期、赤の大地では冬眠から覚めて活発になったロストルムが徘徊している。この辺りに住んでりゃ、ガキでも知っている事だ」

 横一列に並ばされた私たちの前を、禿頭の男がゆっくりと往復する。彼が、この屈強な集団のリーダーだろう。彼の着る立派な鎧についた傷は、これまでの戦いと人生を想像させた。ガリオンと名乗った男は、私たち一人一人を値踏み、もしくは何か魂胆があるんじゃないかと見定めるようにつま先から頭のてっぺんまで注意深く観察している。

「それを知らないって事は、余所者か、もしくは何か狙いがあって赤の大地にいたんじゃないかと思うわけだ」

 ガリオンの足が止まる。よりにもよって、私の近くだ。

「もう一度、聞く。お前たちは、何者だ?」

 高角度から、細められた眼光が私を貫く。喋らなければならないとわかっている。疑われないためにも、そして目の前のガリオンから怒りを買わないためにも。だが、言葉が喉元に引っかかって、不細工な声しか出て来ない。打ち上げられた魚よろしく口をパクパクと開閉するしか脳がない。ガリオンの苛立ちが募っていくのが目の前で感じられ、焦って何か喋ろうとすればするほど、声が喉の奥に逃げ込んでいく。もはや息をするのも精一杯だ。

「あの・・・」

 爆発寸前のガリオンが私から顔を逸らした。隣にいた、上原が口を開いたのだ。あまり目立たない男子は、ガリオンの視線を受け止め切れずに俯くが、何とか声を絞り出そうとしていた。

「ぼ、僕らにも、よくわからない、んです」

「よくわからない? どういうことだ。自分たちの事だろう?」

「本当だ、・・・です。モヤシは異世界とか転移魔法とか、言ってたけど・・・」

 上原が一瞬視線を上げて、ガリオンの様子を伺った。彼としては正直に話した。だが、この話の内容をきちんと受け入れてくれるかどうかが問題だった。普通の人間なら、魔法という単語が出た時点で笑うか怒る。果たしてガリオンは、笑う事も怒る事もせず、ただ上原に向かって顎をしゃくった。続けろ、という意味だろうか。そう受け取った上原は、たどたどしくも話を続ける。

「僕たちは、こことは、別の場所にいました。でも、モヤシが僕たちをここに放り込んだんです。その、本人曰く自分と入れ替える魔法を使って。そして、放り出されたのが、さっきの場所、ロストルム、でしたっけ、その恐竜がいた場所でした」

 上原が話している間、ガリオンはずっと彼を注視していた。

「では、貴様らは、そのモヤシ、とかいう魔術師のせいで、赤の大地にいたと」

「は、はい。信じてもらえないかもしれませんけど」

 上目遣いで相手の反応をびくびくしながら上原は待った。隣にいる私も同じ気分だ。審判者であるガリオンは、後ろの仲間に目配せをした。一人が一歩ガリオンに近づき、耳打ちをする。音までは耳に届かないが、上原の話を吟味して自分なりの答えを伝えているのだろう。おそらく、参謀的なポジションではないか。他の厳つい連中に比べて、ほんの少しだが知恵というか、クールさを感じた。ガリオンも彼に短く答えた。唇の動きから、相槌のような、短い言葉ではないかと推測できた。

「貴様らの境遇はわかった」

 視線を右から左へ、私たちを順に眺めながらガリオンは言った。

「ごく稀に、お前たちのようにどこか別の場所から、魔法のような、何らかの力が働いて呼び寄せられる者たちが過去にも存在した。ルシャと呼ばれる存在だ。なるほど、貴様らの服装は、少なくともこのラテルや、近郊の国では見かけない格好だ。ひとまずその話を信じよう」

 ほっとした空気が流れる。厳ついままだが、ガリオンの顔や、周りの連中から敵意は和らいだように感じた。

 彼が言う、私たちのような存在を指し示すルシャ、音で漢字を当てはめたら、流れ者と書いて流者だろうか。昔の島流しの刑に処された人間の事を流民と言っていたが、そういうニュアンスになるのか。

「それで、どうする?」

 ガリオンは再び私たちに疑問を投げつけた。

「貴様らの境遇には、多少同情はする。だが、それだけだ。払う物は、払ってもらう」

 払う? 一体何の話だ。雲行きが再び暗くなりつつある。

「当然の要求だ。俺たちは傭兵。金でしか動かない俺たちを、お前たちは動かした。当然、金が発生する」

「そんな」

「嘆くような事か? お前たちは、命を永らえたんだぞ? お前たちにとって、命よりも金の方が価値があるのか?」

 それはそうだが、あまりに理不尽だ。こちらは何も知らないのに、こんな場所に送り込まれたのに。

「払わない、払えないというなら、門の外へと戻ってもらう」

 ガリオンの声に従って、連中の囲みの一部が開いた。重々しい城門が見える。隔てた向こう側には死がある。誰も、そちらに足を運ぼうとしない。やっとのことで助かったのに、また城壁の向こう側に戻りたいと思うわけがない。

「ちなみに、幾らぐらい、なんですか・・・?」

 恐る恐る、上原が尋ねた。一度言葉を交わしたから、耐性が出来たのかもしれない。

「そうだな。一人銀貨十枚、ってとこか?」

 なあギース、とガリオンは後ろにいた男に呼びかける。先ほどガリオンに耳打ちした男だ。

「相場としては妥当なところだと。消耗した矢の本数を考えれば、もう少し高くてもいいかもしれませんが」

「そこは、初めてのお客様料金ってことでまけてやる。言っておくが、金に関しては、俺たちはかなり誠実だ。金も傭兵も信頼によって成り立つからな。それに、この国は傭兵業が盛んなだけに、傭兵に関する法律、特に金に関する法律が敷かれている。詐欺を行った場合、雇う側だろうが雇われる側だろうがかなり重い刑に処される」

「だからこそ我々のようなならず者集団でも、公平に商取引が出来るわけですが」

「働いた分は、きちんと払う。品物が欲しけりゃ、価値に相応しい料金をきちんと払う。ここのルールだ。ここに来たからには、ルールに従ってもらう」

 至極もっともだ、とは思う。納得はけして出来ないけれど。

 私たちの間で視線が行き交う。払う事はもう、ほぼ確定だ。では次は、支払い方法だ。私たちの世界の金が使えるとは思えない。試しに上原が千円札を出して相手に見せたが「何だこの紙切れは」と何の価値もない事を証明してしまった。他に売れる物はないか、と視線をさまよわせ、手の中にある物に辿り着く。これまで持った事もない、モヤシからの選別だ。柄の先に青い石がはめ込まれている以外は、これといって装飾のない、良く言えば質実剛健、悪く言えば無骨な作りだ。自分の剣から視線を上げると、他の皆も私と同じようにモヤシから貰った武器に答えが行き着いている。しまった、もっと宝石とか装飾されている価値の高そうなものにすれば良かった。重たそうだからとごてごてした物を避けたのは失敗だった。

「あの・・・」

 案の定、一人の女子が手に持った杖をガリオンの前に掲げた。拳大ほどもある大きな赤い宝石が先端にくっつき、杖にも小さな欠片がちりばめられている。見るからに高そうだ。

「これは、幾らくらいですか?」

 ガリオンたちの目の色が変わる。

「本気か?」

「え、あ、はい。今、お金の変わりになるようなものが、これ以外ないから、なんですが」

 ガリオンたちは杖と彼女の顔を見比べていた。戸惑っていた、と言う方が正しいかもしれない。それほど高価なものなのだろうか。

「そっちがいいなら、別に構わん。ただ、それの価値はもっと高い。俺たちは鑑定士じゃないからわからないから、質屋で調べて売るといい。売った金で支払え。・・・他にも、今持っている物を換金して払いたい奴はいるか?」

 ガリオンが呼びかけると、ほとんどのクラスメイトが申し出た。

「そうか。よし、じゃあ誰か、こいつらを質屋まで連れて行ってやれ。換金して金を支払った奴から開放しろ」

 じゃあ自分が行きます。申し出たのは、城壁で声をかけてきた男だった。

「おお、ラス。頼んだぞ。じゃあ、貴様らはあいつの後についていけ」

 ぞろぞろとクラスメイトたちはラスの後をついていく。

「で、残ったお前たちはどうする気だ」

 ガリオンが私たちの顔を見て言った。残ったのは、私と上原、後は男子二人、笹塚と赤坂だ。女子は私一人だけだった。

「他に、お金を払う方法ってないですかね?」

 笹塚が尋ねた。

「例えば、どこかでバイト、ええと、働いて返すとか出来ませんか。すぐじゃなくて分割で払えたりすると、より助かるんですけど」

 笹塚は、確か校則で禁止されているのにバイトしているという話を聞いた。働く事に抵抗がない彼にとっては、自然な流れだった。

 他の大多数のクラスメイトとは違う答えを出したため怒るかと思いきや、ガリオンは納得したように頷いた。

「ああ、それでも構わない。むしろ、全員そう答えると思っていたから、俺たちとしてはさっきみたいな支払い方法は少し驚いた」

 そうか。ガリオンは私たちが別世界から来た事を理解していた。なら、金を持っていない事もすぐに察したはず。であるなら、支払う方法は働いて返す以外ないと思っていたのだ。

「貴様は、何が出来る?」

「俺は、飲食店でバイトしてたから、簡単な料理とかなら」

「料理人か。知り合いの店を紹介してやる。隣のお前は?」

「俺も働いて返したい」

「何が出来る?」

「俺は、実際働いた事はないけど、出来ると言ったら・・・数学、計算とか?」

 苦し紛れに言った赤坂の答えに、思いのほかガリオンは食いついた。

「ほう? 算術が出来るのか。それが本当なら、うちはギースがいるか、でも会計が欲しい傭兵団や店は多いぞ」

「で、出来ます。本当です。そろばんやってたから暗算は得意です」

「そうか、じゃあ募集かけてるところを紹介してやる。出来なきゃ身包み剥いで追い出されてくれ」

「大丈夫です」

 話がまとまった。ガリオンの視線が上原と私に向く。

「お前は?」

「僕も、計算が出来ます。赤坂君みたいにそろばんを習ってたわけじゃないから計算は遅いけど」

「お前もか? お前たちはもしかして、貴族か何かだったのか? ガキで計算できるなんて、商人か、教育を受けられる貴族だけだ」

「貴族、ではないですけど。それで、どうでしょう? 紹介して頂けませんか?」

「良いだろう。おい、こいつらを一緒に連れて行け。 ・・・さて残るは」

 ガリオンがこっちを見た。少し困ったような顔をしている。まずい、渋られるかもしれない。そう思い、必死で自分をアピールする。

「私も計算なら出来る。後は、料理も」

「待て」

 ガリオンが押し留める。

「悪いが、貴様はそのどちらでも働くのは難しい」

「え、どういう、ことですか」

「貴様が女だからだ」

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