第14話 お姉ちゃんの結婚

「大丈夫?」


 貴臣君のその声で、私は顔を上げた。

 どれぐらいの時間が経ったのか……気が付くと、明るかったはずのあたりは夕暮れへと変わり始めていた。


「わ、私……! ごめん!」


 慌てて離れたけれど、泣きじゃくった私の涙で、貴臣君の胸元は色が変わってしまっていた。


「服! どうしよう……! 本当にごめん……!」

「そんなの気にしなくていいよ」

「でも……」

「弱ってる時に、俺を頼ってくれたことが嬉しいんだから、気にしないで」

「貴臣君……」


 その優しさに、胸が締め付けられるように、キュッとなるのを感じた。


「もう平気?」

「うん……」

「送っていくから、帰ろうか」


 差し出された手を自然に取ると、私たちは並んで歩き始めた。


「……あ!」

「え?」

「ちょっと待ってて」


 そう言ったかと思うと、貴臣君はコンビニへと走って行った。

 何か買うものでもあったのだろうか……待っててと言われたからには中に入って行く訳にもいかず、私は入口の前で貴臣君が出てくるのを待った。


「お待たせ」


 持っていた袋の中からペットボトルを取り出すと、私に手渡してくれる。


「え……?」

「喉乾いたでしょ?」

「ありがとう」

「あと――これ」


 ペットボトルが入っていた袋を差し出され……思わず受け取ったその中には、一冊のノートが入っていた。


「これって……」

「ノート買いにくいって言って出て、何も持たずに帰ったら変に思われるでしょ」

「ご、ごめん! お金返すね!」


 慌ててポケットの中に手を突っ込む――けれど、財布どころか小銭すら入っていなかった。


「本当にごめんなさい……」

「いいってそんなの気にしないで」

「でも……! 絶対に今度返すから!」

「……じゃあさ」


 口ごもる貴臣君を見ると、夕日に照らされて少し赤い顔をしていた。


「貴臣君?」

「返さなくていいから、今度どこか行こうよ。その……二人で」

「え……?」

「その、前の時は俺が無理やり連れて行っちゃったでしょ? その後、また出かけようねって言ってたけど行けてないし……。だから今度はちゃんとデートしませんか」

「……はい」


 貴臣君の言葉に、思わず私は頷いていた。

 そんな私を見て、一瞬驚いた顔をした後、貴臣君は嬉しそうに笑った。


「じゃあ、行きたいところ考えておいてね」


 私の家に着くと、貴臣君はそう言って帰って行った。

 家を出た時は、悲しくて辛くて痛くて、感情がぐちゃぐちゃでどうしようもなかったのに、貴臣君のおかげで気持ちが少しだけ楽になった気がする。


「ただいまー……」

「おかえり」

「お姉ちゃん」

「あんた、大丈夫?」

「え……?」

「その、保も心配してたよ」


 言い辛そうにその名前を口に出すと、お姉ちゃんはごめんねと言った。


「ギリギリまで隠すようになっちゃって、ゴメンね」

「……ううん」

「色々と思うところはあるかもしれないけど、でも――」

「大丈夫だよ」

「え……?」


 私の言葉に、お姉ちゃんは少し驚いた顔をした。

 だから、自分自身に言い聞かすように、もう一度同じ言葉を繰り返した。


「私なら、大丈夫だから」


 そんな私の言葉に……お姉ちゃんは予想もしていなかったことを言った。


「でも、あんた保のこと……」

「え……?」

「っ……」


 思わず口を出たのか……お姉ちゃんは自分の言った言葉をなかったことにするかのように、口を塞いだ。

 でも……。


「お姉ちゃん、知ってたの……?」

「……どれだけ一緒にいたと思ってるの」


 それもそうだ。たもっちゃんとずっと一緒にいたお姉ちゃんにバレてないはずが……。


「あんたのお姉ちゃんなんだよ、妹の好きな人ぐらい、気付くよ」

「お姉ちゃん……」


 驚いて顔を上げる。

 お姉ちゃんは、心配そうな表情で私を見ていた。


「ごめんって言うのも変な話なんだけど……でも、ホントごめん」

「謝らないでよ……」

「うん、ごめん……」

「……そんなに悪いと思うなら」


 自分でも何を言ってるんだろうと思う。でも、一度口をついて出た言葉を止めることは出来ない。


「悪いと思うなら、私にたもっちゃんちょうだいよ!」

「美優……」

「ねえ、お願い。私にたもっちゃんちょうだい?」

「ダメ!」

「……お姉ちゃん」


 お姉ちゃんが大声を出すところを、初めて見た。


「私だって、保のことが好きなの! いくら美優の頼みでも、保のことはあげられない!」

「……わかってるよ」

「え……?」


 私の言葉が意外だったのか、お姉ちゃんは驚いたように顔を上げた。


「そんなのわかってるよ。バカだなぁお姉ちゃんは」

「美優……?」

「誰も何にも悪くないの。たもっちゃんがお姉ちゃんのことを好きで、お姉ちゃんもたもっちゃんのことを好き。ただそれだけのことなのに、何を謝る必要があるの?」

「っ……」

「もう大丈夫だから、謝らないで」


 涙を流すお姉ちゃんの背中をさすると、私は笑った。


「これじゃあ、どっちが妹かわかんないよ」

「だって……」

「……お姉ちゃん」


 私は自分でも意外なぐらいに、落ち着いた声で言った。


「たもっちゃんと、幸せになってね」

「美優……」


 動揺していたさっきとは違って、今度は心から祝福を伝えることができた。


「ありがとう」


 そう言うと、お姉ちゃんは涙でぐしゃぐしゃになった顔で、嬉しそうに微笑んだ。

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