2nd NUMBER『僕らの光を届けたいから』


 公演は今日の夕方十七時。神殿の敷地内にあるコンサートホールで行われる。作戦とはいえ表向きは公演。SNOWが現れた場合を考えるとラジオ中継は不可能だけど、公演の様子は毎年記者が記事に纏め新聞にて発行している。今回は親衛隊員の中から記者役の人を決めてもらった。


 だからあくまでもコンサートの手順を踏む。僕も午後からは練習部屋に入って何度も歌った。何も無ければそれに越したことはない。せめて会場に居るかのようなリアリティを後日新聞を読む人々にも感じ取ってもらいたいと思った。



 やれやれ参りましたよ。



 練習中の僕から少し離れたところ、廊下と扉の境目あたりで警備の服装をした親衛隊員の一人がクー・シーさんに話しかけていた。ちらりと聞こえてしまった。どうやら諦めきれなかった一般の人が何人か神殿の外まで集まってきた様子。


 それでも歌うことはやめず、僕は両の拳にぎゅっと力を込めた。胸の苦しさを確かな決意へと持っていく。今はもう大丈夫だ、僕にはそれが出来るから。



 いよいよ開演一時間前になった。ホールへ移動するには外の渡り廊下を通らねばならない。藍色の空には生まれて間もない星の赤子。よく晴れていてくれたね。冷たい外気を受けながら僕は、氷漬けの空を溶かすように白い息を逆さに零した。


 ホールへ続く道には客に扮した親衛隊員の皆が長蛇の列を作って大盛況を演出してくれている。前列に居る人ならこちらからでもよく見える。歓声を上げるところまで見事な徹底っぷりだ。だけど僕はすぐに気付いた。


 これは演出だけじゃない。


 僕を見つめる彼らの瞳はじんわり滲んだ月明かりに負けないくらい優しい色をしている。大丈夫、そう言ってくれているかのよう。きゅっと結んだ僕の唇は寒さとは関係なしに震えて、きっとふにゃふにゃとした格好悪い形になっただろう。


「雪那」


 聴覚と触覚を同時に刺激されて僕は見下ろした。いつの間にかワダツミ様が片手で万歳をするように僕の手を握ってくれていた。こんなに背丈が違うのに耳元で囁かれたような気がしたのが不思議だ。


「もうどうなってもいいなんて言いません」


 震える声色、だけど僕は確かにそう言った。今、心から思えることを。


 思えば今までの僕はなんて投げやりだったんだろう。かつて自分で命を断ち、置いていかれる悲しみを最愛の人に与えてしまったというのに、また自分への労りを忘れていたなんて情けない。


 そう、おかしいよそんなの。だってこれはナツメが与えてくれた生涯だから。ワダツミ様が守ってくれている命だから。クー・シーさんも、神殿の皆も、誰一人諦めずに支えてくれているんだから……



 もう迷うものか。



 ホールの中へ足を踏み入れる頃、僕の足取りはかつてと比べてずっと確かなものになっていた。雪の降りそうな匂いがほんのりと鼻先に残った。



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



 歌手・イヴェールが舞台裏で準備を整える頃、クー・シーは神殿周辺と館内の最終確認の報告を順番に受けていた。


 観客役の隊員たちからは、このまま何も起きなければいいね、なんて話し声も聞こえてくる。任務とは言えど、本当はアストラル界のラファエルの歌声を楽しみたい気持ちもあるのだろうか、気を引き締めていても隠しきれない期待が滲み出ているようだ。


 館内くまなく確認済み。不審な人物の姿は無し。残りは門の周辺と裏庭くらいだった。



「やれやれ参りましたよ、アリエス隊長」



 順番の回ってきた若い男の隊員が開口一番にそう言った。どうしたのと返すクー・シーに対し、苦笑を交えて言葉を続ける。


「予約取れなかったけどやっぱり諦めきれないってお客さんが何人か来てましてね、まぁ予想はしてましたし丁重にお断りしましたが、改めてイヴェールさんの人気って凄いんだなぁと」


 自然な同調を示すことに慣れているクー・シーは目の前の部下と同じように苦笑を浮かべ、うんうんと頷いていた。



 しかし何故が落ち着かない。


 クー・シーの胸の中を何かがざわざわと這い上がってくる。



 何かがおかしい……? いや、違う。歯車は狂ってなどいない。むしろ綺麗に噛み合い過ぎている。



――やれやれ参りましたよ――



 自分が今感じたものが紛れもないデジャヴだと気が付いて。



――待って。



 ガーネットの瞳が大きく見開かれた。すうっと飲み込む息の速度に合わせて、若草色の髪が正面から風を受けたように立ち上がった。



「ど、どうしたんですか、アリエス隊長。そんな怖い顔をして」


 先程までの穏やかな微笑みから一変した上司を前に部下の彼が思わず後退りする。しかしクー・シーはもはや気遣ってなどいられなかった。大きな手で部下の両肩を容赦なく掴み、血走った目で射抜く。



「イヴェールくんが歌の練習をしているとき、君から凄く似たような報告を受けたんだ。ねぇ、ロドリゲス君。君は本物かい?」


「な、何を言ってるんですか? 俺は正真正銘ロドリゲスですよ」



「じゃあ答えてくれ。開演前にも押しかけてきた観客の姿を見たかい? 僕に報告した覚えは!?」



 おずおずとした仕草で見上げる部下・ロドリゲス。しかし彼は怯えながらも明確な答えを返した。


「あ、あの……確かにお客さんをお断りしたのは今日で二度目です。時間帯もそのくらいで間違いありません。でも一度目のときはすぐに帰ってくれたから報告しませんでした」


 なんということだ。内心で呟くクー・シーの手から力が抜ける。泣きそうな顔をしている部下からそっと身体を離した。


「配慮が足りず申し訳ありません! でも自分は本物です。信じて下さい!!」


 そしてすぐさまきびすを返す。走り出そうとしたものの踏み留まって、振り向きざまに睨んでいるのともまた違う強い視線を送った。


「ああ、信じるよ。いま君に触れたことで魔力の濃度を測ってた。君は間違いなく人間。そして説教は後だ」


 ただならぬ様子を見て近付いてきた隊員たちがどうしたのかとクー・シーに問う。状況がまるで掴めず置いてきぼり状態のロドリゲスも身体だけはなんとか後に続く。


 クー・シーは再び皆と向き合い頷いた。落ち着け、と。実は誰よりも自分に言い聞かせていた。



「何者かがロドリゲスに扮して紛れ込んだ可能性があるということだよ。よりによって親衛隊長の僕の目の前で堂々と……やってくれるね」



 ニヤリと吊り上がった口角と好戦的な笑みはいつもの爽やかさとは程遠い。いにしえよりの力を誇る竜魔族。未だかつて無い禍々しい波長を感じた皆が戦慄する。


 しかしその奥では歯が軋みの音を立てる。悔しさの味を逃げずに確かめる。


 ロドリゲスは確かに迂闊だった。だけど彼よりも誰よりも、敵にまんまと利用された自分が腹立たしい。かつての親衛隊長のプライドの形に似てきたなとクー・シーは思った。



「じゃあアリエス隊長、ロドリゲスと同じ姿をした者を探せばいいんですね!?」


「いいや、そうとも限らないよ。もう別の者に扮しているかも。紛れ込んだのがSNOWならば、魔力で幻覚を見せているんだと思う。翼や角を自在に調節できる魔族は数あれど、身体そのものを変形させる能力なんて聞いたことがないからね。何者に見えたとしても本来の姿はSNOWのはずだ」


「だとしても……そんな能力、もはや人工知能の域を超えている……!」


「SNOWという存在そのものがもはやありえないことだらけだと思っていた方がいいよ。まずは皆の身体に触れさせてくれ。我々の中には魔族もいるけれど僕が知っている魔力で間違いないか確かめさせてほしい」



 本当はすぐ舞台裏に居る雪那に知らせたい。だけど誰が怪しいかもわからない今、遠回りなようでも欠かせない調査を優先しなければならなかった。



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



 もうすぐ、幕が開ける。



 視界を覆い尽くす臙脂色えんじいろ。厳かな空気、雪那ぼくは今まで何度も感じてきた。季節関係なくピリリと身体を駆け巡る静電気のような痺れも。


 だけど今回からは、違う。緊張感に占められているばかりでは成し遂げられない。むしろその逆をいかねばならない。


 そしてこれが計画だからではない。



 開いていく。観客席は暗く輝いているのはこちらなのに光を受け入れる瞬間のよう。拍手喝采が僕の決意を後押ししてくれる。



 一礼を終えた僕は瞳を閉じて天を仰いだ。心の中で呼びかける。



 SNOW。もう一人の僕。


 君が今何処に居るのか、これから何をしようとしているのか、どの瞬間なのか、今の僕にはわからない。


 だけど僕は……いや、僕ら・・は。


 何があっても君を受け入れるよ。



 見上げる体勢はそのままに、大きく手を広げた。喉の奥から湧き上がる熱き言霊に乗せて、祈りを願いを彼方へと放つ。引き寄せる。



――雪那。



 嗚呼、ほら。呼ぶ声がする。紛れもなく今の僕の名を。


 真冬の僕に舞い降りた真夏の君が自然と重なって、身体がみるみるうちに熱を帯びた。相反する季節の融合。その反動は大きく瞳からはとめどなく涙が溢れてくる。それでも歌声は決して途切れない。


 ナツメ。君が共に奏でてくれているからだね。きっと今までも傍に寄り添ってくれていた。だけどこんなに一つになるのは初めてなんじゃないかな。愛欲に乱れたあの頃とはまた違う尊き灼熱を決して手放したくない。



 これこそがワダツミ様の言っていたことだ。僕がいま最も力を合わせるべき存在は真夏の君。又の名を勿忘草の君。


 春夏秋冬、いつでも輝いていた君が僕の歌声を豊かにしてくれる。全てを受け入れる心の広さも僕には欠けている部分だ。それを補い力を与えてくれる。



 曲は佳境を迎えた。SNOWだけじゃない、全身全霊でこの世の全てに伝えていく。


 自分を愛したまえ。尊き者に惜しみない愛を注ぐ為に。



 開演時を上回る拍手喝采はいつの間にか起こっていた。いつの間にか、やり遂げたようだ。汗ばんだ顔を巡らせて僕は観客席の様子を確かめる。


 ここから見る限り異変は何も起きてない。もうすぐ二曲目。このまま終わるのだろうか……わずかな希望を感じたとき。



 えっ、鳥?


 鳩にしては大きいな。



 皆が見上げる方向を目で追う暇もなく、僕はすぐ傍へ舞い込んだその姿に目を見張った。



「君……は、昼間の……」



 白いカラスの赤い瞳が鈍く光る。ホールの気温が急激に下がったのはそのすぐ後のことだった。



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 過去に囚われし魂よ

 例え機械じかけだって

 その痛みを僕は知ってる

 忘れることなどできはしないだろう


 過去に迷いし魂よ

 例え非道を選んでも

 その痛みがある限り

 染まりきることなどできはしないだろう



 信じているよ

 この場所で

 今はもう独りじゃない



 永遠にも感じられた

 過去の中でしか生きられなかった日々

 錆びてしまいそうだった時計の針

 この手で動かす覚悟ができたから



 信じているよ

 この場所で

 君ももちろん独りじゃない


 僕らがいる

 この場所で

 どうか光を受け止めて



 錆びつかないで魂よ

 過去より訪れた魂よ


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