8th NUMBER『泣かせてばかりだった』


 夏が終わろうとしてる。揺れるすすきがほうき星みたい。日もだいぶ短くなった。


 情熱のくれないと静寂の紫が混在した夕空が、僕らを幻想のよいへといざなうよ。八月は儚い。秋の真っ只中より遥かに寂しいと僕は思ってしまう。



 夏南汰と共に行けなかった季節だからこそ。




「ユキさ〜ん、こっちは採取終わったんですが、ユキさんの方はどうですか?」


 研究所から近いすすきの野で、駆けてくる足音と僕の名を呼ぶ声。驚いた顔で振り返ると目の前まで辿り着いたナナさんが、あっと小さく呟き口元を手のひらで覆う。


「す、すみません! 馴れ馴れしい呼び方してしまって! 最近子どもたちがよくユキちゃん先生って言ってるからつい……」


 僕は微笑みで返した。元より嫌な訳ではないけれど、こうしておくのが正解だと思ったからだ。


「大丈夫です。お好きなように呼んで下さい」


「あ、ありがとうございます! あはは、でもユキさんって優しい雰囲気だからこの呼び方しっくりくるんですよね」


 ナナさんの口から本音らしきものがポロリ。ドクターの言う通りだ。この人が特に多くの子どもたちに好かれている理由も今ならわかる。少しそそっかしいんだよね。



 ともかくこれでいい。今日は初めての仕事を任された。地質調査の為のサンプル採取だ。


 僕を親しみ込めたあだ名で呼ぶ人が増えてきた。地へ染み渡る雪解け水みたいに僕の存在が馴染んできてる。



 この世界と研究所についてもだいぶ詳細まで把握してきたよ。



 アストラルには町や地区という括りがあるくらいで国は存在しない。統べるのもアストラル王室ただ一つ。天界との橋渡しは星幽神殿が担っている。


 住まう生物は、人間・魔族・妖精族・動物の四種なんだそう。最初はなかなか信じられなかったけど、僕が森で保護された後、ドクターと共に看病にあたってくれた色鮮やかな人も妖精族なのだとわかった。


 稀少生物研究所はアストラル全域、つまりかなり広い範囲で仕事をしている。その為に遠方まで向かえる操縦士が必要となるんだ。


 そして保護・採取された動物や微生物が担当の班へと引き継がれる。ヤナギさんの所属する植物管理班だったり、ナツメの所属する生物研究班だったり……


 例の戦争は九年前に革命軍と称する組織が王室に攻撃したのがきっかけらしい。以来、無差別の殺戮が繰り返されている。恐ろしい話だね。ここの子どもたちもテロで家族を失った子が多い。ヤナギさんの喋り方がたどたどしいのも戦争によるトラウマのせいだとドクターから聞いて胸が苦しくなったよ。まさかこんな世界で生きていくことになるなんて……



 だけど容赦の無い環境だからこそ、冬樹の意思はやはり抑えておくべきだと思う。雪之丞から見るとあれは平和ボケしてる。身体は貧弱だって、より生き残っていける確率が高い意思を尊重したい。ナツメを守る為にも。



 僕は研究室で待っている彼女の姿を思い浮かべる。


 逢引の際、混じり合う吐息はもう互いの限界を示している。頃合いを確信した。



(明日、言おう)



 僕はこの世界の住人になることを選ぶと。




 ドクターには相談した上で動いた方がいいかなと思った。ナツメをなんとか説得した後に、例の星幽神殿へ行ってみると伝えたら、その方向で頑張ってみようと言って手を力強く握ってくれた。




 何も知らないナツメ。


 無邪気なままの夏南汰。



 嗚呼、ごめんね。ごめんね。


 どんな姿になっても君は優しいままなのに。誰よりも僕を想ってくれる尊き魂なのに。


 きっと身を切るような思いで導き出した善意にさえ僕は応えられない。あえて阻止しようとしている。


 耐えられないんだ、冬樹の肉体に戻るなんて。君という存在そのものが無い世界に生きるなんて、ある意味前世よりも残酷だ。


 例えこの幽体の寿命が肉体と同じだと言われても、むしろ縮まると言われても答えは変わらない。君の傍に居たい。果てるまで、寄り添って生きていきたい。





 そして翌日、僕は伝えた。昨日と同じ現場に今度はナツメもついて来たから、二人っきりになるタイミングを見計らって決意を告げた。



 空の情熱に後押しされて。



「僕はここを選ぶよ。君の傍に居ることを。磐座冬樹の人生を捨てたとしても」



「…………っ」



 流星が、見えた。今度は彼女の瞳から流れ落ちた。今まで見てきたどんな星よりも哀しい最期。



 空の熱が冷めて、藍色に染まる頃まで佇んでいた。二人きり。あい欠片かけらを共に流し続けていた。



 やがて彼女がそっと僕に身体を寄せた。苦しげな声が僕に詫びる。



「……ごめん、なさい」



 こんな言葉なのに、僕には意味がわかった。否定の言葉ではないとわかった。


 だって時が経つ程に密着してくる彼女の身体は、もう自分がどうありたいか示しているから。



「ナツメも疲れたでしょう。本当は寂しいくせに僕の為に一生懸命考えて、無理をして……その痛みを僕にも頂戴」


「ユキ、愛しているよ。だけど私は……私は、本当に冬樹さんを見捨てなければならないのか……?」



「ねぇナツメ、もう一度言うから忘れないで。冬樹はここに居る。勿忘草の無い世界だって、僕らの心に咲き続けてる。君が覚えていてくれる限り消えることなんてないんだよ」



 ナツメは両手で顔を覆い子どもみたいに泣きじゃくる。細長い指の隙間からまた幾つも零れ落ちる。救えない、掬いきれない、哀れな流星たち。



「それにまだわからないよ。冬樹の肉体がどうなるのか、どう生きていけば一緒に居続けられるのか、星幽神殿へ行って聞いてみよう」


「ユキもあの場所を……知って……?」


「うん、ドクターから教えてもらった。研究じゃ解明できないこともあの場所ならわかるかも知れないって言ってた」


「ユキが今言ったことなら私がもう聞いてきたよ。まだ……わからないそうだ」


「そうか、本当にありがとう。一緒に神託を待とう。僕もこの幽体をしっかり保っているように頑張るからね」



 誰かに見られていてもおかしくない状況だったけど、僕はナツメをしっかりと抱き締めた。大丈夫、大丈夫、僕は何処にもいかない……と、子守唄のようにして聞かせていた。





 ナツメが研究室の皆に打ち明けたのは、二日置いた後の出勤日のこと。僕も彼女の隣に立って覚悟を決めた。


 先日、神託も受け取った。


 聞いて納得。冬樹も雪之丞も同時に二人は救えない。どちらかを選ぶしかなかった。その上での話だ。



「すまない! ブランチ。君には特に詫びねばならぬ」


「え……?」



 皆とは言っても、ナツメはやはり彼に対して強く伝えたかったらしい。



 そうだよね。何も知らぬ者が見たら無愛想な顔だけど僕はもちろんわかる。


 先日またドクターから新たな事実を聞いたよ。足が不自由なのも、革命軍の襲撃からナツメを守ったからだって。自分の命を失う以上に彼女を失うことが怖かったんだね。



「彼は……春日雪之丞はこの世界に残る。肉体にはもう還らない」


「な……っ!? ナツメ、お前……何言って……」



 だからそんな反応になるのも無理はないと思う。彼女の本質をよく知っているだろうから、甘えどころか却っていばらの道を選んだことだってわかると思う。


 みんな察したと思う。


 雪之丞を選ぶということはすなわち、冬樹の肉体の死を意味すると。


 室内はまたたく間にざわついた。


 真摯な姿勢のナツメは、納得いかぬ者が居ても仕方がないと言う。ついには職を辞する覚悟まで口にし始めて……



「…………っ」



 悔しくて唇を噛んだ。だって冬樹の頃からずっと見てた。誰よりも熱心に研究していた彼女を。


 どんなふうに打ち明けるかあらかじめ決めてはいたけれど、気がつくと僕は焦燥に駆られ、話に割って入っていた。



「いえ! 僕の願いはナツメの生きる世界に留まることだ。毎日じゃなくたって、遠くからだっていい。彼女が元気に生きていることが確かめられればそれで十分。僕だけ出て行けば済むことです」


 本当は出て行きたくないけれど。彼女の立場は壊したくないから必死に目で訴える。


「話が違うじゃないか、ユキ! どうなろうとも君と私は共に」


「やっぱり駄目だよ! ナツメはここで寝る間も惜しんで頑張ってきたんでしょう? 君の足を引っ張るようなことは……」



 …………


 …………




 しばしの沈黙の後、震える彼女の双眼がいっぱいの涙で満ちていく。見つめていると僕もおんなじようになってくる。



「水くさいぞ、ユキのバカぁ!!」


「君こそ!!」



 何故こんな痴話喧嘩みたいになってしまったんだろう。恋人同士ってやっぱり似てくるものなのかな、なんて思ったとき。



――私はいいですけど。



 沈黙を破った人が居た。ナナさんだ。



 彼女は言う。僕の傍に居るナツメは幸せそうだと。次第に周囲も頷き同意を示す。ブランチさんは煮え切らない表情に見えるけど……


 僕がどうにかなる訳じゃないんなら、ここに居てくれた方が助かるだなんて言ってくれる人まで居る。



――これぞ望んでいた風向きだ――



 胸の内で低く呟いた。貪欲な笑みが内側で毒々しく花開く。



 そんなことなど知らないナナさんは、せっかくだから記念を残そうと言って、僕ら二人の写真を勝手に撮った。心底嬉しいらしく、僕の手まで握って。



「ユキさん! ナツメさんを幸せにしてあげて下さい! 私、信じてますからっ!」



 涙まで浮かべて実に嬉しそうに言う。


 そうだね、と僕は頷いた。泣かせてばかりではいけないねと。我儘を貫くからにはそれ相応の責任を持たなきゃいけない。



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



 “君との永遠は貴方との別れ”


 君は悲しげに呟いた

 全ては選べないようになっている

 むごくて正当な世の仕組み


 “僕はここに居る”


 伝える為に

 震える手を握ったね

 何度も何度も 背中を撫でた

 それでも君の心から溢れ出す

 痛々しい鮮血までは拭えない


 心を血塗れにした君は

 怯えたように身を寄せて

 半透明の僕に縋る


 “何処にもいかない”


 何度も何度も

 伝えたけれど説得力がない

 こんな儚さ

 こんな無情



 泣いてる君が可哀想でも

 願わずにいられない


 せめて二人きりのときは

 子どもに戻ったように

 甘えて 泣いて

 僕を頼っていておくれ

 君は強くないんだから



☆✴︎☆✴︎☆



 今回は二名ほどキャラクターのプロフィールを用意しました。本編(真夏の雪に逢いに行こう)にも何度か出ている人物なので初登場という訳ではないのですが、番外編に於いては結構重要度の高いポジションとなってきております。なので改めての紹介です。


 女性の方は他投稿サイトにて掲載中の『ASTRAL LEGEND』にもちらっと出ているキャラクターなので、ネタバレしすぎないよう気を付けて参ります。



 ✴︎ナナ


 ナツメの直属の部下。二十三歳の女性。キャリアウーマンなナツメに憧れているが、そんな理想とは程遠いというくらいのおっちょこちょい。愛嬌があり親しみやすいので子どもたちには好かれている。ナツメが幸せそうだからという理由で、雪之丞がアストラルに残ることも賛成している。


 ✴︎マグオート(ドクター)


 稀少生物研究所の専属医師。三十五歳の男性。名前よりもドクターと呼ばれることがほとんどである。ナツメに想いを寄せていたことがあるらしい。本人は過去の話と言っているが、今も度々彼女を気にかけている様子。ナツメに新しい家族を作ってあげたいという願いから、雪之丞がアストラルに永住できるよう手助けすることとなった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る