2nd NUMBER『運命の恋がしてみたい』


 それはまだ二十代の頃。生物学の教授になる為、大学へ進んで一年が経った春の日のこと。キャンパス内のベンチに座る僕はいわゆる放心状態だった。色素の薄い癖毛が春風にふわりふわりと踊るだけ。



「な〜にシケたツラしとんじゃ、磐座ぁ!」


「あ、相澤……」



「もしかしてまたフラれたんか?」


「う……」


「図星じゃな」



 思い出すだけで涙が零れそう。それが毎回違う理由ならまだわかるんだけど……



「またアレか?」


 “冬樹くんはいい人なんだけど、それ以上には見れないの〜”


「ってヤツか」



(頼む、裏声で再現しないでくれ!)



「うううう……っ!」



 いたたまれなくなった僕はついに眼鏡を外して、ふところから取り出したハンカチで潤んだところをぐしぐしと拭う。なんじゃ女々しいのぉ〜なんて、相澤は言うけれど、わかる? 毎度毎度同じ理由。反省が次に生かされていないということじゃないか。情けないよ。



「わりぃわりぃ。磐座はちょぉっと女々しいだけでこんなにええ男なのに、世の女たちは見る目がねぇと思ってよ」


「……ありがど」


「メシ奢ってやる。ラーメンか? お好み焼きか? 俺、うんめぇ〜店沢山知っちょるけぇの」



 見るからに硬そうな質感の黒い短髪に腕まくりが映える筋肉質な腕。引き締まった大柄な体格。貧弱な僕にとってはまさに羨望の的。


 そんな相澤にがっしり肩を組まれ、半ば引きずられるようにしてキャンパスを後にした。やせっぽちの僕の身体はいつだって誰かに命じられるがままだ。




 そんな僕が唯一我儘を通して辿り着いたのがこの場所だった。関東出身。身近な同級生たちのほどんどが都内へ赴く中、僕はこの広島の大学を選んだ。大学のすぐ隣には同じ系列の大学病院がある。


 もちろん僕だって将来の夢を考慮し、慎重に選んだとは思う。ただ、なんだろう、近場でも望みに近いところはあったといえばあったのに、妙に土地に惹きつけられたんだ。行ったこともなかったのに。



「おめぇが最近まで付き合ってた子、四年生だっけ? 先輩だけど目がくりっくりしててかわええ雰囲気の子じゃったよなぁ。ぶっちゃけ何処までいってたんじゃ?」


「え……水族館行って魚や夜景を見たり、カフェに行ったり」


「ちっっげーーよ! おめぇほんとに男か!?」



 お好み焼きを切り分ける手を止めた相澤が、呆れ顔をしつつ何か両手で示した。コレじゃ、コレ! 片方の指をもう片方の輪に突っ込むその動作の意味を理解したのはだいぶ後のこと。



「そ、そんな……ことまで……!?」


「ヒュ〜! 赤くなっちまってかわええやっちゃのぅ。大丈夫じゃ。ここは男連中しかいねぇ。ホレ、どうなんじゃよ」



「…………一度、だけ」


「マジ! おめぇでも出来んのか」


「酷い! 馬鹿にしてるのぉ!?」



 僕だって男だよ……涙目でもじもじしながらそんな事言っても説得力ないかも知れないけれど。それより僕には是非意見を聞いてみたいことがあった。



「ねぇ、僕、女の子が簡単にそういうことしちゃいけないと思うんだ。嬉しいって言ってくれたからそれなりに本気なんだと思ってたけど……やっぱり友達としか見れないなんて。そんな男が手を出してしまったなんて思うと、僕も……申し訳ないんだ」


「はぁ!? 同意の上なんじゃろ? おめぇがなんか悪いことしたか? 言っとくがな、身体で判断する女もおるんじゃぞ」


「なんかそれ、やだぁ……」


「あ〜あ〜、おめぇ来世は女になれ。ダイナマイトボディのセクシーちゃんに生まれてくれりゃあ、俺が速攻見つけて幸せにしてやる。な?」



 手早くお好み焼きを皿に盛り付け、コーラの入った瓶を僕に差し出す相澤。前から思ってたけど、この地域には大らかな気質の人が多いように感じられる。



「磐座は真面目すぎるんじゃよ。身体の相性ってのも俺はええと思うけどなぁ。二人で会うのもグッと楽しくなるし、もしかするとそこに運命を感じるかも知れんじゃろ?」


「運命……」


「そ。って、はは。俺にしてはクサいこと言っちまったな。でもロマンチストな磐座にはそういう見方の方が合ってる気がしてよ」



 運命……



 口に出していたかどうかはわからないけど、僕は何度かその響きを繰り返したと思う。そして繰り返す程に憧れてはつのっていくように思えた。



 いいよと言ったけれど、結局相澤が全部奢ってくれた。もうこれ以上は気を遣わせないようにしなくちゃ。僕はお好み焼きの匂いが染み込んだ上着を脱ぎ、薬品の匂いが染み込んだ白衣に身を包む。



 渡り廊下で春の日差しが僕を迎えてくれた。爽やかな風も。傷心を癒すみたいに。


 そんなときふと視界に入り込んだ。それは花壇の端の方。そよ風にサワサワ揺れる慎ましやかな青色だ。僕はすうっと導かれるようにしてそこへ歩み寄る。


んだら可哀想かな……でも、ちょっとだけ」


 白く細い僕の指先が青い花の根元に吸い付いた。なんだか不思議な感覚だった。決して派手でもないこの花を一目見ただけで、静寂の色とは相反する情熱が流れ込んできたみたい。一体、何故。



「私を忘れないで。それから、真実の愛」



 こんなのにやたらと詳しいもんだから女々しいなんて言われるんだ。それはわかってた。


 だけど手に取ったならもう離したくない。小さくて可愛くて、いじらしい言葉を持つお花。そして今こそ僕の願いを込めてみたいと思ったんだ。



「運命の恋……してみたいなぁ」



 そう。寄り添うだけで嬉しくて、心がポカポカ温まる。お互いに心からの喜びを分け合える。そんな人に出逢いたい。


 勿忘草の花をそっと胸に抱いて歩き出した。こうして僕の夢がまた一つ増えてしまった。



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



 春の音色

 僕を呼ぶ

 無邪気に可憐に微笑んで

 僕の心を惑わせる

 ずっと側には

 居ないくせに


 春の香り

 薄れゆく

 儚く遠く何処へゆく

 鼻先すり抜け何処へゆく

 ずっと側には

 居てくれない



 春の足音

 駆けていく

 僕を置いて何処までも

 今に全て思い出となる

 この切なさも

 ときめきも



 僕を置いて何処までも

 遠く遠く

 彼方まで



 彼方カナタ、まで



 なんだろう

 追いかけたくなるね

 追いつけないとはわかっていても


 もう一度抱き締めたいなんて

 可笑しなことを思う


 もう一度この手に

 どうか

 愛くるしい僕の春


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