2nd NUMBER『真実を隠さないで』


 ✴︎雪那セツナ(芸名:イヴェール)


 星幽神殿アストラル・テンプルにて神官見習い兼テノール歌手を勤めている青年。年齢十七歳であるが大人びた容姿に長身である為、外見的には二十代前半程に見える。セピア色の癖毛長髪に同色の瞳。泣き黒子は左側。類い稀なる美声を持つことから神童と呼ばれて育った。


 前世の記憶を取り戻した十五歳頃から度を越したネガティヴ思考となっており、多くの人からどれ程の賞賛を受けようとも自分にまるで自信が持てない(ネガティヴ過ぎてそういう方向のギャグだと思っている人も少なくないが、本人は大真面目である)プロ意識は高い為、舞台に立っているときは別人のように輝いている。又、泣かせる歌唱力を持つと共に、歌っている自分が誰よりも号泣するという特性を持つ。歌のジャンルはしばしば哀歌である。


 長所:謙虚

 短所:自己否定が多い

 誕生日:九月二十五日(天秤座)



  ◇星幽神殿アストラル・テンプル


 天界に精通したアストラル界の神殿。祈りや神託、懺悔、天界への特殊申請を主な役割としている。『祈りの間』では神歌や神に捧げる舞が度々披露されている。従事者は酒や煙草を始めとした嗜好品から色欲に至るまでを禁じられている。


 星幽神殿に於いて神と呼ばれ祈りの対象となるのは“天界そのもの”である。しかし前世や生まれ育った家での信仰を大切にしている者も多く、信仰に関する祝い事を行ったり、数珠やロザリオなどを持ち歩くのは自由である。又、星幽神殿以外にも、それぞれの信仰に合わせた教会などは存在している。



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 僕が星幽神殿にて神官見習いなどを務めるようになったのには複雑な理由がある。


 今考えればなんともおこがましいことなのだが、僕は幼い頃から類い稀なる美声と歌唱力を持つ神童などと呼ばれてきた。芸能界に身を置くようになったのは五歳の頃。芸名はそのまま『セツナ』で活動していた。活躍の場は主に舞台、時々ラジオに出演することもあった。そうして子役の僕の名はアストラル界の中でそれなり知れていった。


 しかし、十歳あたりから両親が僕に対してやたらと過保護になったように思えた。この頃までは僕自身も目立つことが嫌いじゃなかったし、賞賛を受けて浮かれることだってあった。両親の嬉しそうな顔が見たくて、褒められたくて、歌唱力をもっと磨こうと頑張っていたし、いずれはミュージカル俳優として活躍することも夢見ていたんだ。


 同じくらいの歳の子役から面白くないといった顔で睨まれることもあった。だから両親は、僕が僻みによる攻撃を受けることを恐れているんだと思っていた。しかし事態は僕の中でも徐々に変化していった。



 前世の記憶らしきものが蘇り始めたのだ。


 この世界では常識なのだが、いずれは皆、自分がかつて何者であったのかを思い出す。十五歳前後から……という、なんとも曖昧なボーダーラインだ。僕の場合は十四からだった。


 まずは夢として現れるケースがほとんどのようだ。僕の場合もそうだった。



 夢の中の僕が大量の白い粒が散乱した殺風景な部屋で呆然と座り込んでいた。息が苦しい。そう感じた次の瞬間に、激しい咳を伴って大量の泡と血液を吐いた。


 傍で髪の長い女性が泣き喚いていた。僕はその女性の頰を撫でながら、ごめん……と。何故かうっすらと微笑みながら力無い声で詫びるのだ。



――泣かせた、泣かせた――


――そして殺した――



 そこかしこから届く何者かの声が絶えず僕を罵った。そこで目覚めた僕は血の気の引いた全身を抱き締めながら確信とも言える感覚を覚えたのだ。



 僕は罪人だったのではなかろうか。



 散乱していた牡丹雪のようなあれがもし薬物なのだとしたら、前世の僕は自ら命を絶ったということか? いいや、むしろ薬物中毒者だったのではあるまいか。あるいは処刑されたときの苦しみがああいった形で現れたのか。



 ともかく僕は誰かの精神を粉々に砕く何かをしたらしい。



 十五の頃にはもうだいぶ確かな記憶となっていた。あの髪の長い女性を僕が貪るようにして抱いていた。泣きながら「許して」と懇願する彼女を容赦もなく押し倒しては、己の劣情を打ち付けるかの如く何度も何度も美しい身体の奥を貫いていく。それは彼女が気を失うまで続いた。


 びっしり中身の詰まった本棚のある部屋。そこに漂うのは背徳感。現在の僕は恐れおののいた。こんなのはもう暴力じゃないか。薬物乱用に性的虐待。どう考えてもまともな思考の男だったとは思えない。


 それなのに不思議だったのは……



――フユキさん――



 僕のことをそう呼ぶ彼女は、美しい漆黒の瞳をいっぱいの涙で満たしながらも桜色に上気した顔に恍惚の色を交え、僕の頰へと熱い指先を宛てがうのだ。


 こんなことをされてまで、君はまだ僕を求めるというのか。そんなに傷付いてまで……



――ナツメ……!



「…………ナツメ……ッ」



 はっきりとその名を思い出した。そこからは実に早かったと思う。



「君はナツメ……そして、カナタ。二度も僕を見つけてくれた……大切な人」



 通常、アストラルの者が明確に思い出すのは前世だけだと聞いていた。霊力や魔力、妖力が卓越している者だけが前世のその前まで知ることが出来るのだと。


 僕は歌唱力以外の何かを賞賛されたことなど無い。自分にとりわけ強い霊力が備わっているだなんて思いもしなかった。しかし前世だけでなく前々世まで思い出したのは確かだ。そこにもまた複雑な理由があることに気付いていった。



「シャーマンの裏儀式だ。巫女が僕の生贄となったんだ。ユキノジョウはそれでイワクラ家の人間となり……」



 自己の中で分析を続ければ続けるほど恐ろしい過去が浮き彫りとなって、僕はみるみるうちに塞ぎ込んだ性格となっていった。



 ようやく立ち上がろうと思えたのは十五歳を迎えて少しの頃。


 かつて恋人だった女性・ナツメが所属していた場所が稀少生物研究所であることを思い出した。そこで自害したこともなんとなく覚えていた僕は、万が一でも生まれ変わりだと悟られては気まずいと思って素性を隠して訪れることにした。



「ここにナツメさんという女性はいらっしゃいますか?」



 僕の望みはただ一つ。五十代を迎えた彼女がかつての傷心から立ち直って、仲間たちに囲まれながら幸せそうに笑っている姿が一目見たかった。自分よりどんなに目上であろうが全く問題にしていなかった。ただもう結婚しているかも知れないし、子どもだってもうけているかも。おそらく今世で結ばれることはもう無いだろうという現実が、少しばかりの寂しさを与えてくるだけだった。



 しかし。


 戸惑った表情を滲ませた研究員の女性は何処か懐かしいく見覚えのある顔立ちをしているように見えた。その人連れられて辿り着いた。そこに人生最大の絶望が待っていた。



 見晴らしの良い墓地の中で、ナツメは小さな石の塊になっていた。刻印を見てわかった。享年わずか三十七歳。僕の生まれた二年後にはもう息を引き取っていたのだと。


 心不全だったと聞いて僕の口から思わず呟きが漏れた。



「ナツメ……どうして?」



 重病ではないと言っていたではないか。あれは嘘だったのかい?


 事実、僕の知る君は突然押しかけたり、寝食惜しんで研究に励んだり……見ていて危なっかしいくらい活発だったのに。いいや、もしやそれが原因かい? 無理が祟って身体を壊してしまったのかい? そうだ、そもそも彼女は自分をあまり大切にしていなかったように思える。


 僕が自殺なんてしなければ。僕が傍に居てあげられていれば……!



 あまりにも呆気にとられて涙すら出なかった。僕を墓地まで連れてきてくれた女性が言った。


「貴方……まだ若い。なのに、ナツメのこと、知ってる、ですか?」


「あっ……」



 静かながらも鋭く射抜く、その女性の琥珀の瞳にどきりとした。僕はやっと気が付いた。接続詞のぎこちないこの口調。そうだ、この人は……


 僕の正体に気付いているのか否か、女性は暮石の方へと向き直って続けた。



「ナツメが強く望んだ、特殊申請。寿命と引き換え、条件でした。愛する男性ひとの幸せ、最期まで、願って」


 心身の中心のとも言える胸を深く抉られて足元がわなわなと震え出した。特殊申請? どんなものかわからないけど、聞くのも怖いんだけど、それはつまり……彼女が僕の為に死んだということでは、ないのか……?


 柔らかいウェーブヘアが隣でふわりと揺れた。隣の女性がうっすらと微笑んだのが見えて僕の心はいよいよ限界の悲鳴を上げた。



「ナツメ、幸せ。貴方、この世界に生まれた。思い出して、ここへ逢いにきて、くれた」


「ヤナギさん!」



 遮るようにして僕は叫んだ。ほぼ同時に両膝と両手を地面に着けて、更に頭も深くまで打ち付けた。


「僕は、僕は……!!」


 僕こそが磐座冬樹、そして春日雪之丞です。それだけの言葉が出てこなかった。ぽたりぽたりと滴り落ちただけ。僕がみじめな濡れ鼠に成り下がった瞬間だ。



 しかしヤナギさんは言ったのだ。何処までも深い慈悲を持つこの人は、僕に道標さえ示してくれた。



「貴方、闘う力、あります。星幽神殿、そこに真実眠ってる」



――ワダツミ様が知っていらっしゃる――



「ワダツミ、様」



 そしてこの日、僕は彼女が示したものとは別の真実を先に得ることとなった。もしかしたらこのタイミングを待っていたのではないかと思った程。



「見てしまったんだね、雪那」


「母さん、こんなのをずっと隠していたの?」



 また新たに届いたのだというそれは脅迫状だった。本当はずっとずっと前から、ちょうど父母が僕に対して過保護になり始めた頃から度々送りつけられていたのだという。



『我らが希望の光を奪いし罪人。雪那、もとい春日雪之丞。必ずや其方の地獄の底に叩き落としてくれよう』



 “希望の光”それがナツメのことであるとすぐにわかった。だって僕にとってもそうなのだから。今も、変わらずに。


 そんなふうにナツメのことを見ていた人が確かに居たことを思い出した。まさか……脳裏をよぎった一人の姿に僕はまさかだよね? と問いかけたくなった。


 僕のことはいい。今回の件で、法に問われる罪とは違えど罪人と称されて然るべきだとわかった。だけどもし、もしも、この不穏な可能性が事実ならば、ナツメが悲しむようなことをこれ以上“彼”に犯させてはいけないと思った。もちろん僕の両親だってこれ以上脅威に晒す訳にはいかない。



「雪那……あんたが過去にどんな罪を背負っていたとしても、私は……あんたを」


「母さん」



 口元を両手で覆い肩を震わせていた。そんな母に僕はもっと残酷なことを告げねばならなかった。



「ありがとう、今まで守ってくれて。芸能活動を控えさせたのもこの為だったんだね。だけどこれからは父さんも母さんも、僕なんかに縛られず穏やかな日々を過ごしてほしい」


「雪那……!」



「僕は出家する。今までの何もかもを断ち切って星幽神殿に向かうよ……ごめんね」



 くるりと背を向けて、絶対に会いに来ないでと告げた。嗚咽する母に僕が唯一してあげられることだった。



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



 真実を求めようと決めた日

 残酷な事実からいつの日か

 救いある真実が見えたら……なんて

 往生際悪く願っていたよ


 この世界を去りし君よ

 愛し君よ 優しき君よ


 打ち砕かれたこんな心でも

 歩んでいける道を残してくれているかい?

 悪足掻きを許してくれるかい?


 この世界を去りし君よ

 その優しさが紛れもない真実ならば

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