第5話 揺れる風船

 ホテルというのは実にいかがわしいところで。

 ある意味、華美なんだけど必要なものしかない。

 れいとは学生時代はずっと同棲してたので、こういうところに来たことはない。


「ふぅん」

瑠宇るうはこういうとこ、初めて?」

「うん、初めて」

「瑠宇の初めての相手ってさ……」

 たくみの口を唇で塞ぐ。

「今は言いたくない」




「黎……のこと、ちょっと待った」

 背の高い彼にキスをして、次々に脱がせてしまう。彼のシャツを頭から脱がせようとして、顎に引っかかってしまう。

「セフレじゃないんだからさ」

「だって会ったら終わりじゃん」

「俺はそういうふうに、瑠宇のこと、思ってない。瑠宇は俺の気持ち、知ってるくせに……」

 わたしは彼を半裸にして、動きを止めた。ベッドの縁に座る。


「思ってないの?」

「そういうふうに? 思ってないよ。つまり、性欲のはけ口ってことでしょう?」

「そうなんだぁ」

 そっかー。わたしは巧の「セフレ」じゃないのか。……ちょっと安心する。

 そして、誰がかわからない、シワひとつない清潔そうな布団に、ごろんと転がる。




「シャワー浴びないの?」

「うーん、やっぱりするんじゃん」

「するための場所でしょ?」

「まぁ、そうなんだけどね……」

 枕をぎゅっと抱えてもう一度、ごろんと転がる。

「……ふたりきりで、誰も入ってこないとこに来たかったの。それって、どんな感じかなーと思って」


 巧は急にすごく真面目な顔になった。今までちょっと見たことがないような……。少し怖くなる。

「……俺と結婚しない? 経済力はないけど。千寿ちずとは別れるし、今からでも就職先探すよ」

 寝転ぶ後ろから、抱えられる。

黎は? 黎はどうするの?

 巧がお風呂に張っているお湯の音が、どぼどぼと聞こえてくる。


「……全部捨てたら、全部一緒に背負ってくれるの?」

「もちろん。瑠宇のためなら、汚名も、慰謝料も一緒に背負うよ」

「じゃあ、例えば、例えばね……」

 仰向けにされて、やっぱりキスされてしまう。

「今度は手を離さないよ」




 日傘をぶらぶら提げて、電車に乗った。

 わたしの駅は快速が停るけど、巧のところは鈍行だけなので違うホームの違う列車に乗る。

 藍色のワンピースを着てきたから、同じような色の日傘を持っている。喪服みたいだなぁと、今日の気分と照らし合わせる。


 帰り道、スーパーに寄って買い物をする。

 今日は黎、遅くなるのかなぁ? 一度冷めても美味しいものがいいかもしれない。

 迷ったけれど、新ごぼうがあったので鶏ごぼうとかやくご飯を作ろうと思う。




 マンションの前で黎とばったり会う。

「黎!」

 手を挙げて、彼の名を呼ぶ。わたしは左手で、日傘とスーパーの袋を持っていた。

「瑠宇、買い物してきたの?」

「うん、ごぼう、食べる?」

「食べる、食べる……」


 彼の目が日傘で止まった。しまった、と思う。

「あー、癖で持って出ちゃったの。黎もいつでも持てって言うじゃない?」

「そっか、相変わらずドジ」

「まあねー」

 夕方の買い物に日傘を持って出かけるなんて、普通はしない。日中から出かけていたというようなものだ。

 ……黎はどう思ったんだろう。そしてわたしはどうしても秘密を閉じ込められないのかもしれない、と思った。


「あのね、新ごぼうが入荷してたの。さつまいもも、新物あってね」

 黎はにこにこ聞いてくれている。

「それで、黎が遅くなったらご飯、冷めちゃうと思って温め直しても美味しいものを……」

 部屋のドアを開けたところで、抱きしめられる。大事にされていると感じる、抱きしめ方だった。


「ありがとう、瑠宇。オレのこと、考えてくれて。毎日、ひとりでさみしくない?」

「元々、インドアだし……」

「愛してる。オレ、誓ったよね? 『離さない 』よ」

「……離さないで。わたしのこと、離さないでね」

 わたしは今、風船みたいだ。あっちでゆらゆら、こっちでゆらゆら。揺れてばかり。だから、離しちゃダメなのに……。

 ずっとわたしを強く離さないでくれていた彼の手が、なんだか今日は頼りなく見えてそんな自分を申し訳なく感じる。


 黎が頭をポンと叩いて、玄関に上がる。

 卵を買わなくてよかった。きっと袋ごと落として割ってしまったに違いない。わたしなら、やりかねない。




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