グランドパルマ島


 ゲブリュルの運転する電動車に乗り、空港へ向かう。プライベートジェット専用のターミナルで車は止まり、銀色の機体が見えた。

 

 「新しい会社がリースしている、プライベートジェットよ」


 ゴーリェの顧客でも、プライベートジェットを持っているのはごく一部だけのはずだ。リースとはいっても維持費はかなり高くつくだろう。


 「この機体はね、今日が初飛行なのよ。ラッキーでしょ!」

 

 飛び跳ねるようにタラップを上がるゲブリュルに続いて機内へ乗り込む。グランドパルマ島までは、約一時間で到着した。機内はシンプルながら洗練された空間になっており、快適な空の旅だった。ゲブリュルから渡されたファイルに目を通すと、今回の旅の目的がおぼろ気ながら見えてきた。新会社は、グランドパルマ島に登記上の所在地があるものの、現地には小さなオフィスがあるだけの、ペーパーカンパニーだった。主な事業は、カジノリゾートの開発と運営。

 

 空港からはタクシーで市街地へ移動した。島のメインストリートの一角に新しく出来たビルがあった。まだ、テナントが入っていないようで、人気がない。エレベーターで最上階まで上がり、廊下を右に進むとそこが目指すオフィスだった。

 

 『ゲブリュル&ゴーリェLLC』

 

 とドアに文字が書かれている。LLCはリミティッド・ライアビリティ・カンパニー( Limited Liability Company)の略で、一般的な株式会社と比べて経営の自由度が高い。 問題は会社の形態ではなくて会社名だと、ゴーリェは思った。これではこの毒舌女と自分が共同経営者のようではないか。


 「ちょっと待て! ゲブリュル&ゴーリェってなんだよ」


 「なによ、私の名前が先なのが気に入らないの? 名前を入れてあげるんたがら感謝してよね」


 「そうじゃない! 新会社って、シェルの会社じゃなかったのかよ。なんで俺達の名前がはいってるんだ?」


 「あのね、シェルの職業はショーディーラーなのよ。リスクの高い顧客として金融機関や当局の厳しいチェックを受ける可能性があるの。マスコミだって注目して嗅ぎ回るだろうし、いろいろやりにくいのよ」 


 確かにカジノ業は、金融機関にとってはアングラマネーを呼び込む危険性のある業態だ、取引にも慎重になるだろう。ドアに設置されたセンサーが、ゲブリュルの顔を認証しロックが解除される。ゴーリェは、ゲブリュルに促されてしぶしぶ部屋に入った。


 高い天井、真っ白い壁紙、殺風景だが清潔な室内には何組かの椅子と机、来客用と思われるソファーが置かれている。よくある法律事務所に間借りしたペーパーカンパニーとは違いオフィスとしての体裁は整っている。


 「見て! いい景色でしょ」


 壁がわにある大きな窓から外を眺め、ゲブリュルは声を弾ませた。ゲブリュルの隣に立ってみると、太陽に照らされた白いビーチとエメラルドグリーンの海が目にまぶしい。ふと隣に目をやると、遠い目をしたゲブリュルの横顔があった。ゴーリェは、急に顔が熱くなるのを感じた。横顔の白さと青い瞳のコントラストが窓の外の絶景以上にゴーリェの心をかき乱した。

 

 「時間だわ。準備して」

 

 ゲブリュルは腕の端末で時間を確認した。

 

 「準備ってなんだよ?」

 

 「取引相手がここに来るわ、契約書にサインして現金キャッシュを受け取るの」

 

 しばらくしてドアセンサーとリンクしたゲブリュルの端末で来訪者を知らせるアラームが鳴った。セキュリティーチェックが自動で行われて、ドアが開く。頭の禿げあがった小柄な中年の男と、銀色のアタッシュケースを持った背の高い若い男の二人組が入って来る。

 

 「挨拶は抜きでいいね。手続きをお願いする」


 小柄な中年男が、ビジネスライクに切り出す。来客用のテーブルを挟んで四人が腰を下ろし、男が鞄からブリーフケースを取り出す。ケースには同じ文面の書類二通が挟み込まれているのが見えた。ゴーリェは書類の文面を素早く読み取ろうとした。

 

 『パルマリゾート出資契約書』という表題の後に、細かい字で契約内容が記載されている。二ヶ所あるサイン欄の片方にはすでにサインが記入してある。ゲブリュルは、ペンを取り出すとサイン欄の上部に署名した。署名が終わると、当然のようにゴーリェにペンを差し出す。よく分からないものにサインすることほど危険なことはない。ゴーリェにもそれはよく分かっていたのだが、考えないことにした。ゴーリェはゲブリュルのサインの下に自分の名前を記入した。

 

 「よろしい。では出資金を確認してくれ」

 

 若い男が、ゲブリュルにアタッシュケースを差し出し、暗号化された認証キーをゲブリュルの端末に送った。端末から再び、ケースに認証キーを送信するとケースの蓋が開いた。ケースの中は百ドル札の束で満たされている。一昔前なら、札束を取り出し何束あるのかを数えたのだろうが、今は帯に電子タグが取り付けられており、端末をかざすだけで金額が確認できる。


 「百万ドル認証したわ」


 端末からオンラインで領収書が発行され、現金の受け渡しが完了した。


 「残りの九百万ドルは、空港に運んでいる。そちらで積み込んでくれ」

 

 わざわざこのオフィスで、金の一部を受け渡ししたのは、あくまでこの場所で、契約が行われた事実を作りたかったからだろう。

 

手続きが完了すると男たちはそそくさと部屋を出ていった。後には百万ドルが入ったケースが残された。


 「もうここに用はないわ、次はあんたの会社に行くわよ」


 「何だって?」


 ゴーリェは思わず聞き返した。


 「本店に口座を開設するの。取引したかったんでしょ」


 「この金を入金する気か。ヤバイ金じゃないのか?」


 「ただのよ。どんな想像してるのかわからないけど」


 「EDDで引っ掛かるぞ。口座開設なんて出来っこない」


 EDDとはエンハンスド・デューデリジェンスの略で、取引先としてリスクの高い顧客ではないか精査することだ。タックスヘイブンに設立された正体不明の会社の口座を開設し、現金で一千万ドル入金する。楽天的なゴーリェでも危うい橋を渡ろうとしている予感を感じ始めていた。


 「さあ、どうかしら? 私はどっちでもいいのよ。ここでやめるなら他の投資銀行で口座を作ればいいだけ。そもそもなんでシェルはあなたなんか選んだのかしら」


 「こっちが聞きたいよ。俺はシェルと仕事したいんであってお前にアゴで使われる覚えはないぞ」


 「ふーん、小娘に使われるのはプライドが許さないんだ。シェルのところに、あんたみたいにすり寄ってくる人間がどれだけいると思ってるの? 私は言わば門番みたいなものよ。本当にシェルと仕事がしたいのなら、まず私を納得させなさい」


 シェルが、使えない人間を側に置いておくとは思えない。いけすかない小娘にもシェルが認める何かがあるのだろう。そいつを確かめてやる。ゲブリュルの顔をまじまじと眺めていると視線に気付いたのか、少し顔を赤らめる。

 

 「わかったよ。可愛い門番さん。仕事を終わらせようぜ」

 

 「わ、分かればいいのよ」

 

 ペースを崩されて慌てるゲブリュルを見て少し肩の力が抜けた。

 

 

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