円環の蛇 破壊と再生の神印(ギフト)

小狐丸

第1話 酷く血生臭い世界に

 その世界に生きる人間には、等しく魂に印(しるし)が刻まれる。それは神からなのか、悪魔からなのか……


 どの種族の者も生まれ落ちた時に、魂の容量に応じた#神印__ギフト__#が刻まれ、様々な異能が与えられる。


 揺らぐ火の刻印は、火を操る力。

 流れる水の刻印は、水を操る力。

 渦巻く風の刻印は、風を操る力。

 硬い岩石の刻印は、土を操る力。


 この四種類を基本四属性の神印と呼び、この基本四属性の神印とは別に、輝く十字架の聖なる力を操る神印と聖なる刻印と相反する闇の神印。この二種類の神印を合わせた六種類を属性印と呼ぶ。


 これらの自然界の現象を表した属性の刻印以外に、動物の姿が意匠の神印もある。


 それらは授かった者の身体能力を劇的に上昇させる神印である。

 獅子や熊の神印は膂力を引き上げ、狼や豹の神印は素早さを引き上げる。


 そして永い歴史の中、お伽話や伝説で語られる、それは人の身に過ぎた力を持つという、幻獣・神霊の神印があると信じられている。


 神印は一人につき一つ与えられる神からの祝福とされている。


 しかし、ごく稀に複数の神印を授かる者も居るという。






 細く痩せた、まだ小さな身体を必死に動かす。


「はぁ、はぁ、はぁ、くそっ! 異端者は生きる事も許されないのかよ!」


 暗い森の中を必死に走る。追手に見つかれば命はないだろう。まともに身体を動かせる環境になかった僕には走る事ひとつ取っても凄く辛い。

 何度も転びながら、それでも成長途中の小さな身体に鞭打ち走り続ける。


 僕の名前は、シグフリート・フォン・ボーナム……いや、今は唯のシグフリートか。


 僕は、北の軍事大国、ガーランド帝国の辺境に領地を持つ男爵家の次男に生まれた。

 幾つもの部族や小国を攻め亡ぼし併合し拡大してきた、大陸の北に広大な領土を持つガーランド帝国は、建国当時から大陸統一を掲げて国土を拡げてきた軍事国家だ。

 ボーナム男爵家は、そんな帝国の南西部の辺境に領地を持つ騎士の家系だった。

 父はジョブズ、兄がバンガ、弟がワポル、兄と弟の母親で正妻がバーバラ、側室のミューズが僕の母だった。


 この大陸には、北の大国ガーランド帝国以外にも大陸の中央部に位置し、現在この大陸では最も古い歴史を誇るカラル王国、その同盟国で何度も北の大国ガーランド帝国と戦争を繰り広げる軍事国家ティムガット王国、多種族が協力して外圧を跳ね除けてきた西のバルディア王国、険しい山脈に守られ他国との関わりを最小限としてきた東のヴェルデ王国、カラル王国と砂漠を挟んで大陸の南に位置するローゼン王国の6つの国が存在する。

 多くの国が生まれ、併合され、また分裂する混沌とした時代。数百年続く戦乱の時代に僕は生まれた。


 男爵家の次男として生まれた僕が、少しでも幸せだと言えるのは5歳に成る頃までだった。


 この世界では、誰でも生まれて5歳までに“神印”と呼ばれる神様からの祝福が与えられる。通常右手の甲に一つ、人族ではごく稀に両手に異なる聖印を授かるダブルと呼ばれる者も存在する。エルフ族やドワーフ族は、高い確率でダブルを授かるようだけど。僕は普通の人族だから最初に発現した神印が、この国では僕という人間を図る全てだった。


 そして僕は、右手の甲に蜘蛛の神印を授かり生まれた。

 その神印を見た父や兄、正妻や使用人までが僕を蔑む目で見るようになった瞬間だ。


 僕は何故かは分からないけど、生まれて数日経った頃から、大人とあまり変わらない自意識が芽生えていた。いや、正確に言うと違うかもしれない。鉄の箱が地面を高速で走り、巨大な鉄の鳥が空を飛ぶ不思議な世界で、一人の男? が生き、そして死んでいった一生の記憶があった。だから生まれたばかりの身でも、僕は父や母の話す言葉の意味を何故か理解出来たし、向けられる表情が侮蔑である事も理解出来た。

 今考えると、同じ世界とは思えない場所で生きた人間の記憶や知識しかなかった僕が、この世界の言葉を理解出来ていた事は不思議に思う。世界が違えば言葉も違う筈なのに。でも、それで周りの大人達から向けられる言葉や感情が読み取る事が出来た。僕に向けられる、それが侮蔑や嫌悪の感情だということが。

 その中で唯一、無償の愛を注いでくれた母さまを除いて…………



 僕が授かった蜘蛛の神印が忌避されたのは、この国の……いやこの世界の風潮が影響している。その蜘蛛の見た目とイメージだけをとって忌避しているんだ。

 この国でもてはやされるのは六属性の神印、それに次いで獅子や狼の神印だった。蜘蛛や他の蟲を神印に保つ者は、この国の歴史には記録されていない。全て忌子として生まれて直ぐに処分されて来たから。


 僕が最初に聞いた父の声は「ボーナム家にこんな出来損ないが生まれるとは、此奴を地下室に放り込んでおけ!」だった。

 処分されない事を不思議に思いながらも、母さまとの時間は僕に、それを忘れさせる幸せな時間だった。今思えば、最初から#その__・__#つもりだったんだ……



 父は、この国では戦士系の神印最上位とされる獅子の神印を持ち、兄のバンガは熊の神印を持っていた。歴史ある騎士の家系に蜘蛛の神印が生まれた事は、ガーランド帝国男爵の父には許されない事だったらしい。そして僕は、ボーナム家の家系から抹消される事になる。

 でも僕は少しの違和感を感じていた。わざわざ僕を地下室で飼う必要があるのだろうか? 僕が生かされる理由、それは数年後に知ることになるんだけど……




 蜘蛛の神印を授かったその日から、暗い地下室が僕の世界のすべてだった。

 父を始めとする家族は勿論、屋敷の使用人までが僕を蔑む。その中で母さまだけが僕を愛してくれた。母さまは、時間が許す限り僕の側に寄り添ってくれた。僕には母さまの愛情を感じているだけで十分幸せだった。


「私の可愛いシグ。大丈夫よ、お母さんは何時でもあなたの味方よ。神印で人の価値を決めるなんて馬鹿な人達……」


 暗く湿った地下室で、僕を抱きながら優しく髪を撫でてくれた優しく美しい母さま。ボーナム家の特徴である赤い髪ではなく、母さま譲りの鉄の色みたいな暗いシルバーの髪は僕の誇りだった。


「蜘蛛はね、お母さんの国では神聖なものなのよ。シグは誇っていいのよ」

「ばゔぅ~(本当に?)」

「あら、お母さんの言葉が分かるのかしら? シグは天才ね」


 僕の母のミューズは、帝国に亡ぼされた小さな国の貴族出身だった。母さまの祖国には、蜘蛛じゃないけど蟲の神印を持った英雄の伝承があると話してくれた。




 僕が2歳になった頃から、母さまは文字の読み書きや計算の他に、神印の使い方を指導するようになった。母さまは、自分の命が長くない事を知っていたのかもしれない。

 僕は属性の神印は授からなかったけど、2歳にして成人の魔術師と比べても、数倍の魔力を保っていると母さまが教えてくれた。


「シグ、魔力の制御を練習しましょうね」

「はい、母さま」


 母さまが僕の身体に直接魔力を流して、僕の中にある魔力を動かす事で魔力を認識させる。お陰で、自分の身体の中にある力の塊が直ぐに分かった。


「うっ、こ、これが魔力なのですね」

「もう、分かったのね。やっぱりシグは天才ね」


 母さまが褒めてくれるだけで嬉しくて、地味で単調な訓練も頑張れた。

 母さまには、息をする様に自然に魔力を均一に制御できる様になりなさいと言われた。毎日暗い5メートル四方の狭い地下室の中での練習は、僕にとって母さまとの大切な時間だった。


 蜘蛛の神印に魔力を流した事で、僕はこの神印の本当の力を知る事になる。その常識外れの力にも。それを知った時の母さまは凄く喜んでくれた。だけど同時に母さまは、この事は他の人には絶対に秘密にするように言われた。特に父には、何があっても隠し通すようにと。



 僕に会う為に、地下室で暮らす僕の元に足しげく通ってくれた母さまが、5歳の冬の日に突然亡くなった事を報された。

 何時も顔を見せる時間になっても、来ない母さまをずっと待っていた。冷たい目をした使用人に一言、母さまが病気で死んだと聞かされるまで……

 もともと身体は丈夫ではなかった母さまだけど、ボーナム家は母さまの治療に銅貨の一枚も費わなかったのか? 昨日まであんなに元気だったのに?


「……くそっ! 僕に力があれば……」


 悲しみの涙以上に、自身の無力感から来る悔しさで涙が溢れる。自分の魔力が制御出来ずに暴れまわる。その時、僕の左手の甲に異変が起きる。


「……グッ! 左手の甲が焼ける様に熱い!」


 左手に生じた焼ける様な熱さと痛みは、やがて心臓へと拡がり、全身へと拡大していく。

 地下室の凍える様に冷たい石の床に、左手を押さえて我慢出来ずにうずくまる。

 その全身の熱さと痛みが続いたのは一分位だっただろうか? それとも一時間位経っただろうか? 気が付けば僕は気を失い地下室の冷たい床の上に転がっていた。


「……うっ……何だったんだ? うん? これは?」


 左手から始まった焼ける様な熱さは嘘の様に収まり、そしてそこには新たな神印が刻まれていた。


 僕の魔力を受けて浮かび上がるその神印は、黒い一対の翼を広げた蛇が円を描き自身の尾を飲み込んでいる。


 左手を意識して魔力を全身に循環させると、その神印がどういうものかを自然と理解する。


「ウロボロス……死と再生、破壊と創造、陰と陽、ははっ、聖属性と闇属性、対極の力が手に入ったのか……ハ、ハハッ」


 改めて悔しさで涙が流れ落ちた。

 もっと早くにこの力に目覚めていれば、母さまを救えたかもしれないのに……


 ウロボロスの神印は、聖属性の回復や浄化の力と、闇属性の死霊魔術や影や闇を扱う力。さらに破壊と創造という、この世に存在する全ての神印を超えた、本来なら有り得ない二つの力を合わせた神の如き力を持つ神印だった。


「隠さないとダメだな。バレたら僕はどうなるか分からない」


 この神印の力があれば、ここから逃げ出す事は出来るだろう。だけど僕はまだ5歳でしかない。我慢だ。今はまだ我慢するんだ。

 僕は左手に汚く汚れたままのシーツを裂いて巻きつける。ふとした時に、無意識に魔力を流して浮かぶ神印を誰にも知られないように。


「生きるんだ! 母さまの分も」


 暗く湿った地下室で、絶対に負けるものかと亡き母さまに僕は誓った。



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