第12話 淡雪の少女②

 小雨が降る中、《スードウ疑似・ゴブリン》の群れらしい集団が、西の草原に群生している紫色の草原の間を移動していることに、300mほど離れた地点から、張り巡らせた知覚の網――自身の権能である『熱誘導』――で感知した、アレッタトワは思わず舌なめずりをした。


 ――食料見っけた。


 そう保護色を兼ねた紫色の雨合羽の下でほくそ笑む。

 この世界の住人にとっては「とても食えたものじゃないっ」「腐った肉の方がマシ!」と厭われ、また退治したところで体内に《核》を持たない代わりに、死んでも生身の肉体を残す﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅ハズレモンスターという認識の《スードウ・ゴブリン》だが、その正体はもともとこの世界で発生する疑似魔法生物であるモンスターではなく、かなり初期の段階でどこぞのダンジョン・マスターが、この世界に召喚したレアリティ☆☆の魔物の末裔であった。


 この箱庭世界を管理している《創造神》――トワが自身の所持していた『Dungeon Manual』635572版の化身から聞き出した話をもとに、自分なりに解釈した結果、そういう結論に達した――あの〈神〉を吹聴したオフィウクスのことではない。この世界を外側から管理している存在は、この世界にある栄養素を、異世界から召喚した生き物や魔物が摂取できないことから、当初は特に処置を施さずに魔物を召喚して、それで事足りると判断したらしい。


 ダンジョンの外には食べる物がないのだから、外に出ることも繁殖することもない。仮に逃げたとしても、すぐに餓死するだろうと見積もっていた。


 だが、一部の魔物――《スライム》や《ゴブリン》――の世代サイクルの短さが、その思惑を凌駕したのだ。

 およそ六週間で成人する《ゴブリン》にとっては、10年は人の千年二千年にも値し、十分に環境に適応できる年月であった。

 そしてまた、細胞分裂を繰り返し増殖する《スライム》などは、同じ種類に見えても細胞レベルではすべて別種とも言える変異を引き起こしていた――結果、この世界の栄養素を吸収できる個体が突然変異的に出現し、瞬く間にダンジョンの支配を抜け、彼らはこの世界に広く分布するようになったのだ。


 名称に《スードウ疑似》と付く魔物は、いわば本来が融合しない筈の異世界同士の因子が、神の思惑を外れて両立してしまった鬼子なのである。

 ゆえにダンジョン側からも、この世界の人間からも忌み嫌われている《スードウ・ゴブリン》であるが、ダンジョンも『Dungeon Manual』も持たないトワにとっては、唯一とも言える野生で捕獲できる食料であった。

 味の方は、まあ推して知るべし……ではあるものの、味気ない現地の食料に比べれば、確実にカロリーに換算できるのだから、これを逃す手はない。


 そもそも現地の冒険者は、食えもしなければ《核》もない《スードウ・ゴブリン》を厄介者扱いしては、かといって斃したところで碌な稼ぎにならないので、特別に依頼がなければ好んで狩ろうとはしない。

 だったら好きなだけ狩っても文句はないだろう。


 幸いにしてこの雨の影響と、お互いが保護色になっていて、相手の方はトワに気付いていないようだ。

 まあ普通にこの距離と環境では、目視で確認できるのは至難の業だろう。

 物の熱を感知して、また触れさえすれば熱を逃がすことも収束させることも可能なトワであったからこそ、《スードウ・ゴブリン》たちの動きが手に取る様にわかるのだ。


 ふと、《スードウ・ゴブリン》たちが騒ぎ出した。

 より注意して感知してみれば、どうやら中型のモンスター《トリケラ・ボア》と死闘を演じているらしい。


 状況的には一進一退というところか。

《スードウ・ゴブリン》たちは数に物をいわせて一斉にかかっているが、体格差は圧倒的でみるみる五匹、六匹と斃されていく。


 ――ああ、せっかくのお肉が泥だらけのひき肉に……。


 思わず『氷柱の矢』を作り出して、《スードウ・ゴブリン》たちを援護しようかとまで思い詰めたところで、ひと際体格のいいおそらくは群れのボスらしい《スードウ・ゴブリン》の指示に従って、《トリケラ・ボア》を誘導し始めた。


 ――なに? 何かあるの?


 トワが怪訝に思ううちに、草原の一角に誘導された《トリケラ・ボア》の足が、不意に地面に沈み込んだ。どうやらその一帯はもともと湿地帯だったらしい。それがこの雨で水たまりと区別がつかなくなり、足を取られたというわけだろう。

 慌ててその場から逃げようとあがく《トリケラ・ボア》の三本角中心に向かって、ボスが先端を尖らせた石器のハンマーを思いっきり振った。


 その衝撃で白目を剥く《トリケラ・ボア》。

 立ち竦んだところを、一斉に他の《スードウ・ゴブリン》たちが襲い掛かり、やがて断末魔の叫び声とともに《トリケラ・ボア》は倒れ、そのまま黒い霧のようになって消えた。

 後に残ったのは子供の握り拳ほどの『魔石』がひとつ。


 それを持って高らかに勝鬨を上げるボスと、それに追従する群れの仲間たち。

 それから、全員で場所を変えて、適当な石で『魔石』を割って、一番大きな欠片をボスが、次に大きなのをメスに与え、残った細かい欠片は残りの《スードウ・ゴブリン》たちで、競うように貪り始めた。


 これが、この世界に適応した《スードウ・ゴブリン》たちの食事風景である。


 それを遠目に見ながら、トワは密かに臍を噛んでいた。


 ――まずいわね。ここのところの雨で、草原がまるで湿地じゃないの。こうなると『熱誘導』でも区別がつかないし、下手をしたら返り討ちに合うかもね。


 まあ、まずもって100回戦っても99は勝てるとは思うが、今回に限っては天候と地形がトワにアウェーでの戦いを強いていた。


 ――油断しているいま、一気に『氷柱の矢』を雨みたいに打ち出して、不意を突くべきかしらね。


 そう思ったところで、森の中から《スードウ・ゴブリン》が一匹、転がるように走り込んできて、なにやら盛んにボスに向かって訴えだした。


 他にも別動隊がいるのか、とトワが攻撃を中止したところで、話を聞き終えたボスが、突然興奮した様子で、配下の《スードウ・ゴブリン》たちに発破をかけ始め、それに呼応して群れ全体が狂乱に包まれる。


 ――???


 状況がわからず混乱するトワを尻目に、《スードウ・ゴブリン》の群れは、さきほどやってきた一匹を先導に立てて、ゾロゾロと連れ立って森の中へと向かうのだった。


 ――えーい。もうちょっとだったのに! 何があったわけよ!?


 森の中ではなかなか不意を突くこともままならない。

 とはいえせっかくの獲物を逃がすのも業腹である。

 トワは覚悟を決めて、『熱誘導』で感知できるギリギリの距離を保ったまま、群れの後を追いかけ始めたのだった。

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