5 探索

「よお」

 

 トイレを済ませ、建物から出てきた3人を待っていたのは、バイクに寄りかかって立つ叶人だった。

 

「は…?」

 奈々海は硬直する。

 葉琉はしまった、と心の中で叫んだ。叶人も同行することを、奈々海にすっかり伝え忘れていた。

 

 奈々海は目線で葉琉に訴えかける。


 どういうこと!?


 葉琉は軽く首を振った。

 

 ごめん、後で教えるから…!

 

「お疲れ様です」

 翔は軽く会釈する。葉琉と奈々海も、「どうも…」と軽く頭を下げた。

 

「…で? そんな格好して、ホントに登るつもりかよ?」

 叶人は3人を睨みつける。翔は平然と頷いた。

「叶人先輩は、登りませんか? その格好だと…」

 ジーパンにスニーカー、そして黒い革ジャン。どう考えても登山向きではない格好の叶人を見て、翔は首を傾げる。

「は? ったりめーだろ、めんどくせぇじゃん。オレはこれで行くんだよ」

 叶人はそう言うと、寄りかかっていたバイクの座椅子をぽんと叩いた。

「はぁ?」

 口をひん曲げた所で、奈々海ははっとする。こういう態度は、こういう奴には取っちゃいけない…!


「は? 知らねぇのかよ。歩き以外にも、この山は登れる道があんだぜ」

 

「えっ…?」


「……」

 翔は黙っている。知っていたのかもしれない。

 

「オレはそっちから行く。何かあったら電話すっから。ちゃんと出ろよ、翔」

 

「はい」

 

 翔が頷いたのを確認すると、叶人はバイクに乗り、ヘルメットの紐を絞めないままエンジンをかけた。

 

「じゃあな」

「連絡、待ってます」

「…気をつけろよ」

「先輩も」

 

 2人は、変にテンポ良く会話を交わす。叶人はバイクの爆音と共に、道路へ出ていった。

 

 5秒ほどの沈黙を挟み、奈々海は肩を落とした。

「…はぁぁ!? 何アイツ!? 望月叶人でしょ!?」

「ごめん奈々海…言い忘れてた」

「何でアイツもいる訳!? 誰、誘ったの!?」

「いや、行くって言ったのは向こうの方で…」

「お前か! 誘ったのは!?」

 奈々海は翔を指さす。葉琉は慌てて静止した。

「な、何かね、翔くんとアイツ、元々知り合いだったみたいで……でも、行くって言ったのは向こうだから…!」

「うっそー…。聞いてないんだけど!?」

「ごめん、ホントごめん…」

「はぁー…。…まあ良いや、もう会わないだろうし。良かった、一緒に行動じゃなくて」

 

 何とか承諾した奈々海に、葉琉はほっとする。

 このまま翔に奈々海が喧嘩を仕掛けたら、出発する前に仲間割れしてしまうことになる。

 

「…とりあえず、従兄弟との集合場所に行きましょう」

 叶人については何も触れずに、翔は2人にそう言った。

 

 奈々海はまだ納得出来ない、とでも言うような表情を見せながら、葉琉の手を引っ張った。

「行こ、葉琉!」

「う、うん…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 葉琉と奈々海は再び、唖然とした。

 

「いとこの渚です」

「風原渚です。よろしくお願いします」

 

「…………!」

 

 葉琉と奈々海は確信した。

 

 

 この子、翔くんとそっくりだ…!

 

 

 何がそっくりかと言うと、他でもない、性格である。

 

 引っ込み思案には見えないし、人見知りをしているようにも見えない。ただただ無愛想で、無口な性格なだけなのだろう。

 

 運動神経は良さそうだが、あまり友人がいそうには見えない。

 葉琉は不安を募らせる。奈々海はそれをあからさまに表情に出した。

 

「あのー…中学生?」

「高1です」

「あ、ごめん…。で、この辺の事はよく知ってるの?」

「家はここからバスで30分の所にあります。父親がネイチャーガイドなので、ある程度は」

「はぁー…すごいね、こんな山の中に」

 

 田舎者を馬鹿にするような奈々海の口調に焦り、葉琉は会話に割り込んだ。

 

「え、えっと、案内してくれるんだよね? 今日はよろしく…?」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

「さ、早速、出発する?」

 

 葉琉が火山を指差すと、翔は頷いた。

「はい。行きましょう」

「よーし、しゅっぱーつ!!!」

 奈々海が声を張り上げた。すれ違った客が、もの珍しそうに一行を見て通り過ぎていく。

 

 一行は建物裏に回り、湧き水の出る沢の前で立ち止まった。

 

「わーっ、湧き水だ。久々に見たなぁ」

「これ、飲めますよ」

「へー…怖くて飲めないけど」


 湧き水をまじまじと見つめる奈々海とは裏腹に、葉琉は沢を見上げて眉をひそめた。

 

 本当にこれから、ここを登る…?

 こんな道なき道を歩くのは、あの時以来だった。過去のトラウマが蘇り、少し足がすくむ。

 

 でも、ここまで来たからには引き返せない。

 私はこれから、フレンズに会いに行くんだ!

 

 低確率である事を知りながらも、葉琉はそう自分に言い聞かせた。

 

 もう、行くしかないんだ。

 

「じゃあ、行きましょう」

 渚は呟くようにそう言うと、躊躇なく斜面を登り始めた。

 

「よし、行くよ葉琉!」

 奈々海はやけに気合いが入っている。葉琉は静かに頷いた。

 

 前を歩く渚のテンポはかなり早い。翔は2人を気遣ったのか、最後尾についていた。

 

 歩き始めてから数分も経たない内に、息が切れ始める。渚ちゃん、もうちょっとゆっくり…と言いたい所だったか、なぜか自分のプライドがそれを許さなかった。

 

 

 十年以上前に、私はこの山を歩いた。

 フレンズと出会った。

 一緒に遊んだ。

 

 きっと、この先にある湖のほとりで──

 

 

 沢のかすかな流音が、葉琉を後押しするかのように鳴り続けている。

 息は上がっていく一方だった。

 笹や木の枝が、立て続けに体にぶつかる。その度、後ろにいる翔に当たらないように気遣った。

 

「まだなの〜…?」

 前の奈々海がぼやいた。

 

「まだですね」

 広げた地形図を見ながら、渚はさも当たり前のように答える。

 

「えぇ〜?! もう、疲れたんだけど…」

 

 言うと思った。葉琉は口を曲げる。

 さっきまで、あんなにノリノリだったクセに。

 長い付き合いである。奈々海がそういう性格であることはとっくに知っていたし、それも含めて葉琉は奈々海が好きだった。

 

「ここでちょっと休憩! 駄目…?」

 奈々海は突然、立ち止まる。手で顔を扇ぎながら、サバイバルには休憩も必要だよ、と得意気に言った。

 

 黙々と歩いていた渚が振り返り、頷く。

 

「分かりました」

 

 

 スポーツドリンクを飲みながら、葉琉は渚に問いかけた。

 

「渚ちゃんは、部活は何やってるの?」

「スキー部です」

「スキー!? すごいね」

「いえ、全然……強くはないです」

 

 ドリンクを飲んで回復したのか、奈々海も会話に割り込んでくる。

「県大会とか行ってんの? 強そうだけど」

 

 渚は少し照れるような表情を見せながら答える。

「いや、まあ、インターハイには…」

 

 瞬間、2人は見開いた。

「い…インターハイ!?」

「メチャメチャすごいじゃん…!」

「……」

 翔は知っていたのか、表情を変えない。

「なになに!? クロスカントリー? アルペン?」

「…モーグルです」

 渚の答えに、2人は眉をひそめた。

「も…もーぐる…?」

「何それ、聞いたことない」

 奈々海はポケットからスマホを取り出し、ネットの検索欄に『モーグル』と打ち込む。検索ボタンをタップしたが、結果は表示されなかった。

「…え」

 奈々海は硬直する。

「電波…入んないじゃん」

「えっ」

 葉琉は奈々海のスマホを覗き込んだ。

「…ホントだ…」

「マジで…? 事故っても助け呼べないじゃん」

「コンパスがあるので、道は大丈夫です」

 動揺する都会っ子たちの言動に、渚は平然と対応する。

「いやでも、もし叶人から連絡が来たら…」

「…そろそろ行きますか」

 翔の言葉に、一行はまた歩き始めた。

 

 

 

 蝉の鳴き声、木々の揺れる音、沢の流れる音…

 

 耳を澄ますと、本当に様々な音が聴こえてくる。

 

 道に迷い、両親を探して山の中を歩いていた時も、同じような音がしていた。

 

 ふと、あの時の情景を思い出す。

 

『おとうさん…? おかあさん…?』

『みんな、どこ…?』

『せんせーい!! たすけてー!』

 

 幼い頃の自分の声が、脳裏に蘇った。

 

 息が切れる。泣き叫ぶ。枯れた声で、助けを呼ぶ。

 

 あの時の自分の息切れと、今の自分の息切れが重なる。

 

 徐々に、記憶が戻ってくる。

 

 あの時、そんな私を助けてくれたのが、フレンズ──

 

 

 

「わっ!!?」

 

 突然、先頭を歩く渚が立ち止まった。

 

「えっ、わっ、わっ!!?」

 

 同時に、聞き慣れない声が叫ぶ。

 

「…え? え?」

 前を歩く奈々海も動揺する。

 

 我に返った葉琉は、前を見た。

「…え……?」

 

 

 一行の前にいたのは、青い作業服を着た若い男性だった。

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