戦ってこい 04
アゲハダンス教室、と看板の
柔らかいリノリウムの床、
外はいよいよ土砂降りの雨で、窓上の
首筋をエアコンの風が
「ほい」
身を縮ませて体を震わせるクリスの頭に、バスタオルが投げかけられた。よく乾燥したふわふわのバスタオルは、涙が出そうになるほど
「それでちゃんと体を
「いやあの」
乗りなさい、と言われたから
大学生か、社会人数年目と言った感じの女性だった。服装こそ
「何?高校生にもなってアソコを見られるのは嫌?遠慮しなくていいわよ。アタシは別に見慣れてるし、ガキのアソコなんて気にしないから。それよりもアンタに風邪をひかれる方がアタシとしては困るのよ」
女性は、クリスを知っているようだった。看板にダンス教室とあったので、もしかしたら夏祭りの関係で知ったのではないかと推測する。
「あなたは、
もしそうであれば、クリスはすぐにでもこの場を去る必要がある。
「疑うのは分かるけど、違うわ。仮に、もしそうなら、ダンス部に追いかけられているアンタを自動車に乗せる理由がないでしょう?」
言われてみればその通りだ。
「……疑ってすいませんでした。助けていただいて、ありがとうございます」
「いいのよ。ほら、さっさと脱ぎなさい。それとも……アタシに脱がせてほしい?」
女性はクリスに近づいて、バスタオルの上から
「あら、濡れてると簡単には脱がせらんないのね」
「やっ、ちょッ、待ってください!脱ぎます!自分で脱げますから!」
「あーら、こんなに魅力的な女性に脱がせてもらっているのに、自分で脱いじゃうのォ?」
女性の笑みが小悪魔的なそれに変わる。クリスは追い詰められたネズミのようにその場を一歩離れて、自分で服を脱ぎ始めた。
「下も脱ぐのよ」
上半身が裸になると、女性はすかさず告げた。もたもたしていれば、また女性が脱がしにかかるだろう。そう思ったクリスは、せめても女性に背を向けてバスタオルを腰に巻きつつ、パンツを脱いだ。
「見せてもいいって言ってるんだから、気にせず脱げばいいのに」
口を
女性が濡れた服を乾燥機に持っていっている間に、クリスは身体に残った水分を拭き取る。窓が開いているのが恥ずかしかったが、外は滝のような土砂降りだ。誰が見ていることもないだろうと勇気をふり絞る。
女性はクリスのために男物の下着を用意してくれた。
「気にしないで
下着泥棒は男物の下着を洗濯物と一緒に吊るすと被害が激減するのだ、と女性は説明した。女性の一人暮らしの知恵に、クリスは思わず新鮮な驚きを覚えた。
「まあ、それは元
「どっちなんですか!」
「冗談よ」
どちらが冗談なのかは女性は説明しなかった。
下着を履いてその場に座るクリスに、女性は向かい合うようにして座り、アゲハと名乗った。
「看板、見たでしょう?アゲハダンス教室。アタシはここで小さい子たちにレゲエダンスを教えてるの」
夏祭りの当日は色々と裏工作をしていたために、クリスはステージを一度も見ていなかったが、涼人が
「夏祭りのステージに、参加していたんですね」
「イエース。と言っても、ステージに立ったのはアタシの教え子達。言っちゃあなんだけど、結構教えるの上手いのよ?」
アゲハは座ったまま腰を切って上半身をくねらせる。くねらせる仕草一つで、その身に染み込んだリズム感が見てとれた。
「あの……それで、どうして僕を助けてくれたんですか?」
「んふふー、まだ分かんない?
アゲハはダンス教室の先生で、夏祭りでクリスのダンスを見ていた。それでクリスについて知り、そしてこうやって手を差し伸べてくれた。
夏祭りのときに、手を差し伸べてくれた人がもう一人いた。
「ライジンさん!」
「おっ、透のことをライジンさんと呼ぶまで仲良くなったのね。嬉しいわあ」
クリスがライジンの名前を出すと、アゲハは少女のように微笑んだ。
◇
なぜダンス部の部員に追われていたのか、今日の出来事をアゲハに詳しく説明すると、
「ソイツらはクソね。同じストリートダンスをする仲間として、許せないわ」
ストリートダンスは、学校の部活動や習い事として奨励されるようなもの……サッカー、野球、ピアノ、合唱、吹奏楽などに比べると、
だからと言って、
「クランピングの歴史を知らないのかしら……」
「クランピング?」
「いえ、独り言よ。とにかく、その
こめかみを押さえて、アゲハが大きなため息をついた。
「アタシの教室の女の子の中にはね、城磯高校のダンス部に入りたいって言って勉強している子もいるのよ。それがねえ、今のクリスの話を聞いたら別のところに入りなさい、って言いたくもなるわ」
「……実は、僕もそうだったんですよ」
乾いた笑いを浮かべながら、クリスが言った。
「どういうこと?」
「僕が城磯高校に入った理由も、ダンス部だったんです。中学生の時にインターネットでダンスと……アニメソングでダンスバトルをする動画と出会ったんです。その動画から伝わる会場の
クリスの成績なら、
それを蹴ってまで、母親と中学校の担任の説得を拒否してまで入学した城磯高校で、ダンス部はひたすら彼に冷たかった。
せっかく城磯高校に入学し、ようやくダンス部に入れると思ったクリスは、部員の
「だから、僕は入学したその日から城磯高校に居場所がなかった。調査不足と言われればそうかも知れないけれど……僕はただ、楽しくダンスがしたかった」
「そう……」
アゲハは、夏祭りの時にライジンこと
あれだけ冷静に、音楽に完璧にハメたダンスの裏……その心の奥に、やり場のない悲しみと、怒りと、そして溢れんばかりの情熱を感じたのだ。
それは、
誰かに気づいてもらいたい。僕はここにいる。
その悲痛な叫びが、偶然そこにいた透の胸に響いた。
「あの時のダンス、動画サイトに上がってるって知ってる?」
アゲハはスマホを取り出してクリスの隣に座り、動画サイトに上がったクリスの夏祭りのダンス動画を画面に映し出した。
「誰が撮ったのかとかは分からないんだけどね」
誰かが、無断で撮影したのを無断でアップロードしたのだ。一番近くに聞こえる声の主は、きっと撮影者のものだろう。
凄い、ヤバい、熱い。
あの時のダンスを動画で見るのは、クリス自身も初めてだった。
自分のダンスはこういう動きをしていたのだ、こう見えていたのだということが分かると、どこか気恥ずかしさもあった。
「コメントもたくさん」
画面をスクロールさせて、コメントを見る。賛否両論あるものの、素直な感動を表す短いコメントの多さがクリスを勇気づけた。
「あ……」
下の方に、別動画へのアドレスが貼られたコメントがあった。ほんの数分前につけられたコメント。
「何?別の動画?」
「いや、それは……ッ」
クリスが制止するよりも先に、アゲハはそのアドレスをタップする。
現れた動画は、ついさっきクリスがファミレスの店内で
クリスは思わず目を
斎藤達は、あの時言っていたことをすぐさま実行に移したのだった。
床についた膝の感覚、額の冷たさ。耳に残る店内のクラシック。
「……本当に、土下座したんだね」
動画を見終わったアゲハがつぶやくように言った。
動画の音がなくなると、ただ、外の土砂降りの音だけが耳に響く。
もう、取り返しがつかないのだ。一度インターネットに出てしまった動画は、消えることがない。人々の心の中で風化することはあっても、データそのものを完全に消去することなどもはやできない。
クリスが、ブルブルと身を震わせ始めたその時。
隣に座っていたアゲハが、クリスを包み込むように上から強く抱きしめた。
「
耳元でささやく言葉に、クリスは目を
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