出会い 02

 会場付近の駐車場は既に八割方埋まっていた。

「危なかったわね」

 関係者駐車場がなければ、ヴェルファイアをめる場所はきっとどこを探してもなかっただろう。近くのスーパーやコンビニの駐車場は屋台スペースと化しており、残ったわずかなスペースにも、会場付近の駐車場と同じように自動車で埋め尽くされている。

「すごい車の量だな」

田舎いなかは一人一台の自動車がないと何もできないのよ」

 自動車の数がほとんどそのまま人の数と言われても、質量の圧力が人の入りを想像しにくくしていた。

 会場は、古い町並みの中央通りと、その一角にある広場がてられている。通りいっぱいに広がった露店や屋台、広場に作られた特設会場では、数人のハッピを着た男たちが忙しそうに機材の配線をしている。

 電柱にぶら下がった提灯ちょうちんにはまだあかりがともっていなかったが、それでも通りの向こうまで並んでいるのを見ると、祭りの気分を呼び起こされる。いつの間にか霧も晴れて、空はわずかに青味を強くしていた。

 燦々さんさんと照る太陽が、東の空に静かにたたずんでいる。

「それで、子どもたちは?」

 準備中の屋台と営業を始めた屋台がまばらに存在する大通りを、アゲハは大股おおまたでスタスタと進む。周囲の屋台に目もくれず、しかし屋台の方からはもの珍しいといった視線を一身に集めていた。中には営業だかナンパだか分からないような声かけをする屋台の兄ちゃんもいたが、アゲハの態度はそっけないものだった。

 広場の特設会場、その正面を大きく迂回うかいして近くの家電量販店の駐車場に向かうと、そこには特設テントが建てられていた。元は真っ白だったはずのタープテントは毎年使用されているのが分かるほどに薄汚れており、黒字くろじで書かれた何とか商店街や何とか組合の文字もどこかそっけなかった。

 それらテントの一つに、一際ひときわ華やかな、いや華やかというよりはケバケバしくかしましいと言った方が良いだろうか、そういうテントがあった。タープテント自体は他のと変わらず地味そのものだったが、中に入っている女の子たちがのきみアゲハを小学生まで小さくしたような子たちばかりの集団だった。

「アゲハせんせー!」

 アゲハと同じような格好をした少女が二人に気づいて、テントの外に出て大きく手を振った。

 それをかわりにテント内にいた他の子どもたちもわらわらとテントから姿を現す。最初に出てきた子と同じくらいの背丈せたけの女の子が二人、あとの子はその三人よりもみんな小さかった。

「あ、トールせんせーもいる!」

「トールせんせー!」

 出てきた子どもたちは次々と透とアゲハの足に向かって突進してくる。わちゃわちゃと足にまとわりついて、二人の歩みを妨げた。もちろん、子どもたちにそういう意図は無く、ダンスの先生がやってきたことを単純に喜んでいるだけ。テントの中には、彼女らの保護者が数人いて、二人に向かって会釈をした。

「マイ、アキ、ユカ、アヤカ、離れなさい」

 抑揚よくようのない声でアゲハが注意すると、少女たちは一瞬体を強張こわばらせて、すぐに二人の足にまとわりつくのをやめた。背丈の高い女の子が近づくと、小さな女の子たちは枝から枝へと移る小鳥のように背の高い少女の手を握る。

「ほら、ちゃんと並んで挨拶しないと」

 少女たちの中でも一番しっかりした女の子に促され、少女たちは透とアゲハの二人を三日月みかづき状に囲んだ。テントで待っていた少女もいつの間にか二人の前に並んでおり、テント内で待機している保護者も、それぞれ立ち上がって帽子を脱いでいる。

 中心に立つ背の高い女の子が、大きな声で挨拶を主導した。

「おはようございます!よろしくお願いします!」

 よろしくおねがいします!と、少女たちの高い声が駐車場に響き渡る。その様子に、周囲の大人が驚いてチラチラと様子を伺っている。当然のように、アゲハは気にしていなかった。

「アンナ、透先生にも挨拶」

 アゲハの一声で、全員の視線が透に向く。

 子どもは素直だ。

 キラキラとした、真剣な瞳に見つめられると、透は思わず圧倒される。

「よろしくお願いします!」

 中央の少女が主導して、挨拶が再び駐車場にこだまする。子ども用のホットパンツとスポーツブラのような上着に、これもアゲハの着ているような襟首えりくびの肩まで開いたようなシャツ。

 子どもたちのその格好だけを見れば、大人の誰もが顔をしかめるだろう。しかし、そんな大人たちを黙らせて、認めさせようという姿勢が、少女たちの態度にありありと感じられる。

 そういう姿を見ると、透はどうしても感動してしまう。

 自分の「好き」や「カッコいい」を認めさせるには、どうすればいいのか。少女たちは、今まさにその身をもって実現しようとしているのだ。そしてそれはもちろんアゲハにも同じことが言える。

「気合入ってんねぇ」

 透が歯を見せて微笑ほほえむと、アゲハは透の肩を小突いて言った。

「当たり前よ、誰が教えてると思ってんの」


 ◇


 正午を過ぎて、祭り会場はいよいよ人が増えてきたようだ。

 特設会場の待機場所であるテントからでも、通りの喧騒けんそうが聞こえてくる。喧騒の合間に流れる音楽は地域の音頭おんどで、ノイズの入ったテープ音声が逆に祭りの雰囲気を盛り上げた。

 場当たりは前日のうちに済ませてあるので、本番前の午前中リハは演者なしで行われた。アゲハは子どもたちの指導で忙しく、柔軟体操や体の動きのチェックに余念がない。子どもたちもまた、昼食を食べ終え、本番が近づくにつれて緊張感が増しており、華やかな色合いのテント周りは、さながら触れると棘の刺さるバラ園のような雰囲気があった。

 一方で保護者の方はタープテントから離れた場所でなごやかに立ち話をしている。若い母親、東南アジア系の母親、南米系の母親。透が辺りを見回して見れば、確かに子どもたちの中にはハーフっぽい顔つきの子が何人かいる。以前レッスンを行った時に、年長組が言葉を復唱して小さい子どもに伝えていたのは、教え方というよりも、そもそも言葉が正しく通じていなかったのかも知れない、と透は保護者から差し入れられたきゅうりの一本漬けをボリボリと噛みながら、ぼんやりと考えていた。

「さあ、そろそろ時間よ」

 アゲハがパンパンと両手を叩くと、子どもたちの顔に緊張の色が一段濃くなった。年長組は勝手知ったると言った様子で数人で固まり、互いに背中を叩いたり手をみ合ったりしている。その様子を見て、小さい子たちが真似をする。

「ただ叩くんじゃなくって、頑張れ!って気持ちを送るように叩くの」

 中心の子が年少組に指導している。緊張のほぐし方も、アゲハに教わったものだろう。

「いい感じじゃん」

 透がアゲハに言った。緊張感は、ありすぎても、逆に全く無くても困る。適度な緊張を自分のものにしてこそ、最大限のパフォーマンスが発揮できる。

「まだまだこれからよ」

 アゲハは謙遜けんそんをしない。一見チャラチャラしていそうな彼女も、その内側には強い情熱を秘めていることを透は昔から知っていた。アゲハがまだまだと言うのだから、彼女はこのダンス教室の子どもたちがもっと上を目指せると思っているのだろう。

「すいませーん、チームバタフライの皆さん準備お願いしまーす」

 良い雰囲気に包まれているところに、会場設営の時に見かけたハッピを着た男性が声をかける。順番を告げて目的を達すると、機械のようにすぐさま去っていく。きっと、祭りの運営に駆り出された公務員なのだろうな、と透は思った。

 化粧をほどこされて準備万端の少女たちは、チームバタフライの名のごとく、きらびやかだった。大人によっては、子どもにこんな格好をさせるものではない、と烈火のごとく怒りだすような扇情せんじょう的な格好。

 確かにまだ子どもかも知れない、でも私たちは一匹の美しいチョウとなってダンスがしたい。

 そんな決意を感じる。

「関係者席が客席にあるから、透はそっちで見ててよ」

 アゲハはこれから気合十分の少女たちをステージそでまで引率する必要がある。

「動画に撮ったりは?」

「保護者の方がやってくれるから大丈夫。もちろん、自分が欲しいって場合は自分で撮ってね」

「オーケー」

「素直な感想をお願いね」

「もちろんだ」

 アゲハの突き出す拳に自分の拳を合わせて、透は保護者に案内されて客席へと向かった。特設会場のステージ袖への道は色々と煩雑はんざつらしく、その入口辺りで、先ほど呼びに来たハッピ男とは別の男性たちが何やら揉めているようだった。


 ◇


 田舎の祭りは地域の一大イベントと言ってよく、それゆえに人の入りは直接民主制のアゴラを彷彿ほうふつとさせた。年配の観客の間に、わずかに見える子ども連れの客。この辺りは人口ピラミッドがすっかり歪んで、病院の待合室さながらに老人の寄り合い所のような雰囲気さえあった。

 特設会場の上ではアオザイを着た年配の女性が並んでインタビューに答えている。どんな発表をしたのかは分からないが、みな涼やかな顔をしていた。

 用意された関係者席は年配の人ばかりで、客層に比べていくぶん若い透は一瞬その席を利用するのに尻込みしてしまう。

「トールせんせー、こちらですよー」

 透を呼ぶ女性の声。ハッピを着たその女性は、ダンス教室に通う女の子の母親の一人なのだろう。ハッピの人に呼ばれていることを免罪符にして、透はようやく周りの目を気にせずに関係者席に座ることができた。

「次がウチの子たちの番ですからね、仕事を押し付けて戻ってきちゃいました」

 そう言ってハッピの保護者はちゃっかりと透の隣に座る。腰のポーチからスマホを取り出して、特設会場に向かって構えた。

「あー、お母さんが動画を撮る係ですか?」

「違いますよォ、でも私も撮っておけば、ラインに流せるじゃあないですか」

「なるほど、そうですね」

 透は作り笑いをして、それから特設会場に目を向ける。アオザイの女性たちは舞台を降り、次のプログラムの紹介をした司会も降りた。

 やがて地域の祭りに似つかわしくないレゲエダンスのアンセム定番曲が流れる。アンセムに促されて少女たちがステップしながら現れ、それぞれ定位置につく。

 全員が定位置につくと音楽はフェードアウトし、一瞬の静寂が訪れる。観客席の後方、大通りの方から聞こえる喧騒。

 女性ヴォーカルのレゲエミュージックが流れ始めた。

 あどけない少女たちの、息の合ったセクシーなダンスに、観客席の大人たちの顔がわずかに曇る。こんなダンスをするなんてはしたない、とでも言うように。

 透の隣に座る母親はもちろんそんなこと思わない。スマホをかざして、我が子の活躍を熱心に動画に収めている。透もまた、ダンスの出来にうなっていた。

「いいじゃんいいじゃん」

 思わずつぶやく称賛の声が、前にいる老人に届いてしまい、苦虫を噛み潰したような顔で振り向いてきた。透は口をつぐんで両眉りょうまゆを上げる。

 良いものは良いのだ。透にはそういう思いがあった。客席に座る年配の大人が考える子どもにとって良いものとは、野球やサッカー、ピアノや勉強かも知れない。派手な衣装と化粧に身を包み、体をくねらせ腰を振り、男を魅了するようなダンスを年端もいかない少女がするのは不健全かも知れない。

 しかしそれを勝手に大人が決めつけて押しつけるなどもってのほかだ。

 炎天下とは言わないまでも、中天に差し掛かる太陽の下で汗をかきながら観客を楽しませようとダンスを披露する少女たちの情熱を誰がとがめられようか。

 アゲハはよく教えている。

 レゲエダンスはリズム感が命だ。それを体に覚えさせるのは、楽器の運指うんしを覚えて曲を弾くのに勝る。小学校低学年くらいの子にはまだまだ難しそうだが、チームの中心にいる三人の背の高い女の子は、だいぶサマになっていた。

 立て続けに二曲を踊りきって、少女たちは額に浮かんだ汗をものともせず、満面の笑みを浮かべていた。拍手が起こり、ステージから去っていくその瞬間まで、緊張は解かれていない。

 見られているということを誰よりも意識しているアゲハだからこそ、教えられることがあるのだろうと透は思った。

「凄かったですねぇ!私、感動で手が震えちゃいました!動画、ブレてなければいいんだけど」

 隣の保護者は、透に語りかけた。興奮しながらスマホを確認しているので、邪魔するのも悪いと、適度に相槌あいづちを打つ。

「案内してくれてありがとうございました、俺はちょっと子どもたちのところに行ってきますので」

「はい、よろしくお願いしますね」

 透は席を立ち、次のステージへの転換がすっかり終わる前に、特設会場のステージ袖入口へと向かった。


 ◇


 ステージ袖から出てきたチームバタフライは、小さな女の子がアゲハの両腕を取り合っていた。その周囲に派手な格好の少女たちが集まって歩く姿は、親ガモについて動く子ガモのように微笑ましかった。

 緊張が解けて、家族のように藹々あいあいとした雰囲気だ。

 子ガモの一人が透を見つけると、他の子ガモも次々と反応して、集団に緊張が走る。

「集合」

 子ガモのリーダーが短く言うと、女の子たちは透の周りに集まった。

「ここじゃ通行の邪魔だから、向こうにしよう」

 透がゆびさし、待機場所となっているタープテントの前まで戻る。いつの間にか、アゲハは透の隣に立っていた。

 テントの前で透は総評を告げた。それから、個々人の動きについて二、三、アドバイスを入れていく。少女たちは、めいめいタオルで汗を拭き、水分補給をしながら真剣に話を聞いている。

 透は、話した内容を時々少女に聞き返した。それは確認のためでもあるが、言葉の通じにくい子たちへの理解を確かめる理由もある。時間あたりのアドバイス量は少なくなったが、それは透自身が次回への課題とすべきことだ。

「……以上。何度も言うが、相手の心を動かすためには、まず自分の気持ちを高めないとダメだ。そのためには半端が一番いけない。どう感じて欲しいかを常に考えて自分のダンスをブラッシュアップすること」

「はい!」

 そろった返事が戻ってきた。

「じゃあ、俺の話は終わり。さて、話を聞いている間も妙にそわそわしている子がいたけど、それは何でだ?」

 真剣に聞いてはいたが、それと同じくらいに何かに心をやきもきさせている子がいるのも透には分かっていた。その疑問に答えたのはアゲハだ。

「ほら、そろそろ城磯しろいそ高校のダンス部の発表なのよ」

「なるほど、そういうことか」

 自分たちの発表もそうだが、近隣で唯一の高校ダンス部の発表を見たいという気持ちが少女たちの中にはあったのだろう。透の指導が終わればあとは自由に祭りを楽しむことができる。そわそわしているのはそういう理由だった。

「透からの話も終わったし、今日は解散。みんなお疲れさま」

「注目!ありがとうございました!」

 中心の子が音頭を取って締めの挨拶をする。子どもたちが全員で礼をして、頭を上げた次の瞬間にはクモの子を散らすようにおのおの目的へと走っていく。タープテントでのんびりしていた保護者が慌てて子どもたちの後についていくのを見ると、透は親子というものの大切さを思うのだった。

「さあ、透も見に行くでしょう?」

「何を?」

「決まってるじゃない。高校生のダンスを、よ。透は都会で若者のダンスシーンを見ているでしょうけど、田舎もそれなりに頑張ってるかも知れないわよ。もしかしたら、キミの眼鏡にかなう子が出てくるかも」

 腕を引かれて恋人のように引っ張られる。なんだかんだ言って、アゲハも緊張していたのだろうと透は思った。大胆だけど繊細で、きっと誰よりもダンス教室の子どもたちの事を思っている。だからこそ子どもたちも保護者もついてくる。透自身も、アゲハの行動力と心の強さを知っているから、今日も含めて色々と手伝っているのだ。

 子どもの前ではしっかりしたところを見せていたのだから、腕を絡めてくるくらい何ともない、と透は特に咎めもしなかった。

「それ本気で言ってる?ダンス教室の子たちの方が上手いって思ってない?」

「それは当然思ってるわよ。でも、キミはオールドスクールでしょ?城磯高ダンス部はブレイキン主体だから、面白い子がいるかも」

 アゲハに引かれて観客席に戻ってくると、先ほどまでとは客層が若干変わっていた。依然、年配の人が多いのは仕方ないとして、そこに加えて、制服や、布質の悪い浴衣を着た中高生の姿がまばらにある。ダンス部関係の生徒たちなのか、あるいはダンス部がそれだけ注目度が高いのか。

 いずれにしても、若者がいることに透は安心感を覚えた。椅子はほとんど埋まっている上に、関係者席に続く道は立ち見の客で埋まっている。通勤時の満員電車に近い人の入りだ。プログラムも間もなく始まるようなので、二人は仕方なく後方で立ち見をすることにした。

 しかし、待てどもステージは始まらない。

 ステージ上の司会も妙に焦って、舞台袖に向かって何やら話をしている。

「何かあったのか?」

 ざわつく観客席。

「さあ?地域の祭りだからね、ちょっとしたトラブルはあるもんなんじゃない?」

 透の隣にピッタリとくっついたアゲハが素っ気なく言った。制服を着た男子高校生の視線にも、アゲハは無視の一手だ。

 やがて、一人の男性がステージ袖から舞台に上がってきた。

 何の音楽もなく、人に見られているという意識もなく、とぼとぼと下を向いて、ステージの中央に上がる。

 えない男子高校生だ。視線は常に下を向いて、どこを見るともなく泳いでいる。モブキャラのように特徴のない顔。背丈は高く、手足は細い。

「あ、アゲハせんせーとトールせんせーだ」

「アンナ」

 チームの中心にいた女の子が二人に声をかける。小学六年生で、将来は城磯高校のダンス部に入りたいのだと、透はアゲハから聞いていた。

 透とアンナでアゲハを挟むようにして立ち、ステージを見る。

 司会は戸惑いを隠せないでいた。

「ど、どうぞ」

 とだけマイクに残して、ステージから退場する司会。

 明らかに異質だ。

 ざわつく観客席の声が小波となり、わずかに小さくなったとき、スピーカーから軽快な音楽が流れ始めた。

 EDMのような音楽、テンポの速い曲。


――ワントゥースリーフォー


「ふざけるなッ!!!」

 透の後方から聞こえる叫び声。驚いて振り向くと血相を変えた高校生が数人、ステージに向かって牙を剥いている。

 ステージに向かって人をかき分け進もうとする高校生たち。

 しかし人が多すぎて、観客側は避けようにもなかなか避けられなかった。数人の高校生が一斉にステージに向かおうとするものだから、観客席はおし合いへし合いで混乱しはじめる。

「それは俺たちのステージだッッ!」

「お前のもんじゃねぇ!」

 ガタイの良い高校生の怒号にアンナが震える。気づくより先にアンナを抱きかかえるアゲハを引き寄せて、透は高校生たちの肘や膝から二人を守った。

「マトリョシカだ」

 アゲハに守られていたアンナがつぶやいた。

 前奏ぜんそうが終わって曲に入る少し前に、ステージ上の冴えない男子高校生が顔を上げた。

 透は、その男子高校生の表情が、悲壮な決意に満ちているように思えた。


――考○右手 〇〇〇左手 メ〇〇〇ジ頭回し  ○○右前 〇〇〇〇左前 〇〇〇いで引き戻し回転


――き〇〇 〇〇顔を隠して い〇〇〇そう肘固定回転  ○ぎトン 〇〇トン 〇〇〇グルッと パッ パッ リョグーッ シカピタッ


 歯車の回転するような前腕の動き、アニメーション。間奏でトップロックぎみの動きをしているのは、身体を解すためだろうか。


――頭〇〇 〇〇頭抱えて 〇〇〇〇ジスクエアタット  〇〇〇〇 〇〇〇〇肩から伸ばして はり〇〇よじ


――誰○手首 〇〇て肩肘 〇〇〇〇〇乱回転  〇〇〇 逆〇〇 回〇〇〇ピタッと止まって時戻し


「マジかよ」

 形こそいびつだったが、それはまぎれもなくキングタットだった。

「ダンス部がポップダンスもやってるなんて聞いたこと無いわよ」

 アゲハが言う。観客席を強引に泳ぎ渡ろうとする高校生たちは、既に三人の横を通り過ぎている。しかし、何やら他の高校生との小競り合いや、ハッピを着た大人たちが取り締まりを始めているようで、ステージへは一向に辿り着きそうにない。

「それに、彼らが本当のダンス部だわ」

「えっ」

「何人か、顔を覚えているもの」

 それならば、今ステージ上でキングタットを披露している冴えない男子高校生は誰だ?

 ステージの青年の身体が温まってきたのが分かる。あしが動き始め、ストップモーションにキレが増す。ひじ手首てくびの直角、グリッドを意識した動き、歌詞の理解度。

 透は、彼のダンスにせられていた。


――○〇〇 〇〇ぱ○エジプシャンウォーク 舞〇〇 〇左に パク  パク カ〇〇〇?グルッと マ〇〇〇?グルッと 〇〇足から ○〇〇ウェーブ


――〇〇〇肘膝 感情グリッド  〇〇〇〇○逆向き パク  パク ちょ〇〇肩肘 〇〇て戻して 〇〇胸の前 〇〇〇?ハート


「見たことないダンスだー」

 暴徒と化した高校生に震えていたアンナも、聞いたことのある音楽と相まって、いつしかステージの冴えない男子に目が釘付けになっていた。遠くにいても、彼の動きは目の前に迫ってくるように分かる。

 体が完全にリズムを捕えている。


――〇〇指さし 〇〇指さし 笑〇〇〇腕広げ 〇〇ぜ一回転  〇〇〇〇 〇れよ観客に向かって 馬鹿〇〇りサムズダウン


「テメェ、許さねえぞクリス!!!」

 さきほどからずっと叫んでいるダンス部の一人が、ステージでサムズダウン親指を下向きにする男子高校生に向かって咆えた。

「ほう、クリスって言うのか」

「なあに、気になっちゃった?」

 透のつぶやきにニヤニヤと問うアゲハ。しかし、アゲハは透の横顔を見て、すぐに真顔になった。

 混乱する特設会場は、高校生と年配の観客とのるつぼと化した。観客席から必死にステージに上がろうとするダンス部員と、それを止めようと抵抗する別の高校生やハッピ姿。

 そんな混乱の最中にあって、ステージ上の冴えない男は踊り続ける。

 馬鹿溜まりよ、もっと踊れ。と言わんばかりに。


――タッ タッ タッ 〇〇止め 〇〇〇ウェーブ  〇〇ステップ 〇〇スイッチ 受〇〇〇グイーッ カチッ  ピタ


――タッ タッ タタ そ〇 〇〇〇両手かざして  ピッ ピッ ピッ ピタ パチ  パチ  パチ


「アンナちゃん」

 ステージを見つめるアンナに透が声をかける。

「はい」

「さっき『マトリョシカ』って言ったけど、何のこと?曲名?」

「はい、そうです」

「えっ!?透この曲知らないの!?」

 ネットではかなり有名な曲らしいが、透は聞いたことがなかった。少し耳にうるさい歌声が合成音声という機械で作った声だということを、透は後に知ることになる。

「そっか、ちょうど透が海外に遠征に行ってた頃だわ」

「なるほど」

 もともとダンスミュージックばかり聞いていた透が、海外に行ってまで日本のマイナーな曲を聞くことはなかった。

「ダンスに合ってる。いや、曲が合ってるのか?」


――○ぎ 〇〇手首 ○っ○狂ル狂ル マトリョシ乱れて ピタッ


 一瞬の静寂。

 ダンス部の咆哮ほうこうさえも一瞬途絶え、スピーカーのキンとした余韻よいんがひb


――ねぇ、カチ ねぇ、カチ ねぇ カチ 〇〇〇肩から 〇〇グルッと 舞〇〇スイッチ スイッチ パッ  パッ


 おおお、と観客席から老人のうめくような感嘆かんたんが聞こえた。

 それくらいあざやかに、曲の溜めと、クリスと呼ばれたステージ上の生徒のストップモーションはハマっていた。

 ステージ下のダンス部員は、いつの間にかほとんどがステージに向かうのを諦めて、ステージ上で繰り広げられるダンスに目を奪われていた。


――○○グリッド 〇〇口元 笑〇〇〇腰折り 〇〇ぜ呼びかけ  ○っピタッ 〇〇パパ 踊〇〇肘手首 〇〇〇〇れグリッド回転


 後奏こうそうに合わせるように青年はステージ袖へと去っていく。

 どこからともなく始まった拍手は、あっという間に観客席に伝播し、全員が演者のいないステージに向かって拍手をしていた。

 誰かが歓声代わりの指笛ゆびぶえを鳴らす。

 茫然ぼうぜんと見ていた透は我に返り、ひたいににじんだ汗をくと、アゲハに目を向けた。

「いってらっしゃい」

 透が何か言うよりも先に、アゲハは優しく微笑んだ。

「いってくる」

 透は立ち見客をかき分けて観客席から抜け出すと、全速力でステージ袖へと向かった。

 暑い。

 観客席の人いきれなど目じゃないほどに暑い。中天ちゅうてんを過ぎた太陽の、ギラギラとにらむような日射しが透の肌を刺す。心臓が高鳴った。

 俺が行くまで、逃げてくれるなよ。

 祈るように透はけた。

 騒然とするステージ袖。その外側の、待機場所へと向かう途中で、ハッピ姿の男性に腕をつかまれていた先ほどのダンサーは、必死に腕を振りほどいて逃げようとしていた。

「クリス!」

 透は、ダンス部員が叫んでいた名前を呼ぶ。冴えない青年は驚き、すくみ上がり、やがて全て観念したとばかりに脱力した。

「ちょっと、一体なんですかあなた」

 青年の腕を掴むハッピ姿が、透と青年の間をさまたげる。透はズカズカと大股で歩み寄って、ハッピ姿の男性を押しのけた。

「なっ!?」

「君、俺と一緒にダンスをしようぜ」

 近づいてみると、青年は透よりも背が高かった。わずかに見上げながら、透は青年に右手を差し出した。

「あ……え……」

 動揺する青年。

「オッサン、腕離して」

 ハッピ姿の男性を睨みつけて透が言う。何事か分からなかったハッピ姿だったが、青年がその場に釘付けになっているのを見てとると、ゆっくりと腕を離した。

「もう一度言う。俺と一緒にダンスをしようぜ」

「あの……」

 何事が起きたのか分からない、と言った様子で青年は透を見つめる。

 透は視線をそらさない。そして、青年もまた視線を外さなかった。体の横で拳を握りしめ、歯を食いしばって、何かを耐えている。

 ややあって、青年はわなわなと震わせた拳をゆっくりと開きながら、透の右手に向かって伸ばし始めた。

「あ、りがとう……、ありがとうございますッ!」

 青年の目から、大粒の涙がボロボロとこぼれた。透の差し出した右手を両手で強く握りしめる。

 ハッピ姿の男性はたじろいで後ずさる。

 透も涙ぐんでいた。差し出した右手に両手をもって応じたこの青年の大粒の涙。それまでの苦難と懊悩おうのうを想像するだけで、胸が張り裂けそうな気持ちになる。

 こうして、二戸にとクリスは女井おないとおると出会った。

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