ⅩLⅨ   僕の"Lady"

「ノエル!」

 自分を呼ぶ声にノエルは振り向く。そして、こちらへと駆け寄って来る少年の真剣な表情に目を見張った。

「エディ……。」

 ずいぶんと久し振りに、彼に名前を呼ばれた気がする。ノエルの心がずきんと疼いた。正面に立ち止まったエディの顔を見上げたまま、ノエルは少しの間言うべき言葉を見付けられなかった。

「お……おはようエディ、良い朝ね。昨晩はよく眠れた?」

「う、うん。ありがとう。」

 そこで、会話は途切れた。気まずい沈黙を破れず、二人はそのまま硬直したように動かない。ノエルの隣に寄り添っていたロビンが、遠慮がちに口を挟んだ。

「……僕、部屋に戻るね?」

「いや、いいよ、このままで。」

 エディは少し焦った様子で彼を引き留める。彼は頬を紅潮させ、思い切って叫ぶように言った。

「ごめん!」

 目をつぶって勢いよく頭を下げるエディを、ノエルは驚いて見つめた。

「あの時、僕、すごく酷いこと言った。ノエルの所為で母さんが……母さんが、あんな事にって。ほんとはそんな事、全然思ってないんだ。あんまりにも突然で信じられなくて、悲しくて、苦しくて、訳が分からなくなってた。自分だけが酷い目に遭ったみたいな気がしてて、ノエルが傷付いてる事を考えようともしなくて、……もう何が言いたいのか自分でも分かんなくなってきたけど、とにかくごめん。」

 ぽかんとただ見守る二人。エディは顔をくしゃくしゃにして泣きながらまくしたてた。

「赦してもらえるなんて、思ってない。僕がノエルだったら、絶対に僕を赦さないもん。けど、とにかく謝りたかった。それだけだから。」

 エディはやっと体を起こし、顔をぐいと拭う。ノエルを見て寂しそうに微笑んだ。

「言いたかったの、これだけ。ごめん。じゃあ、僕もう行く。」

「待って。」

 踵を返したエディを、ノエルは呼び止めた。

「こっちこそ、ごめんなさい。」

 そして、驚く彼に深く頭を下げた。

「どうして……?」

「あたし、エディの事怒ってなんかいないよ。エディがそう思うの……あたしの所為だって思うの、当然だもの。マーヤが死んだのは、あたしの所為。」

「違う!」

「違くないよ。だってあたしが、狙われてるって分かってたのにあの家に戻りたがったんだもの。あたし、バカだった。あの男がまだあの辺りをうろついて、あたしやあたしの知り合いを探してる事くらい、ちょっと考えれば分かる事だったのに。もしあいつがあの家を見つけられたら……ああなったら、マーヤがあたし達を守ろうとすることも、分かってたのに。舞い上がって、甘えてたし、油断してた。いつの間にか守られてるのが当たり前で、それがどういう事かも分かってなくて……マーヤもエディもイリスも傷付けた。全部あたしのワガママの所為。だから、謝るのはあたしなの。」

 違う。もう一度そう叫ぼうとしたが、彼には何故か言えなかった。そんな事ない、ノエルは悪くない。喉元まで出かかった言葉はそこでつっかえて出てこない。代わりに、また同じ言葉がこぼれた。

「……ごめん。」

「だからそれはあたしの言葉よ。ごめんなさい、エディ。」

「ううん、こっちこそ、」

 二人は殆ど同時に顔を上げ、目を見合わせた。ふと訪れた沈黙の後、二人は同時に吹き出した。

「二人で謝りっこしてたら、いつまで経っても終わらないね。」

「そうね。じゃあもう『ごめんなさい』は止めよっか。」

 傍らで心配そうに二人を見守っていたロビンの顔も綻ぶ。三人の子どもたちは笑い合い、ふざけ合いながら庭の小道を駆けた。薔薇園を抜けて、木漏れ日の射す並木道で、ノエルはふと立ち止まった。

「あたし決めたよ、エディ。あたし、あなた達二人を守るわ。マーヤの分まで。」

 彼女の言葉に、エディは微笑んだ。

「駄目だよ、ノエル。」

「どうして?」

 ノエルはきょとんと彼を見つめる。少年は思い切って彼女の手を取った。

「ノエルはそんなことしなくていいんだ。君は女の子じゃないか。女性を守るのは男の役目だって、母さんにも言われた。だから……僕が守る。僕、ノエルを守れるようになってみせるから!」

「エディ……。」

 顔を真っ赤にして強く言い切ったエディに、一瞬遅れてノエルの頬も赤く染まる。

「……ありがとう。」

「僕は絶対ノエルを守る。君が僕の〈Lady〉なんだ。……守るって言っても、僕じゃ頼りないけど。」

「ううん、頼りなくなんかない。嬉しい。」

 緑に揺らぐ明るい光の中、見つめ合うふたり。

 それに微笑んで、ロビンはそうっとその場を離れようとする。この空気を壊すほど子供じゃないつもりだ。静かに一、二歩下がって意識を他に向けた時、ロビンの鋭敏な感覚はいち早く『何か』の気配を捉えた。

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