2018.8.23ノラ漢文読みのアタマの中2

こんにちは。


漢文訓読だけの「2018.8.16ノラ漢文読みの頭の中」が

意外なPV数を稼いだために勘違いしている河東です。


0PVでも何ら不思議がない内容でしたから。。。


無論、ラノベを公開すべき本サイトで「いきなり漢文訓読」という

暴挙に意外性があったことは否めません。まさしくアホでしたね。


「空気嫁」ではなく「空気読め」というハナシです。


過去に氷月あやさんも『襄陽守城録』で敢行されましたが、

アレは訳文がラノベ文体になっている点で適合しています。


本サイトにおける異常性は最大限に抑制されているのです。


しかし、前回はこの一文だけでした。


▼(お忘れかも知れませんが、お経が現れる記号です。スルー推奨)


『晋書』孝惠帝紀 永平六年

秋八月,雍州刺史解系又為度元所破。

秦雍氐、羌悉叛,推氐帥齊萬年僭號稱帝,圍涇陽。


秋八月、雍州刺史の解系は又た度元の破る所と為る。

秦雍の氐、羌は悉く叛いて氐帥の齊萬年を推し、

僭號して帝を稱し、涇陽を圍む。



これより、みなさんが漢文訓読100%のエピソードに

どれくらい耐えられるか、試してみたいと思います。

(そんなこと試すな。。。)


今回は、まとめて7本をやります。

解釈は別エピソードにまとめます。


つまり、このエピソードは

「完全に漢文訓読のハナシしか出てこない」

という異常な回であることをご理解下さい。


よって、この先はある意味「閲覧注意」です。

ご承知置き下さい。


それでは一本目から。



『晋書』孝惠帝紀 永平七年

七年春正月癸丑,周處及齊萬年戰於六陌,王師敗績,處死之。


分解とパーツ化をまとめてやります。


七年春正月癸丑、

 時期な。

  七年春正月癸丑、

周處及齊萬年

 主語な。

  周處、及び、齊萬年

戰於六陌、

 動詞+副詞句な。

  戰う、於いて、六陌

王師

 主語な。

  王師、

敗績、

 動詞な。

  敗績す、

 主語な。

  處、

死之。

 動詞と目的語な。

  死す、之に。


パーツをまとめます。

 七年春正月癸丑、

 周處、及び、齊萬年

 戰う、於いて、六陌

 王師、

 敗績す、

 處、

 死す、之に。


並び替えます。

 七年春正月癸丑、

 周處、及び、齊萬年

 六陌、於いて、戰う

 王師、

 敗績す、

 處、

 之に。死す、


日本語化します。

 七年春正月癸丑、

 周處、及び、齊萬年は

 六陌に、於いて、戰い、

 王師は、

 敗績す。

 處は、

 之に、死す。


訓読文は以下のとおりです。


 七年春正月癸丑、周處、及び、齊萬年は

 六陌に於いて戰い、王師は敗績す。

 處は之に死す。


特に難しいところはないかと思います。



『晋書』孝惠帝紀 永平九年

九年春正月,左積弩將軍孟觀伐氐,戰于中亭,大破之,獲齊萬年。徵征西大將軍、梁王肜錄尚書事。以北中郎將、河間王顒為鎮西將軍,鎮關中;成都王穎為鎮北大將軍,鎮鄴。


分解とパーツ化をまとめてやります。


九年春正月、

 時期な。

  九年春正月、


左積弩將軍孟觀、

 主語な。

  左積弩將軍の孟觀、


伐氐、

 動詞+目的語な。

  伐つ、氐を、


戰于中亭、

 動詞+副詞句な。

  戰う、中亭に、


大破之、

 副詞+動詞+目的語な。

  大いに、破る、之を、


獲齊萬年、

 動詞+目的語な。

  獲る、齊萬年を、


徵征西大將軍、梁王肜

 動詞+目的語な。

  徵す、征西大將軍の梁王肜を


錄尚書事、

 動詞+目的語な。

  錄す、尚書の事を、


以北中郎將、河間王顒、

 副詞句な。

  以て、北中郎將の河間王顒を、


為鎮西將軍、

 動詞+目的語な。

  為す、鎮西將軍に、


鎮關中、

 動詞+目的語な。

  鎮ず、關中に、


成都王穎

 主語な。

  成都王穎


為鎮北大將軍、

 動詞+目的語な。

  為る、鎮北大將軍に、


鎮鄴、

 動詞+目的語な。

  鎮ず、鄴に、



ここでちょっとストップ。

以下の文章はちょっと特殊な扱いをしています。


戰于中亭、

 動詞+副詞句な。

  戰う、中亭に、


待て待て。

「于」がねえぞ、「于」が。どこに行った?


「于」は「於」と同じく場所の前につく前置詞、

なので、ここでは、「于中亭」を「中亭に」と

読むことで消えてしまうのですね。

「於」は「於いて」と読めるのですけどねえ。


まあ、そういうルールだということですよ。



パーツをまとめます。

 九年春正月、

 左積弩將軍の孟觀、

 伐つ、氐を、

 戰う、中亭に、

 大いに、破る、之を、

 獲る、齊萬年を、

 徵す、征西大將軍の梁王肜を

 錄す、尚書の事を、

 以て、北中郎將の河間王顒を、

 為す、鎮西將軍に、

 鎮ず、關中に、

 成都王穎

 為る、鎮北大將軍に、

 鎮ず、鄴に、


並び替えます。

 九年春正月、

 左積弩將軍の孟觀、

 氐を、伐つ、

 中亭に、戰う、

 大いに、之を、破る、

 齊萬年を、獲る、

 征西大將軍の梁王肜を、徵す、

 尚書の事を、錄す、

 北中郎將の河間王顒を、以て、

 鎮西將軍と、為す、

 關中に、鎮ず、

 成都王穎

 鎮北大將軍と、為る、

 鄴に、鎮ず、


日本語化します。

 九年春正月、

 左積弩將軍の孟觀は、

 氐を伐ちて、

 中亭に戰い、

 大いに之を破りて

 齊萬年を獲る。

 征西大將軍の梁王肜を徵して、

 尚書の事を錄せしむ。

 北中郎將の河間王顒を以て

 鎮西將軍と為し、

 關中に鎮ぜしめ、

 成都王穎を

 鎮北大將軍と為し、

 鄴に鎮ぜしむ。



またストップ。

 征西大將軍の梁王肜を徵して、

 尚書の事を錄せしむ。

 北中郎將の河間王顒を以て

 鎮西將軍と為し、

 關中に鎮ぜしめ、

 成都王穎を

 鎮北大將軍と為し、

 鄴に鎮ぜしむ。

この部分は明らかに扱いが変です。


まず、「征西大將軍の梁王肜を徵して」の

主語は誰やねん、という問題があります。


主語ないですよね。


前文の主語は「左積弩將軍の孟觀」ですが、

「征西大將軍の梁王肜を徵し」たのは、

彼のはずがないです。


だって、目下ですから上司は徴さない。

この徴は徴兵の用例と同じです。

主語は必ず目上の者になります。


この記事、

「征西大將軍の梁王肜を徵して」は

『晋書』孝惠帝紀の記事です。

あくまでも孝惠帝が主役となります。


よって、ここでは孝惠帝が

省略されているのです。

つまり、

「孝惠帝は征西大將軍の梁王肜を徵して」

という理解が正解。


で。

「徵」には「召し寄せて~させる」という意味があり、

「征西大將軍の梁王肜が尚書の事を錄した」はダメ。

「征西大將軍の梁王肜に尚書の事を錄させた」という

解釈をしなくてはなりません。


その結果、

 【征西大將軍の梁王肜】を徵して、

 尚書の事を錄≪せしむ≫。

 【北中郎將の河間王顒】を以て

 鎮西將軍と為し、

 關中に鎮≪ぜしめ≫、

 【成都王穎】を

 鎮北大將軍と為し、

 鄴に鎮≪ぜしむ≫。

この文に出てくる【】囲みの3王は、

すべて主体ではなく客体となります。


だから≪≫囲みの動詞部分はすべて

受動態として扱わねばなりません。


「徵」一字でこの影響です。

そんなん分かるかいな。。。



というわけで、

訓読文は以下のとおりです。


 九年春正月、左積弩將軍の孟觀は氐を伐ちて

 中亭に戰い、大いに之を破りて齊萬年を獲る。

 征西大將軍の梁王肜を徵して

 尚書の事を錄せしむ。

 北中郎將の河間王顒を以て鎮西將軍と為し、

 關中に鎮ぜしめ、成都王穎を鎮北大將軍と

 為して鄴に鎮ぜしむ。


慣れが必要ですが、難しくはない文章ですね。



『晋書』傅祗傳

氐人齊萬年舉兵反,以祗為行安西軍司,

加常侍,率安西將軍夏侯駿討平之。


分解とパーツ化をまとめてやります。

氐人齊萬年

 主語な

  氐人の齊萬年、


舉兵

 動詞+目的語な。

  舉ぐ、兵を、


反,

 動詞な。

  反す、


以祗

 副詞句な。

  以て、祗を、


為行安西軍司,

 動詞+目的語な。

  為す、行安西軍司と、


加常侍,

 動詞+目的語な。

  加う、常侍を、

 

率安西將軍夏侯駿

 動詞+目的語な。

  率いる、安西將軍夏侯駿を、


討平之。

 動詞×2+目的語な。

  討つ、平ぐ、之を、


パーツをまとめます。

 氐人の齊萬年、

 舉ぐ、兵を、

 反す、

 以て、祗を、

 為す、行安西軍司と、

 加う、常侍を、

 率いる、安西將軍夏侯駿を、

 討つ、平ぐ、之を、


並び替えます。

 氐人の齊萬年、

 兵を、舉ぐ、

 反す、

 祗を、以て、

 行安西軍司と、為す、

 常侍を、加う、

 安西將軍夏侯駿を、率いる、

 之を、討つ、平ぐ、


日本語化します。

 氐人の齊萬年は、

 兵を舉げて、

 反す。

 祗を以て、

 行安西軍司と為して、

 常侍を加え、

 安西將の軍夏侯駿を率いて

 之を討ち平げしむ。


ここで、最後が「平げしむ」となるのは、

先の客体扱いになっていた部分に同じく、

「祗を以て」の箇所で傅祗が客体として

指定されているからですね。


簡単に言うと、

「祗を以て」は「祗に」と同じだと思って

頂ければ、よいかと思います。


また、「行安西軍司」はこれで官名扱いで可です。

「行」は位階が低い者が上位の職を行う場合に

冠される文字だったと思うけど、忘れました。



というわけで、

訓読文は以下のとおりです。


 氐人の齊萬年は、兵を舉げて反す。

 祗を以て行安西軍司と為して、

 常侍を加え、安西將軍の夏侯駿を率いて

 之を討ち平げしむ。


わりと簡単な文章だと思いません?

(激しい勘違い)


たぶん多くの方が「漢文難しい」と思われる

原因の一つはこれらの工程を一気にやる、

という読み方にあるのではないかな、とか。


邪道極まりないかも知れませんが、こういう

読み方でも詔や檄文のように特殊な文章、

難しい言い回しが頻発する会話文を除けば、

けっこう漢文は読めますよ。



まだこれだけ残っているのですけど、

次回に回します。

スワイプする指がつりそうになるので。


『晋書』江統傳

時關隴屢為氐羌所擾,孟觀西討,自擒氐帥齊萬年。統深惟四夷亂華,宜杜其萌,乃作徙戎論。


『宋書』氐胡 略陽清水氐楊氏

千萬子孫名飛龍,漸強盛,晉武假征西將軍,還居略陽。無子,養外甥令狐氏子為子,名戊搜。晉惠帝元康六年,避齊萬年之亂,率部落四千家,還保百頃,自號輔國將軍、右賢王。關中人士奔流者多依之,戊搜延納撫接,欲去者則衞護資遣之。愍帝以為驃騎將軍、左賢王。時南陽王保在上邽,又以戊搜子難敵為征南將軍。


『三國志』周魴傳付周処傳

[一]虞預晉書曰:處入晉,為御史中丞,多所彈糾,不避彊禦。齊萬年反,以處為建威將軍,西征,眾寡不敵,處臨陳慷慨,奮不顧身,遂死於戰場,追贈平西將軍。處子玘、札,皆有才力,中興之初,並見寵任。其諸子姪悉處列位,為揚土豪右,而札凶淫放恣,為百姓所苦。泰寧中,王敦誅之,滅其族。


『晋書』孟観傳

氐帥齊萬年反於關中,眾數十萬,諸將覆敗相繼。中書令陳準、監張華,以趙、梁諸王在關中,雍容貴戚,進不貪功,退不懼罪,士卒雖眾,不為之用,周處喪敗,職此之由,上下離心,難以勝敵。以觀沈毅,有文武材用,乃啟觀討之。觀所領宿衞兵,皆趫捷勇悍,并統關中士卒,身當矢石,大戰十數,皆破之,生擒萬年,威慴氐羌。轉東羌校尉,徵拜右將軍。


後半はなかなかのお経ぶりですね。

ざっと見て読めそうじゃないですか?


とか言って、読めなかったら笑いますね。


今日はこれまでとします。

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