2.5

 ユキコはそう言うとミヤコについていく決心をする。

 何より今は急がなきゃならない。

 二人は急いで牢屋の中に入ると、うつ伏せに寝転んだ男を担ぎ上げる。


——ユウト、ごめんね、私がふがいないばっかりに。今、助けるから!


「衛兵が来るまで三分、どうしましょうか……?」


「三分?」


「残り時間ね」


「時間?」


 ミヤコは首をかしげる。ユキコは悟る。


——この人、時間って概念ないんだ!森にすっごい詳しいけど。

——そう言う時間を気にするような生活、送ってないのね。


ユキコは言葉を変える。


「すぐに衛兵が来るわ。早く逃げないと!」


「別に、私は急ぐ必要はないのだけれど……。

 まぁ、いいわ。とにかくこの人をエルザに乗せましょう。手伝いなさい」


 ユキコとミヤコはユウトを二人で担ぐとエルザの上に乗せて紐で固定する。

 エルザは心底嫌そうな顔をしながらユウトを背中に乗せる。


「ミヤコ…。必ず、私を洗ってブラッシングしてよ……。

 この匂いが体に定着しちゃうのは流石に我慢ならないわ」


「はいはい。洗ってあげるから、ごちゃごちゃ言わずに運んだ運んだ」


 ミヤコはおイッチ、ニ、と初めて歩いた赤子をあやすように手拍子をする。

 赤子扱いされたエルザは眉をひそめてミヤコを見つめる。

 ユキコはそんなエルザに言う。


「エルザ、彼の手に触れないようにね。

 問答無用に“ギフト”が発動しちゃうから。

 彼の“ギフト”が自動的に使われちゃうのよ。

 最も、気絶してるから発動しないと思うけど」


「ええっ、触られちゃうと私、どうなっちゃうの!?」


「あー、どうなんだろう。あなたの原型、ユウトは知らないから多分大丈夫だわ。

 もし、あなたの昔の姿とか、ユウトが知ってしまっていて、あなたがそれだと認識しちゃっていると、あなた、超若返るわよ」


「えええ!?私、若い猫になっちゃうの!?」


「赤子かもしれないわよ」


「赤子は勘弁ね………」


 そこへワンダがあわわと言いながら戻ると、ミヤコの左肩に止まる。

 どこで見つけてきたのか、小さな枝をタバコのように加えて言う。


「人が来るぜ!」


「「遅いわ」」


 ミヤコとユキコのダブルツッコミ。ワンダは嘴をより尖らして言う。


「ねぇちゃんがたよぉ。つれねぇなぁ。つれねぇちゃんだな!」


「あんた、寒いのよ」


 ユキコはそう言う。ユキコはワンダの扱いはなんとなくわかってきていた。


 ミヤコはひらりとエルザの上に乗ると、ユウトを押さえる。

 エルザはにまっと笑いながらユキコに言う。


「さて、……」


 エルザは思い出したかのように困った顔をする。


「あら、そう言えばあんた、名前なんていうんだっけ?」


「ユキコ」


 エルザはぶふっっと吹き出す。鼻水が飛んできそうな笑い方だった。


「あんたの方が寒い名前じゃない」


 ユキコは思わず、エルザのほっぺに拳をぶち込む。 

 割と力を込めたつもりだったがエルザは痛くも痒くなさそうだった。


「うっさい。私は気に入ってんの。で、何?」


「あ、そうだった、ユキコ、あんた速く走れる?」


「かなり速く走れるわよ」


「それは良かった。じゃあ、いくわよ」


 そう言った瞬間だった。エルザはスタートダッシュを切った。

 ここまで来るときに見せたのっしのっしと牛のような歩き方は嘘のようだった。

 ユキコは思わずニヤッと笑う。


「身体強化・レベル3」


 体のEE燃焼を一気に高め、全身、それこそ爪の一枚一枚にまでEEを充填する。

 隅々まで配置されたEEが筋肉の躍動を高め、全身の動きをミリ単位で調節、高速化する。


 ユキコはクラウチングスタートの格好を取ると一気に加速する。

 周囲の景色が間延びする。風切り音が耳を打つ。

 すぐにエルザを射程に捉える。

 しかし、エルザは“ギフト”を使っている気配がない。

 単純な脚力だけでこれだけの速度を出している。


「すごいな……!」


「ユキコもやるじゃない!もう少しスピードをあげてもいいかしらね」


「望むところよ!」


 グンっとスピードを上げる。

 風切り音も聞こえなくなった。

 どうやら音は後ろに置いたらしい。

 ユキコは自分の体が、あまりにも調子が良いことに驚く。


——この領域、入ったのなんて一度か二度くらいなのに……!
 


 ダンディな声が響く。


「お二人!次を右!」


「あいよ!」


 エルザの急な方向転換。

 だが、ユキコも鉄格子に手を引っ掛け、無理やり曲がる。

 鉄格子の方も曲がってしまった。


「次を左で…外だ!」


——早い!この地下牢の変化パターンもう読み切ったの!?

——この青い鳥、なかなかやるじゃない!


 だが、ミヤコの冷たい声が聞こえる。


「あなたの考えているような力、ワンダにそんな大層な力なんてないわ。

 あるとすれば他の鳥よりちょっと勘が鋭いだけよ」


 ユキコはなんとなくピンと来る。


——EE鉱石採掘場にいるカナリアみたいなものね。

——危機察知能力がやたらと高いらしいし。

——毒ガスや高密度のEEに敏感に反応して人に危険を知らせるという小鳥。


——…………私は本物、見たことないんだけど。

 

 ワンダの指示は的確だった。

 ユキコは曲がった先、上り坂の向こうに星の光が見えたときワンダを賞賛した。

 地下牢は捕まえた犯罪者を逃さないように常にEEを使い位置を変えている。

 しかし、ワンダのような察知力があればすぐに逃げられてしまうだろう。


 ところが、ユキコの関心はすぐに裏切られる。

 彼女たちは大事なことを忘れていたのだった。


 エルザとミヤコ、ユキコはは高速で移動し、星明かりの見える出口へ飛び込んだ。


「ちょっとぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!

 これ、外に飛び出しちゃったじゃないぃぃぃぃぃぃぃぃ!」


 彼女たちが忘れていたこと。

 彼は小鳥だということ。

 彼が言う『外』に地面があるとは限らない!

 超速で外に飛び出したユキコ、エルザとミヤコ。


「ワンダのあほぉぉぉぉ!私たち飛べないのよぉぉぉぉぉぉぉぉ!」


「いやいやぁ、翼がなくたって飛べるんだぜ!?

 よく自分を見たまえ!飛んでるじゃないか!」


「これは飛んでるって言わないのぉぉぉぉ!!!落ちているのぉぉぉ!!!」


 空中に浮かぶ巨大な浮島である宮殿。

 地下であってもそこは空中である。

 外壁から飛び出れば一キロ下の市街地へ真っ逆さまじゃない!


 ユキコは空中で足をバタバタを振り回し、対空時間を伸ばそうとする。


「あら、ユキコ、情けないわね。このくらいの高さ自力でなんとかできないの?」


 エルザの余裕たっぷりの声。

 ユキコは覚悟を決める。

 唯一の救いは自分の飛び出した方向が車道に面していたこと。

 そして、真夜中であり車が少なかったこと。


「できるわけないじゃないぃぃ!うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 ユキコは大声で叫びながら地面へ近づく。

 足を揃え、軽く曲げる。衝撃に耐えられる姿勢!

 ドン!っと爆弾を爆発させたかのように地面に着地する。

 地面はボコンと陥没する!

 ユキコはそのままゴロゴロと転がると受け身をとって、態勢を立て直す。


「ぬうぅんんんんんんんんんん!!」


 およそ、女とは思えない太い叫び声。

 道路には一直線に陥没している。

 隣を走っていたエルザはふわりと着地し、地面に傷跡を全く残していない。


「うぐぐぐぐぐぐぐぐぅぅぅ……!!!ゴッホ!ゲホゲホ!

 ………エルザ……どうやってそんな優しく着地できるのよ…………?」


「私には肉球があるから」


「肉球ごときでなんとかなるものなの……?」


「ごときって。あんたたち人にはない猫の特権を『ごとき』とは何事よ」


 ユキコは一生、優しく着地することなど無理そうだった。

 ユキコは自分の体でかわりになりそうな部分を探し、思いつく。


「お尻、もうちょっと大きくしようかしら」


 ユキコはほっぺたを触り困った乙女のような顔をしながら言う。

 ミヤコは呆れながら言う。


「バカじゃないの?尻くらいでなんとかなると思うの?」


「ならないかしら」


 ユキコは自分の尻を撫でる。

 ユキコ自慢のプリッとしたお尻。

 胸がない分、お尻にはかなり時間をかけて手入れしている。

 ミヤコはぷいっと顔を背けると言う。


「知らないわよ。あんたのお尻の弾力なんて。尻で衝撃が消えるわけもないけど」


「あら、あなたは私の尻の弾力を知ってるの?」


「……さっさと行くわよ。こんな大穴開けて、バレてない方がおかしいもの」


 ミヤコは後ろを振り返る。だが、すでに穴はふさがっていた。


「EEで勝手に元に戻るのよ。大通りだけだけどね」


「……EEの無駄遣い。EEは人のためだけにあるんじゃないのよ?」


「私に言われても。生まれたときにはこうなってたもの。

 それに、私は他の何も考えてない人間と違ってちょっと考えてることあるし」


「種族の問題なのに他人事とは、いいご身分ね」


「まさしく、いいご身分ですもの」


 ユキコはミヤコの忠告などどこ吹く風というようだった。

 ミヤコは最後のセリフに対してどういう意味と首を傾げている。

 エルザはそんな二人を見ながら嬉しそうに笑っている。


「さて、ミヤコ、エルザ、あとワンダ。

 さっさと行くわよ!ユウト落としたら承知しないわよ」


 ユキコはそう声をかける。ミヤコは明らかに不機嫌押すな顔をして言う。


「あんたが仕切るんじゃないわよ! 

 半獣のあんたはとにかくついてくればいいの!」


「はいはい!」

 エルザとユキコはスタートダッシュを切る。

 走っている車を次々と抜かす。

 ミヤコはユキコに大きな声で話しかける。


「ねぇ!全然追ってが来ないけど、あんたなんか知ってる?

 それとも、地下牢に閉じ込めて置かれているような人物、取り返す必要なんてないっていう判断なの?」


「多分違うと思う。

 エリュシダール家の尊厳を守るためにユウトの情報は秘密にされているのよ」


 ミヤコはぎらりとユキコを睨みつける。


「秘密!人間は本当に浅ましいわ。

 起きた事実を認めず裏に隠しておきながら、表面だけを取り繕う」


「そうね。それも人の一部だと思うわ。

 誰しもが他人の顔色を伺っているもの。

 でも、それだけが人ではないはず。私はそう信じている」


「あなたが、信じたところで変わりはしないわ。

 人にはゴミしかいないわ。自分が生き残ればそれで十分なんでしょ」


 ユキコは反論しなかった。

 ミヤコ、この人にもきっとなんらかの歴史があったに違いない。

 いろんな経験を経てこの結論に至った。

 でも、彼女がいくら人間を卑下しようと彼女は彼女自身が否定している人間そのものなのだ。

 

——きっと分かり合える部分もあるはず。


「門が見えてきたわ!あそこを越えれば街を抜けられるわ!」


 ユキコはそう言う。

 彼女たちの目の前にはこの街の入り口、大きな門が見え始める。

 宮殿の城壁よりは高くないが、鋼鉄によって加工されどっしりと分厚い壁は敵の物理・EE攻撃を全て受け止める。


 この国は昔からいろんな国から狙われてきた。

 EEを産出する権利を欲しい人間などいくらでもいたのだ。

 その都度、戦争になっていた。

 今ではわざわざ戦争して権利を奪おうと考える人間が少なくなったのか、外交でうまく交渉しているのか、敵が攻めて来ることはほとんどなくなっている。


 この、黒く、機能性のみが重視された重厚な城壁と門はその時の名残だ。

 ここは最近、景観のために修復され綺麗になっているが古い城壁が残っているところに行けば当時の戦闘の凄まじさを感じることができるだろう。

 “ギフト”を使った戦闘の一撃がどれほど重いのか。

 そこにある城壁から地面までいっぺんに削り取られた大穴が物語っている。


 そんな歴史ある城壁を破壊するのは不可能。飛び越えるしかない。


「とぶわよ!」


 エルザの掛け声。ドンっと地面を蹴る。

 十メートルはあろうかと言う城壁を軽々と飛び越える巨大な銀の猫。

 ユキコもエルザに続いて城壁を飛び越える。


 風が気持ち良い。


「首都脱出!外に出るのは初めてよぉぉぉぉ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る