Jeepers Creepers #2

 左舷市と聞いて誰もが思い浮かべる、観光に特化したオシャレな港町。それは左舷駅の隣、浜崎はまさき駅周辺の風景である。     

 その昔、貿易港を擁するこの地に西洋人が多く移住し、外国の文化が流入した。街には赤煉瓦や石造りの洋館が建ち並び、駅馬車が走り、喫茶店で背広の紳士たちが国際情勢について議論を繰り広げ、港からは汽笛が響き渡る……そういうところだった。


 今でも当時の面影が色濃く、あちこちに有形文化財に指定された洋館が残っている。そのうえ、海辺には市立美術館やイルカのいる水族館、灯台を模した展望台がそびえ立ち、観光客で賑わっている。レジャースポットは山ほどあり、挙げ出したらキリがない。

 そんな浜崎の街並みをぼんやり眺めながら南へ歩けば、国内最大級の中華街があらわれる。

 行列必至の小籠包店も、フカヒレや北京ダックを味わえる高級レストランも、食べ歩きにぴったりの肉まんや女子がスマホでバシャバシャ撮りまくるスイーツまで何でもある。旧正月には獅子舞も現れ、そりゃもうお祭り騒ぎらしい。

 そんなレジャースポットのそばにあり、華という文字を冠しながらいまいちパッとしない町……それが華汀である。


「なんでこうなるのよ」

「こっちの台詞だよ」

 半ば追い出されるようにしてジョージさんに見送られた俺たちは、互いをげんなりした顔で見やった。ちょうど新作の上映終了時刻なのか、映画館から出てきた人たちがぞろぞろと通り過ぎていく。

「ジョージさんに言われたら断れないってとこだけは、共通してるみたいね」

「そうだな。俺たちがふたりで散歩したって、毒になっても薬にはならない。俺は帰るから、君はテキトーに時間を潰して店に戻ればいい」

「待ってよ、なに勝手に仕切ってんの? 郷に入っては郷に従え、でしょ。あなた、左舷市民にとっては異邦人なんだから」

「異邦人って」


 呆れる俺をよそに、ロッカは髪の毛を結び直す。高い位置でポニーテールをつくると、映画館から向かってくる人の流れに逆らって歩き出した。

「ついて来て。私、左舷市観光案内の資格持ってるんだから」

 案内人のプライドか、それとも別の意地か。急にロッカの背筋が伸びたようだった。コレに付き合いさえすれば、多分あらゆることが丸くおさまる。そう自分に言い聞かせて、しぶしぶ彼女に従うことにした。


「そんな服、どこで買うんだよ」

 ロッカの装いはどことなく古めかしく、どことなく幼なかった。紺色のラインが入ったセーラーカラーと、リボンタイのついた白いワンピース。その裾から伸びる、くるぶし丈の靴下とてかてかのストラップシューズを履いた脚が、確固たる歩調で前をゆく。

「古着屋さん」

「ふーん……」

 間が持たない。黙ってついていく。


 やがて商店街から脇道へ入ると、見るからに急な傾斜の坂道が現れた。

 軽トラが辛うじて通れるぐらいの道幅で、灰色コンクリートの地面には、滑り止めのドーナツ型の窪みが水玉模様を描いている。坂の左右には雑木林やぼろアパートが連なり、この高台に観光スポット的なものがあるとは思えない。

 案内人がすたすたと上りはじめたので「マジかよ」と声に出そうになったのを飲み込む。一歩踏み出すたび、革靴の甲のあたりにしわが穿たれ、スニーカーで来るべきだったと後悔した。


「そもそも、左舷市っていうのは」

 坂の中腹あたりで、ロッカが口を開く。最初こそ軽快だった彼女の歩調も、重苦しくなっていった。

「昔、船の櫂は右舷の後方にあったから、右舷を着岸させるのは何かと危険で、左舷から昇降したり荷下ろしをするのが主流だったの。日本の船がどうだったか知らないけれど、西洋圏はそうだったらしくて……左舷は英語だとportなの」

 息が切れてきた。太ももの筋肉にかかる負荷が凄まじい。日頃の運動不足がたたっているのだろうか。


「そこから転じて、貿易港を擁する、この土地の名前になったって、いうのが定説」

 息継ぎの合間になされる解説が一通り終わっても、坂道はまだ続く。ときどきパンプスから浮くロッカの踵が視界に入ったが、気付けば横に並んで上っていた。案内人、減速している。

「なんでこんな、坂道なんかを」

「洗礼よ、洗礼」

「洗礼ならワインで十分だ」

「まったく、いつまで」

 根に持ってるの?

 たぶん、そう続くはずだった言葉が、彼女の喉につかえた。


 ただでさえ湿気た天気をしているのに、全身がじんわりと熱くなり、こめかみから首筋へ汗が伝う。もう少し、と思うほど足が鉛のように重くなり、傾斜がキツさを増していく気がする。

 のこり数歩、というところで、ロッカがパンプスをぱかぱか言わせて駆け上がったのにつられ、大股で強引にのぼり切った。

 来た道を振り返り、思わず感嘆する。


 古臭さと真新しさが入り混じる、港町が眼下に広がっていた。

「昔は船着き場とか、なんなら水平線だって見えたけれど、高い建物が増えちゃったから」

 中丸シネマズやマリンモール、長く連なる商店街の雨よけ屋根の向こう側に点在する、観光スポットや高層ホテルが見てとれる。繁華街や海辺の埋め立て地のあたりには、たしかにビルやタワーマンションが立ち並んではいるものの、申しぶんのない景色だ。

 いくらかのあいだ景色を眺めていたが、そのうちにロッカが歩き出した。大人しく彼女についていく自分が妙である。


 高台には、平地とは全く違う空気が流れていた。小金持ちが建てたであろう洋風な家々が並び、上品で小奇麗な様相を呈している。

 その中にぽつぽつと史跡や飲食店も入り混じり、観光客の往来も少なくない。かと言って猥雑な騒がしさは無く、閑静な住宅街の雰囲気を保っていた。


「あなた、外国人なの?」

 通り掛かったガレージに駐車されたアストンマーティンのDB5に気を取られている時、半歩前を歩くロッカが出し抜けに聞いてきた。一瞬意味が分からず、眉をひそめる。

「ケリーって呼ばれてたでしょ」  

「あだ名だよ。レミーは玲美で、俺は啓吏けいり

「あまり聞かない響きね。どういう漢字で書くの?」

「啓示とか啓発の啓に、使うの右側」

 関心があるのかないのか、適当な相槌が返ってくる。この話題はもう打ち切ってもいいはずなのに、ちょっと試しに言ってみたくなった。


「両親は古い洋画が好きで、ジーン・ケリーを由来にしたかったらしい。こじつけもいいところだ」

 前を向いてすたすた歩いていたロッカが、くるりとこちらを見る。興味がありそうなかんじだ。

「姉はマリリン・モンローから拝借してりんになった。『紳士は金髪がお好き』は観た?」

「モンローが、金持ちに目がない女を演じたやつでしょう」

「そう。アレの『Diamonds Are a Girl's Best Friend』をアホほど聴いたおかげで、姉は銀行マンと結婚した」

 ロッカは息がもれるのを抑えるようにして、にやりとした。笑ってしまったのが悔しい、という様子だったので、なんとなく勝った気になる。


 そうして歩いているうち、教会が現れた。壁面に連なるステンドグラスを縦格子越しに見つけて、足をとめる。俺が口を開く前に、ロッカが言った。

「一緒でしょ、あなたたちの職場と」

 縦長具合も、彩りもまったく同じだ。


「この教会を設計したのはヨーロッパの人なの。いわゆるお雇い外国人ね。ステンドグラスは一緒に来日してた専門の職人に発注したんだけど、それをきっかけに日本でふたりの交流がはじまって、組んで仕事をするようになったの。その建築家の弟子についていた日本人が、はじめて設計した建築がキネマ華汀。とは言っても、最初から映画館として設計されたわけじゃなくて……っていうのはまた別の話ね。さあ建てるぞって頃にはもう、建築家の師匠は流行り病で亡くなっていて……彼への尊敬とオマージュをこめて、例のステンドグラス職人に、この教会と全く同じものを注文したの」


 ツアーガイド解説に関心する客みたいな声が、無意識に出た。ロッカがしたり顔で顎をもちあげる。

「こんなこと、上司はわざわざ教えてくれないんじゃない? 知っておいて損はしないでしょ」

「……うん、フツーに勉強になった」

 両成敗って気がする。上手く言えないけど。


 こういう調子で、外国人が住んでいた無数のお屋敷の側を通り過ぎていく。建物の中を自由に見学できるところはいくつもあったが、どこもまあまあな混雑だったので遠慮しておいた。

 じんわりとした暑さの中、どちらからともなく「一息入れよう」ということになり、手近な喫茶店に入る。その店も洋館を改装したもので、古めかしくも品のある雰囲気だった。

 冷たい紅茶かコーヒーでいいやと思いつつ、メニューにクリームソーダを見つけて妙に惹かれてしまい、注文。便乗するように、ロッカが「じゃあ、私もそれで」と頼んだ。

 ほどなくして、柄のついたグラスでクリームソーダがふたつ運ばれてきた。メロンソーダの上に氷山のごとく浮いているバニラアイスと、真っ赤なチェリーを前に年甲斐もなくニヤついてしまう。

 パフェ用のスプーンでアイスをすくって口に運べば、さらに口がゆるむ。


「君がさ、ネットに俺たちの悪口を書くんじゃないかって、ひやひやしてたんだよ」

 ロッカはアンニュイな顔でチェリーをもぐもぐやり、ヘタと種を紙ナプキンに包んだ。俺は最後までとっておく。

「私、パソコンも携帯電話も持ってないの」

「うそだろ、このご時世に」

「だって、無くても生活できるわ。それに」

 大学生ぐらいの女子グループが、スマホでデザートか何かの写真を撮るシャッター音が響く。


「ダサいじゃない、あんなの」

 スティーブ・ジョブズが不憫になるほど、事も無げに言い放たれた。

「えっ、だって、じゃあ連絡手段は? 家電いえでん?」

「そうね。アンティークショップで一目惚れしたフランス製のダイヤル式電話機を持ってて、一応ちゃんと繋がるけど、ほとんど置物になってる」

「待ち合わせする時とかどうすんの」

「私、お友達いないもの」

「親とか」

「両親は揃って海外赴任してる。ジョージさんには徒歩一分で会えるし、何も困らないの」


 すべての問いかけに、ロッカはあっけらかんとして答えた。ロッカは俺を異邦人呼ばわりしたが、俺にとっては彼女が異邦人である。

「そんなものなくたって、私の生活は破綻しないわ」

「だったらいいけど」

 ロッカはレトロな口調をしているが、あまり気にならない。いわゆる「女性言葉」なんて、年配の人でなければ字幕か吹替えの台詞でしか見聞きしない。彼女はおそろしいほど違和感なく、それをくちびるに乗せた。


 喫茶店を出て、ふたたび散策をはじめる。とりわけ洋館が密集し、観光客で賑わうエリアは、俗っぽい雰囲気もありつつ、一層華やかなロケーションだった。

 今更ながら気づいたのだけれど、観光客のカップル率が高い。手を繋いだり腕を組んだりして、どことなく甘えた調子の会話をしている男女で溢れている。いったいどこからどうやって登ってきたのか、駐車場には観光バスの姿もある。そんな中、俺たちは目に入ったものに対してぽつぽつコメントを交わし、他人行儀の距離感を保って歩いた。


「この辺りだと、あとはもう住宅街だわ。降りましょう」

 緑が生い茂る公園に入り、先ほどの急勾配な坂とは比べ物にならないほどゆるやかな階段をくだる。両脇には紫陽花が咲き乱れ、こちらになだれ込んできそうなほどだった。

 淡い青とも紫ともつかない花の中を、ロッカがぽんぽんとリズムよく降りていく。そのたび、ワンピースの裾がにわかに風をはらむ。ふと顔をあげれば、木々の間から町並みが覗いた。


 降りきって公園を抜け、商店街を横切り、浜崎方面に向かって進んだ。少しずつ現代的な街並みになる。

 とは言っても観光都市の様相は崩れず、高層オフィスビルの間に領事館として使われていたスパニッシュ様式の建築があったり、ギリシャの神殿のような厳めしい柱をもつ石造りの銀行が鎮座していたりする。

 そんな観光客の目を引くものが現れるたび、その概要やうんちくを簡潔すぎず冗長すぎず、ロッカが語る。


「そういうのはどこで覚えた? 地元だからって、身に着くものでもないだろ」

「通ってた商業高校で、市が独自に発行してる観光案内の資格を取得する授業があったの。合格すれば単位が貰えたから」

「そのスキルを活かせる仕事も、たくさんあるんじゃないか。ジョージさんの店もいいけど」

「考えなかったわけじゃないわ。さっき見てきた洋館の従業員とかもいいなって思ったけど、ほとんどボランティアか、市の最低賃金のところばっかりで」

「じゃあ、ああいうのは?」

 たまたま、車道を挟んで反対側の道をぞろぞろ歩くツアーガイドの集団を見つけて指を差した。大手旅行会社のツアーだ。引率の女性はうさんくさいショッキングピンクの制服を着て、同じ色の旗を掲げて客を先導している。


 それを見て、ロッカはあからさまにうんざりした顔になった。そして「ああ……」と嫌悪の滲む声を出したので、とっさに打ち消す。

「わかった、違う、違うんだよな。だって」

 やたら早口になってしまう。ロッカの円い目がこちらを向く。

「君には似合わない」


 どうして、こんな台詞が?

 一瞬、時間がとまった心地だった。

 ロッカがその間を打ち消すようにして、くすりと笑う。

「そう、似合わないの」

 ロッカはたぶん、世の中をとりもつ、目に見えない空気をものともしないのだ。ただ毅然と構えて、自分の時間をすごしている。もっとも、彼女はそんなことを意識してはいないのだろうけれど。


 海浜公園も賑わっていた。海を臨むベンチがずらりと並んでいるが、隙間なく人々が腰を落ち着けている。自撮り棒を持った外国人や、犬の散歩をする地元人や、ギターの弾き語りをするアウトローっぽい人。みんな全く自由だ。

 俺たちは波打ち際の柵に沿って、そぞろ歩いた。すっかり夕暮れ時で、曇り空の中に橙色とも桃色ともつかない色がぼんやりと滲みだしている。ミュージカル映画黄金期の、バカでかい撮影セットのようによくできた景色だ。


「明日は早番かあ」

 観光客のざわめきと、すぐそばで砕け散る波の音に哀愁を見出し、独り言ちる。

「私なんて、このまま出勤しなきゃいけないのよ」

 潮風に揺れる時代錯誤なデザインのワンピースは、彼女によく似合っていた。セーラーカラーが水兵を思わせ、風景と調和する。

「そういえば、ジェージューロク、いや、シックスティーン?」

「ジューロク」

「店名の由来は?」

「そのうちピンとくるはずよ」

「Jはジョージさんの頭文字かなと思ったんだけど」

「たまに言われる。でも不正解」


 店名を口の中で繰り返してみても、暗号めいた響きに惑わされるばかりだ。「すごい顔」と指摘されたが、どんどん渋い顔になっていくのが自分でもわかる。

 そんな俺の逡巡を断つかのように、野太い汽笛が二度、響き渡った。

 それが鳴り終わると、ロッカが歩みをとめる。


「今更かもしれないけど、この間はごめんなさい。あなたには何の恨みも無いけど……坊主憎けりゃ袈裟まで、ってやつよ」

「君がもういいなら、俺もどうでもいいよ。怒るの疲れるし」

「なにそれ」

 潮風に前髪がめくれ上がり、ロッカの額があらわになる。


「ねえ、啓吏くん」

 大きな波が防波堤に叩きつけられ、しぶきがぽつぽつと降りそそぐ。

「市内にね、まだフィルム上映をする名画座があるの。今度連れていってあげる」

「本当に? ぜひ頼むよ、封切館にしか行ったことがないんだ」

「それとね」


 ロッカは風に乱れる髪をおさえて取り澄まし、しかし何だか困ったように笑う。

「あなたが私のことを君って呼ぶの、いいと思う」

 映画の中の男女の出会いってやつは、突拍子の無い最悪のシチュエーションがセオリーである。

 いや、でも、それにしたって……

 夕暮れの港町に灯りはじめた光が、彼女の背で潤んでいた。

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