聖女の秘密は秘密です


 メルヴィナが魔物に拘束されたまま転移したのは、薄暗い森の中でも、肌寒い洞窟の中でもなく。ましてやカビ臭い地下牢の中でもなかった。


「ここは……」

「ようこそおいでくださいました、聖女メルヴィナ・リストーク様」


 周りを見渡せば、暖かい橙色を基調とした、かわいらしい部屋の中だった。

 まるでどこかの貴人の部屋だ。それも、女性の部屋。だって、置いてある小物がみんなかわいらしいから。ソファには苺を模したクッションまで置かれている。

 しかし、今メルヴィナに声をかけてきた人物は、絶対にこの部屋の主ではないだろう。

 黒いローブで姿を隠していても、声までは隠せない。男の野太い声は、この部屋の暖かさとは無縁の、あまりに無機質な声だった。


「あなたを迎えるにふさわしい場所がありませんでしたので、こちらのお部屋を貸していただきました。依頼主の仕事が終わるまで、しばらくこちらでお待ちください」


 男はそれだけ言うと、小さく何事かを呟く。魔術だ。メルヴィナを連れてきた魔物が、一瞬で指輪のような形になる。男がそれを指にはめた。

 メルヴィナは信じられないものでも見るように目を瞠る。

 

「あなた、魔術師、ですよね?」

「ええ、そうですよ」

「どうして魔物を……」

「ああ、これですか」


 男が、指輪をつけた指を掲げた。それは、なんの装飾もない、質素すぎる黒い指輪だ。


「苦労したんですよ。魔物を操る術式の開発には。いったい何人の同僚と無関係な人間が犠牲になったことか」


 くく、と男が喉奥で笑う。


「魔物を、操る?」

「でもまあ、おかげで完成しました。これもひとえに、金と生贄を集めてくれた依頼主様々です。これで僕を変人扱いした人間どもを、たっぷりと恐怖に貶められる!」


 あははは! と高らかに叫ぶ男を、メルヴィナは困惑した瞳で見つめた。男の言葉が理解できなかったのだ。だって、魔物を操る? しかもそのために、何人もの人たちを犠牲にした? それを、どうしてこの男は、誇らしげに語れるのか。それが理解できなかった。


「呆然としたお顔ですね。あなたも、この素晴らしさを理解できない人間ですか」


 まあいいでしょう、と男が背中を向けた。

 理解なんてできるはずがない。しかし、興味を失ったように部屋を出ていかれそうになって、メルヴィナは慌てて呼び止めた。


「あなたは! いえ、あなたたちは、いったい何が目的なんですか」

「さあ? 何が目的なんでしょうね。自分で考えてみたらどうですか」

「……じゃあここはどこですか」

「それも、残念ですが教えられるわけがないです。あなたはただ、ここで大人しく待ち、我々の要求を飲んでくれるだけでいいのです」


 それだけ言うと、男は無慈悲にもさっさと退室してしまう。メルヴィナの混乱はピークに達していた。


(ここで大人しく待てですって? そんなのふざけるなって話だわ。でもどうすれば……。とりあえず、落ち着かなきゃ。こういうときこそ落ち着いて、現状を把握するの)


 大丈夫、と無意識に呟く。


(アランならきっと気づいてくれる。ちゃんと助けに来てくれる。問題は、それまでどう持ちこたえるかよ)


 どうやって、敵の思惑を阻止するか。考える。言われたとおりに待ってやるほど、メルヴィナは大人しい性格ではない。


(それと、現在地の把握もしたいわ)


 そうなってくると、やはりこの場所からは逃げなければ。

 敵はメルヴィナを侮っているのか、手も足も縛られていない。

 その代わり。


(……やっぱり、見張りはいるわね)


 扉に耳をつける。外から人のくぐもった声が聞こえてきた。魔術師が外に出たとき、鍵の閉まる音も聞こえたので、おそらく外から施錠もされているだろう。

 メルヴィナは、早々に扉からの脱出を諦め、部屋の中心へと戻った。


(さて、どうしましょうか)


 浄化の力を持つ以外、メルヴィナはいたって普通の女だ。いや、王女でもある彼女は、庶民の女性よりも役立たずだろう。力はないし、体力もない。


(でも)


 王女だからこそ、この部屋は、メルヴィナにとって自分のテリトリー内のようなものだった。


(あれはルロワテーブル。繊細な細工が美しいと有名な、高級家具よ。トーマス・ルロワの手がけた家具は、私も持ってる)


 特に価格は知らないけれど、王女の部屋にあるものだ。それなりに高価だろう。

 つまり、それと同じ職人が手がけた家具があるここの部屋は、やはり貴人の部屋で間違いない。

 そして、貴人の部屋といえば、隠し通路が付きものだ。

 メルヴィナは、それこそ床に這いつくばることも厭わず、必死に通路を探した。

 時間が経てば経つほど、心に焦りが募っていく。そのたびに深呼吸をして落ち着かせた。

 大丈夫、大丈夫。

 何が大丈夫か、なんて。メルヴィナにも分かっていないけれど。

 

(――み、見つけた!)


 やがてメルヴィナは、本棚の下にある小さな戸棚の奥から、風の通り道を見つけた。思ったとおり、隠し通路はあったのだ。

 目前に、先の見えない、暗い道。


(さて、覚悟を決めなきゃね。隠し通路は迷ったら最後、最悪、外に出られなくて餓死決定……)


 少なくとも、ヴェステル王宮の隠し通路は、そういうふうに造られている。知らない人間が通れば、複雑すぎる道のせいで迷うことは必至だ。

 

(でも、いつまでもここにいるわけにはいかないわ。――っ女は度胸よ!)


 自分を叱咤して、見つけた通路を進んでいく。

 灯りは部屋にあった燭台を借りた。迷っても引き返せるように、これまた部屋にあった大量のビーズを借りている。どうやら部屋の主は、刺繍が趣味のようだ。それ用の道具がいくつも揃っていた。

 その小さくてカラフルなビーズを、メルヴィナは点々と落としていく。

 敵に自分の居場所を教えてしまう諸刃の作戦ではあるけれど、餓死よりはマシだと思うことにした。

 

(一番いいのは、これで外に出られたら)


 外に出られたら、誰か他の人間に助けを求めることができる。

 周りが何もない場所に出たとしても、身を隠しやすくはなる。

 でももしも、同じ建物内の、別の場所に出たら?

 それが二番目に怖かった。一番は、言うまでもなく餓死である。

 

(でも、本当に何が狙いなのかしら)


 メルヴィナは、思い出したように黙考した。

 連れ去られた彼女は、殺されるでもなく、縛られるでもなく、ただ部屋に置いておかれた。

 そういえば、と魔術師の言葉が蘇る。彼は誰かのことを〝依頼主〟と呼んでいた。そいつのおかげで、術式が完成したのだと。


(依頼主ということは、あの男は雇われた人間。術式開発の費用が対価なのだとしたら、その依頼主のほうは、私を連れ去ることを魔術師に要求した……?)


 なら、その依頼主こそが、聖女を狙ったということになる。


聖女わたしに、何かさせたいことがある?)


 わざわざ連れ去る意味が、それ以外には見当もつかない。

 じゃあ、何をさせたいのだろう。


(自慢じゃないけど、私にできることなんて浄化くらいよ?)


 悲しいことに、本当にそれだけだ。胸を張ってこれが得意ですと言えることなんて、他には何も浮かばない。

 が、ここで閃くものがあった。


(違う、待って。そういえば、もう一つだけあるわ)


 聖女にしか、できないことが。

 でもそれは、聖女のみが知る、決して漏らしてはいけない秘密だ。

 だから、それを聖女以外の人間が知っているはずもないのだが。

 メルヴィナだって、アランにさえ打ち明けていない。


(そうよ。だってあれは、聖女の秘密なんだから)


 なのに嫌な予感が拭えなくて、メルヴィナは額から汗を垂らした。

 一つ目の出口に辿り着いたのは、そんなときである。

 

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