聖女は魔術師に悩みを打ち明けます


「まさか……」

 

 その呟きだけで、メルヴィナはエレーナが正解に辿り着いたことを知る。

 あまりにも早い解答に、意図せず苦笑してしまった。


「王女……そう、そうでしたわね。昔と違い、貴族の政略結婚は大きく減りましたが、王族ともなれば、まだ……」

「『旅が無事に終わったとき、勇者にはおまえをあてがおうと思っている』」

「! それは、ヴェステル国王が?」

「はい」


 頷きながら曖昧に微笑むメルヴィナの瞳には、諦めのようなものが滲んでいた。

 


 ――〝許せ、メルヴィナ。おまえにばかり苦労をかける、不甲斐ない父を〟



 おまえの結婚相手は、勇者だと告げられた。

 エレーナの言うとおり、ここ数年は、貴族でも恋愛結婚が多くなっている。そんななかでの政略結婚だ。だからこそ父は〝苦労〟と言ったのだろう。

 自分の娘が聖女でなければ、あるいは好きなようにさせてあげられたかもしれない。その思いがあるせいで、父はよくメルヴィナに申し訳ないと謝ってきた。


(おかしなお父様)


 メルヴィナは思う。だってそれは、父のせいではない。母のせいではない。メルヴィナが聖女として生まれてしまったのは、誰のせいでもないのだから。

 メルヴィナは、誰のことも恨んでいない。


「ですがメルヴィナ様、それをジル様はご存知ですの? ジル様が断れば、そのお話もなくなるのでは?」


 確かにそうだろう。その可能性もある。

 が、メルヴィナは首を横に振った。その可能性は、低いのだと。

 

「王宮では、真しやかに囁かれておりました。聖女と勇者が結ばれれば、それは平和の象徴となり、国民に大きな安心感を与えるだろうと」


 つまり、たとえジルが嫌がっても、周りがそうさせないだろうとメルヴィナは思っている。

 しかも婚姻という形で勇者をヴェステルに繫ぎ止めることができるのだ。ヴェステルの貴族たちが、勇者という大物をみすみす逃すはずがなかった。


「だからこそ、私は知られるわけにはいかないのです。アランにも、祖国の貴族たちにも。知られてしまえば、アランを私の護衛騎士として控えさせてくれなくなります。アランも、王族の義務を果たさない私など、主として認めてはくれないでしょう」


 その昔、姉のように慕っていた人が言っていた。


『いーい? かわいいメルヴィナ。あの男に気を許しちゃだめだからね。あの男は、甘い仮面で人を騙して見下すのがだぁい好きな、性悪男なんだから』


 初めてメルヴィナがアランと出会った日に、ものすごい剣幕で現れた彼女に、メルヴィナは何時間にもわたって彼の過去の所業を教えられることになっていた。


『私もね、あるとき、あなたが言われたことと同じことを訊かれたの。突然だったから、正直にこう答えてやったわ』


 曰く「はあ? 聖女の役目? 何それお金になんの?」と。

 メルヴィナが姉のように慕っていたその人は、どうやら貧窮孤児院で育ったらしい。何よりもお金を愛する人だった。


『そしたらあんの腐れド畜生、なんて言ったと思う!?』


 やや興奮気味に顔を近づけてきた彼女は、今ではもう実体がないはずなのに――ようは霊のような存在だ――なぜか荒い鼻息を感じた。


『お金になるかもしれませんね、だよ!? めちゃくちゃ良い笑顔で! 不覚にもきゅんときたわ! ――っなのに、一銭にもなりゃしないってどういうことよッ!?』


 これまでの付き合いから、彼女が相当の守銭奴であることを知っていたメルヴィナも、さすがにこのときばかりは言葉を失った。

 でも、彼女が急に、真面目な顔をするから。メルヴィナは別の意味でも言葉を失った。

 いつも明るく賑やかな彼女とは、まるで正反対で。


『もう一度言うわよ、私のかわいいメルヴィナ。冗談じゃなく、あの男にだけは近づいちゃだめ。いったい何を探しているのか知らないけど、自分の理想と違うと判断すれば、あいつはすぐに非情になれる男なんだから』


 〝だからもしこの先、あいつがあなたを気に入って、あなたの前にまた姿を現すことがあったとしても――〟


(心を、許してはだめ。いつか『違う』と捨てられて傷つくのは、あなたなんだから――だったわよね、ヴィラ)

 

 分かっている。だから、こんなにも怖いのだ。

 いつか想いがバレて、自分の役目も全うできない王女せいじょなのかと、蔑んだ目で見られることが。

 心に残っている、ヴィラの寂しげな表情が忘れられない。


『私はさ、あいつのこと、かなり変わった友人だと思ってたんだけどなぁ』


 どうやらヴィラは、彼女の言う〝捨てられて傷ついた〟側の人間らしい。

 その問いを向けられるまで、彼は暇つぶしのように孤児院のことを手伝ってくれていたらしく、良い友情関係を築けていたと思ってたのに、と彼女はこぼした。

 その話を聞いたとき、いったい彼はいくつなのだろうと、素朴な疑問を感じたりもしたが、それよりもこの賑やかな友人にこんな顔をさせる〝あの男〟という人物に、このときのメルヴィナは純粋な興味を抱いた。

 それがまさか、二度目の出会いであんなことになろうとは。


(ごめんね、ヴィラ――先代聖女様。あなたの言ったとおりにはならなかったけれど、でも、あなたの言ったように、もっと早く離れておくべきだったわ)


 そうしていれば、こんなに苦しむこともなかっただろう。

 そうしていれば、自分がこれほど醜い女だと気づくこともなかっただろう。

 だって、メルヴィナは願ってしまった。自分が政略結婚をした後も、彼に――アランに、己の護衛騎士としてそばにいてほしいと。それはつまり、アランを自分に縛りつけることと同義である。

 さすがにアランの結婚まで縛るつもりはないけれど。それでも、あれだけ優秀な人材を、役目を果たした女につけるのはもったいないと誰もが思う。きっと本来なら、王太子である兄の騎士になるべき人だ。

 でもメルヴィナはそれが嫌だった。彼が誰か他の女性のものになったとしても、せめて自分の騎士ではあってほしい。

 そう、願ってしまった。


(私は浅ましい人間だわ。クラウゼ様にも酷いことをしようとしてる。それでも……あの優しくて寂しい人を、失いたくないのよ)


 ぐっと、奥歯に力を込める。

 だから今は、せめて。

 せめて、彼に求めてもらえる自分で在らなければならないと。

 

「エレーナ様、どうか、どうか教えてください」


 膝の上で握った拳は、不安を表すのように震えている。


「どうすれば私は、アランの尊敬するままの私でいられますか。私は、自分で自分を見失うわけにはいかないのです」


 いつか、自分でこの感情を、コントロールできなくなるような。そんな事態に陥って、みっともなく彼に縋るわけにはいかないのだ。

 行かないで、と。

 離れていかないで。見限らないで。私を嫌いにならないで――と。

 そんなこと、口が裂けても言えないのに。

 でももし、今、彼に嫌われてしまったなら。


(きっと私は、人形にすら、なれない)


 いつのまにか料理は冷めていて、部屋の中には重い空気が漂っている。

 エレーナは、自分よりも年下の、けれども自分よりも重い責任を背負って生きていかなければならない少女の未来を思って、その華奢な身体を抱きしめた。


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