S1 Episode3 遭遇

s1 ep3-1

 中野の部屋には──と言いたいところだけど、正確には中野の部屋とは言い難い。

 何しろ、中野は家賃を払っていない。

 前のアパートに住めなくなったことも、一般的な賃貸物件に比べてちょっと不便な生活をしなきゃならないことも、たまに身の危険にさらされることも、みんな自分のせいだからと言って同居人が家賃どころか光熱費すら徴収してくれない。

 そもそも、それらの契約がどうなってるのかも中野は知らない。

 古びた建物の一階は、廃業して久しい風情の定食屋『いづみ食堂』。二階と三階は和室と洋室を備えた昭和感溢れる2DKで、今は中野が二階を借りてる形になっていて、三階の住人は募集してない。

 実際に住んでるのは地下だとしても、二階の家賃や光熱費は一体どうなってるのか。

 坂上本人か、もしくは坂上が所属する何らかの組織──そんなものがあるのか、フリーランスなのかも知らない──の持ち物だとかで、支払いは不要だったりするんだろうか。

 何ひとつわからないまま、中野の支出はせいぜい食費くらい。

 カネが貯まると喜ぶべきなのかもしれないけど、貯めたい目的も特にない。地面に根の生えたお荷物に縛られるなんて真っ平ご免な中野は、持ち家派でもない。

 箱だけじゃなく中身も欲しくない。根の生えてない荷物にも縛られたくない。

 大きな買い物をする予定もなければ家族を得る予定もなく、つまりカネを貯めることに意義を見いだせない。あとは老後に備える程度しか思いつかないけど、できれば長いセカンドライフは過ごしたくない。

 それに、誰にともなく言い訳しておくなら貯蓄がないわけでもない。一応、それなりの給料も貰ってるから、浪費する宛てがなければカネなんてのは勝手に貯まっていく。

 けど、それで?

 もしかしたら唐突に明日を奪われかねない生活を送ってるのに、カネが貯まるからってそれが何なんだ?

 とにかく生活費がかからないこの状況は、自分がヒモにでもなったようで中野としては納得いかないわけだった。

 坂上が何も教えてくれないことに不満はない。

 今に始まったことじゃないし、身の危険があるらしいことも、なのに何も知らされないことも、全て承知の上でここにいるんだから文句はない。

 でもアラフォーリーマンとしてのプライドみたいなものは考慮してほしい。つまり、自分の生活費くらいは自分で払いたい。

 なのに坂上ときたら、だ。

「そろそろ、せめて光熱費ぐらいは請求してほしいんだけどな」

 テーブルの対岸で中野お手製オムライスをもりもり食ってる坂上は、無言で寄越した目をそのままテレビに戻した。

 ついさっきまで天板と中野の間で息を乱してたくせに、終わった途端に不本意そうな面構えで床に降りた坂上は、黒いボクサーブリーフを穿くなり「腹減った」とひとこと漏らした。

「何が食いたい?」

「何ができるんだ?」

 中野は冷蔵庫を覗いて思案した。

「そうだな、オムライスか……」

「オムライス」

「あとはね」

「オムライス」

「あ、そう?」

 ──で、中野がオムライスを作る間、直前まで自分が抱かれていたテーブルでボトルビールを傾けながら、坂上はテレビの料理番組を眺めていた。よっぽど腹が減ってたんだろうか。

 しかし勿論、できたてのチーズがけデミソース卵とろとろオムライスを目の前まで運んでやったって礼のひとつ言うでもない。

 それでも早速ひと匙頬張りつつチラリと見上げた目は、礼も言えない自分を何とも思ってないわけじゃない──そんな色が浮かんでるように見えなくもなかった。

 そして話は生活費云々に戻る。

「なぁ聞いてる? 俺は自分が生きるためにかかるカネぐらい、自分で」

「何の意味があるんだ?」

 坂上が遮った。

「カネはカネだ。誰が払うかなんてくだらないことに拘る必要がどこにあるんだ?」

「さすがにそれを言ってしまうとさ」

 中野は肩を竦めてから続けた。

「何のために仕事をしてるのかって話になるよね。俺は自分を生かすために働いてるのであって、じゃあ毎日スーツ着て出勤してる意味は──」

「だったら辞めればいいんじゃねぇの」

 投げ出すように坂上が言った。

「スーツ着て出勤する意味? 俺に言わせりゃ、そんなものに意味はねぇ」

「だろうね」

「あんたを生かしてるのがあんた自身じゃなくて俺なら、カネを払うのが俺ってことで文句ねぇのか?」

「うん……?」

 その言葉の意味を中野が考えてる間に、坂上は失言を悔やむかのような風情でほんの少し眉を曇らせ、忘れてくれ、とオムライスに目を落とした。

 それから、いつもどおりの抑揚に欠ける声でこう続けた。

「まぁ、あんた──スーツ似合ってるしな」

「あぁ、そう?」

「やっぱり、サラリーマン以外の身分は似合わない」

「さっき、あんたが俺を養うって言った?」

「忘れてくれって言ったよな?」

 坂上はそれ以上喋るのをやめて、ガツガツと皿の中身を平らげた。

 そして食い終えた食器類をシンクに運ぶでもなく、ふらりと立ち上がって隣室のマンターゲットに数発ぶっ放したかと思うと、黙ってバスルームに消えた。

 気のせいか若干イラついて見えた背中を見送ってから、中野は何となく、テーブルでのセックスに縺れ込む直前のやり取りを思い出していた。


「なぁ訊いてもいい? あんたの銃、安全装置とかどうしてんの?」

 そう尋ねたのには理由があった。

 今週に入ってからずっと姿が見えなかった坂上は、昨夜中野が帰宅したとき、ベッドで俯せに寝そべっていた。

 眠ってたわけじゃない。目は開いていて、枕の下に手を入れていた。でも中野の顔を見ると、その手を引き抜いて大欠伸をひとつ漏らした。

 それから気が緩んだように寝直そうとするところに近づき、身体を覆う肌掛け布団を剥ぎ取って中野はのし掛かった。

 そこまではいい。問題はそのあとだ。

 彼がシャワーを浴びてる間に何気なく枕を持ち上げてみると、なんとそこには二丁の鉄砲が身を潜めていた。黒いヤツと銀色のヤツだ。中野が帰ったとき枕の下に入っていた両手は、コイツらのどちらか、もしくは両方を握ってたってことなんだろう。

 さすがにこれは、と思ったものの坂上は疲れてるようだったし、だから昨夜は口にしなかった。

 で、今朝もまだ死んだように眠ってたから起こさないよう注意して出勤し、帰宅したときにはようやく覚醒していたから安全装置のことを尋ねたら、坂上は数秒の沈黙のあと短くこう返した。

「急に何だ?」

「いや、何ってこともないけどさ……あんたとやってる最中、やっぱり気になるし」

「安全装置だって万全じゃねぇ」

「いや、確認したいのはそこじゃないっていうか、今の言葉で余計に不安になったよ」

「どうしろって言うんだ?」

「ここにいるとき、そんなに警戒する必要ってある? それか、一応ふたりで住む部屋なんだからベッドがもうひとつあってもよくない?」

「部屋が狭くなるだろ」

 それって、射撃部屋が場所を取ってるせいだよな──?

 中野は思ったがそれ以上言うのはやめて、枕の下を気にする必要のないテーブルで坂上を抱いたというわけだ。


 ひょっとして、あのやり取りの辺りから何かイラついてんだろうか。

 確かに平素から愛想の欠片もない坂上だけど、今日の言動は端々に仄かなトゲを孕んでた気がする。

 ──枕の下に玩具を隠してることを咎められたくらいで?

 が、結局は考えたってわからないから、とりあえず目の前にある、舐めたように綺麗さっぱり食い尽くされたオムライスの皿を片付けることにした。

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