中野くんと坂上くん

M06

Season1

S1 Episode1 はじまり ─序章─

s1 ep1-1

 中野なかのみなとの部屋には、半年くらい前から居候が棲みついてる。

 名を坂上さかがみという。

 下の名前は知らない。教えてくれないし、知らなくても別に不自由はしてない。


 そもそも、出会った場所がアパートの最寄り駅である中野坂上エリアで、たまたま中野の苗字が駅名の上半分だったから適当に下半分を使った可能性が濃厚だった。

 というより多分そうなんだろう。ただし彼はサカウエじゃなく、苗字っぽくサカガミと名乗った。

 坂上とはバーで知り合った。

 仕事帰りに時々顔を出すバーで、いつも常連で溢れていて、当人が壁を作りさえしなければ一見客でもアウェイ感に見舞われることもない絶妙な居心地の店だ。

 その夜、カウンターで隣の席にいた坂上はそれこそ一見客で、口数も少ないくせに薄暗くてザワつく店内に妙に馴染んで見えた。

 年齢は中野より七つ下の三十だと聞いたけど、これも本当なのかは知らない。外観だけで言えばもっと若い。

 とにかくそのとき坂上は言った。

「このへんは初めてで知り合いもいなくて、泊まるところがない」

 それを聞いた中野は、至極当たり前の反応を投げ返した。

「平日だし、新宿のほうに移動すれば空いてるホテル絶対どっか見つかると思うよ?」

 なのに何故か、翌朝目が覚めたらアパートの狭い台所で坂上がボトルビールを呷っていた。

 中野がトーストと目玉焼きとベーコンのモーニングプレートを作ってやると、彼は礼も言わずにもりもり食った。ただしコーヒーは、匂いが染みつくからというよくわからない理由で固辞された。

 そして中野がシャワーを浴びてスーツを着て出勤し、一日の仕事を終えて帰宅したときには、もういなくなっていた。

 玄関のドアポケットに鍵が入ってたほかは書き置きの一枚すらなく、いつもと同じ夜が大人しく戻ってきただけだった。

 中野は買って帰ったふたり分の弁当のうち、ひとつを冷蔵庫に仕舞った。

 ──が。

 翌晩、残りの弁当があるからと思って手ぶらで帰ったら、なんと冷蔵庫からソイツが消えていた。

 中野は扉を開けたまま、しばしその場に佇んで思案した。

 ただまぁ考えたって、ないものはない。弁当の存在は忘れることにして、近所のコンビニにメシを買いに出た。

 そのときカツ丼をチョイスしたことを中野は今でも鮮明に思い出せる。別にカツ丼が好きなわけでも思い入れがあるわけでもなく、単に最初に目に入ったから手に取ってレジに持って行ったというだけだ。

 で、カツ丼を携えてアパートに戻ると施錠したはずの玄関が開いていて、部屋の中で坂上がボトルビールを呷っていた。

 それから坂上が棲みついた。

 正確には、帰ってくるようになった。

 と言っても、これといった荷物を持ち込むでもないし、毎日いるわけでもない。

 十日くらい姿が見えないこともあって、よその土地へ行っちまったのかと思っていたら、ある日いきなり戻ってくる。どこで何をしてるのかは知らないし、訊いたところで教えてはくれないだろう。

 教えてくれないと言えば、カツ丼の夜に鍵をどうしたのかも中野は知らずじまいだ。

 スペアキーはドアポケットに戻ってたんだから、そこに放り込む前にスペアを作ったか、こじ開けて侵入したかの二択しかない。それでも一応訊いてみたけど、坂上は曖昧に首を捻るだけだった。

 ただし坂上の口数の少なさは、敢えてそうしてるというよりもコミュ障っぽい風情があった。

 表情の変化は乏しい。だけどメシを作ってやったときなんかによくよく観察してみると「どう礼を伝えればいいのかわからない」といった色合いが目の中に滲んで見える。

 だから何も教えてくれなくても、礼を言われなくても、中野的にはちっとも気にならなかった。言いたくなければ言わなきゃいいし、素性が知れなくたって危害を加えるわけじゃないなら構わない。

 それにカネもかからない。

 かからないどころか、坂上は姿を消して戻るたびに大金を渡して寄越す。家賃のつもりらしいけど、ソイツが一回につき一年分くらいの額だったりする。

 でも出処も、どういうカネなのかも訊いてはいないし、興味もないからどうだっていい。

 そのカネを入れるために中野は簡易な手提げ金庫を買った。戻って来ないつもりで出て行くときにはソイツを持って行けと坂上には言ってある。

 一方で、坂上も中野のことを訊かない。

 中野が何ひとつ尋ねないことについても触れない。何も訊かないのか? なんて間抜けな質問もしない。何も訊かれてないという事実を認識してるなら、いちいち確認する必要はないだろう。

 坂上のライフスタイルや持ち帰るカネを見ていれば、何かヤバいことに関わってると思わないほうがおかしい。

 それでも、坂上がどこの馬の骨だろうと何を生業にしていようと、挨拶や礼のひとつもなかろうと一切がどうでも良かったし、一定の距離を間に挟んだ関係に何かを感じることもなかった。

 今夜までは。

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