第七話 本当の心など知る由もなくて

 その後、イシバシくんとは連絡が取れなくなった。

 メッセージを送れば、既読表示にはなる。だけど返信は来ない。あえて返事をしてこないのであろう彼に、電話をかける事はさすがに躊躇われた。

 もう一度アパートへ行ってみても、もちろん彼は不在だった。たまたま隣の部屋から出て来た美術科の先輩は「イシバシなら実家に帰ったよ。冷蔵庫の中身を全部くれたから、当分戻らないんじゃないかな」と言った。

 メッセージを読んではいるのだからと、私は彼宛ての独り言を送るようになった。


 おはよう、素敵な一日になるといいね。

 今日はどんな日だったかな、私はプール行ってきた!

 おやすみなさい、幸せな夢が見られますように。


 ――ブロックされずに、ちゃんと既読になる。それだけが私の希望だった。彼の言う「問題」が何なのか教えてもらえなかった以上、私に口を挟めることなど何もない。イシバシくんは必ず帰ってくると、信じて待つことしかできなかった。


 八月の予定が白紙になって暇な私に、メイくんから電話がかかってきたのは、お盆を過ぎた頃だった。メイくんはメッセンジャーの類より、電話を好む人だ。


「夏コミの戦利品をおすそ分けしようかなと思ったんだけど、うちに来ない?」


 参加できなかった私の分まで、同人誌を買ってきてくれたらしい。メイくんは私の趣味を概ね把握している。

 メイくんはもう「リコリス」のファンではなく、知り合ったばかりの頃みたいな「友達」に戻ってくれたのだと思った。彼との縁は切れたのだと思っていたので、素直に嬉しかった。

 他人との会話に飢えていた私は、メイくんと会う事にした。ただ、家には行かない。私はもうこれ以上、妙な誤解を招くような事はしたくない。


「他の誰かが一緒じゃないなら、外で会わない?」

「あ、そっか。イシバシに怒られちゃうもんね」


 今のメイくんには、普通に話しても構わない。そもそもメイくんは高校の同級生で、私が「リコリス」になる前から仲が良かった。私が彼に対してまで「リコリス」を演じ始めたのは、彼がサークルを作った時に「僕はリコちゃんの友達である前に、リコリスのファン代表になるんだよ」と言ったからだった。


「お昼は一緒に食べよっか」

「そうだね、じゃあ豆花園とうかえんにでも行こうか」


 メイくんが口にしたのは、大人向けの豆腐懐石のお店。適当なファーストフードくらいで考えていた私が値段を考えて口篭ると、メイくんが「おごるよー」とのんびりした声を出した。メイくんはお金の苦労なんて一度もした事がないタイプの人なので、気安くそういう事を言ってしまう。


「できれば自分で払いたいなー。もっと安いお店にしようよ、ワンダフルバーガーとか」

「じゃあカラオケ行こうか、フード持ち込めるとこ。まさかワンダフルバーガーで薄い本を広げるわけにもいかないでしょ?」


 ああ、個室があるから豆花園って言ったのか……こういうところ、メイくんは本当に気が回る。提案どおりカラオケに行く事にして、私は待ち合わせ場所へ向かった。


 今日も五月サツキさんちのタケルくんは、爽やかだ。あえて整髪料をつけないサラサラの髪、ネイビーのパーカーにボーダーのカットソー、白のスキニーパンツ。笑顔で小さく手を振るメイくんと、通っていた高校の最寄り駅で合流した。

 駅近くにあるフード持ち込み可の安っぽいカラオケで、私たちはテイクアウトのハンバーガーを食べながらお喋りをした。夏コミの戦利品を拝見し、お土産を貰っては浮かれた。その流れが一段落すると、メイくんは私に、イシバシくんの事を聞いた。


「結局さ、二人は付き合いだしたんだよね?」


 付き合おう、なんて契約を交わした覚えはない。だけど「いつまでも大好きだ」という約束は、そういう事になるのだろうか……そうであってくれれば嬉しいと思う、けれど。


「お互いに好きだって、確認はした……けど」

「何それ?」


 不思議そうな顔でこちらを見るメイくんに、私は事情を説明した。私とメイくんが付き合っていると誤解されていた事も、イシバシくんと朝まで一緒に過ごした事も、急にいなくなってしまった事も、メッセージを送り続けている事も。


「……なんか、ヤリ逃げって感じがするんだけど」

「してないから!」

「して貰えなかった、でしょ。じゃあ逆に、内心ドン引きされてたとか?」

「いやいやいや!」


 メイくんの不安を煽るような発言が胸に突き刺さり、私は慌てて適当な曲を予約してマイクを掴み、誤魔化すように歌おうとした。だけどそんな私の肩を、メイくんは急に抱き寄せた。


「ちょ、わ、何?」


 マイクに間抜けな声が入り、そのマイクをメイくんは私の手から取り上げて、テーブルの上に置いた。ごとん、と音が響く。切られるマイクのスイッチ、流れ続ける伴奏。


「うん、密室で二人きりだし、ちょっとセクハラしちゃおうかなって」

「え?」


 いつもと同じにこやかな笑顔で、メイくんは真正面から「セクハラ」と言い放った。ちょっと待って、それはどういう冗談なの――何か面白いカウンターが必要なのかと考え始めた私の思考は、次の瞬間に粉砕された。


「……僕ね、リコちゃんの事、好きなんだよ。初めて会った時からずっと、大好きでたまらないんだよ……」


 耳元で、告白された。私の頭の中は真っ白だ。まって、だって、そんな――漠然と単語だけが渦巻いている。

 私とメイくんが初めて会ったのは、高校一年生の四月。入学してすぐ同じクラスになって、たまたま席が隣になった。あの時からずっと、私を好きだったって言うのだろうか……まさか、だって彼は「異性でも僕らは親友だもんね」って、ずっと言い続けてくれていたのに。


「まさかイシバシに持っていかれるなんて、油断しちゃったな……調子に乗ってたんだ、一番近くにいるのは自分だって。だからサークルで抜け駆け禁止だなんて言っても、自分だけは特別なままだと思ってたんだ」


 メイくんはそう言って、私の肩を解放した。なーんてね、と言いながら笑っている。


「ここで言っておかないと、死ぬまで後悔しそうだったからさ。今まで通りに仲良くしてくれたら嬉しいし、イシバシ絡みの相談も惚気も聞くよ。でもね」


 全く普段通りの口調で話し続けるメイくんは、私の頭をぽふん、と軽く叩いた。


「イシバシを待ってるのが辛くなったら、いつでもおいで。僕はそれを、ずるいだなんて思わない」


 そのセリフは、嬉しかった。だけど「この想いに甘えるのは最低だ」とも思った。ありがとうとも言えず、どう返事をするべきか困っていると、メイくんがだいたいさぁ、と意地悪そうに笑い出した。


「僕と距離置いちゃったら、リコちゃん完全にぼっちじゃない。せめて友達の一人くらい作るまでは、素直に甘えときなさいって」

「ちょ、ちょっと! ぼっちとか言うのやめてよー!」


 図星を指されて思わず叫んでしまうと、何だか可笑しくなってしまって、二人で顔を見合わせて大声で笑った。


「あはは、男を利用するのも処世術だよ?」

「そういうの嫌いだって、知ってて言ってるよね!」

「まぁね、サークルのみんなには貰うよりあげる方が多かったもんね。普通は貢がせるのにねぇ」

「貢がせなんてありえませんからー!」

「あっはっは、わかってるよ。僕らはみんな、リコちゃんのそういうところが好きだったんだよ」


 そう言って私の髪をぐちゃぐちゃに掻き乱したメイくんは「これからも僕と親友でいてよね」と言って、また笑った。

 イシバシくんは、それを許してくれるだろうか。あっさりと「俺には関係のない事だ」と言うだろうか。それとも「俺はオノミチを信じてる」なんて事を言うだろうか。イシバシくんなら「アンタの好きにしろ」が一番ありえそうな気もする。

 あとでメッセージを送ってみよう、問いかけならば返事が来るかもしれない――そんな身勝手な期待を、私は止める事ができなかった。



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