第16話 【数学】幸せの完全数

今日は入院2日目だ。

手術を午後に控えており、あまりゆっくりはできない。しかし、例の少女に昨日の情けない出来事の厄介払いをしておきたかったので、俺は朝食を済ませてすぐに待合室へ向かった。


「あ、おはよう!昨日は眠れたかな?」


ちょっとした緊張と不安を連れて入った待合室の中で、元気な挨拶の声が響いた。俺と目が合うと、彼女は愛想良くにこりと笑いかける。さすがに今日は昨日のように無視する訳にはいかない。


「ああ...おかげさまで」


そう言って俺は彼女の座る椅子の向かい側のソファに腰かけた。さて、昨日の出来事をこれから彼女にどう説明しようか。相手からしてみたら俺は、挨拶を無視した挙句、突然泣き出す坊主頭の入院患者だ。ちなみに何一つ誇張はしていない。


「あの、昨日は見苦しいところを見せて悪かったな」


だからといって、何も言わないわけにはいかない。俺は駄目元で会話を続けることにした。


「あはは、気にしなくていいよ。たまに泣かないと、人生ってやってらんないもん」


「それは、助かるよ」


「いえいえっ」


「ところで、俺は君の顔に見覚えがあるんだけど、名前を聞いてもいいか?」


目の前の少女は少し考えてから、かしこまって質問に答えた。


「小金南中、3年4組、出席番号23番の星原理乃です」


「そこまで個人情報の開示を求めた覚えはないぞ。でも、やっぱり同級生みたいだ」


「良かったら君の名前も教えてくれるかな?」


「ああ、先に聞いといて自分は言わないのは失礼だな。俺は、早瀬翔だ。クラスは1組で一応野球部に入ってる」


間も無く過去形になるであろう肩書きだが。彼女は鞄から何やら日記のようなものを取り出し、シャーペンで記した。


「...えーっと、ハヤセカケル...っと。出席番号は?」


「に、28番だが...これは言う必要あるのか」


「もちろん。個性のない数なんてない。だから私は、人を判断する材料が少ないときは、その人に纏わる数でその人の印象を決めてるんだ」


「そうなのか」


「ちなみに今の君の印象は私の中ではピカイチだよ」


「どうしてだ?」


いきなり目の前で泣き喚いた坊主のどこにそんな輝きがあったのだろうか。


「28は自分以外の約数を足すと自分になる完全数なんだよ。アウグスティヌスが神の数字とも呼んでるくらい、凄い数字なの!君はその幸せの完全数を持ってるんだから、これから良いことが沢山起きるんじゃないかな」


純粋に彼女はそう述べる。勉強が、特に数学が苦手な俺にとってはよく分からない話だ。ただ、彼女の子供に言い聞かせるような言い方は、筋が通っているかどうかに関わらず、自然と俺を納得させた。


「まあ、そうだと良いがな」


「大丈夫!私が保証するよ。それよりよろしくね」


彼女はまた、ご愛嬌のにっこり笑顔を俺に向けた。少しだけ恥ずかしくなり、俺は目を合わせないで頷いた。


「こちらこそよろしく、星原」


「あ、あのさ...」


「どうしたんだ?」


彼女は何か言いにくそうにもぞもぞと動いていた。その様子はあくまで真剣で、恥じらいとは少し違うように思えた。


「わ、私のことは星原じゃなくて理乃って呼んで!私もカケル君って呼ぶから」


「そんなことか、分かったよ理乃。これで良いん...」


「ありがとう!」


食い気味に彼女からお礼を言われた。相当嬉しかったようで、少し涙目だ。興奮し過ぎて、息が当たるほど距離を近づけてきた理乃を冷静に離しながらなだめると、我に返ったように隣で小さく座った。


「あの、今日はこれから手術があるんだ。だから、俺はもう行くよ」


「そうなんだ。頑張ってね!」


「俺は寝てるだけだよ。上手くいくかはわからんけどな」


「ふふ、そんなの絶対上手くいくに決まってるよ。あれほど縁起のいい数が味方なんだから。終わったらまたお話ししようね」


理乃はどうやら完全数とやらを持つ俺の成功を信じて疑わないようだ。ただの出席番号を愚直に信じる理乃の様子がどうにもおかしくて、俺は小さく噴き出した。


「ああ、じゃあまた後でな」

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