第十四話 災禍

 北の村に着いた翌日の早朝、あかり疾風はやては泊まらせてもらった民家の裏の森に来ていた。昨日、夜が更けてしまって見ることができなかった道を探索してみようと思ったのである。

 二人並んで、木立の間の道をゆっくり歩く。溶け残った昨晩の雪と霜が、草鞋で踏むたびにしゃりしゃりと鳴く。固い樹木の梢についた氷柱が陽光に溶け、鈴を振るような澄んだ音を響かせた。

 暫く歩いたところで、森が開けて広場に出た。突然光を遮る木々がなくなり、燈は眩い朝日に思わず目を閉じた。

 開いた瞼の先、光の向こうには、一抱えもある大きな石が置いてあった。


「何だこれ?」


 疾風が首を傾げる。燈は石に近づいた。よく見ると、何か彫ったような跡がある。自然にできたものではないだろう。これは、恐らく……。


「お墓……?」


 燈はそっと呟いた。

 天羽あまはには、基本的にはお墓を作るという習慣はない。山や森に死体を遺棄して自然に還るようにする風葬が一般的だ。死者の霊魂は自然を通して神の国に至るという信仰に依る。天子様のような高貴な人も盛大な葬儀の後に依月山いづきやまの指定の場所に遺棄されるのだという。

 但し、貴い人の場合その人を象徴する墓を作ることがあった。例えば依月山にある「詠姫よみひめ供養の庭」もそうだ。代々の天子は宮城の専用の墓陵でその功績を偲ばれ、有力な貴族も私有地に先祖代々の石塔を立てることがあるという。

 北の村の人々は高貴なわけではないが、恐らく生き残った村人がその悲劇を忘れないために墓石を用意したのだろう。

 燈は、石に積もった雪をそっと払った。静かな冬の森に佇む墓石は酷く寂しげに見えた。


「燈」


 囁きに振り返ると、どこから見つけたのか、疾風は幾つか花を持っていた。

 それは、咲き初めの寒椿。紅い艶やかな花を、燈そっと墓前に供えた。

 疾風と並んで黙祷する。閉じた目の裏、心の内で思うのは亡くなった人々のこと。ひとつの誓い。


 ――もう、二度とこんなことが起きないように。


 歴史の陰に隠れた悲劇を無くすために。誰もが幸せに生きられる世界に。

 村人を偲びながら、燈はしっかりと誓ったのだった。


                *


 数日後、燈は疾風とともに村を出る支度をしていた。

 暫く追っ手を恐れて村に引きこもっていたが、依月山の「詠姫供養の庭」に残された、天子様の資料を確認しようと思ったのだ。


「大慌てで逃げたから、まだきちんと見れていない資料もあるはずよ」


 燈の言葉に、背負子しょいこの用意をしながら疾風も頷く。


「そうだな。流石にもう兵士もいないだろうし。……見つからなくて良かった」


 安堵の溜め息。確かにそれは良かったとしか言いようがない。見つかった可能性はかなり高かったのだ。それが今は追われていないということは、恐らく兵士達は自分達を見失ったのだろう。

 まだ冬は始まったばかり。未だ雪は薄く積もるのみで翌日には溶けてしまうが、これからどんどん冷えて、雪深くなっていくだろう。そうなると、もう春になるまで依月山には登れなくなる。その前に行ってみようと思ったのだ。

 使わせてもらっていた民家の掃除をしながら、燈は少し浮き足立っていた。自分のやりたいことが見つかった。未だ手探り状態だが、少しは考えも纏まってきている。さらにはっきりさせるために、きっと天子様の資料は役に立つだろう。そう思うと、依月山に行くのがとても楽しみだった。

 背負子を背負い、脚絆を締め、草鞋を履く。立ち去っていく二人を、冬の弱々しい陽光が静かに見送っていた。


                  *


 それは、北側から山道に入ってすぐのことだった。

 溶け残った雪で滑りやすい道を慎重に歩いていた燈は、白く輝くような木々の間から見えた黒い影に驚きの声を上げた。


「疾風、あれ!」

「人、か……?」


 恐る恐る近づくと、粗末な笠を被り水干を着た若い男性が、蹲るようにして倒れていた。慌てて駆け寄って助け起こす。


「どうしましたか?!」

「み、水を……」


 喘ぐように言う男性に水筒から水を分け与える。震える口に少しづつ飲ませると、大分落ち着いたようだった。


「ありがとう、助かったよ」

「いいえ。……それで、どうしてこんなところへ来たのですか?」


 まだ疲れたような顔だったが、柔らかく微笑む男性に安堵しつつ尋ねる。ここは依月山の北側、訪れる人など滅多にいないはずだ。

 男性に尋ねる燈の背後、疾風は冬の木立のように静かに立ったまま男性から視線を外さない。役人ではないかと警戒しているのだ。

 男性もそれに気づいているのだろう。疾風の視線に苦笑しつつ、安心させるように笑って身分を明かす。


「私は瑞希みずきの商人だよ。食料が尽きてしまって、食べられるものを探していたら道に迷ってしまったんだ。いつもと違う道を使ったからかな」

「こんな冬場にですか?」


 燈はさらに首を捻る。瑞希側はこちらより多少暖かいとはいえ、冬は冬。こんな季節に山に登る酔狂な人は滅多にいない。食料のためとしても、大抵秋の内に溜め込んでおくはずだ。

 しかし、次に男性の口から発せられたのはひどく衝撃的な一言だった。


「瑞希が荒れてしまって、食料が全然足りてないんだ。厳つい顔をした兵士がそこら中歩きまわっていて、商店も店を閉めている」

「え?!」


 その男性によると、神苑しんえんの焼き討ちがあった後から各地で暴動が起き、人々が貧困にあえいでいるのだという。

 男性も食料が尽き山に食べられるものを探しにきたが、依月山の方は兵士が何人も張っているので、避けて道なき道を通っていたところ道に迷ったのだとか。


(神苑の焼き討ち……)


 そんなことがあったなんて、全然知らなかった。

 思いつめた表情を心配してか、男性は優しく微笑んで言う。


「お嬢さんが行こうとしているのは、依月山かい? それとも瑞希の方? どちらにしても今はやめておいた方がいい。巻き込まれるよ」

「燈」


 神妙な顔をして話を聞く燈の背後、疾風が声を掛けてきた。言いたいことは分かっている。

 けれど、燈は村に戻ろうとは思わない。


「瑞希に行きましょう、疾風。困ってる人がいるのは、きっと私のせいだもの。助けなきゃ」


 瑞希が荒れているのは、ほぼ間違いなく詠姫がいないせいだ。中々見つからないことを危惧し、捜索を強化したのだろう。

 自分のせいで困っている人がいるなら、助けに行くのは当然だ。だが、行きたいのはそれだけじゃない。

 それは、夢のため。村での夜、雪降る庵で語った夢を叶えるために、燈は瑞希に行きたいのだ。そこで人々を助けることが第一歩だと思ったから。

 振り返った燈を疾風の目が射抜く。


「危険だ。それに、今から行っても早くても七日はかかるぞ」


 疾風の言っていることは正しい。危険なのは承知の上だし、今から行っても何もできないかもしれない。それでも。


「それでも、もう誰かが死ぬのを見たくないの。私に助けられる人がいるなら、皆助けたい。それが私の夢だもの」


 行かなければ、何ができるか分からない。もし自分にできることがあるのなら、何だってしたかった。

 疾風は少し躊躇うような表情をしたが、やがてにっと笑った。


「そっか。それなら行くか」


 燈は少し驚いてきょとんとしてしまった。いつもの疾風なら、怒ってでも止めてくるはずだが。

 少し不思議に思ったが、疾風が気にした様子がないので置いておくことにした。

 疾風は優しく微笑んでいたが、不意に座ったままの男性に胡乱な視線を向けた。


「でも、問題はこいつをどうするかだよなー」


 不信感丸出しの疾風の視線に男性が苦笑する。燈は男性の方に向き直った。


「正直に言います。私達は貴方をまだ信用していません」


 それは本当のこと。この人が本当は役人で、燈を騙して妃達の前に連れて行くということが考えられないわけではない。

 だが、燈は柔らかく微笑んだ。


「それでも、私は貴方を雪山に置いていく訳にはいきません。だから、もしそれでもよろしければ、一緒に瑞希にいきませんか」


 男性はそれを聞くと、一も二もなく飛びついた。


「ありがとう! 迷ってしまって困っていたんだ。この恩、どうお礼したらいいのか……」


 本当に感謝しているのか、男性は燈の手をとって目に涙を浮かべている。にっこり微笑む燈の後ろ、疾風がこっそり耳打ちしてきた。


「大丈夫なのか?」


 燈は振り返り、疾風とおなじようにこっそり耳元に囁いた。


「何かあっても、疾風が守ってくれるのでしょう?」

「ま、まあな」


 疾風が照れたようにそっぽを向く。耳元が赤くなっているのを見て、燈はくすくす微笑った。男性が不思議そうに二人を見つめる。


「もしかして、お二人は好い関係なのかい?」

「そんなんじゃないっ!」


 疾風が顔を真っ赤にして叫ぶ。燈も頬が熱くなってきた。


(私のこと、疾風はどう思っているんだろう)


 どうして、ずっと燈と一緒にいてくれるのだろう。前世を知っても、未だにその気持ちが分からない。

 ただ、燈はこの先もずっと疾風と一緒にいたい。それだけだ。それだけが叶うなら、どこまでだっていけるはず。


(今は、それでいい。疾風の気持ちも、私のこの気持ちの名前も分からなくても)


 でもいつかは、分かるといい。燈はそう思った。

 熱くなってしまった頬を冷ますように大きく息を吸う。ぱんぱんと手を叩いた。


「そろそろ出発しましょう。なるべく早く瑞希にいかないと」

「ああ」


 燈が舵を切り、疾風が頷く。そうして一行は出発した。

 二人の背後。嬉しそうにしている男性が、何故か僅かに不満げな表情を浮かべたのは、頼りなく照らす冬の陽光しか知らない話。


                 *


 なるべく急ぎ足で移動したが、それでも瑞希側の麓に行くのには十日ほどかかった。

 そこから更に歩いて、秋水しゅうすいを預けた村へ。長い間預かってもらっていた青毛の馬は元気そうだったが、村人はどこかぴりぴりとしていて不安と焦りが増す。

 三人だったので秋水に荷物を載せて歩こうと思ったが、唐突に男性が提案してきた。


「急いでいるんだろう? ここからなら私には慣れた道だから、置いていって構わないよ」


 燈と疾風は有り難い申し出に頷き、先を急いだ。

 やっぱりいい人だったと燈は思ったが、疾風の表情は晴れない。


「どうしたの?」


 暫く男性に鋭い眼差しを向け続けていた疾風だったが、ややあって視線をそらした。


「何でもない。多分気のせいだろう」


 歯噛みの悪い言葉に、燈は更に問い詰めようとしたが、秋水が勢いよく走り出したので諦めた。少しもやもやした気持ちを抱えたまま、疾風の背中に額を付ける。

 この時、多少の違和感は感じたものの、燈も疾風も先を急ぐ気持ちの方が強かった。


 ――だから、馬を見送る男性が、笠の下で僅かに微笑んでいたのに気づかなかったのだ。


                  *


 全速力で馬を駆れば、半日もかからずに瑞希の端にたどり着く。

 真っ赤に燃える夕陽の下、変わり果てた宿場町の姿に燈は息を呑んだ。


 それは、賑やかだった出発前からは想像もつかないほど寂れた町。


 軒を連ねていた店は全て固く戸を閉じ、飛び交っていた威勢のいい声も全く聞こえない。大勢の人が忙しなく歩いていた通りはほとんど人影が見えず、襤褸ぼろを纏いやせ細った人がぼんやりと徘徊する。聞こえるのは、迷子らしき子供の泣き声。脇に刀を差して店に罵声を浴びせる男の声。


「酷い……」


 それ以上に言葉が出なかった。覚悟はしてきたものの、思った以上の惨状に立ち竦む。

 疾風が、周囲に油断なく目を配りながら言った。


「あの男は、刀は持っているが兵士ではなさそうだな……。どっかのならず者か」


 腰の短刀に手を当てたまま、燈に聞く。


「見たところ兵士らしき者はいなさそうだが……。燈、どうする?」


 燈はひとつ息を吸い込んだ。戸惑いながらも、その瞳はきちんと町の現状を見つめている。


「決まっているわ。町の人々を助けましょう」


 そして、燈と疾風は駆け出した。

 燈が迷子の手をとり、親を探す。疾風がならず者を峰打ちで叩き伏せる。途中で簡易的な診療所を見つけた。うめき声と死臭の蔓延する診療所で必死に怪我の手当をし、飯炊きを手伝って薄い粥を作り、死体を運んで祈りを捧げた。

 水の確保に井戸へ走っている時、見覚えのある後ろ姿が目に映った。と、その時、いきなりどんっと突き飛ばされた。燈は尻餅をついた。喉からひゅっと音がする。


「燈?!」


 近くにいた疾風が駆け寄ろうとする。が、それよりも早く、一人の女性が燈に詰め寄ってきた。大柄な体型。ボロボロになっても力強さを失わないその姿。


「燈だね」

「女将さん……」


 依月山に行く前、お世話になった「長元坊ちょうげんぼう」の女将さんだ。疾風は秋水を返しに行くのに顔を見ているはずだが、燈は今日初めて会う。

 久しぶりに会う女将さんは、旅立つ時とは全然違う、恨めしげな目で燈を見ている。


「詠姫様」


 不意に、女将さんが声の調子を変えた。いきなり言われた「詠姫」という呼称に、燈の肩がびくりと震える。

 女将さんは優しげな表情とは無縁の、憎悪のこもった表情で燈を見つめた。


「貴女のせいで町がこんなことになりました。どう責任をとってくださるんですか」


 聞いたことがないほど凄みのある声。燈は言葉を失ったまま、ただ揺れる瞳で彼女の歪んだ顔を見上げた。

 女将さんの迫力に、周囲に人が集まってきた。誰もが薄汚れた格好で、地面に手をついたままの燈を見下ろす。


「燈!」


 集まってきた野次に危険を感じたのか、疾風が駆けてくる。その手には抜き身の小刀。

 辛うじてそれを確認した燈は慌てて叫んだ。


「疾風、止めて!!」


 こんな状態で刃物なんて出したら余計騒ぎになる。幸い、疾風はすぐにびくりと震えて立ち止まった。

 それを確認してから、燈はゆっくりと立ち上がった。好奇と憎悪の視線に晒されたまま、深く頭を下げる。


「ごめんなさい!!」


 思いっきり叫んだ燈に囲っていた人全員が目を丸くする。頭を下げたまま、必死で言葉を続けた。


「必ず責任はとります。私にできることなら何でもします。ですから、どうか……」


 女将さんは燈を見つめると、小さく歯噛みし、無言で立ち去っていった。ひとり取り残された燈に、疾風が恐る恐る近づく。


「燈……」

「大丈夫」


 燈は目に涙を堪えながらも、気丈な表情で言った。


「私は大丈夫。だから今は、町の人をどうやったら助けられるか考えましょう」


 優しかった女将さんに、あんな恨みのこもった視線を向けられるのは本当に辛い。それこそ、心が折れてしまいそうなほど。けれど、くじけるわけにはいかない。今は皆、絶望の底から必死に這い上がろうとしている時だから。


(私が、手を差し伸べなきゃ)


 たとえ、誰に恨まれたとしても。それが燈の責任であり、信じる夢だから。

 決意の眼差しを崩さない燈に疾風も頷き、しかし同時に困ったような目をした。


「しかし、この状況じゃ救おうにもどうにもならないぞ」


 言われて、燈も町を見渡した。診療所では今も死者が増え続け、生きている人もすっかり弱ってしまってこの冬を越せそうにない。暴動によって家を失くした人や、孤児も大勢いた。

 絶望的な光景。それでも、と救う術を考る。そんな燈のすぐ真上から、その声は聞こえた。


真幌月まほろづきを使いなさい、燈」


 燈ははっとして上を見上げた。降り注ぐ黄金色の光に目が眩む。場違いなほど優しい子供の歌声が辺りに響く。いつかと同じ光景。


 それは、真幌月にいる「お母様」の声だった。

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