第十三話 初雪

 依月山いづきやまを登る時は、飛鴛山脈ひえんさんみゃくを越える時間も含めて約三日かかったが、北に下るにはさらに四日ほどかかった。

 山脈の北は、ほとんど人が立ち入らない。整備されていない道は歩きにくく行き止まりも多く、あかり疾風はやては何度も引き返しながら山を下った。

 唯一の幸いは、古いが道らしきものが残っていたこと。恐らく北にも人が住んでいた頃の名残なのだろう。川に橋が架かっているところもあった。

 それでも、南からの道にあったような小屋なんてものはなかったので、洞窟や木陰で休むことも多かった。女将さんが沢山詰めてくれた食料も徐々に尽きてきて、慣れない狩りや食べられる木の実探しに勤しんだ。


「天子様が、食べられる木の実を教えてくれていて助かったわね」


 ヤマボウシやガマズミの実を集めながら燈が呟く。疾風も頷いた。


「笑い話も多かったが、今思えば役に立つことが多いな」


 笑いながら言った言葉に、燈は果実を集める手を止めた。


「天子様は、こんな日が来ることも考えていたのかな」


 神苑しんえんにいた頃の話。天子様は天羽あまはに関することなら何でも話してくれた。神話、伝承、笑い話、悲しい話。そんな何気ない話の隅々に、様々な生きるための知恵が隠されていた。

 多分、天子様はそれも考えて話してくれていたのだろう。詠姫制度の廃止が成功しても失敗しても、自分に何があっても、燈が生きていけるように。

 不意に、木々の間から差す日差しが強くなった。少し目が眩む。

 俯いた燈の手を、疾風はそっと握っていてくれた。


                     *


 山道を下りてさらに三日。針葉樹の多い山中から、葉を落とした落葉広葉樹林の森が広がる平地に出た。


瑞希みずきはまだ秋の感じが残っていたが、この辺はもう完全冬景色だな。寒いからか」


 疾風の言うとおり、北の空気はもう肌を突き刺すほどに冷たく、鈍色にびいろの雲はどんよりと重たそうに空を漂っていた。乱立するぶなならも固い幹をさらに強ばらせ、じっと寒さに耐えている。

 だが、燈は少し不思議に思うことがあった。


「天羽でも北の方なんだから寒いのは分かるにしても、少し変だわ。天子様が言っていた話と違うみたい」

「どういうことだ?」


 燈は、立ち並ぶ木々を指差して言う。


「ほら、ここに生えているのは葉を落としている落葉樹でしょう? でも、天子様は針葉樹ばかりだと言っていたじゃない」


 思い出すのは、天子様と最後に会話した日のこと。


『北の地は酷く寒いため、人が居着かず鋭く短い常緑の葉が茂る木々が立つばかりと聞く。


 確かに天子様は、「針葉樹の森」と言っていたのだ。


「天子様が、何か勘違いしていたってことか?」


 疾風が問うが、燈は眉根を寄せ、難しい顔で首を振った。


「分からないわ。もっと北の方はそうなのかもしれないし……」


 何しろ初めて訪れた場所なのだ。今は、はっきりと言えることは何もない。


「とりあえず、夜になるまでに一夜明かせそうな場所を探しましょう。もしかしたら、以前人が住んでいた跡が見つけられるかもしれないし」


 天子様は、昔は天羽の北にも人が住んでいたと言っていた。それがどのくらい昔のことなのかは分からないが、山の中にも古い道が残されていたのだ。もしかしたら家が一軒くらいは残っているかもしれない。

 腐りかけた落ち葉を踏み、二人は更に北へ歩いた。南から、追っ手から少しでも遠ざかるように。いつかは戻らなければならない。それでも今は、少しでも落ち着いて休める場所を探さなければいけなかった。


(疾風もずっと警戒してくれてるし、きっと疲れているよね。少しでも休ませてあげないと)


 本当は、今すぐにでも戻りたい。でも、そういうわけにはいかない。依月山に兵士が来ていたということは、どういうわけか燈と疾風の行動がお妃様達や宮城の人々ばれているのだ。

 疾風もそれを分かっているのだろう。北への道を進みながら、常時警戒し続けている。燈よりずっと神経をすり減らしているはずだった。

 もちろん、依月山で知ったことを整理しなければならないというのもある。庵の資料や真幌月まほろづきで知った真実はあまりにも衝撃的なことが多すぎた。加えて明彦あきひこのことが立て続けに起こり、酷く動揺した頭は長い間まともに動いてくれなかった。それでも、数日の逃亡の中で考えていたことがある。まだ曖昧模糊としたものが脳内を漂うのみだが、疾風に話せば何か光明が見えてくるかもしれない。そのためにも、今は腰を落ち着けて話せる場所を見つけるのが一番だった。

 落葉した寒そうな木々の隙間から弱い陽光が落ちる。僅かな光に希望を見出すように、二人はあてどなく森を彷徨った。


                    *


 夕陽が木々の硬い幹をだいだいに染め上げるころ、その場所は現れた。

 燃える日差しの中に浮かび上がる朽ちた家々の壁。屋根が剥げ、所々壁を失った家。釣瓶落としの縄を失った井戸。赤錆た何かの道具の破片が投げ捨てられている。


 そこは、恐らく百年か二百年は経っているであろう朽ち果てた廃村だった。


 燈はぼろぼろと崩れる壁に触れてみた。木屑と砂が混じったようなものが手につく。


「これが、天子様が言っていた場所なのかな」


 疾風もきょろきょろと物珍しそうにあたりを見回していた。


「分からない。だが、かなり古い村であることは確かだな。……あれ?」


 疾風の視線が、地面のある一点で固まった。かがんで何かを拾い上げる。


「どうしたの?」


 燈が近づき、その手元を覗き込む。直後、小さく息を呑んだ


 疾風の手にあったのは、金属でできた小さなやじりだった。


「恐らく矢の先についていたものだろうが……。森の中ならともかく、何でこんなものが落ちているんだ?」


 よく見ると、他にも武器の破片のようなものがあちこちで見つかった。折れた刀、薙刀や槍の先端。馬の蹄の跡が残っていたり、壁に鏃の跡が残っていたり。酷いところは、四、五棟ほどの家屋がまとめて火災を受けたかのような焦げ跡もあった。

 まるで村全体が何かに襲われたような状況に、燈は首を傾げる。


(賊の襲撃があった……とか? それで、村が滅びたのかな)


 その可能性が一番高そうだ。あるいは、寒さで飢えた人々に集団で襲われたことも考えられる。

 さらに村を歩き回っていると、一軒、跡形も無くなっている家の床に取っ手のようなものが見えた。土で隠してあったが、どうやら木戸らしい。土を払って何とか押し開けると、地下に続く梯子があった。


「食料庫か何かかな……。梯子は朽ちてしまっているけど、縄とか使えば、何とか降りれるかも」


 燈は背負子から縄を出そうとしたが、疾風が先に準備していた。


「俺が先に降りてみる。燈はこういうの慣れてないだろ。下で受け止めてやるからちょっと待ってろ」


 疾風だって慣れてないくせに、と思ったがするすると降りてしまった。どこかでやったことがあるのかもしれない。

 燈は、縄にしがみつくようにして恐る恐る降りた。疾風が脚を曲げて台にしてくれる。地面に降り立ち周囲を見たが、木戸の真下以外暗くて何も見えなかった。


「明かりをつけても大丈夫かな?」


 手近なところに落ちていた小枝を拾い、ひうちで火を灯した。ぼんやりと広がる明かりの先に見えたものに目を丸くする。動揺で炎が小さく揺れた。


「あれは、書物?」


 地下室にあったのは、乱雑に積み上げられた何冊もの書物だった。否、書物といっていいのかも怪しい、古い紙の束だ。だが、それが本を高く積み上げているかのように、何百枚、或いは何千枚と積み上げられていたのである。

 燈は手燭代わりの小枝を疾風に渡すと、その紙の一枚を手にとった。


「これは、この村の記録かしら」


 蚯蚓みみずがのたくったような文字は判別しづらいが、村人の要望とその対応が記録してあるらしい。

 燈はその文字よりも、記録してある紙に驚いた。恐らく、宮中で使われるものか、それ以上の上質紙。瑞希の周辺でさえ端の方では紙すら普及していないというのに、どうしてこんな辺境の村で、しかも恐らくかなり昔の村で使われているのだろうか。

 内容は薄暗いこともあってしっかりとは分からない。だが、交わされるやりとりの記録は、この村が豊かであったことを窺わせる。


(紙業……? そっか、ここでは紙の生産が盛んだったのね)


 村の脇に飛鴛山脈から冷たい水が流れる川があるという。この川の水が農業用水だけでなく、紙業にも使われていたのだろう。山中には材料となる針葉樹が生えた森が広がっているし、紙の生産にはうってつけだったのに違いない。

 これが上質紙が使われている理由なのだろうか。そんなことを考えながら何気ない気持ちでもう一枚の紙を手にとった時、燈はその紙に視線を落としたまま固まった。


「燈?」


 小枝を持ったままの疾風が心配そうな顔で燈を見た。燈は震える声で呟く。


「『』……」


「何?!」


 疾風が驚きの声を上げた。燈も驚いた。賊に襲われたような状態だとは思ったが、よもや国が兵を差し向けたとは考えていなかった。

 未だ早鐘を打つ心臓の音を感じながら続きを読み進めていく。

 村は、数代前の王位争いの時、敗走した皇子を匿ったとして罪に問われたのだという。元々経済力豊かで、ともすれば周辺の町に匹敵するほどの場所だったとある。恐らく、最初から危険視されていたのだろう。大きな町を治める力のある貴族や、南に強い繋がりを持つ豪商が進言した可能性もある。最も、今となっては知りようのないことではあるが。


「『きっと、この村で起こったことは長い年月の間に忘れられていくのだろう。生き残った私がどれだけのことを伝えられるのかも分からない。だが、誰かがこの文書を見てくださることを、我々の故郷のことを知ってくださることを祈っている』」

「この文章を書いたのは、村の生き残りだったのか」


 疾風が呟く。燈はうなだれた。

 天子様は寒い場所だから人が移動したと言ったが、おそらくそれは昔の人々が事実を歪めた結果できたまやかしだったのだろう。知らなかったのも無理はない。ここはもう、誰も住まず、誰も訪れない場所なのだから。

 それでも、燈は悲しく思う。過去、何かの因果によって沢山の人が死ななければならなかったこと。それをもう、自分たち以外誰も覚えていないのだ。

 二人は暫くの間、無言でじっと佇んでいたが、地下室への穴の向こうから差す陽が弱くなってきた。疾風が燈の腕を引く。


「燈、もう上がろう。そろそろ暗くなる」

「疾風……」


 燈がゆるゆると顔を上げる。開いた戸の向こうから冷たい風が吹き込んでくる。陽がほとんど沈み、冷え込んできたようだった。


「上に、まだ無事な家があるかもしれない。ここでずっと火を付けているのもよくないだろう。上がろう」


「ねえ、疾風」


 火を吹き消し、地上へ上がっていこうとする疾風を、燈は躊躇いながらも引き止めた。


「どうした?」


 不思議そうな顔をする疾風の目を見て、燈は意を決したような声で言った。


「上に上がったら、話したいことがあるの。上手く言えるか分からないけど、聞いてもらえる?」


                      *


 物音ひとつしない村をあてどなく彷徨っていた燈と疾風は、森に接している小さな家を見つけた。

 村の外れにあるからあまり被害を受けなかったのだろう。無人のようだったが屋根も壁も崩れておらず、一夜泊まらせてもらうには十分な状態だった。


「囲炉裏があるわ。外で粗朶そだを集めれば使えるかしら」


 燈が室内を見ている間に、疾風は一度外に出ていたようだ。手に水を汲んだ桶を持っている。


「井戸は枯れていないみたいだ。縄を変えれば使える。上流の飛鴛山脈の開発が進んでいないおかげかな」


 煮沸しないと流石に怖いけれど、寒さと水の確保は問題なさそうである。燈はありがとうと微笑んだ。

 二人で裏手の森で粗朶を集める。夜の森は暗く視界が悪かったが、僅かな月明かりで森の奥に道が続いているのが分かった。乱立する木々の間、落ち葉にほとんど覆われた古い道。


「この道、どこに続いているのかな?」


 燈は興味を持ったが、疾風は首を振った。


「今日はもう遅い。迷うぞ」

「分かってるわよ」


 燈は少しむくれた。そんなこと自分だって分かっている。子供じゃないのだから。

 けれど文句は言わなかった。代わりに疾風の方を向く。


「明日の朝、行きましょう。陽が昇ってから」


 今日はもう、休まなければ。その前に話したいこともある。

 燈は緊張を押しこめるように、ごくっと唾を飲み込んだ。

            

                 *


 囲炉裏の火が赤々と燃えている。水で満たした鉄瓶がしゅんしゅん鳴いている。

 温かな炎に身を寄せて、燈と疾風は遅めの夕食にしていた。

 屋内に入っても、燈はなかなか話し始めることができなかった。まだ、どこから話したらいいのか、どう話したらいいのか分からなかったのだ。

 夜が深まるにつれて、気温はどんどん下がってくる。囲炉裏に粗朶を追加した時、開いている縁側の方から粉のような雪が吹き込んできた。初雪である。

 燈は縁側に出て、外を見た。はっと息を呑む。


 舞い降りる雪は、白銀の花弁が舞っているかのような美しさであった。


 初めは淡い粉雪が地面に吸い込まれるように儚く消えていたが、やがてその大きさも重さも増し、ついには柔らかな牡丹雪になってほたほたと降り積もる。夜闇に混ざる雪は僅かに光を孕んでいるかのように仄青く輝き、まるで雲で隠れた月の光を地上に届けてくれているかのようである。


「綺麗……」


 燈は感嘆の溜め息をついた。あまりの美しさに自然と目が釘付けになる。


「これだけは、本当だったんだな」


 後ろから疾風が声をかけてきた。振り返ると、白湯の入った湯呑みを渡してくれる。温かな湯気で強ばった頬が柔らかくとろけた。


「何の話?」


 燈が問うと、疾風は悪戯っぽい表情で笑った。


「天子様の話。言ってたろ、雪の綺麗な場所だって」


 言われて思い出した。確かに天子様は、『舞う雪が綺麗な場所として有名だった』と言っていた。

 どうやら、この雪の美しさだけは、後世まで伝えられてきたらしかった。

 燈は湯呑みを両手で抱くように持ったまま、改めて雪を見た。忘れられた村、たくさんの人々が亡くなったのであろう静かな村に、ただただ降り積もる雪を。


「疾風、」


 燈が、そっと囁いた。舞う雪に溶けていきそうなほど細い声。


「聞いて欲しいことがあるの。地下で言っていた話」

「何だ?」


 疾風が燈を見る。こんなに小さな声でも疾風はきちんと聞いてくれる。

 燈は外を見つめたまま、ぽつりと雫のように呟いた。


「あのね、やっぱり、真幌月を作った私にも罪はあると思うの」


 瞬間、疾風ががたりと音を立てて立ち上がった。


「何を言ってるんだ?!」


 今にも飛びかかろうとするのを押さえるかのように、苦しげな顔で呟く。


「『お母様』も、燈が悪く思う必要はないって言ってただろ……?」

「私も、お母様が言っていたことは分かるわ」


 疾風の切なげな声に対し、燈の言葉は平坦なまま。自分を、遠くから見つめているかのような声。


「でも、真幌月のせいで亡くなった方は沢山いるの。詠姫だけじゃない。天子様も、明彦さんも、真幌月が無ければ死ぬことはなかった」


 淡々とした声が、冷たい空気を静かに震わせる。


「私は、この罪を償う方法は、真幌月の正しい伝承を広めて詠姫の制度を終わらせることだと思っていた。これしかないって」


 それは、お母様も言ったことだった。燈が一番にしなければならないこと。


「これも大事だと思う。それは、今でも変わらない。でも」


 燈はそこで一度言葉を止めた。小さく深呼吸をする。


「でも、


「……!」


 疾風が息を呑む。燈の瞳に決意の光が灯るのを食い入るように見つめた。

 ぼんやりとしていた言葉に、少しづつ力がこもっていく。


「歩きながら、沢山考えたの。私に何ができるのか」


 生贄になった詠姫やミツゲ。繰り返す歴史。歪められた神話と伝承。当たり前になってしまった常識にあえなく敗れていった人々。忘れられた悲劇の村。

 それら全てに衝撃を受け、心を痛めながらも、ずっと考えていた。どうしたら、この悲劇を終わらせられるのか。より良い天羽に、より良い世界に変えるために、自分に何ができるのか。


「その答えを教えてくれたのは、やっぱり天子様だった」


 優しい言葉が、もう一度燈の耳に蘇る。


『そして悲嘆に暮れる者がいたなら、どうかその手を差しのべてやっておくれ。誰もが再び前を向けるように』


 ひとつ息を吸い、疾風の方に向き直る。その瞳を射抜くように見つめて、はっきりと言い放った。



「私は、天羽の全ての人を守りたい」



 荒唐無稽なようにも思えるその言葉は、しかし、一寸の揺ぎもない決意を感じさせた。


「天羽にいる人が、もう誰ひとりとして生贄にならなくてもいい、誰も死ななくてもいい世界を作りたい。誰もが笑顔で暮らせる場所にしたい」


 思い出すのは、「長元坊ちょうげんぼう」で出会った人々。慎ましくもたくましく、明るく生きていた人達。燈が感じた、天羽の人々の「温かさ」。


「天羽の人は、きっと誰もが力強く生きる力を持っている。でも、ふとしたことでその力が弱ってしまうことがある」


 それは、神や自然への畏敬。あるいは、強大な権力や金銭的な格差による圧力。そういったものに押しつぶされ、多くの人々が前に進めなくなってしまうことがある。


「それならば、私が手を差し伸べるわ。歪んだ伝承に変わる前に。誰かが、命を捧げようとする前に」


 自分の全てを賭けてでも、動けなくなってしまった全ての人を助ける。それが、村の伝承に負け、自身の嘆きと絶望のままに真幌月を生み出してしまった燈の償いであり、できることだと思った。

 燈は一度深く瞬いた。それから疾風を見て、淡く微笑む。


「これが私が考えていたこと。私の決意であり夢。この話を、ずっと疾風に聞いてほしかったの。まだ、具体的に何をしたらいいかとかは分からないけれど……」


 照れたように笑う燈を、疾風は息を詰めて見つめていた。酷く衝撃を受けたようにじっと固まっている。そのまま暫く動かないでいたが、やがてその表情が柔らかく緩んだ。


「燈は、凄いな」


「な、何? 急にそんなこと言って」


 燈は戸惑うが、疾風は感慨深げに溜め息をつくだけ。


「そのままの意味だよ。燈は凄い。俺も頑張らないとな」


 何かを恥じるように笑う疾風に、今度は燈の方が戸惑った。


「疾風だって凄いよ。いつも守ってくれて、ずっと一緒にいてくれて。感謝してもしきれないくらい」


 早口で言うが、疾風は微笑んだまま緩く首を振った。


「俺はまだまだだよ。いつも、燈に気づかされてばかりだ」


 そんなことないと言おうとした燈を、疾風が制した。


「燈、俺にも手伝わせてくれないか」


 それは、一点の曇りもない真剣な眼差し。



「俺も、燈の夢を叶える手助けがしたい。燈の望む世界が見てみたいんだ」



 疾風の言葉に、燈の顔がぱあっと輝いた。


「疾風、ありがとう!」


 燈は、力強く前に押してもらえたような気がした。僅かに残っていた不安な気持ちがみるみる消えていく。疾風がいるなら大丈夫だ。彼が一緒にいてくれるなら、なんだってできる。そう強く思えた。


(やっぱり、疾風は凄い)


 彼がいてくれるだけで、前に進んでいける。明るい道が、もう目の前に見えている。

 雪を降らせる雲の間から、月が見えた。冴えた冬の月。

 それは、雲間を真っ直ぐに突き進む見事な半月だった。


                  


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