第3話 桃味の音楽

 できたのはじゃがいものチーズがけ。

 そうだご飯のタイマーはセットして出かけたんだっけ。しばらく蒸らさないと。今日はネギに豚肉を冷蔵庫に残っていた野菜と一緒に炒めて味付けして、仕上げにオイスターソースをからめれば、みんな食べてくれる。

 私は簡単にもやしを洗い、キャベツも洗って千切りをし、お茄子は洗って切り、それらの水を切って下ごしらえを済ませて置いた。それから今日2パックで安かった豚肉、一つを出して置いてもう一つは冷凍庫へ。

 健太を迎えに行ってもいいけど、せっかく学童で友達が出来た所で「おかあさんはやい」と怒られるのでまだ時間はある。

 じゃがいものチーズがけは冷めたらまたレンジすればいい、私は一つかみだけ拝借することにした。チーズに合うワインみたいに、音楽があればいい。

 でも動画サイトにそんな検索機能はない。

 いつだったか調べたら音楽を味覚に感じるのは何万分の1だったっけ。しかたないからこないだ食べたらそこそこ甘酸っぱくて美味しかったRADWIMPSの音楽でも食べようか、ベストヒットがいい、それなら色んなアーティストの味がして面白いし、ただまれに好きな味ではない音楽が流れることもあって、どんなのって……前言ったみたいに悲しい歌詞だったりするとその声のせつなさが私の中を悲しい気持ちでいっぱいにするから嫌。

 だから当たり障りの無いことを言うようだけど、悲しい歌は好きじゃない。

 それなのに動画サイトの自動再生は流行っているとか言って悲しい恋の歌を食べさせようとする、再生を止めるより早く、私はヘッドフォンを外す。

 ひと息呼吸を置いて、仕方なくいつも食べている宇多田ヒカルの再生リストを流す。彼女の声は独特の甘みと酸味があり、歌詞もだいたい知っているので、もはや定番のフルーツの一つ桃や梨みたいに安心して手に取ることが出来る。桃みたい、と言ったのは甘いからだ。

 食べて、聞いたことがある、安心できる声というのは強い。

 健一さんと結婚を決めたのも、決め手となったのは友人だった健一さんの声を私は前からずっと食べていて、甘くもなく苦くもなく落ち着く味で、ちょうどご飯みたいに、これなら毎日食べても飽きないと思ったからだ。

 実際私の携帯には、健一さんが何の気なしに入れた留守電の「今日は遅くなる」が録画してある。

 今日はって、いつもじゃないの、健一さんは言った。俺が定時に帰るためにどれだけの苦労をしていると思う?それでも納期とか色々あるらしいし、男の人には付き合いもあるし、私は返したけれど俺はできるだけ定時で帰るマン、仕事したくないでゴザルー!などとおどけて笑っていた。

 ……仕事したくないでゴザル?働いたら負けでゴザル?夫は時々インターネットで流行ったという言葉を使う、私にはわからない。

 それでも、時々何を言っているのかわからなくても夫の声は落ち着く、夫の仕事の内容がわからなくて、曖昧な返事しかできなくても、私は健一さんの声を聞いているとすっかり落ち着いてしまい眠くなる。

 いつの間にか分針は進んでいる、さて、パートを決めないと。

 私はコーヒーを飲みながら求人誌に向かった。

 パートに行きたい、相談したら健一さんはただ「行ってみれば?」とだけ言って、そのままニュースを見ていたから、求人誌を貰って来たのだ、早速取り掛かろう。

 給食の調理、学童クラブ、レストランの厨房、私にできそうなもののいくつかのページに付箋を付けて、さてまだ健太は帰ってこない。

 そうだ、音楽プレーヤーに常食してもいいような美味しい音楽だけを厳選して入れているのだ。

 聴いたことがある音楽なら、味も知っているから。

 これを食べているうちにいつもなら健太は帰ってくる、私はフォルダを移動して、少し昔のいきものがかりを食べながら健太を待った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る