第三章 猫を被らば笑顔が鎧2

 はしから端まで五十歩ほどの土地を、成人男性を縦に二人並べたほどの丈の壁が、ぐるりと取り囲んでいる。壁のへこんだ部分に設けられた扉を解錠かいじようし、壁内へと踏み込む。扉の先に広がっていたのは、薄茶と緑の混じった草原だった。

(……当然だけど、瘴魔しようまの姿はどこにも見当たらないわね)

 視界内にあるのは、午後の陽光を浴びる、何の変哲へんてつもない風景だ。

 ひとみを閉じ、瘴魔特有の気配をさぐってみても、感じるのはごく小さな違和感いわかんだけ。

(確かに、けがれのたまりやすい『吹き溜まり』だけあって、少しだけよどみはあるけど……。でも、私が集中してやっと感じられる程度じゃ、ここから瘴魔が発生するようになるまで、あと何十年かかるかわからないわ)

「シルヴィア様、何かここに、気になるものでもございましたか?」

「何でもありませんわ。ただ、確かに瘴魔は消えせたのだと、そう実感していたところです。もう少しだけ、この辺りを見て回ってもよろしいですか?」

「はい、もちろんです。私は教会内で、引継ぎの際の資料をまとめていますので、散策がおすみになったらお声掛けください」

「お言葉に甘えて、よろしくお願いいたしますわ」

 微笑びしようとともにパリスを見送ると、シルヴィアはアシュナードへと振り返った。

陛下へいか、さきほどからだんまりですが、どこか調子が悪いのですか?」

 パリスとシルヴィアが話す間、アシュナードは二人の間をさえぎる置物のようになっていた。

 いつもは無駄むだ雄弁ゆうべんで、口を開けば皮肉ばかりの彼にしてはめずらしかった。

「私が口を開くより、おまえに任せていた方が、話が円滑えんかつに進むと思ったからな。あの手の人間は、崇拝すうはい対象以外の話に聞く耳を持たないものだ。現にあいつは、皇帝である私のことすら眼中になく、おまえに対して一直線だったろう? ある意味とても大物だよ」

 言われてみれば、パリスは威圧感いあつかんあるアシュナードの姿にも、微塵みじんおそれを表さなかった。

「確かに、パリス様はなかなかの大人物かもしれませんわね」

「そしてとても厄介やつかいで、めんどくさい人間でもある。あいつは記憶きおくの中のあこがれの女性と、おまえを重ねてしたっているのだろう? 思い出をこじらせた男は、始末に負えないからな」

 実にめんどくさい男だ、と。

 吐き捨てる言葉には実感がこもっている。アシュナードは、皮肉気ながらも切なそうで。

(ひょっとして、陛下にもパリスと同じように、忘れられない女性がいるのかしら?)

 訪れた直感に、日差しがかげったように感じた。

 アシュナードとは政略結婚だ。愛情を期待してはいないが、目の前にいながら、心は別の人間のものだとしたら、やはり少しだけさびしかった。

「まぁ、あいつのことは今はいい。過去に何があろうと、おまえが話していて、不審ふしんな点や気になるところも無かったんだろう?」

「はい。この『吹き溜まり』におかしなところもありませんし、パリス様も今は、瘴魔退治の依頼はないとおつしやっていました。この教会の近くで、瘴魔絡みの異変が起こっているとは考えにくいです。私はこの『吹き溜まり』に異常を見出みいだせませんが、陛下の目から見て、何か気になる点はありますか?」

「壁に囲まれている以外、ごくありふれた草原にしか見えないな。それに、もし瘴魔がここで発生し、外に出て行ったなら、どこか壁の一部がこわれていなければおかしいはずだ」

「えぇ、その通りです。人里近くの『吹き溜まり』は壁でおおわれていますが、瘴魔に対しては、少しの足止めにしかなりません。ここの壁にも、いくつも穴を補修した跡があります。ただ、どれも昔のもので、最近ついた傷らしきものは見当たりませんわね」

「ならばやはり、ここから瘴魔が自然発生したとは、考えられないということか」

「同じ考えですわ。けど、せっかくここまで来たんです。もう少し『吹き溜まり』の壁の周りを見て回りたいと思いますので、付き合ってくださいませ」

 シルヴィアは壁に手をあて、『吹き溜まり』の中を歩き始めた。瘴魔の気配に神経を集中させるが、どこもごく薄いけがれがあるだけだ。内側を一周し、扉を開けて壁の外周を回るが、やはりどこにも異変は無かった。念のため、教会の周りを歩き怪しいところがないかと観察していると、教会前の道を、すきかかえた中年の女が通りかかる。先ほど声をかけてきた農婦が、農作業を終え移動するところのようだった。

「おっ、さっきの貴族様じゃないか。用事はもう終わったんですかい?」

「えぇ、じきに終わりそうです。そちらも畑仕事ご苦労様です」

「ははっ、労ってもらうとはありがたいね。そっちの相談事も、無事に解決したのかい? 神官様にだまされてたりしないかい?」

「あの、すみません。先ほども気になったのですが、騙されるとは、どういうことでしょうか?」

「何って、決まってるじゃないか。神官様の中には、詐欺さぎを働く人間も多いですから」

「神官が、詐欺を……?」

「知らないのかい? おじようちゃん、箱入り娘なんだね。神官様がやる悪事っていったら、瘴魔が出たってうそをつき、退治料をふんだくるんですよ。私の妹のとつぎ先の村でも、大金を奪われた奴がいましてね。いくら金がないとは言っても、人様の金をかすめとるようじゃ終わりさ」

 女性はなげくそぶりをしつつも、生き生きとした様子でしゃべりだした。

「ですが、この教会の神官は―――――」

「あぁ、あぁ、わかっているとも。ここの教会にいらっしゃる神官様は、代々いい人ばかりさ。詐欺にまで手を出すとは思わないけど、人間、金の誘惑ゆうわくには弱いものだろう? お嬢ちゃんたちも相談の見返りに、金貨か何かふっかけられて要求されたんじゃ――――」

「要求されたとして、それがおまえに何の関係があるんだ?」

 嬉々ききとして話す女性を、アシュナードがややかに切り捨てた。

 女性は不満そうに口をすぼめ、アシュナードから目をそらしつぶやいた。

「何って、その、もし貴族様たちがぼったくられてたら大変だろうって……」

「物は言いようだな。他人の事情に、面白おもしろ半分で首を突っ込みたいだけだろう」

「そんなことは……」

「うら寂れた教会を訪れた二人の『貴族様』。確かに、明日の井戸端いどばた会議の格好かつこうの話の種になるだろうな。今ここを通りかかったのも偶然ぐうぜんでは無く、私たちが外に出るのを待ち構えていたんだろう? 貴重な時間をついやし、ご苦労様なことだ」

「っ………」

 図星なのか、女が唇をゆがめ黙り込んだ。

 女はもごもごと、言い訳なのか悪態なのか聞き取れない言葉を発すると、鋤をにぎりしめ、大股おおまたで歩み去ってしまった。

 その背中を冷めた視線で見送ると、アシュナードはシルヴィアへと向き直った。

「見苦しいものを見せてすまなかったな」

「そんな、なぜ謝るのですか?」

「いや、この国の主として謝ろう。何せ今のような人間は、この国では珍しくない」

「…………どういうことですの?」

 アシュナードを見上げると、彼もまた感情の読めない瞳でシルヴィアを見つめ返してきた。

「十五年前、おまえが深い眠りにつく前は、教会の神官、瘴魔退治を行う祝片しゆくへんの子は、それこそ神のごとく有難ありがたがられていただろう?」

「えぇ、だって、瘴魔をはらえるのは、私たちだけだったのですもの」

「そう、その通りだ。おまえたちが強く敬われていたのは、瘴魔へのおそれがあったからこそだった。瘴魔の脅威きよういが消えて、もう十五年。喉元のどもとすぎれば、熱さも忘れるというやつだ。多くの人間は恩を忘れ、敬意を忘れ、結果として神官たちの多くは金銭的に行き詰まった」

「そのせいで、いもしない瘴魔の存在をでっちあげ、退治するふりをして詐欺を行う神官も出てきた、ということですのね」

「あぁ、そういうことだ。おまえの祖国である教国の枢機卿すうききようたちは、この先五十年は瘴魔は出没しないと宣言しているが、全ての人間が、それを頭から信じたわけでは無かった。もしまた瘴魔が現れたらとおびえる人間の心に、悪徳神官たちがつけこんだということだ」

「……不安を抱えた人間を騙すのは、簡単なことですもの」

 そもそも瘴魔の性質について、正確な知識をそなえた一般人は少なかった。

 大多数の人間にとって、瘴魔とは人を襲う、黒い毛皮と真紅の瞳を持ったけもの、という程度の認識しかない。家屋の外壁に、獣の爪痕つめあとに見える傷をつけることで、瘴魔の出現を騙ることも難しくなかったはずだ。

 ――――『祝片の子の力で退治できたから、あれは瘴魔である、か』

 王城で瘴魔を退治した夜、アシュナードに言われた言葉を思い出す。

(あれはきっと、詐欺師の常套句じようとうくだったのね)

 瘴魔が出現したと不安をあおり、祝片の子の自分たちの力で退治できたのだから、あれはやはり瘴魔だったのだと。そう、いもしない瘴魔の出現をかたって、悪事に励む者がいたのだ。

 シルヴィアの推測を肯定こうていするように、アシュナードが説明を続けた。

「金策に困った、一部の神官が詐欺に手を出す。するとますます神官がけむたがられ、困窮こんきゆうする者が増え、更に悪事に走る人間が出てくる」

「…………悪循環あくじゆんかんですわね」

「あぁ、そうだ。だが当然、全ての神官が悪事に手を染めているわけでは無い。善良な神官が汚名おめいを受けぬよう、目を光らせていたつもりだ。だが先ほどの女のように、世間話の一環いつかんで、おまえの祖国の人間をおとしめるやからがいる現実は、国主である私の力不足に他ならない」

 シルヴィアから目をそらすことなく、アシュナードは静かな声で言い切った。

「先ほどの女に代わって謝罪しよう。いわれなき非難を受け、おまえも傷つい―――――」

「いえ、ちょっと待ってください。私、そんな謝られるほど、傷ついてはいませんわ」

「……なんだと? それは、強がりか?」

「違います。素直すなおな私の気持ちですわ」

 怪訝けげんそうなアシュナードに、シルヴィアは自らの心情を説明した。

「パリス様を貶めるような言葉は、聞きたくなかったです。でも、私自身は大丈夫です。だって、詐欺を働く神官が出ることは、予想していたんです。十五年前、まだ本当に瘴魔が出没していた頃から、偽の瘴魔出現を吹聴ふいちようする悪徳神官は、少数ながらいました。金銭に困る神官が増えれば、詐欺が増えることも、そんな神官を煙たく思う人間が現れることも、予想できましたから」

 かつて、神官はあがめられていたが、彼ら彼女らも、一皮むけば欲を持った人間だ。

(詐欺は許されないこと。でもお金に困ったら、その道を選んじゃう人がいるのもわかるわ)

 人々の尊敬を集めるため神妙に振る舞おうと、その内心には正負様々な感情が渦巻うずまいている。

 そのことを、常に猫を被り続けるシルヴィアは誰よりも知っていた。

(まぁさすがに、通りすがりの女性にいきなり瘴魔退治詐欺の話題をもちかけられるとまでは予想できず、後手後手に回ってしまったのも事実だけど……。ああいう詮索せんさく好きの人って、下手へたに言い返すと余計に盛り上がるし、厄介なのよね)

 教会で働くパリスの頑張りや、かつて身をささげた赤髪の聖女の献身けんしんを忘れたかのような言い方は腹立たしかったが、だからといって感情的に反論しては、話が長引くだけだ。

 対応に思いあぐね、女の話を上手うまくいなせなかっただけなのだが、アシュナードにはシルヴィアが傷つき、戸惑とまどっているように見えたのかもしれない。

(心配、してくれたのかしら?)

 だからこそ、なか喧嘩けんかをふっかけるように、野次馬やじうま女性を追い払ってくれたのかもしれない。わかりにくい優しさに、心が温かくなった。

「お心遣こころづかい、ありがとうございます。でも、陛下に謝ってもらうようなことではありませんわ。あの女性のような方は、どんな国にも必ずいるもの。それに、少数とはいえ詐欺を働く神官がいる以上、あの女性の話していたことも、まるきりのでたらめではありませんもの」

「…………だからといって、おまえはあの女の物言いや、教国や神官に対する侮辱ぶじよくを受け入れられるのか?」

 アシュナードはシルヴィアを見据えると、淡々たんたんと疑問を吐き出した。

「おまえは本来十五年前の封印の儀のあと、死ぬまで眠り続けるはずだった。人生全てを差し出す覚悟かくごでこの大陸を救ったのに、目を覚ましたおまえが見たのは弱体化した祖国と、瘴魔退治の恩を忘れた人間だ。今はまだ、救世の聖女本人たるおまえ自身への人々の敬意は残っているだろうが、瘴魔の脅威無き今、それとていずれ薄れゆくもの。この現状を、おまえは理不尽りふじんだと、納得できないとは思わないのか?」

 問いかけるアシュナードは、嘘偽うそうつわりの答えを許さない雰囲気ふんいきだ。音も無く緊張感が高まる中、シルヴィアは気圧けおされることなく、静かに口を開いた。

「理不尽を、全く感じないわけではありません。ですが、瘴魔なき世界で教国の立場が弱くなることも、私たち祝片の子の成したことが忘れられゆくことも、予想し覚悟していましたわ」

「予想していたなら、何故おまえは封印の儀にのぞむ覚悟を決めることができたのだ? 封印の儀の影響えいきようで祖国が困窮こんきゆうし、神官たちやおまえ自身に対する敬意すら失われていくと理解していたんだろう?」

「十五年前は増えすぎた瘴魔のせいで、異常気象が続いていました。封印の儀を行わねば、教国を含む大陸全土が危機におちいり、多くの命が失われたはずです」

「……………顔も知らない人間の命を救う。そのためだけに、おまえは封印の儀を行ったというのか? たったそれだけの理由で、なぜ命をすることができたのだ?」

「それは、私が聖女だからです」

 澄んだ声音こわねで告げ、アシュナードを見上げる。

 シルヴィアの瞳を、その奥にある思いを見定めるように、アシュナードが金の瞳をすがめた。

(怖いくらい、まっすぐで強い視線ね……)

 いつもの人を食ったような雰囲気が消えたアシュナードは、抜き身のやいばのように美しかった。

 まされた瞳に、体のしんふるえるのがわかる。

「聖女として大陸を救うことを、私はみなから求められていました。その期待に、こたえなければと思っただけです」

「人に望まれたというだけで、命を投げ出す理由になると?」

「えぇ、その通りです、私にとっては、それだけで十分でした」

 揺らぐことのない答えを、シルヴィアはりんと言い切った。

(私が聖女として求められたのも、教国に居場所を与えられたのも、全ては封印の儀を行うためだったんだもの)

 物心つく前に親をくしたシルヴィアは、自身の存在を認めてもらうことに貪欲どんよくだ。

 周囲の期待を裏切り、居場所を無くす選択せんたくなど、到底とうていできるはずが無かった。

「…………どうやらその答え、嘘では無いようだな」

「納得していただけましたか?」

「あぁ、納得した。おまえの瞳と言葉に、偽りの気配は感じなかった」

 言いつつも、アシュナードの瞳は真摯しんしな光を宿し、シルヴィアを見つめたままだった。

「――――だからこそ、わからない」

「わからない? 何がですか?」

「おまえが封印の儀を行う覚悟を決められたのは、儀式を行えば全てが好転し、明るい世界が訪れると信じているからだと思っていたのだが、違うのだろう?」

「……私はそこまで、無邪気むじやきに未来を思い描くことはできませんでしたわ」

「そうだろうな。おまえは楚々とした聖女のようで、口は回るし頭も回る。封印の儀の及ぼす影響、その負の側面について理解していたのも本当だろう」

 アシュナードは確認するように告げると、そっとシルヴィアのおとがいへとれた。

「にもかかわらず、おまえは役割を果たすためにと、命を差し出す選択をした。何がおまえを、それほど役目に駆り立てた? その細い体のどこに、強靭きようじんな意志が宿っているのか――」

 おとがいにかけられた指に力がかかり、顔を上へと向けさせられる。

 アシュナードの瞳は、先ほどまでの鋭くも静謐せいひつな雰囲気と違い、猛禽もうきんを思わせる熱を宿している。獲物えものを見るような、熱情を帯びた視線にすくめられ、胸の鼓動こどう脈打みやくうつ。

 瞳は強く、でもわずかだけ、シルヴィアから焦点しようてんがずれているような気がした。

 かすかな違和感いわかんに、しかしシルヴィアは直感した。

(これ、私を通して、別の誰かを見てる……?)

 その生い立ち上、シルヴィアは人の視線に敏感びんかんだ。聖女として振る舞ってきた中で、自身に向けられる感情に、目をらすくせもついている。それらの積み重ねが、アシュナードの視線に、そのはらむ意味に気づかせたのだ。

「っ……!!」

 思わず喉を震わす。アシュナードがわずかに瞳を見開き、その指先を止めた。

「……怖がらせて悪かったな」

 アシュナードは指を引くと、そのままシルヴィアから身を離し、背を向けた。

「そろそろ、パリスに頼んでいた引継ぎ資料もまとめ終わった頃だろう。資料を受け取って、さっさと城へと帰るぞ」

「……わかりましたわ」

 アシュナードの背に答えを返し、歩き出す。

 心を気遣われ、少しは打ち解けられるかもと思った。

(でも、アシュナードの心の中には、大切な誰かが―――たぶん、女の人、忘れられない人がいる。気まぐれに私に優しいのも、私を通して、その人を見ているにすぎないんだわ)

 ある意味アシュナードは、パリスと似たもの同士なのだ。

 軽い落胆らくたんむねに、シルヴィアは瞳を眇めたのだった。



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次回は【2018年8月28日(火)更新予定】

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