格ゲー配信、いちげきひっさつ
初雪がいないとなると二人も特に何かしたいというわけでもなく、俺は一足先に部室を出た。いつもならトドメのダッシュ十本をやっているところだろうか。まだ体のいろんなところが痛んでいる。拳を強く握ると指先が張るような感覚がした。
もう戦えないとは思わない。だが初雪が見せた普段とはまったく違うあの暗い表情は、どうしても俺の脳裏から消えようとはしてくれなかった。
「とちめん坊。確かそう言ってたな」
いったいそいつは誰なんだろうか。考えてみたところでしかたがない。言われた通りそいつの名前を探してみるしかなさそうだ。
家に帰って自分の部屋のパソコンを起動する。そういえば今日やった同人ゲームはフリーゲームだったな。少し面白かったものは後でダウンロードしておくか。いつのまにか初雪に洗脳されているような気がする。あんな素人目にも作りが甘いと思ったはずのゲームが面白いと思えてしまうなんて。
検索欄にとちめ、と打ち込んだところで候補欄にもうとちめん坊という名前が挙がってくる。相当有名な名前らしい。検索候補の一番上は。
「格ゲープレイヤーwiki? こんなものがあるのか」
とちめん坊、とタイトル付けされた記事を読む。ひなたサンが言っていたプレイヤーだが、記事はそれほど長くなかった。
「去年の全中覇者か」
全国中学格闘ゲーム選手権。通称JHEVO。その中にある商業格闘ゲーム『
「これと初雪に何の関係があるんだ?」
記事から戻ってまた検索候補を眺めていると、動画配信サイトのアドレスが目に留まった。とちめん坊の格ゲー配信。タイトルは『いちげきひっさつ』?
なんとなく気になってその配信を覗いてみる。映っていたのは当たり前だが、去年に全国を制した『BlueMarriage』の動画だった。
ただ、内容は全国覇者のものとは思えなかった。視聴者の数は六ケタを超えている。なのに映っているのは一撃必殺を当てるためのルート紹介ばかりだ。さっきの記事を読んだ限り、一撃必殺技はまったく役に立たないとは言わないが、それよりも正統に勝ちに行った方がいいというくらいの立ち位置らしい。
そんなゲームの一撃必殺の当て方なんて全然需要なんてないだろう。それをこんなに人数が見ているというのは、とちめん坊という人間がどれほど格ゲーがうまいか、そしてそれが多くの人を惹きつけているかということだった。
そしてとちめん坊とは名乗っているが、聞こえてくる声は加工こそしてはいるものの、間違いなく初雪のものだ。
「なんでこんな配信やってんだ」
もし本当に強いって言うなら普段の本気の対戦を配信すればいいだけなのに。実際にコメントでも、早く復帰してほしい、だとかクソゲーの波動に目覚めてしまった、だとかひどい言われようをしている。まぁ、悪意というものはなくそういうノリという感じではあるんだが。
「えっと今日は、この間発見した新しいバグを紹介しようと思います」
そう言って開いていたBlueMarriageの画面を閉じて、とちめん坊、初雪は当然のように格闘超人を画面に映した。それだけでコメントがあっという間に阿鼻叫喚に変わる。
「クソゲーの配信はやめろぉ!」
「まだこのゲームやってるのか。プレイヤーは増えないぞ」
「永遠の格闘超人全一プレイヤー」
ひどい言われようだが、事実なので俺も否定できることはひとつもない。このゲームを本当の意味でやり込んでいると言えるのは初雪だけ。世界中の人が見ているであろうこの配信ですらもたった一人と言わしめるほどのものなのだ。
「今日のやつは、無敵判定をすり抜ける催眠針バグです」
とても誇らしげな声で話してはいるが、その実視聴者は誰もついてきていない。たぶんこの十万人超えの視聴者の中でも、このバグを知っているのは俺だけだろう。今日嬉々として初雪に語られた最新のバグらしいからな。
さっきよりも明らかにトーンの上がった声で語られる初雪が発見したバグは、その凄さに対してコメントの反応はあまりにも薄かった。さっきまではかなり盛り上がっていたのに、今は人が消えたように動かなくなっている。
それでも視聴者が消えていないあたり多少は愛されてはいるんだろう。まぁ、俺も本気でプレイしようとは思わないが。
そんな中でも初雪は気にした様子もなく、説明を続けている。もうこのゲームは終わった、と言いつつも声は生き生きとしていた。さっきまでよりテンションが上がっているようにすら見える。
「確かに一番楽しそうではあるな」
格ゲーを勝ち負けの次元から助け出したいというのはこういうことなんだろうか? 制作側からすればバグが見つかるだけで冷や汗が出るだろうが、こうして楽しんでくれているなら少しは胃の中の鉛も軽くなるんだろうか。
初雪一人だけが楽しそうな配信は結局六ケタの視聴者を維持したまま終了した。
「あの感じだと結構やってるのか」
チャンネルページを覗いてみる。過去放送を見るとどうも毎週金曜日の夜八時から配信をやっているらしい。元気なことだ。
「って、チャンネル登録四億人?」
いくらなんでもおかしいだろ。確かに今や世界的に人気のあるeスポーツ。その中でも格闘ゲームはまだまだ日本が最先端をいっていると言っていい。その国の中学王者となれば注目の的でもおかしくはない。
それにしたって世界の五パーセントくらいが注目しているなんて、この間、ボクシングで高校の新人王をとった俺なんか比べものにならないほどの有名人ってことになる。なんで俺はそんなやつとあんなゲームをやっていたんだろうか。
「それに強えなら別に大会くらい出ればいいだろうに」
勝てないからやらない、というやつならボクシングでも何人も見てきた。でも勝てるのにやらないっていうのは結構珍しい。圧倒的に強いって言うならまだしも、中学と高校じゃ競技のレベルだって変わってくる。それになによりあの初雪がそんな慢心をしてると思えなかった。
初雪の動画チャンネルから過去の動画を探ってみる。とちめん坊という昔の名前を使っているだけあって、過去の大会の対戦リプレイも多く残っていた。
「なるほど、つええな」
素人目に見ても圧倒的だった。基本の丁寧な立ち回りを隠すように散りばめられた大胆な択が相手の勢いを完璧に削いでいる。トーナメントの一発勝負。それも学生となれば、一度生まれた強引な選択肢をやってくるという恐怖を振り払うのは簡単じゃない。
コメントにも復帰してほしいって話があるんだから出てやればいいのに。そんなこと思ったってあいつ自身が決めたことだ。俺がとやかく言うことじゃない。それはわかっている。でも。
「強いならなおさら出ればいいじゃねえか」
負けるのが恥ずかしいって言うならまだしも、強いなら勝負に出て行く義務がある。それが強者の役割だ。弱い奴に夢を見させてやるんだ。そして同時に自分も最高峰に立つ夢を見る。それが強いってことじゃないのか。
少なくとも俺にとってはそうだった。毎日のきつい練習も減量も殴られる痛みも。すべては勝利のためにやり続けてきたことだった。それは自分が勝つという理由だけじゃなくて、勝つことで誰かが喜んでくれる。それもまた勝利の喜びだった。
あいつがどうして戦うことから逃げ出したのか分からないが、もう一度炎をつけてやる必要がある。今のままじゃあいつらと同じだ。リングで勝てないからって俺を取り囲んでいいように殴ろうとしたあいつらと。それとあいつが同じだなんて、絶対に認めたくなかった。
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