無能と呼ばれる二世皇帝の妻になったら、毎日暗殺を仕掛けられて大変です

佐伯 鮪

プロローグ 婚活からの逃走


 空に浮かぶ満月。

 普通に都会にいたら見ることのできない、満天の星。

 月明かりを浴びながら、ゆったりと暖かいお茶を啜る。

 目の前には、すっきりと整った顔立ちをした優美な男性。


 その人は、この国の皇帝陛下。

――ええっと、なんでこんなことになってるんだっけ?


.+*:゜+。.☆


「社長、本日のプレイアデス社の社長との会食ですが、専務も同行可能とのことです」


 昼下がりの、品の良い調度品で揃えられた社長室にて、必要事項を報告する。これまた品の良い社長が、ゆったりと答える。


「ああ、調整ありがとう。今日は君は同席しなくて大丈夫だよ」

「承知いたしました。料亭への連絡は済ませておきますので、よろしくお願いします」


 某大手食品メーカーの秘書課で働く橘(たちばな) 詩音(しおん)の仕事は、主に社長のスケジュール調整や諸般の手配事務などである。

 大手企業の秘書課と言えばもっと慌ただしいイメージがあったが、担当する社長やら専務やらの人柄や仕事の仕方によって大きく左右されるものである、ということに気付いたのは配属されてからだ。

 幸いにして、社長は敏腕だがあくせくすることを好まない人で、その下で働く詩音も存分に恩恵にあずかっている。

 最初の配属は営業部だったので、バリバリ午前様で働くことも多かったが、三年前にたまたま秘書課に異動になってからというもの、割と健康的な会社員生活を送れているのだった。


「営業時代は早く辞めたいって毎日思ってたけど、秘書課は快適すぎてもう他の仕事できない気がする~」


 事務所に戻った詩音がそうぼやくと、隣の席の同僚が相槌を打つ。


「わかるわかる。とはいえ、うちの秘書課は二十代ばっかりだからね。三十代になる前に別部署に志願するか結婚退職するかしとかないと、どこに飛ばされるかわかったもんじゃないよ」

「ですよねー。っていっても、今時結婚で退職ってのも現実的じゃないよね。はぁ、どうしよ」

「まぁその辺は相手を見つけてから決めればいいでしょ。で、今日さ、合コン一人足りなくなっちゃったんだけど、どう?」

「あ、ほんと。行く行く!ちょうど夜の会食同行なくなったんだ」

「おっけー。じゃ、午後の仕事もちゃちゃっと終わらせて定時で出ますか」

 

 仕事は、そこそこ楽しい。同僚とも仲良くやれている。

 世間ではブラック企業だワープアだと騒がれているが、健康的な生活が送れてお給料もそれなりに安定しているんだから、とても恵まれた環境にいるのだと思う。秘書課というその肩書だけで、合コン受けだって悪くない。


 だけど、なんか物足りない。

 そして、その理由は大体わかっている。


 これから、将来的にやりたいことや、なりたいものが漠然とすら見えていないこと。

 絶対にこの仕事をしたい!というわけでもないが、専業主婦になって旦那様を支えたい、というわけでもない。特別贅沢したいわけじゃないけれど、自分のお給料が毎月定期的に入ってこないと考えると、それはさすがに窮屈そうだと思ってしまう。いつか子供が生まれたりして、共働きしたりして、きっと大変なんだろうな、と考えるが、他人事のように思う。


 気付けば二十八歳。

 合コンに誘われればとりあえず参加するものの、ここまで来るうちに目も肥えてしまって、なかなかピンとこないのが、正直なところだ。


 それでも何か変化を求めて、今日も新しい出会いにわずかばかりの期待をかけてみる。



「それでは、かんぱーい!」


 間接照明のおしゃれな、少しばかり高級な居酒屋店で、幹事の掛け声に合わせてグラスを皆で合わせる。


「皆さん食品メーカーの秘書に、広報なんですね。さすがお綺麗ですねー」


 日焼けした肌に白い歯が光る、精悍な顔立ちの男性が話し始める。


「いやいや皆さんこそ、商社の仕事でお忙しそうなのに身体も鍛えてて、凄いですね」

「あぁ、海外勤務って言ったら聞こえはいいけど、やることは現場監督ですよ。日焼けも筋肉も、仕事の副産物だし」


 社会人も板につく年齢になってくると、出だしは商談のようになってくる。

 お互いにこやかに褒め合いながらさりげない自慢を盛り込みつつ、ステータスの探り合い。

 合コンって、カードバトルみたいだな、と詩音は常々思っている。ステレオタイプな モテる スペックを匂わせつつ、意外性があり攻撃力の高い切り札をどのタイミングで出すか、というテクニックを駆使する。


 そんな駆け引きも、最初は面白くても次第に飽きてくる。しばらく談笑した後、詩音はトイレに行ったついでに、外付きの非常階段へやってきた。

 ギィッと重たい扉を押し開き、ズンと閉まったのを確認する。

 居酒屋特有のガヤガヤした声も聞こえなくなり、ふぅっと大きく息を吐いた。


 夜風が心地いい。


 詩音は目を閉じ、肩をさすった。

 悪くはない。

 それどころか、高給取りっぽいし、学歴もありそうだし、イケメンだし、体力もありそうだし、ノリも良さそうと、求められる条件がほぼ全て揃った、申し分ないスペックだ。

 なんというか、「合コン界における当たり」感は半端ない。


 ここまで考えて、そんな自分に自己嫌悪した。

 そりゃあ、結婚できないより出来た方がいいし、するなら相手の年収は低いより高い方がいいし、学歴は最低でも自分以上はあった方がいいし、不細工よりはイケメンの方がいい。

 何かと比較した時に優れている方を選ぶのは当たり前だと思うのだけど、それを繰り返しているうちに、自分がそれを本当に欲しいのかどうか、分からなくなってきていた。


――もっと、優れた人はいるんじゃないの?

――でも、いたとして本当に私はそれが必要なの?

――そして、そんな相手は私に何を求めるの?


(私は、何がしたいんだろうなー。したいこともない、なりたいものもない。それなりな環境にいるのかもしれないけど、だからって、私自身に何か価値があるわけでもない)


 そっと目を開き、地面よりは少しばかり近くなった気がする星空に手を伸ばし、手すりに背中を預けて寄りかかる。


(高いところに登っても、星は掴めないって理解したのって、一体何歳くらいだったっけ)


 その時、背中に感じていた手すりの固く冷たい感触が急になくなり、ふわっと身体が浮くような感覚を覚えた。


 えっ――

 星空を見つめたまま、視界の端に他の建物のネオンが流れるのを捉える。


――これは、落ちてる!?

――うそ、どういうこと? あの手すりが腐ってた? そんな欠陥建築、あり? あそこ七階だっけ? オシャレな店の割にビルはボロかった? っていうか、死ぬの私? この状況、なんもできないじゃん――


 一瞬とは思えない程に沢山の言葉が脳内を駆け巡り、そこで意識が、ふっと途切れた。




「ひぐっ!!」


 背中から何か柔らかいものにぶつかった衝撃と同時に、自分の声ではない呻(うめ)き声が聞こえた。ぶつかった勢いで、詩音自身もゴロゴロと床に転がった。何かにガシャンとぶつかった音がして、動きが止まった。


(痛ぁ、え、私、生きてる?)


 冷やりとした、ツルツルした感覚を頬に感じる。痛みで身体が動かせないまま目だけ開くと、少し離れたところに、うつ伏せで倒れている女性の姿が現れた。


「っ!」

 叫ぼうにも声が出ない。が、ただならない状況に、痛みも忘れて、両腕で床を押し上げて咄嗟に起き上がる。


(わ、私がぶつかったせいで? そ、そうだ、救急車を)


 詩音が四つん這いのまま女性に近づこうとしたその時、その倒れている人の先に、もう一人、人がいるのが目に入った。

 バスローブのようなものを着た男性が、尻餅をついた状態で目を見開き、こちらを見ている。


 これが、詩音と彼との、初めての出会いだった。

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