教団との接触

 俺の脚は徐々に回復し、やがて杖ナシでも歩けるようになった。

 俺たちはいま、ニヴァという国家に、不作だったという豆を大量輸送している。ニヴァでは豆が主食であり、それが不足すると庶民の生活が成り立たない。現に餓死者も出ているらしく、各地に借金も持っていたニヴァに対して周辺の国家群が食料の拠出をためらったこともあり、ニヴァは国家存亡の危機とすら言われた。

 そんなニヴァに助けの手を差し出したのが、リニャの決断だった。自らが負債を抱えてしまうリスクを承知しながらも、豆を各地から買い取りニヴァに安値で売ることを決めたときには、俺たちのなかでも異論が出るほどだった。

 散々議論が紛糾した後、俺はリニャの元に行ってこう囁いた。

「さてはリニャ、ニヴァに〝お姫様〟でもいるのか?」

「……いねえわ! そんな年でもねえし」

 リニャは少し思い当たる節があるような意味深な間を作ったが、すぐにおどけたように笑ってそれを否定した。

「じゃあなんでこんな貧乏くじを進んで引こうとするんだよ」

 正直に言って、俺もこの件には反対の立場だった。

「なんでって……この後時間あるか?」

「時間? 会議で中断した荷物の積み込みが少し残っているが……」

「じゃあそれが終わったら俺の部屋に来い」

 有無を言わせぬ口調と表情に、少し戸惑う。こいつがこんな深刻な顔をするのを初めて見た。

「――わかった」

 なにか俺にだけ明かせる何かがあるのだろう。その時はそれくらいのことしかわからなかった。


 慣れたもので軽々と荷物の積み込みは終えることができ、俺はリニャの部屋に急ぐ。

 一応彼にも個人の時間はあるので、ドアをノックすると、待っていたぞと中から声が聞こえた。

 俺は部屋に足を踏み入れると、そこにはリニャとバナージと、見知らぬ男が立っていた。

「バナージ? それとこの人は……?」

「この男性は、預言者に一番近い位置にいるおられるサーヴァ様だ。主に各地にいるミスナ教徒の保護と布教、預言者の身辺警護など、重要な任務を多数こなしておられる」

「そんな方が、なぜここに?」

 やりとりを黙って聞いていた男が口を開く。

「私は一つの懸念についてリニャ・フリークスと話していたところだ」

「懸念?」

「それにしても、自分は名乗りもしないとはな」

 知らない人間に警戒して自分がまだ名前を名乗っていなかったことに気づく。

「ろ、ロドリゲスといいます」

「ほう。リニャ、この者は教徒なんだろうね」

 サーヴァは俺に聞かずにリニャに尋ねた。彼も俺に警戒しているのかもしれない。この隊商は教団の保護を受けていると思っていたのだが、俺のことはこのサーヴァという人には知られていなかったということなのだろうか。妙だ、と俺の心がざわめいている。俺は存在を秘されていたのか? まさか。

「ああ。俺が保証しますよ」

 同じ宗教を信じていることをことさらに確認しなければならない事態には、どんなものがあるだろうか。最悪の想定を頭から追い出そうとする。きっと、行方不明の信者でもいるのだろう。俺が記憶を失って保護された信者だと思っているのかもしれない。矛盾すらしている説をたてて、それでも拭いきれない最悪の想定に俺は手に汗が浮かぶのを感じた。

 リニャは元軍人である。戦争が起こる可能性について敏感で、独特の嗅覚を持っているともいえた。その戦争というのは貧困も原因になりうる。そのことと、ニヴァが不作にあえいでいることとが重なった。

「リオさんたち、覚えていますよね」

 バナージがおずおずと語りだした。どうやら、俺が思索に沈んている間に俺と親交の深い人が話した方がいいと意見がまとまったらしい。

「蒼い目の一族、だよな……?」

「そう。そしてラーマ王国が興る前にあった巨大帝国の支配民族、クリ族の末裔です」

 俺も知っている情報を繰り返したのに、何か理由はあるのだろうか。北方から騎馬とともに南下し一大勢力を築きながら、農業政策の失敗でわずか三代にして滅んだ国の支配層は、革命で興った王国では最下層の人種として位置付けられた。

 バナージの目は寂しげで、どこか遠いところを見つめており、今から自分が言うことが事実でないようにと願っているようだった。

「そのリオたちがどうしたんだよ」

「我らがミスナ教団に、宣戦布告を宣言したんです」

「……え」

 あまりのことに、脳の回転が追いつかない。そもそも俺たちミスナ教徒を結び付けているのは宗教であって、各地に信徒がいる。決して俺たちはそれ自体で国家にはなりえていない。

 俺がバナージと出会ったきっかけである「預言者の亡命先」だが、いま預言者が身を寄せている国も、構成員全員がミスナという神に帰依しているわけでもない。他の宗教を信じていても、理解がある人なら共存していたのだ。それがなんだ、宣戦布告とは。宗教戦争などという絵空事が起ころうとでもいうのか。

「しかも……クリ族の大将として担がれているのは、リオさんなんです」

「フッ……担がれているとは希望的観測だな。それとも自分にかかった疑惑を晴らすためか?」

 サーヴァは待ちくたびれたとでもいうように、そう言葉を挟む。どこか苛つきも孕んだような言い草に引っかかるものがあった。

「疑惑って、どういうことです!」

 俺はあわてて叫ぶ。

「どんな疑惑が課せられているというんですか!」

「敵対している一神教の信徒をわざわざ命をかけて逃がしてくれるとは、リオとかいう首長も気前がいいことだ」

 皮肉たっぷりといった風に彼の口からでた言葉は、事の重大さを如実に語った。俺のかつての交友がばれたということか。あるいは、普段なら気にもかけなかった交友が、リオと敵対するという現実の前に意味を持ってしまったということかもしれない。

「あのときはお互いの宗教のことなんて話していません!」

「信用できるとでも思っているのか? 薄々勘付いただろうが、バナージとロドリゲス、貴様二人にはスパイ容疑がかかっている」

「……ッ!」

 薄々勘付いていたことだったが、もはや声にもならなかった。敵となった組織を率いる者とかつて行動を共にしたというだけで、こんな扱いを受けるなんて! それに、俺たちは一瞬ではあったが確かに分かりあおうと思ったはずだ。奇しくも信じる神の違いにより別たれたが――。

「申し開きがあるなら、聞こう」

 神を恨むような心の機微を見透かされたような気がして、俺は血の気が引くのを感じた。

「――申し開きもなにも、俺たちはスパイなんかじゃありません」

「ならばなぜ、預言者が誘拐された」

「――なん、ですって」

 声が掠れる。

 衝撃的な事実を俺に告げたその声は、殺意すら込められていると思うほどの、いや、実際込められているのかもしれない、低く冷たい声色だった。

 そうだ。預言者の一番近くにいて、身辺警護を行っている・・・・・・・・・・人間が、なぜこんな、ただの商人のところに来ているのか、それがそもそもおかしいだろう。なぜそこに気づけなかったのかと今さら悔やむ。俺は黙り込んでしまう。

「俺たちは預言者がいらした、ヴェーダという国に行く。だが、お前たちは連れていけない」

 リニャはそう言い、奥歯を噛みしめた。

「ニヴァとヴェーダは近い。そこに豆を送り届けるふりして、クリ族の目を欺いて無事に入国する手はずなんですね。ミスナ教徒の集結と団結を――」

「チッ……裏切り者に与える情報などない。ついてこい、二人とも」

 俺はサーヴァの仲間を想われるがたいのいい男二人に脇を抱えられ、逃げ出さないように力を入れられた。助けてほしいとリニャに視線を送ったが、彼の瞳は苦しげに揺れ、そして俺の視線から逃げるように目を外した。

 ああ、もう話はついていたのだと俺は分かった気がした。

 俺は力なくサーヴァの背を追った。

 生きて帰れ、そんな声が後ろから聞こえた気がした。

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