恥の上塗り罪隠し

 俺はバナージという青年と旅をすることになった。と同時に、預言者の亡命先を探すという行為の危険性にも気づいてしまった。

「大丈夫です、ラーマ王国ではああいう反応が大半ですよ。国境線を越えれば、理解者も増えます。歩を進めるのみですよ」

 一番傷ついたはずのバナージに慰められては、見せる顔がない。

 ラーマ王国において、信者数はわずかながら増加しているが、その信者たちも断片的に聞いた教えを不完全なまま信じているに過ぎない。ましてや、宗教に関心のない一般人にとって、それは気味悪い〝よくわからない言説〟に過ぎなかった。

 不完全な理解のまま、『己の心に克つ』という章にある「聖戦」を本当の暴力沙汰だと勘違いする信徒。それを見て〝よくわからない言説〟が〝狂気の集団心理〟であるとたちどころに了解してしまう他の国民たち。正しく理解していない信徒と知ろうとしない人々によって、対立はますます深まっていく。

 新興宗教は神が救おうとしている貧しき者にも誤解され、酷い排斥に遭った。妙なカミに憑かれた集団が現れたことで、政府の移民や貧民に対する締め付けが強くなったと敵視する人が依然多かったのである。俺たちはミスナの神の名を騙りテロを起こした者がいると犯罪者を見るような目で見られ、話さえ聞いてもらえなかった。

 敬虔な信者であるバナージでも、さすがにこれは堪えたと見える。昨日、俺たちが晒された憎悪は筆舌に耐えがたい。

 真っ青な底抜けの青空がその下で地を這って生きている人間の汗を奪っていく。一生懸命耕した畑はすぐに干上がってしまい、地下水脈からの灌漑も間に合わない。

 荒野の侵略は町を飲み込もうとしていた。神などいるなら苦労はしないと、口々に町の人は言った。

 荒野のなかにあるオアシスは、昔から旅人たちの喉を潤し交易の拠点として賑わった。その面影も、今はない。

 有り体に言えば、心の豊かさは経済的な豊かさと比例する。そんなことを、思い知らされた。

 鉱山都市を出発し、荒野の真ん中でミスナ神に帰依し、その荒野も抜け、辿りついたオアシスの住人たちは、バナージが白い布で頭を覆っているのを見てヒステリックにこう叫んだのだ。

「犯罪者が町に来たわ!」

 その声を始まりにして、俺たちの周りから人が消えた。そして恐る恐るといった風に俺に近づき、詐欺師に騙されていないかと心配して“こちら側”に来ることを勧められる。

 俺はそれを見て腹が立った。心配している風に装っているだけだとすぐにわかったからだ。彼はバナージが犯罪者であるというデマを全く信じてしまっていた。そして、バナージの視界に入らないよう、俺を盾にして・・・・・・俺に近づいた。

「お前さん、変な宗教に騙されちゃいないだろうね? 一神教は束縛が強く洗脳をすると聞いたが……」

 ここの人々は元来多神教なのだ、とバナージが耳打ちした。

「俺は洗脳など受けてはいないよ」

「そういうところなんだよね、洗脳されている人って」

 また遠巻きの者が言った。俺が非難するように彼女の目を見つめると、決まりが悪そうに視線を背けた。それでいて、仲間内で俺を罵倒しては安心しているらしい。

 まさにそういうところなんだろう、同調によって貶めるような“社会的ではない”集団というのは。

 反社会的なものが社会に蔓延しては、真理は時に悪とされる――そんな不条理な。

 俺は心のうちになにか御しがたい魔物を飼っているような心地になった。どす黒い感情が悪意を響かせ、加速度的に俺のなかを荒らしていく。

「負けてはなりません」

 バナージの声が聞こえた。

「悪意に負けてはなりません。己の心に勝ってこそ神の教えに近づけるというもの」

「そんな……奴らの悪意に晒され続けろとでも言うのですか? 俺はともかく、あなたはそんなものに晒されていい人間じゃない」

「ロドリゲスさん……あなたは無自覚に神の教えに背いています」

 珍しく俺を叱責するような口調になったバナージに、俺はドキリとする。

「お、俺が……?」

「はい。私を思ってくれてのことだとはわかっています。けれど、私の詠唱で泣いてくれたあなただからこそ、わかってほしい。私たちの神は差別をしません。私たちの神は等しくあの人たちの神でもあるべきなのです」

「……ッ、でも」

「どうかこらえてください。神のために神を裏切っては元も子もありません。どうか、私を信じて。『己の心に克つ』の章を思い出してください」

 俺はいたたまれない思いになった。憎悪の魔物は小さくなることはなく、さらに悲しさが拍車をかける。

「おい、見ろよ。あいつ、邪教の教えに完全に染まってんじゃん。俺たちを蛇みたいな目で見たぞ」

 この子どもの言葉には、さすがの俺もしまったと顔を青くした。俺は魔物を飼いきれず、その魔物の表情に呑まれたというのか――。

「ここは逃げましょう。彼らの憎悪は、私の力では制御できません。預言者ならばきっとできるのですが……今は命が大事です」

 切羽詰まったバナージの言葉を裏付けるように、荒野のオアシスの住民たちは各々、護身用と思われる短刀を持ち、弱き者を後ろへ庇い、我々を敵として見ていた。

 バナージが俺の袖を引き、俺も引かれた方向へ足を出す。

「逃げる気か、犯罪者どもめ!」

 その声を背に聞いて、歩が早まる。バナージはそんな俺のたった二歩だけ後ろを行く。俺が万一奴らに向かっていかないよう、俺の肩をしっかり掴んで。

 そんなバナージの姿をみて、オアシスの住民たちはなおさら私が強引に宗教の勧誘にあったと信じてしまった。

 敵意は増幅する。俺が撒いてしまった憎悪は俺の手に届かないところで芽吹き、醜悪な花を咲かせていた。

「くそっ」

 汚い言葉だと神はたしなめるかもしれないが、人を殺さないためだから許してほしい。俺は散々悪態を小さな声で呟いてから、息を大きく吸い、肩に回されていたバナージの手をとって駆けだした。

 塀に囲まれた砂漠の楽園のなかを手をとりあって走った。狭い路地に、俺がバナージを引いて入る。巻くことができた、と思った瞬間、身体が前のめりになる。何が起こったのか理解する前に、口のなかに血の臭いが充満した。

 いま俺たちを追っている人たちと同じ人間ではないことは予想がついた。なぜ逃げているかもわからない、傍から見れば追剥ぎに襲われた哀れな旅人に見えなくもなかろうに、なぜ。

 バナージが白い布を頭に掛けているからだというのか。追いたてられ逃げているだけの人間を悪と断定できた理由がそれか。

 俺の胃に傷をつけた手を、腹の前でしっかりと掴む。そしてその手の主をバラックから引きずり出す。

「ひぃぃ」

 荒野に井戸水の湧く恵まれた環境であるはずの、オアシスという小さな町にも階級はあるのか。妙に納得しながら、俺は彼を嘗めるように見た。神のために、いやバナージのために怒りを押し殺したあまりに、俺は自分を殴ってきた者に何の感傷もわかない。

 擦り切れた布を継ぎ接ぎした上着に、当て布をされた長ズボン。ひどく肉の削げた顔。お粗末なバラックの小屋。

「俺たちを匿え」

「んひぃ」

「お前もそう思うのか、俺たちが犯罪者だと。見ず知らずの他人を、死角から殴ってもいいとお前はなぜ感じた。どちらがより道理に反している」

 何の感傷もわかないことが俺の声を低く単調にさせ、男は怯えるばかりだった。そんな男に、バナージが俺の肩から手を伸ばした。人が一人通るだけで精いっぱいのこの一画は、火事がきたらひとたまりもないだろう。――いや、待て。男に伸ばされたバナージの腕に血があった。俺は動揺した。

「大丈夫」

 バナージはそう言った。俺が乱暴に引っ張ったせいで、どこかの壁に擦り付けてしまったのかもしれない。擦り傷が、バナージの袖をじんわりと染めている。そんな腕を精いっぱい伸ばして、男の頬を包むように指を滑らせる。

「大丈夫、私たちはあなたに危害を与えない」

 そこで俺はやっと気づいた。バナージの手に対して、男の顔はやけに小さい。まだ子どもだったというのか。

 俺は、突然聞こえてきた騒々しい足音と大人二人の鬼気迫る表情に怯えただけの子どもを、必要以上に怖がらせてしまったのかもしれない。

「大丈夫だから……ッ」

「バナージ」

 バナージが意識を失うのがわかった。俺の左肩から右手を伸ばしていたバナージは、俺の肩にずるずると寄りかかる。

「バナージ!」

 俺は少年の方を向いた。

「さっきはすまなかった。この人が目覚めるまででいい。どこか人目の及ばないところに連れて行ってくれないか」

 依然として俺に恐怖を抱いていることは変わらないようだったが、バナージの生気のない顔を正面から見ているはずの彼とてこのままではいけないことを理解したようで、住居と思われる建物の入り口を譲った。

「……ありがとう」

 なんてざまだ、と思った。俺はバナージに迷惑を掛けっきりだ。そしてこの少年にも。

「……あの、」

 どこからか拾ってきたような木材を組み合わせた木の床はとても凸凹が激しく、怪我人を横にさせるには躊躇われたが、他に場所もないのでバナージを寝かす。そんな俺の背に、蚊の鳴くような声が触れた。

「これ……、」

 恐らく衣服の修繕に使われるのだろう布きれを、両手に余るほど持ってきてくれていた。

「ありがとう、でも包帯はあるから大丈夫」

 そう言うと、少年はほっとしたように警戒を解いた。目をこれ以上ないほど見開いていたのがいくらかましになると、それほど醜い姿でもないような気がしてきた。

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