第5話 体は子供で頭脳は大人で知能は子供並

「あのね、しゅうちゃん」


 何度か言葉を紡ぐことを躊躇いながらも、莉奈が俺に話しかけてきた。

 滅多に見ないような思い詰めたような表情に、どう返答して良いのかわからなかい。

 その真剣な目を見る事しか出来ないでいると、莉奈はそれを肯定の意思表示と受け取ったらしい。

 小さく頷いてから、言葉を続けた。


「えっと、その……」


 しかし、その言葉の続きは聞く事は叶わなかった。

 突如例のめまいが発生し、例によって真っ白な空間に戻されてしまったからだ。


「おいィ!」


 一体何が起こったのかわからなかった。

 目の前にいた莉奈は消え失せ、まだ残暑の影響の残る湿気の高い暑さも、彼女の匂いも、何もかも消えてしまった。


「失礼しました」

「何? 何で戻るの? お試し版なの?」

「落ち着いてください」

「続きはクリックするの? 有料会員になればいいの? 課金か? 課金なのか?」


 あと数秒いられれば、莉奈の言葉の続きが聞けたのに。

 何を言おうとしていたのかはわからないが、少なくとも今までの中で最も完璧なシチュエーションだったと言い切れる。

 彼女が告白してこなかったとしても、あの流れでなら言えた可能性が高い。

 いくら俺でもあそこまで整っていれば、むしろ状況に流されてしまったんじゃないか。


「システムの不調が発生し、急遽戻されてしまいました」

「巻き戻せないのかよ!」

「一度行ったところには行けないというのは、説明させて頂いた通りです」

「システムの事故ならなんとかならないのかよ!」

「それは私の権限では無理です」

「神とか言ってたよね?」

「一番近い概念がそれだというだけですし、万能の力を単体で持っているわけではないので」

「保険の広告の小さすぎて読めない文字の所みたいな言い訳だな……」


 あれだけの完璧なシチュエーションを揃えた日なんて他に知らない。

 というかあそこまで完璧だったという記憶はなかった。

 元々、文章を書くのがそれほど得意ではなかった俺は、莉奈より終わるのが遅かった。

 若干当時とはズレが出たとはいえ、それだけであそこまで雰囲気が良くなるものだろうか。


「少しお待ちください。システムに詳しい者に確認します」

「なにそのクレーマー相手みたいな対応」


 別に金返せとか言わないから今の時間の続きを見させてくれ。

 むしろ課金がいるなら全財産くれてやる。

 どうせ死ぬから金とかいらないし。

 とか思っていたら女神があっさり姿を消してしまい、真っ白な空間に一人で取り残された。

 さっきまでいた部室とは対照的に、何の音もなく、何の匂いもない。

 気温や湿度は快適と言っていい状態だが、無音すぎるのは逆に落ち着かない。

 手元にスマホも何もないので、待たされている間に何もする事がないのが辛い。

 女神が戻ってくるまでの時間は、実際には数分といった所だろうが、体感的には数十分は待たされた気がしている。


「確認しましたが、予想よりも歴史のズレが大きくなっていた事が原因のようです」

「何もしてないぞ、俺は」

「機械が壊れたときには大体皆さんそう仰います」


 なんでそんなシステムオペレーターみたいな事言うんだ。

 実際に告白出来たわけでもない上にそれっぽい事が起きそうだった所で止まってしまったんじゃないか。

 何もしてないぞ本当に。


「まあ、確かに、莉奈も俺の記憶にない事言ってたな……」

「莉奈さんが過去の話をされた時に、同調せずに否定されましたね」

「だって記憶になかったし」

「覚えていなかっただけなのではないですか」

「いや、俺の中では別な内容だった」

「その辺りが何かあったのかもしれません。一応報告してきますので、戻るまでに次に戻る時期を決めておいてください」


 返事も待たずに女神は姿を消して、また沈黙の時間が戻ってきた。

 あんなのでも話し相手になってくれるだけ有り難い存在だったんだな。

 次に行きたい所というと、やはり話の食い違った時に戻るべきだろう。

 何があったのかはわからないが、莉奈があれだけ鮮明に覚えているのなら、確認してみたい。


「さて、それでは行きましょう」

「うん何も聞かれてないけどね」

「小学六年生の時代に戻るという事でよろしいですか」

「いいけど何だろう、この納得いかない感」

「具体的な日付はわかりますか」

「十一月だったけど、何日だったかまではちょっとわからんなあ」

「特徴的なニュースがあれば、そこから計算しますが」

「えっと、そういやエヴァの映画がニュースになってた。コスプレした人がテレビに出てた」

「映画の初日という事なら、十七日、土曜日ですね」

「なんでそういう時だけやたら察しがいいの?」

「過去の事象を検索するだけですから」

「ネット世代か」


 話が早いのはありがたいけど。

 それにしても、何度も過去に戻るとか、ちょっとしたタイムトラベル気分に近い。

 莉奈の言っていた事も気になるし、十二歳ならまだ告白とかするのもぎりぎりでアリかもしれない。

 少しだけ目的と手段が入れ替わりつつある事は黙っておく。


 例によって特別な返答も儀式もないまま、ちょっとした目眩の後に気がつくと、そこはもう四年前の莉奈の家の中だった。


 広いリビングルームには、大きなソファが並んでいる。

 窓際には大きな観葉植物の木が立っていて、エアコンの風で時折葉が揺れている。

 その近くには大きな液晶テレビが置かれ、下のテレビ台の中にはゲーム機だのレコーダーだのが綺麗に収納されていて、空いたスペースには写真立てやお洒落な雑誌が配置されている。

 それらの反対側には、綺麗に整頓された対面キッチンが見える。

 モデルルームのようなお洒落空間が、莉奈の家だ。

 ガキの頃にはここに毎日通って遊んでいたものだった。


 時計を見ると、六時半を回った所のようだ。

 部屋の状況と窓の外を見る限り、朝という事はないだろう。


 その部屋のソファに半ば寝転ぶような怠惰な姿勢で座りながら、二人でテレビゲームを遊んでいる。

 相変わらず、近い。

 さっきまでの距離と違って、今度は普通に肩がぶつかってもおかまいなしだ。

 むしろ寄り添いながら座っているという状態に近い。

 小学生は最高だな。


「倫理的に問題のある発言かと思われます」

「いいんだよ今は俺も小学生なんだから!」

「メンタルが成人男性のそれですので」


 それにしても女の子はこんな年でもういい匂いがする。

 当時は全然気にもしなかった。


「私の発言を却下し、訂正しなければなりません」

「わかってくれればいいんだ」

「メンタルが中年男性のそれでした」

「わかってないね、そういう事じゃないね」

「私が今まで見てきたサンプルの中で該当するのはその年代でした」

「過去を懐かしみ、美化しているだけじゃないか」

「しばらく黙っていたいと思います」

「あれ、ちょっと?」


 本当にリアクションがなくなった。

 いや、そもそもそれを望んでいるのは俺の方だったけど。


「どうしたの、しゅうちゃん? 何か変?」

「え? いやあ、何でもないぜ?」

「なんだかキョロキョロしてるから。ペプシなら足の下だよ」

「そ、そうだな、そうだった。どこに隠れたのかと思ってたわ」


 怪しまれないように話に乗って足下をのぞき込むと、莉奈の足にまとわりつく黒い猫がいた。

 莉奈が足を動かすと、それに合わせてうろうろしつつ、頭を足にすりつけている。

 三年の頃に二人で拾ってきた猫で、名前はペプシという。

 名前の理由は全身が真っ黒だったから。

 そういや、この頃はこいつが家にいたのだった。

 猫の世話をする、というのもこの家に通う大義名分の一つにしていた気がする。

 何年かして死んでしまうのだが、それまでは大事に育てられていた。


 適当に足でペプシをあしらいつつも、莉奈はテレビ画面をずっと見ていた。

 テレビはゲーム画面が映されていて、莉奈の操作するキャラクターが駒を移動していた。

 莉奈はアクションゲームの類いが苦手なので、二人で遊ぶときはパズルゲームやボードゲーム系が多い。

 今日も遊んでいたのはすごろく形式で街の資産を買っていくタイプのボードゲームだ。


「次、しゅうちゃんの番だよ」

「おう」


 このゲームも随分久しぶりだ。

 ストリートの物件を買ったり株を買ったりしつ資産を増やしていくボードゲームで、莉奈はこのゲームが得意だった。

 ほとんど勝てた記憶がない。


 小六ともなると女子と遊ぶという事が減り、この家に通う頻度も下がっていた。

 三年くらいまでは親の都合もあって毎日通って夕飯をごちそうになっていたのだけど、色々あってその後は控えるようになった。

 それでも、莉奈の親の帰りが遅い時などは呼び出されて、こうして親が帰るまでペプシと莉奈と一緒に過ごしていた。

 防犯的な意味でも、これはとても正しかったのだろうと、今なら思う。


「やはり随分と仲がよろしいようで」

「あれ、黙ってるんじゃなかったの」

「いえ、これなら心残りの解消も出来そうだと思いましたので」

「さっきと違って普通の日常風景だぞ」

「幼なじみの女の子と夕方まで一緒に二人きりで居る事は、一般的には普通ではないようです」

「当時はこれが普通なんだと思ってたんだよ」

「そうではないと気付いたのはいつ頃でしたか」

「……中二の頃かな」


 今度は俺の足下をうろちょろし始めた猫を見ながら、色々と思い返していた。


「まだー?」

「ああ、悪い」


 物思いにふけっている場合じゃなかった。

 慌てて画面を見ると、彼女のほうがかなり優勢なようだ。


「どうしたの? 降参?」


 悪戯っぽい笑顔で挑発してきた。


「まさか! ここから逆転するんだぜ」

「そういって勝ったことないもんね!」

「今日はわかんねえし」


 今の状態で本気でやったらもしかしたら勝てるかもしれない。

 何しろ体は子供、頭脳は大人だからな。

 このゲームでは一度も勝てたことがなかった気がするし、せっかくだから真面目に取り組んでみるか。


 ***


「ふふーん、私の勝ちだよー」


 あっさり負けてみたり。

 ここは歴史が修正されずに済んだという事にしておきたい。


「もしかして柊一さんは、あまり頭がよろしくない方なのでは」

「もうちょっと言葉をオブラートに包むと、好感度とか上がるんじゃないかな君」

「比喩ですか? それは比喩表現ですか?」

「聞くなよ……」

「オブラートというとデンプンによる薄い紙の事と思われますが、意味はどのように解釈を?」

「ああもう、そういうとこだぞお前!」


 脳内会話で女神と喧嘩していると、突然電話が鳴り出した。

 あわてて飛び起きた莉奈が電話を取って応対する。

 母親からの電話だったらしく、最初は明るい表情で話していたのが、どんどん笑顔が曇っていくように見える。

 途中からこちらをチラチラと見ながら話している。

 確か帰りが遅くなるという話だったと記憶しているが。

 それで、ご飯を先に食べようという話になったはずだ。


「おばさんから?」

「う、うん」

「これから帰るって?」

「ううん……」


 そういや町内会のイベントでちょっとした旅行に出ていると言っていたな。

 遅くなるくらいなら、割と頻度は高いのでそこまで暗い表情になる事もないはずなのだけど。

 むしろもうちょっと長く遊べるとかそんな事を言うような奴だった。

 特に今日は土曜日だし、多少の夜更かしも許されるだろう、といつもなら言い出す。


「あのね、今日は二人とも帰ってこないって」

「そっかー。じゃあご飯とか……っておいぃ!」

「これがノリツッコミという奴ですね。勉強になります」

「うん、今ちょっと黙ってようね。大事な場面だからね」


 ツッコミを口頭と念頭で切り替えなければならない俺の苦労をちょっとは理解して欲しい。


「今日、町内の人と旅行に行ってるでしょ?」

「ああ、そうだったな」

「電車が事故で止まって動かないんだって。何時に帰れるかわからないからって……」

「そ、そうか……」


 遅くなるどころか帰ってこないとは想定外。

 ご飯は二人で食べるという点は同じだから問題ないといえばないけれど。


「じゃあ、とりあえずご飯は先に食べちゃうか。それなら……」

「あのね、しゅうちゃん」

「被り気味に来たね……なに?」

「あのっ、今日、泊まっていって……?」


 それは、ちょっと予想外の展開だった。

 やはり、少しずつ俺の覚えている過去とずれているようだ。

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