102:脳


  《脳》



 「でね、思ったわけ。」ナオミが言った。「ここには世界で一番、脳の優れた人たちがいる。1000人もいる。この脳を調べたい。」

「調べる?」ニックが聞いた。


「徹底的に。死なない程度に。」ナオミが言った。

「みんな協力してくれるかな。」ニックが不安そうに言った。


 皆、脳の精密スキャンには協力的だった。脳に自信を持っているのだ。

 脳の精密スキャン装置は大きい。円筒形の巨大な装置の中に入るタイプだ。1日に数人しかスキャンできない。そんな装置では研究はなかなか進まない。


「私がやりたいのはこういう事じゃないのよね、もっと日常生活の中での脳の使い方なのよね。」ナオミが言った。

 彼らはそれを改良することにした。


 世界一の頭脳たちが集まり協力し、日常生活をしながら超精密な脳のスキャンが出来るように、頭に被るタイプが作られた。完成までに100年ほどかかった。


「良かった、生きている間に完成して。」ナオミが言った。

 その装置が完成すると、食事している時も、寝ている時も、研究している時も、常に脳の活動は精密にスキャンされ、記録されていった。

 それは1位の者にとどまらず、ノーヴェル内で働く一般ワーカーにも装着された。


 DNAや脳細胞も採取され、徹底的に調べられた。

 脳細胞の採取は死なない程度に恐怖だったし、毎日ずっと脳をスキャンされながらの生活は、死なない程度に苦痛だった。

 実験期間中に病気で死んだ者は、解剖された。


 研究が始まって500年以上が経った頃、やっとそれは完成した。


「普通の人の脳は、サボろうとするのよ。複雑な思考はすぐに諦めちゃうのね。そして物事をシンプルに捉えようとする。」ナオミが言う。「簡単に言うとって口癖の人や、要するにって口癖の人、あの人たちは簡単にしたいだけ、要約したいだけ、そのほうがシンプルだから。」


「ボクもボーっとするのは好きだけど。」ニックが言う。


「それとは全然違うのよ、脳の中では。彼らはね、簡単に言いたくてもぜんぜん簡単に言えないし要約できないのよ。自分が理解していないものを他人に簡単にして伝えることなんて出来ない。」ナオミが言った。「彼らは複雑な物事を複雑なまま受け止めることが出来ない。」


「話の通じない人っているよね。」ニックが言う。


「私たちはまだ、知的生命体じゃないのかもしれない。」ナオミが言った。

「世の中の人の脳を、僕たちみたいにするの?」ニックが聞いた。


「そうよ、世の中から馬鹿を無くす。」ナオミが言った。

「人格が変わったりしない?」ニックが言った。

「頭が良くなって人格が変わるなら、いいんじゃないの?」ナオミが言った。


「嫌な人が消える?」ニックが言った。

「嫌味な奴の人格を変えたい。」ナオミが言った。

「変わるかなあ。」ニックが言った。


「頭が良いと思ってる馬鹿に、本当の頭の良さを教えたい。」ナオミが言った。

「詐欺師とか増えない?」ニックが言った。

「全員が頭が良くなれば、詐欺に引っかかるような人はいなくなる。」ナオミが言った。

「他人をだまして自分が得をしたいって考えは、本当に頭の良い人は持たない?」ニックが言った。

「どうかな、でも恨み妬みによる犯罪は減ると思う。」ナオミが言った。


「誰も他人を恨まない世界?」ニックが言った。

「他人を馬鹿にせず、互いを尊重しあえる世界。」ナオミが言った。


「そうなったらいいねえ。」ニックが言った。

「そうね。」ナオミが言った。


 500年かけて、薬は完成した。


 それは脳のリミッター解除の薬だった。

 その薬は、飲むとリフレッシュ脱皮に入る。通常は1年のリフレッシュ脱皮だが、その薬では3年ほどかかった。最終的な人体実験をした50歳の死刑囚3人は、全員3年だった。


 実験は牢獄の中で行われた。


 1人目は成功したが、記憶の移行が出来なかった。獏ダンゴが死んだ。


 2人目は若い獏ダンゴを使ったが、3年間の記憶の維持は獏ダンゴには出来なかった。


 3人目の実験の前に、獏ダンゴを改良した。3人目は記憶の移行に成功した。


 彼ら3人のインテリジェンスクオリティーテストは目覚めたばかりにして世界10位と同等だった。瞬間記憶力も10位以内の数値だった。


 彼らの1人で記憶の移行に成功した最後の1人の死刑囚は、その頭脳を生かして脱走した。残りの記憶をなくした2人は、別人のように良い人になった。

 脱走した1人は、しばらくして戻ってきた。


「こんなのフェアじゃない。」戻ってきた彼はそう言った。

 フェアネス精神の数値も跳ね上がっていた。

 記憶を無くした2人は実験保護観察となった。フェアな彼は執行猶予が付き、経過観察となった。


 実験の成功を受け、ナオミとニックは自らの体で実験することにした。

 失敗の危険はあったが、恐れは無かった。好奇心しかなかった。


 しかし、大幅な脳の改変実験で、被験者は別人のように性格が変わってしまった。

 成功したとして、自分たちは今の自分を維持できるのか、その事が気にかかった。


 彼らが3年間のリフレッシュ脱皮に入った頃、ひとつの天文台が異常を観測していた。





 

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