第四話 巫覡研修

「お風呂、ありがとうございます」

「お湯加減どうだった?」

「よかったです」

 実際のところ、それどころじゃなかった。

 和泉さんの家のお風呂は、ちょっと古いこの家らしく時代を感じる作りだったのだけど……とてもきれいだった。

 普通ならあるはずのこびりついて取れないような汚れとか、しつこいカビとかそういうものが一切なかった。

 それはそれは不自然なほどにきれいだった。

 お風呂を済ませて、普段着のシャツとパンツに着替えて居間に戻ると、居間には夕飯の準備が済ませてあって、さっきと同じ姿のヒムカさんと、ワンピースにエプロン姿に着替えた和泉さんが座っていた。

 きれいなお風呂のこと、訊きたくなったけど、訊いてしまったらたいへんなことになりそうなのでやめた。

「お風呂先にいただいてしまって、すみません」

「いいのいいの。わたしは夕飯の準備があったし。それに研修で一週間はここに泊まってもらうんだから、くつろいでほしいし」

 朗らかに研修の話をする和泉さんは、これまで合格者を出したことがない人には見えない。

「とにかく、ご飯にしましょう。ね」

 一礼して、席に着く。

 机の上に並ぶのは意外なことに洋食だった。

 まずはピザ。イタリアンソーセージに、大ぶりなマッシュルームがメインで、たっぷりとかけられたチーズがとろけている。

 それにレタスとトマトのサラダに、フライドポテト。

 肉汁とソースで照り輝くスペアリブが並んでいて、飲み物はペットボトルのコーラだった。麦茶もあるけど。

 この和室にも、神社にもまったく似合わない。洋食というよりもアメリカンな料理だ。

「若い子ってこういうの好きかと思って」

 和泉さんは照れてた。

「わたしは好きよ」

「あ、あたしも好きです」

 面食らったけど、好きなのは確か。ぎとぎとしてるの。あまり食べないけど。

 和泉さんとあたしは「いただきます」と手を合わせた。

 ヒムカさんは和泉さんの隣で黙ったまま。

「遠慮なく食べてね」と言われるまま、ピザを口に運ぶ。ほうばるとチーズが糸を引いた。

 おいしい。やけに食べ応えあるふわふわした厚手の生地に濃厚なトマトソースがしみ込んでいる。だけど、耳の部分はカリカリ。

 塩気の強いイタリアンソーセージが厚手の生地にすごく合っている。ぷりぷりしたマッシュルームがアクセントになる。

 ……コーラにもやけに合う。

「石窯で焼いたの」

「本格的!」

「趣味は料理だからね」

 目を細めて、ピザを齧る和泉さん。

 穏やかな表情しか見ていないけど、今日一番嬉しそうな顔をしていた。

「いつもは、ヒムカさんに作ってるんですか?」

 聞きつつ、立ち入ったことを聞いてしまったと後悔する。

 でも、和泉さんは気にした様子もなく、首を振った。

「ヒムカは付き合い悪いからねぇ」

「人の食事はしない」

 特に感情なく告げる。

「わたしから食べるんでしょ?」

「ああ。明日は濃そうだ」

 当たり前のように交わされる会話。いや、ヒムカさんがあかなめで、汗とかそういうのの話をしているのはわかるけど、でも。

「マニアック過ぎる……」

 やってしまった。思わず言ってしまった。

 和泉さんが白い歯を見せる。

「もっと言ってあげて。ヒムカの垢ソムリエ。理解できないよねー」

 クスクス笑う。

「澱みを食む。それが俺だ。己が口にするものの味わいは理解できる」 

「ソムリエ、ヒュー!」

 楽しそうな和泉さんと、そっちを見もしないヒムカさん。

 こっちが反応に困る。なんとか誤魔化そうとしたけど、唇の端をひきつるような表情しかできなかった。

「さて。じゃあ、そろそろ本題に入ろっか」

 食事を続けつつ、和泉さんが言った。

「はい」と応えると、自然と背筋が伸びる。

「緊張しなくていいよ」

 合格者を出したことがない和泉さんは、そんなことを言いつつコーラに口をつけた。

「まず、研修中に何をするか、何を教えるかは研修の講師……つまりは、わたしに一任されてる。これはいいよね」

 頷く。大学で聞いてきたとおりだ。

「何をするかはおいおい。それから、一番重要な共通のルール」

 ほんのわずかに間を置く。

「研修の一週間で、ケガレを最低十はしら祓わなければならない。これがたいへんだよね」

「はい。さっきはせっかくの機会だったのに、あたし……」

 和泉さんが蹴散らしたたくさんのケガレを少しでも祓っていれば。

 最初に出会ったカニのケガレをきちんと一撃で祓っていれば。

 必ずしも十のケガレと出会うことができるとは限らない。研修中は講師の評価が高くても、これができなくて巫覡になれなかった人もいるらしい。

「しかたないわよ」

 和泉さんの声は軽い。

「この夏場に汗をかかないようにするなんて、最初から工夫してないとできないし。何よりも亜矢ちゃんにはヒムカがいないんだから」

「ね?」と言われてもあいまいな顔をするしかない。

 だって、舐められるのはちょっと。それが禊のためだとしても。そもそも、舐められて禊になるとか。

 ふと、電話が鳴った。和泉さんのスマホだ。

「ちょっとゴメンね」と席を外して、和泉さんは廊下で電話の応対をする。

 一分もせずに和泉さんは戻ってきた。

「ケガレだって」

「依頼ですか?」

「そうそう」

 巫覡のもとにケガレを祓う依頼が来るのは一般的な話だ。

 普通はケガレという存在を知っている地域のまとめ役や、巫覡を有していない神社の宮司、本庁の職員が、素養ある女性による目撃情報や、ケガレが来訪したことでの影響を察知して、近くの巫覡にケガレ祓いの依頼を行う。

「食べ終わったらすぐ出よっか。申し訳ないけど、ちょっとだけ急ご」

「そんなに切羽詰まってるんですか?」

 ケガレが人里に近づいているとか、そういう時以外は、たいてい巫覡の対応は翌日になることが多い。

「ううん。この近くだから、すぐに被害が出るような状態じゃないけど」

 和泉さんはレタスやトマトをもりもりと食べる。素早く。

「わたしにはヒムカがいて、亜矢ちゃんはもうお風呂で禊を済ませてる。なら、すぐ行けるじゃない」

 和泉さんは「ごちそうさまでした」と手を合わせて、立ち上がった。

「じゃあ、着替えて鳥居の前に集合ね。あ、残ったご飯にはラップかけてて」

 言うだけ言って、部屋を出ていく。

 ヒムカさんもついていった。

 残されたあたしは食事を続ける気にもなれず、言われたとおりにピザやサラダにラップをかける。

 あたしも来てと言われた。

 ケガレを祓えということなんだろう。

 和泉さんは合格者を出していない人。

 それにあたしは――。

 首を横に振る。

「ダメかもしれない。それでも……」

 着替えるために、与えてもらった部屋に向かう。

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