毒、滴る 弐

 北のたい妻戸つまどは、無造作に半開きになっていた。誰かが開け放した後に、風か何かで少し閉じた、といった風情ふぜいのその隙間から、仄暗ほのぐらい闇がのぞいている。

 妻戸に手をかけた氷雨ひさめが、玄梅くろうめを振り返った。そもそも凶相なせいか、やけに落ち着いて見える氷雨に、この状況にややひるんだ様子の玄梅が小さく頷く。半蔀はじとみ御簾みすをすべて下ろしている室内から、嗚咽おえつと小さな悲鳴、すがるように何事かを呟く声がくぐもりつつも間断かんだんなく続いている。全て同じ女の声のようだ。これを聞いて中を確かめないわけにはいかない。氷雨は、がさついた感触の妻戸を、そっと引いた。小さくきしんだだけで案外抵抗なく開いた戸のすぐ内側に、御簾が下りている。が、まるで獣でも暴れたかのように乱暴に引きちぎられて、辛うじてぶら下がっているような有様である。ぴたり、と動きを止めつつ無表情な氷雨が、もう一度、玄梅を振り返った。いくら荒れた邸であっても、これはつい今しがた破られたような生々しさがある。そんな異様な状態に、いっそ首を横に振りたい衝動に駆られながらも、玄梅は何とか頷いた。

 氷雨が無惨な御簾を腕で押し退けながら、音もなく中に滑り込み、玄梅が後に続く。すすり泣く女の声が大きくなり、小さく物音も聞こえるようになった。二人がこの建物に足を踏み入れたことは気づかれてはいないようだ。が、氷雨は自らの軽率さを少し後悔する。臭いがするのだ。例の、魂魄のくされるえた臭い。昨日よりも酷い、と嗅覚で感じているわけでもないのに思わず袖で鼻を覆う。

薄暗い中、二人が左右に目を走らせると、ひさしと寝殿を隔てる襖障子ふすましょうじが、一枚だけ開かれているのが見えた。いや、どうやら内側に踏み倒されている。その奥から、このやしきに来てから初めての何者かの質量のある気配を感じる。声と物音の主だ。少なくとも二人いる。

「に……さま……やめて……さい」

玄梅は、嫌々ながらも慎重に寝殿に近づこうとしていた足を止めて、息を詰めた。女が何を呟いているのか聞こえたのだ。氷雨も眉間にしわを寄せて立ち止まっている。

「あぁ……もう、やめて。母様を」

 ――ちぎらないで。

 咄嗟とっさに体を強張こわばらせた玄梅を置いて、氷雨が一気に寝殿しんでんの内に駆け込んだ。薄暗い部屋の中に瑠璃紺るりこんの瞳をせわしく走らせて、三人の人間をとらえる。髪を振り乱して泣き濡れている女、その正面に立ちこちらを見ている五辻いつつじ保則やすのり、ぐったりと床にうつ伏して顔も見えない白髪混じりの人物はおそらく母親か。五辻が握っている母親の左手から、ぼたり、ぼたり、と血が垂れ落ちてぬらりと光る血だまりを作っている。魂魄の臭いに気を取られて、血の臭いには気が付かなかった。氷雨はうめきをこらえて、ゆっくりと五辻の顔に視線を移した。彼は昨日とは別人のように柔らかい表情をして、静かにこちらを見ている。

「五辻殿、何を」

「たねを」

「たね?」

 氷雨が目を細めて聞き返すと、五辻はおもむろに左手をかかげて見せた。氷雨の背後で、玄梅が小さく声を上げる。指だ。血塗れの五辻の手に、か細い人の指が二本握られている。玄梅は思わず口を片手で覆った。その隙間から、上ずった声が漏れる。

「まさか、母親の、指を」

「俺の血では足りぬので、母上の肉をもろうた」

淡々と言う五辻の目は穴のように虚ろで、母親の指を握る左手をよく見れば、昨日は巻いていた麻布は取り払われ、露わになった小指と薬指は深い傷が幾筋も口を開けており、赤茶色に乾いた血がこびりついている。

「宮城内に蟲物まじものを仕込んだのは、俺よ」

 ぽつり、と落ちた告白に、氷雨と玄梅は絶句した。聞くべきことが多すぎて、二人ともすぐに言葉が出てこない。

「な、何故」

 やっと玄梅が絞り出したのはそれだけだった。

華家かげどもを憎んでいたのだ。俺がこうなったのは彼奴きゃつらのせいだ、と怒り、妬んでいた。そしたら、やつが、俺の血との肉をまろめて種にして、蟲物まじものこしらえてくれたのよ。俺は代わりに供物くもつを奴に……」

「奴? それは」

「だが、もう俺は恐ろしゅうなってしまった。だから何もしたくないと奴に言った。そうしたら、奴は、俺はもう心が鈍ってしまったから、供物にならぬと。死んだも同然なのだと。馬鹿な、俺は生きているのに」

氷雨の声が聞こえていない様子の五辻は、二人に聞かせているのか、独白なのかわからないほどに抑揚のない声音で続けた。

「昨日、奴が、おれをまろめにきた。供物がないなら、せめてたねになれと……」

 そこで少し黙った五辻は、急に、ごとり、と母親の腕を放るように離した。

「嫌だ。いやだいやだ。おれは嫌だ。俺の血はやるが、にくもいのちも、やりとうない。だからかわりに、ははうえの肉とおれの血で、たねをつくる。いまから俺はこれをまろめてたねにする。それが終われば、おまえの番だ」

 いまだ座り込んで動けずにいる女に、五辻の暗い目が、ひたり、と据えられる。変に声が裏返ったり、発音がたどたどしくなったり、五辻の言動が徐々に不安定になってきている。注意深く彼の言葉を聞き取っていた氷雨が、さりげなく女のほうににじり寄るのを、五辻は目ざとく見つけた。

「もうすぐ、奴がくる。やつがきてしまう。おまえ……おまえ、邪魔立てしてくれるな」

「五辻殿、今うたよみを呼びに身随神みずいじん謌寮うたのつかさりました。だから一度気を鎮めてくださらんか」

 氷雨が静かに声をかけると、五辻はしばし口をつぐんだ。そのやつれた顔に、初めてうっすらと人間らしい感情が滲んだが、それは救いへの期待でも安堵でもなかった。くらい絶望を口の端に笑みの形で浮かべて、五辻は、吐息のように嘲笑を吐き出した。

「無駄よ、むだ。うたよみなどでは到底かなわぬ。敵うものか。きのう、やつが言うておった。奴は、とつく、に」

 不意に言葉が途切れた。気配を消しながら、女を助け起こそうとしていた玄梅が、さっと五辻を振り返る。様子がおかしい。否、昨日からずっと様子はおかしいが。急に黙り込んだ五辻の光のない黒目が、素早いはえでも追うように虚空こくう彷徨さまよっている。口は最後に発した音のままに固まり、額には冬とは思えぬ汗が見る間に玉を作る。やがて、肩や膝頭が小刻みに震えはじめ、遂には、左手に握っていた母親の指を取り落とした。彼の乾ききった唇から漏れる、息に紛れんばかりに小さな呟きに気づき、氷雨は、眉根を寄せてわずかに後退あとずさった。

「きた。きた。きた。きた……」

 ただ事ではない様子とはうらはらに、相変わらず抑揚の欠けた声音でひたすらに「来た」と繰り返している。その異様さに震える女の肩に手をかけながら、自身も青い顔をした玄梅。氷雨はその二人と五辻の間に立ち、薄暗い部屋の四隅に目を走らせるが、何の気配も感じられない。

「な、え!? な、何が来たんですか!?」

「わからない。鴫沼しぎぬま、何か謌を」

「何かと言われても……っ」

 相手の姿が見えなければ、何をどこに向かって詠めばよいやら見当もつかない。氷雨も両袖の中に手を入れるが、絹蜘蛛きぬぐもの糸を使う謌を詠むのを躊躇ためらっている。いまだに何者も現れず、物音もしない。とにかく落ち着こうと、玄梅は一度唾を飲み込んだ。

「ちょっと待ってください、これは本当に何か」

 来ているんですか、と続く言葉を口の中で凍らせた。

 五辻の祈りのようなささやきが、ふつり、と途絶えたのだ。いつの間にか、黒目は一点を見つめて動かず、手足の震えも止まっている。

 静まり返った空気の中で、五辻が発するえた臭いが一層強くなった。呆然とする謌生うたのしょう二人の視線を受けて、五辻の枯れ枝のような腕が踊るように掲げられた。血濡れた指が、かくかくとうごめく。本人の意思で動いているとは思えない、奇怪な動きであった。五辻が、やめてくれ、と呟くように懇願した。しかし、動きを止めた指は、微塵みじんの迷いもなく、流れるように五辻自身の口の中に吸い込まれた。五辻のくぐもった悲鳴が漏れる。こぶしを、自らの口に突っ込んだのだ。震える声で悲鳴を上げた女と、短く息を呑んだ玄梅を置いて、氷雨が五辻に駆け寄り、その腕をとらえる。何とかして手を口から引き出そうとするが、いったい痩せ細った体のどこにそんな力があるのか、びくともしない。むしろ、更に奥にゆっくりと入っていき、手首より先は全て呑み込んでしまった。ごく、と五辻の顎が外れる鈍い音がした。極限まで開いた口の端が切れている。やがて、五辻の喉の奥から嫌な音がし始めた。何かを引き千切ちぎるような音だ。それまで断続的にうめいていた五辻が突如絶叫した。間近にいる氷雨は顔色を失う。

「舌を、抜こうとしている……!」

「はぁああぁ!? 何故!!」

 混乱と焦燥しょうそうで、玄梅は怒声にも近い声をあげた。何故も何も、ここに来た『奴』が五辻を殺そうとしているのだ。必死で考えを巡らすがこの状況に有効そうな謌など思いつかない。焦りで息を荒げながら、玄梅は、懸命に五辻を止めようとしている氷雨を見遣る。そして傍らの女を見下ろす。しとねに散るくれないが、毒々しい紅梅が、脳裏をよぎった。指環の内側を人差し指でこする。

「ひ、氷雨殿」

五辻の喉から悲鳴の代わりに、ごぼごぼという音が鳴り始め、氷雨は歯噛みした。舌の根元から血がこぼれ出ているのだ。このままでは本当に舌をちぎり取るか、その前に自らの血で溺死してしまう。されど、五辻の腕はいくら引いてもびくともせず、物理的に止めることはもう無理だ。

「氷雨殿」

「なんだ、鴫沼! 早く手を貸せ」

 語気を荒げて勢いよく振り返った先で、玄梅が口許くちもとに引きった笑みを浮かべていた。氷雨は息を呑む。なにせ、玄梅の紅梅色の目は全く笑っていないどころか、切羽詰まった光を宿して見開かれていて、眉は八の字になっている。さらに、こめかみに汗が伝うのも見えた。その左手は小刻みに震えながら、右手の親指あたりに添えられているようだ。挙動不審のその男は盛大にどもりながら、妙に明るい声を絞り出した。

「ああ、あ、あの、大丈夫なので、お、落ち着いていてくださいね。変に抵抗すると、自分で、け、怪我してしまうやもしれませんので。大丈夫ですから。大丈夫……大丈夫」

 怖い。尋常ではない様子で、まるで自分に言い聞かせるように「大丈夫」を繰り返す同輩を凝視する氷雨は、今こいつまでおかしくなったら俺はどうすればいいのだ、と絶望する。

「いや、実際、外すところまでは大丈夫なんです。本当に」

 訳の分からないことを言い続ける玄梅の右手の親指から、銀色の環を外されるのが見えた。氷雨は、喉まで出かかった「おい」を飲み込んだ。玄梅から、何か、あふれ出た。どろり、と地を這うように広がるそれは、実際目にも見えないし匂いもしないが、鮮やかすぎるほどのくれないで空色で黄檗きはだ色で、脳をくほどにからく苦く甘い。生きとし生けるものの手足をえさせ、喉を焼き、目を潰し、肺腑はいふおかし、心の臓を止める、近寄ってはいけない何かがとめどなく押し寄せてくる。思わず氷雨は一歩後退った。相変わらず玄梅は半笑いである。

「加減。加減さえ、できれば大丈夫。ひひ、氷雨殿、大丈夫ですから、ね? 無理に暴れたりしないでくださいね、えっと、ね、眠たく? なるだけですから、多分? あぁぁ、加減が……難し……」

 怖い。何をされるんだ、と氷雨が身構えていると、玄梅の隣にいる女が、ゆっくりと前に倒れこんだ。それに続いて、氷雨の背後で五辻が崩れ落ちる音がした。意識を失って手足が弛緩しかんしたのか、倒れた拍子に口から手が抜け、口腔こうこうに溜まった血も床に零れ出る。五辻が二、三度、弱々しくむせた後、その胸がかすかに上下しているのを認めたとき、不意に強い眩暈めまいを感じた氷雨はたまらず膝をつく。どれだけ力を籠めようと、意思と関係なくまぶたが落ちてくる。

「あぁ、もも、申し訳ない。目の前が暗くなりますけど、大丈夫ですからね。た、多分目覚めますから、おそらく。だから安心し」

 氷雨が聞くことができたのは、そこまでだった。






 宇賀地うがちが数人のうたよみと駆け付けた時、五辻邸の北のたい寝殿しんでんには、四人の人間が横たわっており、その中で謌生うたのしょうが一人、ただぼんやりと正座していた。常より覇気はきのない紅梅色の瞳をこちらに向けて、やや憔悴しょうすいした様子の鴫沼玄梅は、「全員なんとか息はあります」と小さな声で報告した。宇賀地は寝殿に一歩踏み込んですぐに、わずかに仰け反った。なにか物騒なものが部屋に満ちている。それは、確実に玄梅の魂魄が発しているもので、本人のこぢんまりとした佇まいとは裏腹に、今まで何処どこ仕舞しまっていたんだと言いたくなるほどの代物しろものだった。

「お前、それ」

 二の句がげないでいる宇賀地の驚いたような目に、あの日の父の目を思い出した玄梅は、少し胃ののあたりを重く感じて、大丈夫、彼らは寝ているだけだから、と自分に言い聞かせる。今はもう部屋に入ってきても眠ることはないし、ただ自分の魂魄の気配が満ちているだけだ。とにかく、未だ入るのを躊躇ちゅうちょしているうたよみたちにそう説明しなければ、と浅く吸った息は声になることはなかった。誰かが、至極上機嫌な声音で玄梅の名を呼んだからだ。

「玄梅! 最高に毒々しいな!」

 宇賀地の脇をすり抜け、まとわりつく極彩色の毒の気配を意に介さず、黒髪を揺らしながら、ずんずんと大股で近づいてくるその人物は、満面に溢れんばかりの笑みを湛えていた。

「紅緒……」

呆然と呟く玄梅の耳に、お前らついてくるなと言っただろう、と背後に向かって叱る宇賀地の声が聞こえた。姿は見えないが、おそらく日和はるたか鴉近あこんもいるのだろう。

「うたよみ殿、ご覧になられたか、玄梅の本領ほんりょうを。いや、素晴らしい。こよなく得難えがたい濃い毒の質ですが、これ、このように見事に飼い馴らしておるのです」

 やや芝居がかった言い様で嬉々として言う紅緒に、宇賀地が「お、おう」と戸惑い混じりの声で答える。そのまま手際よく、血を流している五辻とその母の首筋に手を当てて脈をとった紅緒は、「このお二人は急ぎ手当てが必要です」とうたよみたちに告げた。彼女の平気な様子を見て、尻込みしていたうたよみたちと、ついでに日和と鴉近も、部屋に駆け込んでくる。それをぼんやりと見ていた玄梅の前に、紅緒は片膝をついた。ひたり、と二人の視線が合い、翡翠の目が少しだけ柔らかく細められる。

「氷雨殿も、そこの女人も、良く寝ておられる。流石は廿李ととりよ」

「……いえ」

 ぼそりと呟く玄梅の顔のどこを探しても罪悪感しか見当たらなかったので、紅緒は少し考えてから口を開いた。

「姉君のご結婚とご懐妊の祝いをしに伺ったとき、少し話をしたのだが」

 あぁ、そういえば祝いの品を贈るとかなんとか、かなり前に言っていたような気もする、が、まさか直接会いに行っていたとは。初耳な話に、紅梅色の瞳が落ち着きなく揺れる。

「姉君は大層心配しておられたぞ。自分のせいでお前が天賦てんぷの才を隠すようになったと」

「いや、それは……」

 違うとも言い切れず、うつむく。幼少の砌に、玄梅が病床の姉に渡した紅梅の枝。あれは、早く花を咲かせたい玄梅の魂魄から漏れ出る毒の質をかてとした、が咲かせたまやかしの毒の花であった。無意識とはいえ、否、無意識だったからこそ、大切な人の命をおびやかしたことが、幼心に酷い衝撃をもたらしたことは確かだ。そのことがきっかけで、強すぎる魂魄の質を制する修練も受けたが、それでもそれを使う気にも人前にさらす気にもなれず、ずっと護符で抑えてきた。今回は、本当にむを得なかった。意識を失えば五辻の行為が止まるという確信もなかったが、他に方法が思い当たらなかった。

何も言わずにいる玄梅をじっと見ていた紅緒が、唐突に右手を頬に当てて少し首をかしげた。玄梅は眉をひそめる。なんだか見覚えのある仕草しぐさだ。

「もうもうもう! 玄梅さんたら、私はこぉんなにすこやかに嫁いで、子まではらにいるというのに、まだわからないようなの。いつまでも護符ごふなんかつけて。本当はそんなもの無くてもちゃぁんと出来る子なのに」

「…………!?」

 玄梅は素早く腰を浮かせた。紅緒の口から別人の声が出てくる。別人、というか自らの姉の声だ。仕草も表情も、ふわふわとした幼子のような声の抑揚も、柔らかでいて有無を言わせぬ声音も、戦慄せんりつの上手さである。

「私のことを負い目に思ってるのなら本当にやめて欲しいの。確かに少し血は吐いたけれど、すぐに治ったもの。与えられたものは使わないと、玄梅さんの謌の技量だけでは、うたよみになんてなれないわ」

「いやいやいや、え? 私のことそんなふうに思っていたのですね姉上、失礼な。あれ、姉上? 紅緒?」

 脳が錯覚さっかくおちいり、混乱しつつある玄梅の左手に握られていた白金の指環を、紅緒はそっと取ると、右手の親指にめてやる。途端に玄梅の毒の質は鳴りを潜め、玄梅の魂魄目当てに、そこここの暗がりに集まり始めていた同じ質を持つが、散じていく。それを見送ってから、紅緒は玄梅の目を覗き込んで、にっこりと笑う。

「それにね、あのときの梅の花、見たことがないくらいに綺麗だったのよ」

「姉上……」

「と、姉君はおっしゃっていた」

「……紅緒、二度と姉上の真似をしないでください。二度とです」

 なんでだ、上手かったであろ、と口をとがらせる幼馴染に、上手いからですよ、と返しながらも、玄梅は白金の指環をやや呆然と見つめている。それを尻目に、紅緒が屈託くったくのない調子で言った。

「見事な紅梅だったそうだな。いつか私も見たいものよ」

「そう、ですね、前向きに検討します」

吐血する準備はしておいてください、と冗談とも思えぬ口調で呟いた玄梅に、紅緒が明るい笑い声をあげたところで、宇賀地が玄梅を呼んだ。

「鴫沼玄梅、聞きたいことが山ほどあるんだが、いいかな」

 疲労とも安堵ともつかない息を浅く吐いた玄梅は、やっと口の端に苦笑のようなものを浮かべて立ち上がった。

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