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 そんな言葉がまた嬉しくて、ルウンははにかむようにして笑ってみせる。

 その笑顔に胸が高鳴り出す前に視線を皿に落としたトーマは、「あれ……」と呟き、もう一度顔を上げた。


「そう言えばルン、風邪はどうしたの?」

「治った」


 今更すぎる質問への答えは簡潔で、思わず、へーそっかと流してしまいそうになったところで、トーマは慌てて首を振り、出かかった言葉を押し戻す。


「ちょっとごめん!」


 断りを入れながら手を伸ばすと、食事中のルウンの額に手の平を押し当てる。

 一瞬ビックリしたように目を見開いたルウンだったが、その後は特に嫌がる素振りもなくされるがまま。

 でも食事はしづらいので、手にしていたスープの器とスプーンは一旦テーブルの上に戻した。

 トーマは、片方の手をピタッとルウンの額に当てて、もう片方の手は自分の額に当てる。手の平に伝わってくるのは、熱さではなく温かさ。

 しばらくして、トーマはそっと額から手を離すと、ルウンの顔をまじまじと見つめた。


「本当に、治ったの……?」


 驚いたようなトーマの視線を真っ直ぐに見つめ返し、ルウンはコクりと頷いた。


「昨日の夜、体ぽかぽかして、凄く暑くて、起きたらもう元気」


 言われてみれば、確かにルウンは夜になって随分と暑そうに何度も布団を跳ね除け、汗もたくさんかいていた。

 本当は一度着替えさせたかった程だが、せっかく眠っているところを起こすのはかわいそうで、夜通し額から零れる汗を拭った事は覚えている。

 ついでに、そんなルウンの容態が落ち着いたところで、正しく落ちるように眠りについたことも思い出した。

 そうして昨夜の記憶を辿っていくうちに、トーマの中に、笑顔と温かさと、“寂しい”と呟く声が蘇る。

 途端に、トーマの顔が分かりやすく朱に染まった。

 不思議そうに首を傾げるルウンから、トーマは慌てて視線を逸らす。

 その姿を視界に収めていると、どうにも昨日のことを思い出してしまって仕方がなかった。

 不自然に逸らされたその視線に、ルウンは訝しげな表情を浮かべる。


「治ったって言っても病み上がりだから、あんまり激しく動き回らないで、今日も一日静かにしているのがいいと思うよ。せっかく元気になったのに、ぶり返したらよくないしね」

「トウマ、どこ見てる?」


 話しかけるに当たって一応顔は上げたものの、微妙に見当違いな方を向いている視線に、ルウンから指摘が飛ぶ。


「どこって、それは……」


 トーマは、覗き込もうとしてくるルウンから逃れるように顔を背ける。

 そんな攻防を繰り返すうち、しびれを切らしたように立ち上がって視線を合わせに来たルウンに、トーマは逃げきれずに捕まった。

 青みがかった銀色の瞳が、真っ直ぐにトーマの瞳を捉える。

 ドクンと心臓が高鳴り出して、蘇る昨日の記憶も相まると、ようやく引いた熱が再びトーマの顔に集まってきた。


「トウマ……」


 そっと伸ばされたルウンの手が、ぴたりと額に押し当てられる。


「はうっい!?」


 予期せぬ事態に発せられた間抜けな声に構うことなく、ルウンは先ほどのトーマを真似て、片方の手で自分の額を、もう片方の手でトーマの額を触って首を傾げる。


「……わたしの方が、熱い」


 どうやら熱を測られているようだと頭が理解した時、トーマの額からルウンの手が離れていく。

 未だ納得のいかない表情で自分の額に手を当てているルウンを前に、トーマは無意識に止めていた息を大きく吐き出した。それから、努めて明るい表情で立ち上がる。


「やっぱり、まだ熱が下がりきっていないのかもね。片付けは僕がやっておくから、ルンは少し休むといいよ」


 反射で思わずルウンの頭に手を伸ばしかけ、ハッとして慌てて引っ込める。しかし、バッチリそれを目撃していたルウンは、物言いたげにジッとトーマを見つめた。


「……えっと」


 なに?と問いかけてもルウンは答えず、ただジッとトーマに視線を注ぐ。

 何か言いたそうな瞳は、同時に、何を言えばいいのか悩んでいるようでもあった。

 しばらく、見つめ合う二人の間に無言の時が流れる。

 先に耐えられなくなったのはトーマの方で、苦笑気味に笑ってみせると二人分の食器を手にキッチンへ向かう。


「片付けてくるね。ルンは、部屋に戻っているといいよ」


 向けられた背中に、何か言わなければと口を開くが、結局言葉は何も出てこない。

 無意味に開いた口を静かに閉じて、ルウンはしばらくトーマの背中を見つめた。

 一切振り返ることのない背中は、まるで自分を拒絶しているように感じられて、ルウンは堪らず視線を外す。

 それから、何も言わずにそっと、寝室に向かって足を踏み出した。

 つい昨日までは、あんなに熱心に世話を焼いてくれたトーマが、今日はなんだかよそよそしい。

 頑なに合わせようとしなかった視線もそうだし、明らかに一度頭を撫でようと伸ばされた手が、途中でハッとしたように引っ込められたのもそう。

 思い起こしていると、ツキンと胸が痛んだ。

 寝室に入る直前で一度足を止め、振り返ろうかどうしようかと迷ったルウンは、結局流し見るようにチラッと視線を送っただけですぐに寝室に足を踏み入れる。

 ちょっとくらい、気にするように後ろを振り返ってくれるかとも思ったが、キッチンで洗い物をするトーマにそんな気配は微塵もなかった。

 それがどうしようもなく悲しくて、また胸が痛む。

 なぜこんなにも胸が痛いのか、手の平を押し当てて考えてみるが、答えはちっとも分からない。

 何かの病気かとも思ったが、他の部分は至って健康。熱も下がったおかげで、すっかりいつもの調子を取り戻している。

 ツキツキと痛む胸から一度手を離したルウンは、壁に背中を擦り付けるようにズルズルと床に下がり、そのまま膝を抱えて座り込んだ。

 そうやってルウンが寝室でへたりこんでいる頃、トーマはトーマで、水音に隠すようにして悩ましげなため息をついていた。


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