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◇◇◇


 コーディアが帰国をしてライルの婚約者として名前が人々の口に上るようになったころからマックギニス侯爵とその息子は再三にわたってコーディアの身柄を彼らの方で預かる旨エイリッシュに主張していたらしい。音楽会での出会いの前からローガンが行動を起こしていたことを今回初めて聞かされた。


 エイリッシュとサイラスがこれを固辞していたのだ。コーディアの父ヘンリーから娘を託されたのはほかでもない自分たちだと言って。

 エイリッシュから聞いた話だから、父と伯父がどのような会話を過去にしたのかは分からない。


 ヘンリーは相当忙しいようで、電信でやり取りをしているマックギニス商会ケイヴォン事務所の所員もなかなか捕まらなくてと愚痴めいたことをこぼしているとのことだ。

 と、これはエイリッシュの談であるが。

 コーディアはずっと侯爵夫妻に守られていたのだ。


「うわさ話って回るのが早いわよね。というか、みんなこっそりゴシップ紙を読んでいるものなのねえ」


 午後のお茶の時間、エイリッシュが感嘆だか皮肉だか分からない台詞を吐いた。

 コーディアは曖昧に頷いた。

 どうやら上流社会ではヘンリーが娘の結婚相手を探すあまりローガンとライルを両てんびんにかけていた、ということになっているらしい。


 ローガンの縁談が無しになったのはヘンリーが裏で手をまわしたからだ、とかヘンリーはほかにも隣国フラデニアやカルーニャの貴族にも娘を売り込んでいて婚約詐欺を働いているとかなんとか。

 こうなってくると他の新聞も追随する形でコーディアとライルの婚約についての記事を掲載する。


「こういうのは然るべき時に反論をすればよいですからね。今はあまり騒ぎ立てない方がいいわね」

「……はい」

「社交期じゃなかったのが幸いね。王都に残っている人たちが少ないもの」

 エイリッシュはお茶を口に含んだ。


 彼女の友人のうち何人かから心配する手紙を受け取っていたり、訪問を受けていたが彼女は基本鷹揚に構えている。

 こういうのは躍起になればなるほど相手の思うつぼとのことだ。

 泰然と構えていられるのはエイリッシュが元々公爵家の令嬢だったからだろうか。


 コーディアは居たたまれなくて胃がキリキリするのに。

「お父様がローガンに財産を譲れば、丸く収まるのでしょうか?」

 そもそもの原因はいずれコーディアが相続することになるヘンリーの財産が絡んでのことだと聞いている。マックギニス侯爵家が財政難なのならば助けてあげた方がいいのではないだろうか。


「コーディア、ヘンリー氏はこれまでずいぶんと彼らのお願いを聞いてきたのよ。それに、ヘンリー氏が誰に自分の財産を譲るかは彼自身が決める問題で、自分の浅ましい欲望のためにコーディアを巻き込んだローガンのいうことをきくのも、何か違うと思わない?」


 コーディアはヘンリーがどのくらい財産を持っているのか分からないし、相続をしても使い方すら分からないだろう。

 エイリッシュの話によれば、財産の管理を含めてヘンリーはコーディアの結婚相手については慎重に選んでいたとのことだ。

 デインズデール侯爵家との縁談も、侯爵家がコーディアの持参金も彼女がいずれ受け取るであろう財産を当てにする必要がない家だということが一番の理由だと聞かされた。


 コーディアはエイリッシュの言葉の意味を頭の中でもみほぐす。父はまだ生きているのだ。その財産を今から当てにするのは確かに間違っていると思う。父の財産を手に入れるためにコーディアと結婚するという考えに反発したからこそヘンリーは別の結婚相手をコーディアにあてがったのだ。


「はい」

 コーディアは自分で結論づけてゆっくりと返事をした。

 エイリッシュはにっこりと笑って焼き菓子に手を伸ばした。

「ライル様、怒っていらっしゃらないでしょうか」

 コーディアはつぶやいた。

 赤茶色のお茶はすっかり冷めてしまっている。今日は何も混ぜる気分になれなくて、赤茶色のお茶にはコーディアの泣き出しそうな顔が映っている。


「そりゃあ怒っているでしょう」

 エイリッシュが間髪入れずに言うからコーディアはますます顔をくしゃりと歪ませた。

「そうですよね。婚約者がこんな迷惑をおかけして……。ライル様のお仕事にも差し障りますよね」

 コーディアが気にかけることがあるとすればただ一つ。

 ライルの迷惑になっていないか、ということだ。けれど、考えるまでもない。迷惑に決まっている。

 彼だって面白おかしく噂されているのは想像に難くない。


「ライルが怒っているのはローガンに対してよ。あなたの名誉を傷つけたんですもの。別にね、ライルの仕事に差し障りなんてないわよ。クラブでちょっといじられるだけよ」

 エイリッシュは後半部分からりとした声を出す。

「だからね、あなたも堂々としておいでなさい」


◇◇◇


 こういう注目のされた方には慣れていないライルではあるが、だからといって大人しく仕事と屋敷の往復というのも相手に遠慮をしているようで癪に障る。

「きみ、時の人だね」

 酒の入ったグラスを持ち上げるのは寄宿学校からの友人であるナイジェル・リデルだ。


 会員制クラブの、奥まった座席にライルとナイジェルを含む数人で集まり酒を飲んでいた。ナイジェルが気を使ってくれたのだ。


「別に時の人になった覚えはない」

 ライルはそっけなく答える。

 言い方が冷たくなってしまうのは好奇の目に晒されているからだ。

「ま、従妹同士の結婚の話なんて、俺らの階級じゃああいさつ代わりなものだしな」

 ナイジェルは陽気に笑い飛ばした。


 釣られて他の連中も「俺も昔親族の娘とそういう話が出たことあったし」とか付け加えた。

 ライルの階級では親同士の付き合いでそのような話が出ることは特段珍しいことでもない。


「アメリカも心配していたぞ。コーディア嬢のこと」

「伝えておく」

「今度晩餐の会を開こうと思っているんだ。本気だぞ。きみの婚約祝いちゃんとやらせてくれよ」


 ナイジェルが笑ったのでライルも口の端を持ち上げた。彼の純粋な好意が嬉しい。

 が、ライルはそのまま素直に喜ぶことができない。

 コーディアの気持ちがまだ分からないからだ。彼女は先日の茶会の後、ずっとインデルクで暮らしていくのだからと言っていた。

 ライルとの縁談は無しにしても彼女はこの国で暮らしていくことを覚悟したのだろうか。


 ライルはコーディアのことが好きだ。異性の女性として、彼女に想いを傾けるようになった。このまま彼女と結婚したいと望んでいる。

 けれど、コーディアは別に相手がライルでなくても構わないのではないか。エイリッシュはコーディアに選択権を委ねた。


「……ああ。そうだな」

 ライルの歯切れの悪さにナイジェルが方眉を持ち上げる。

「きみ、まさかあんな記事真に受けているのか?」

「いや、そうではない。ヘンリー・マックギニス卿は誠実な人間だ」

「ならどうしてそんなにも暗いんだい?」


 それはライルが一方的にコーディアに想いを寄せているからだ。エイリッシュはああ言ったが、ヘンリーはコーディアの意見に耳を貸すとは思えない。おそらく彼はこのままコーディアをライルの元に嫁がせてくるだろう。

 しかしライルはコーディアが親の決めた縁談だからとあきらめて自分の元に嫁いでくることが嫌だと感じている。彼女の愛情を独り占めしたいし、コーディアからも愛されたいと思っている。


「……暗くはない」

 いくら友人とはいえ、ライルの心情そのままに吐露する気にはなれない。

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