3ー5 賓が来たりて

 ルリヨモギギクの籠を下ろし、家の前にうずくまった彼に肩を貸して立ち上がらせる。

 その時、背中の荷物に付いたいくつもの鈴が、しゃん、と鳴った。

 多少ふらついてはいたけれど、彼はどうにか自分の足で身体を支えている。

 男の人にしては小柄かもしれない。でも、あたしが担ぐにはちょっと大変だった。


 一緒に家の中に入って、彼をテーブル脇の椅子に座らせる。ひとまず咳は治まったようだけれど、まだ呼吸が少し苦しそうだ。

 あたしは濡れた合羽を玄関ドアの内側のフックに掛けた。帽子を脱いで、ゴーグルと防塵マスクも外す。


「あの……喉、いがらっぽいですか?」


 そう尋ねると、彼は口元を押さえながら無言で頷いた。上手く声が出せないらしい。

 だけど次の瞬間、はっとしたように動きを止めた。あたしの顔をじぃっと見つめている。

 何となく落ち着かなくて、そっと目を逸らした。


「あの……ちょっと、待っててください」


 あたしは土間に降りて、ヤカンを竃の火にかけた。

 その間、表に出て庭のプランターの上にテントを張った。少し雨に濡れてしまったけれど、このくらいの時間だったらたぶん大丈夫だ。

 ついでにモモカミツレの花を十輪ほど摘んで、家の中に戻った。


 モモカミツレには鎮静・抗炎症作用があって、気管支炎などの症状を抑えるのに役立つ。リンゴに似た爽やかな風味があるので、お茶にするには最適だ。

 加えて、鎮咳ちんがい・去痰効果のあるヤマハハコグサの薬種やくしゅを、壁際の薬棚から取り出す。昨日摘んできたものはまだ乾燥させている途中なので、これは去年のものだ。

 あたしはその二つをポットに入れ、沸騰したお湯を注いで、砂時計をひっくり返した。


 彼は部屋の中のものを眺めていた。

 作業台に置きっ放しの薬壷、小さな抽斗ひきだしが縦横五列ずつ並んだ古めかしい薬棚。その隣の物置き棚に並べられた天秤ばかりに、薬種を粉砕するための薬研やげん、それから分厚い植物の本。興味深そうに、あちこち見回している。

 あたしと視線が合うと、彼は少し慌てたようにフードを外した。すると、バンダナを巻いた頭が現れる。

 目にかかりそうな前髪。後ろ髪も、襟足が肩に触れるぐらいの長さだ。伸ばしているというよりも、伸びっ放しになっているような印象だった。左耳にある赤い色のピアスが、髪の間からちらりと覗いている。

 くっきりした二重瞼の、優しげで綺麗な顔立ち。罪を犯すような人には見えないけれど、コロニーでは何が罪となるのか、あたしは全く知らなかった。


 そうこうしているうちに、砂時計の砂は全部落ちていた。

 できあがったお茶をマグカップに注いで、彼の前に置く。


「……どうぞ」


 彼はあたしに軽く会釈をして、カップを手に取った。ふぅふぅと息を吹きかけながら、一口、二口とお茶を飲んで、ほう、と息をつく。

 左手首に、赤い石のブレスレットが嵌っている。ピアスと同じ石だろうか。

 彼が何度か咳払いをして、喉に手を当てながら、あ、あ、と声を出す。男の人にしてはちょっと高めの声だけれど、まだ少し掠れている。


「すごい、声が出るようになった。ありがとう」

「いえ……」

「この区域に入ってから、ずっと喉がおかしかったんだ。何だか変わった臭いもするし。この辺りはいつもこうなの?」

「えっと、あの火山から煙が出てるんで……空気中に細かい塵が混じってるんです」

「そっか、砂嵐と違ってあんまり目に見えないから、油断してたな」


 砂嵐?

 どう返事をしたらいいのか分からなくて、あたしは曖昧に首だけを傾げた。


「あの鉄塔を目印にここまで歩いてきて、どこかで休憩しようと思ってた時にちょうどこの家を見つけてね。でも、留守みたいだったから、外で待たせてもらってたんだ。そしたらいつの間にか寝ちゃってて。申し訳ない」

「い、いえ……」


 彼は小さく微笑んだ。


「助けてくれてありがとう。僕の名前はナギ。『砂漠の国』でキャラバンをしている者です」


 あたしはぱちぱちと瞬きした。


「『砂漠の国』の、キャラバン……?」


『追放者』じゃなかった。しかも、『砂漠の国』から来たなんて言ったら。


「あの……大地溝だいちこうを越えてきたってことですか?」

「うん。越えたというか、標高の低い場所までずっと南下して、小船で海を渡ってきたんだよ」


 確かに、それならこっち側に来られるかもしれない。だけどそれだと、かなりの長旅になるはずだ。

 その時点になってようやくあたしは、立ちっ放しは失礼だということに気付いた。

 少し慌ててテーブルに着くと、ナギと名乗ったその人はふわりと頬を緩めた。


「名前、聞いてもいいかな」

「あ……サクです。薬草師のサク」

「サク、いい名前だね。仕事はご家族でやってるの?」

「えぇっと……前は、母と二人でやってました。母が病気であんまり動けなくってからは、大体あたし一人でやってます」


 言いながら寝室の扉へ目を向けると、ナギさんもちらっと同じ方を見た。


「そっか……大変だね」

「いえ……」


 二人して黙り込む。

 長めの前髪で表情はちょっと分かりにくいけれど、ナギさんもどことなく気まずそうだ。

 あたしは取り繕うように口を開いた。


「あの、でも……あたし、大抵のことは一人でできるから大丈夫です。仕事も、だいぶ慣れてきたところだし……」

「そうなんだ。偉いね、まだ若いのに」


 ナギさんは年寄りくさいことを言った。あたしは小さく笑顔を作ってみせる。


「偉いだなんて……ちっともです。あたし、今年で十六になるんです。村ではもっと小さい子も働いてますから」

「そっか。僕が働き始めたのも、今のサクとちょうど同じくらいの歳だったな」

「あ、そうなんですか」

「うん。仕事を持つようになったら、急に一人前になった気がしてさ。懐かしいな、それからあっという間に十二年だ」

「……えっ?」


 つい、ナギさんの顔をじっと見てしまう。今、二十七、八歳ということだ。


「ん?」

「あっ、いえ……二十歳くらいかと思ってたから、びっくりして……」

「そんなに若く見えるかなぁ。確かに巡行先の人からも、昔から顔が変わらないってよく言われるけど」


 ナギさんは指先でこめかみを掻いて、はにかむようにくしゃりと笑った。

 あたしはほっとした。話しやすい、柔らかい感じの人だ。


「そうだ、薬草師の人なら分かるかな。ちょっと見てもらいたいものがあるんだ」


 ナギさんはそう言って、ごそごそと荷物を探った。差し出してきたのは、細かい粒状のものがたくさん詰まった二つの小さな袋だった。


「この二つの種なんだけど、この辺りで栽培できるものかな?」


 あたしは一つ瞬きをする。片方は小麦の種籾。

 そしてもう一方は、ごま粒くらいの——


「……え?」


 思わず、声が出た。

 なぜならそれは、あたしがよく知る花の種だったからだ。

 ほんのさっきまで刈り取り作業をしていた、虫を殺す成分を持つ、ルリヨモギギクの。

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