ハルと夢の役者

藤井 狐音

夢想のはじまり

1

 やわらかい日差しが、桜並木を包み込んでいる。


 高校二年生が始まって、一週間が経過した。あたたかくて眠くて、春休み気分が抜けない時期。なにもしないと、休みの日を寝て過ごしてしまう。そうならないように、この日曜日は駅前を歩くことに決めていた。


 そんな何気ない散歩に、ついて行きたいというクラスメイトがいた。

 小野おの深雪みゆき。高校に入ってから知り合った女の子で、今では最も交流のある友達になっている。都心部の自宅から数十キロ、彼女は電車に揺られてやってきた。



 「ハル、ほんっとうにこうやってふらふら歩いてるだけなのか?」


地形にも気分にも起伏がないことに痺れを切らしたのか、深雪は歩きながらうんと伸びをした。


「そうだよ。君から食いついてきたんだから、退屈されても困るな」

ちょっと意地悪く、僕は言ってやった。


 「いや、そういうわけじゃないさ」

深雪は道に沿って植えられている桜の木を見上げ、そう呟いた。


「ここの駅前は、いつまで見ていても飽きない。そういう素敵な風景だからね。つまらないのは、君って人そのものだよ」


「言ってくれるね」


 僕が不機嫌に言うと、深雪は「にひひ」と子供みたいに笑った。時折、彼女はそういう無邪気そうな表情を見せる。いつもちょっと大人ぶっているから、その差がまた面白い。


 「私もさ、こうやってただ素敵な景色を眺めるのは好きだよ。なんて言ったらいいのかな、一体感というか、意識が溶け込むというか。とにかく——」


「とにかく、言葉で表せない素敵さがあるんだろ」


「そうそう! わかってるじゃないか、ハル」


 深雪は僕を指差して、大げさに頷いた。本当に嬉しそうだ。もっとも、こんなやり取りは、この一年間に何度も繰り返しているから、なにを言えば彼女が喜ぶのかは、おおよそ把握しているのだが。


 「でもさ」

深雪はもう一度伸びをして、また退屈そうな口調に戻った。


 「それは一人のときの話だ。せっかく君と私、二人でいるんだから、なんかないのか?」


「ないよ」


「ま、期待するだけ無駄か。真冬の寒空の下、クリスマスのイルミネーションに囲まれたって、君は一人で平気な人間だもんな」


「なんで知ってるんだよ」

ついムキになってから、僕は気付いた。この流れを、僕は知っている。


 「へえ、図星かぁ。当てずっぽうだったんだけどな。寂しい男の子だこと。クラスのクリスマス会とか、行かなかったんだろ」


深雪の僕に対する当てずっぽうは、まるで知っていたかのようによく当たる。そして僕は毎度、その当てずっぽうに引っかかるのだ。


 このままなにもせずにただ歩こうものなら、深雪は退屈することだろう。


 「じゃあ、本屋にでも寄るか?」

桜の花びらが舞う中で立ち止まり、僕はそう提案した。


 「本屋、ねぇ」

うぅん、と深雪は顎をさすって唸る。


 悪手だったか。深雪の答えを待つ間、僕は自らの提案を少しだけ後悔した。本屋もまた、彼女には退屈かもしれない。

 しかし、その心配は杞憂だった。


 「いいね、ハル。君がどんな本に興味があるのか、私はそれに興味がある。この状況で本屋を選んだのはつまんないセンスだな、とは思ったけど」

上機嫌な様子で、深雪は言った。


「そういうこと言ってると置いてくぞ。あいにく僕は、一人でも平気な身でね」


 腹を立てる演技をしながらさっさと歩き出すと、深雪は「冷たいこと言うなよ」と頬を膨らませて、僕の後ろを跳ねるようについてきた。



 駅前の本屋は、大きめのコンビニくらいの規模のものだ。参考書や絵本はほとんどなく、文庫や新書、それからせいぜい売れているハードカバー本くらいの取り揃えとなっている。その空間には一種の清潔感すら覚えて、僕はそれがなんとなく好きだった。

 店に入るとまず、最近ドラマ化された企業小説が平積みされているのが目に入った。家でも父さんがそのドラマを観ているから、タイトルくらいは知っている。

 だが、僕はそういう本に興味があるわけではない。平積みコーナーにめぼしい小説がないことを確認し、僕は文庫コーナーまで足を運んだ。深雪もそれに、ぴったりとついてくる。


 僕の目当ては恋愛小説だった。それも中高生、青春の真っ只中の少年少女を描いたやつだ。

 とはいえ、特定の作品を探しにきたのかと言えば、そうではない。ただ、こんな感じの小説を読みたいな、というイメージがあるだけだ。

 もっと言えば、とある一人の小説家の作品を探しているのだが、探したとろこで見つからないので諦めていた。だから僕は代わりに、彼女——その小説家というのは、自分と同い年の女の子なのだ——の書く小説と近いジャンルの小説を読んでいる。


 本棚の前に平積みされた文庫たちを眺めていると、ふと黄色の帯が目に留まった。

 『今年、一番切ない物語。』

 まだ四月だってのに、なにが今年一番だ。僕は心の中で悪態をついた。でも、僕は無意識にその本を手に取っていた。

 こういうことは、よくある。むしろ、僕が買う本の大半は、こうして不意に手に取ったものだった。


 「へえ、そういうの読むのか」

深雪が僕の背後から、ひょっこりと顔を出した。

「あっまあまのやつじゃないか、それ? 胃もたれしそうだ」


 「うるさいなぁ」

僕は手に取ったその本で、深雪の頭を叩く真似をした。深雪は「ひゃっ」と小さな悲鳴を上げる。


 「ほんの冗談だよ、ハル。私だってそういうのは読むぞ? 胃もたれするけど」


「砂糖を吐くくらいがちょうどいい。等身大の少年少女のもどかしい恋、それが青春の醍醐味だろう」


「砂糖の吐き過ぎで、砂糖のマーライオンになるぞ?」


「砂糖のマーライオンってなんだよ」と、僕は思わず笑った。


「じゃあ砂糖のナイアガラ」


「それも意味わかんないって。まあ、忠告は受け取っておくよ。でも、僕の直感によれば、この本は当たりだ」


 「ほう。その直感っていうのはアテになるのか?」

深雪が食いついた。ここぞとばかりに、僕は持論を展開する。


「カバーイラストの空がきれいな青春小説には、当たりが多い」


「そんなものか? イラストはイラスト、内容は内容、さして関係はないと思うけどな。それに、なんで空なのさ?」


「根拠があるわけじゃないけど。澄んだ空ほど、青春を形容するのにふさわしいものはないと思うんだよ。要は、その本がどんな青春なのか、空の具合になんとなく出てるってこと」


 「なるほど、わかる……ような、わからないような」

納得しかけたようだが、深雪は言葉を濁す。


 「ま、素敵な空なら素敵な話ってことさ。僕はこれ、買ってくるから。小野、君は適当なところを見ていてくれ」


 「それじゃあ一緒の意味がないだろっ」

深雪はそう言って、僕と同じ本を手に取る。


「君が素敵だっていうなら、私もこれを読む。今日の私は、君の『素敵』にずっとついて行くからね」


 「勝手にしろ。それから小野、めちゃくちゃ恥ずかしいこと言ってないか?」

「ううううるっさいなぁ! いいだろ別に!」


 僕はそのまま深雪に背を向けて、レジの方へ歩き出した。深雪は中身のない罵言を飛ばしながらも、跳ねるように僕の一歩後ろをついてくる。



 二人並んで、僕らは本屋を出た。自然の温もりが、神経に戻ってくる。

 僕は自分のリュックを身体の前に回して、小さいスペースの方に買った本を入れた。それからリュックを背負い直し、また歩き出す。


 その一歩を踏み出した時だった。

 背後から、深雪よりもっと後ろから、懐かしい声が僕を呼んだ。


相川あいかわ、相川君じゃないか!」


振り返ると、いい歳した女性が、元気に手を振っていた。


 「——いずみ先生?」


僕はゆっくりと、その女性の方へ歩み寄る。

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