隠居魔王の後任支援残業

ゴッドさん

第1章 冒険者討伐

第1節 カジ

第1話 最悪の引退日


 山のように聳える広大な魔王城。

 その年、種族の代表者を決定する魔王選挙に当選したのは、家柄だけで地位を昇ってきたアホ女だった。


「というわけでだな、今日からこの玉座は私のものになったのだ」


 ゴシックロリータドレスを着た若い女が魔王城の玉座に腰かけ、俺の前で偉そうに足を組む。艶のかかった金髪ツインテール。実際の年齢より幼く見える小柄な体型。『魔王』という言葉に含まれる風格からは遠く離れた姿である。


「君は魔王引退なのだよ、カジ君。早く退職手続きを済ませて隠居生活でゆっくり休養するのだ」


 彼女から指差され、そう言われた。

 今まさにカジ・ラングハーベストという男は、法に則って魔王という役職を退き、後輩である彼女に地位を譲ろうとしている。

 まさか、この女が俺の後釜になるとは思ってもみなかったが。


「そ、それじゃあ頑張れよアルティナ。俺もお前の仕事を応援してるからさ」

「いくら貴様が元魔王で私と知り合いだからといって、現魔王にその態度は馴れ馴れしいぞ。失礼ではないか? 親しき仲にも礼儀あり、だぞ?」


 その台詞、まんまお前に返してやるわ!

 俺よりも後輩で実力も下のくせに、どうしてそこまで偉そうに振る舞えるんだよ!


 そんなことを、カジは心の中で叫んだ。


 この生意気に振舞う幼女の名前はアルティナ。選挙によって選出された新たな魔王だ。

 数年に一度、種族全体の最高指令官『魔王』を決める選挙が行われる。高名な魔族が立候補し、民からの票で誰が魔王に相応しいかを選ぶのだが――。


「どうしてこんなことになったんだろうな……」


 カジはアルティナに聞こえぬよう小声で呟いた。

 そして、今回の選挙の荒れ具合を振り返る。


 最初は前例に倣って順調に進められていた魔王選挙。

 しかし、終盤は異例な事態が続いた。

 アルティナ以外にも有力な候補者は何人も立候補していたのだが、そのうち一人が魔王城の金を過去に着服していた事実が明らかとなり、事態が急展開を迎える。横領事件の詳細な調査が進むとともに、他の候補者も次々と横領を認めて選挙を辞退したのだ。

 結果、トップに躍り出たのがアルティナである。最初は彼女の負け戦と思われていたのに、まさかの当選で種族全体に衝撃が走った。


 彼女は周囲からバレずに金の横領をできるほど頭がよくない。アホなことが結果的に当選に繋がったのだが、「あんな頭がスカスカな女を本当に魔王として認めていいのか」という議論が紛糾したのは確かである。


「この領地に入ってくる敵は、この私がどんなヤツでもコテンパンにしてやろうぞ!」

「そ、そうですか……」


 その美貌や物怖じしない性格から、アルティナに多少人気があるのはカジも認めている。

 しかし他の当選候補と比べて実力が格段に劣るのは確かだった。運動神経は皆無で、たった10メートル走っただけで息を切らす。学力にも難があり、幼稚な文章でしか手紙を書けないし、自ら活字に触れようともしない。最大の難点は彼女の魔術で、高い威力の技を使うことはできるのだが、燃費が悪すぎて一日にたった一発しか撃てない。

 もし敵が現れて長期戦になったらどうするつもりなんだ。カジは小さく溜息を吐きながらアルティナの無邪気な笑顔を見つめた。


 魔王になった者は領地内で起きた緊急事態を鎮静化させる義務がある。例えば、敵国が攻めてきたら味方を指揮するとか、災害が起きたら被害を抑えるとか。果たしてアルティナにそれができるだろうか。


 今日からカジは魔王の座を退いて隠居の身となるが、アルティナが魔王では種族の未来が不安だらけだ。胸に渦巻くモヤモヤを払拭できないまま、とうとう引退日を迎えてしまった。


「お、俺は手続きをして帰ります……」

「うむ、よく今まで魔王として立派に貢献してきてくれた。君はお払い箱なのだ。後は私に任せて城をさっさと去るがいい!」


 お前は俺を褒めているのか、バカにしているのか、どっちなんだよ。

 口に出したい言葉を押し殺し、カジは玉座の間を去った。赤いカーペットの敷かれた廊下をトボトボ歩き、すれ違う兵士から別れの挨拶を受け取る。彼らの顔も決して明るいとは言えない。下っ端も下っ端で、アルティナが上司になることに不安を感じているのだろう。


 こんな経緯でカジは魔王退職の手続きを済ませ、隠居となった。







     * * *


 カジは城を去った後、城下町をブラブラした。商業街の広場に置かれたベンチに座り込み、目の前を行き交う雑踏をぼんやりと眺める。


「こんなはずじゃなかったのに……」


 部下に金の着服を横行させてしまったのは、上司である自分の責任だ。魔王を続けることに後ろめたさがあったのは確かである。

 振り返ってみると、カジの任期はやたらと騒動が多かった。その度に責任の所在を問われ、魔王を続けることに嫌気が差し始めていたと思う。心のどこかで自暴自棄になり、早く誰かに地位を譲って楽になりたかった。


 そしてもう一つ、カジが彼女に逆らえない理由がある。


 それは――。


「おお、カジ! 久し振りだなぁ」


 こちらへ歩み寄ってくる初老の男。

 彼は黒い外套を纏い、杖を地面のタイルにカツカツと鳴らしていた。手には広場の屋台で購入した肉の串焼きを持ち、それを美味そうに頬張る。


 この男はカジの前任だった魔王にして、カジに体術や魔術を教えてくれた彼の恩師、マクスウェルだ。

 彼に呼び出されて、カジはここへ来た。マクスウェルはベンチの隣に座り、一緒に雑踏を眺め始める。


「ど、どうも、お久し振りです、師匠」

「お、もしかして魔王退任の手続きはもう終えたかな?」

「はい……先程、私も隠居となりました」

「そうかそうか。で、どうだった?」

「『どうだった?』って、何がですか?」

「今日から魔王に就任する、孫の様子だよ」


 新魔王アルティナは、元上司マクスウェルの孫娘である。

 これが、アルティナに逆らえない理由だ。


 アルティナは祖父のマクスウェルに随分と甘やかされて育った。カジは彼女がスプーンとフォークより重いものを持った場面を見たことがない。カジは小さい頃の彼女を知っているが、徐々に体格が大きくなるにつれて態度まで巨大化した。最終的に小柄な肉体へ収まり切らなかった横柄さが性格に上乗せされ、怖いもの知らずな高飛車にまで成長している。麗しい外見に似合わないほど精神年齢が低く、彼女と関わっていると苦労が多い。


 上司の身内なんて、どう扱えばいいのか分からん。

 今日一日だけで、カジは何回溜息を吐いただろうか。

 アルティナを不機嫌にしてしまったら、確実に恩師であるマクスウェルへ告げ口される。そうなればどんな報復が来るか想像できないし、俺の肝が縮まってしまう。アルティナの機嫌を損ねた日の夜は「貴様、誰のおかげで成長できたと思っている?」と恩師から脅迫される悪夢を必ず見た。


「と、特に不安そうなところはありませんでしたよ。新しい仕事に意気込んでました」

「そうかそうか。なら安心だ。ハッハッハ」


 あんな娘が首領じゃ安心できねえよ!

 弟子の俺には厳しかったくせに、孫には甘すぎだろ、この糞ジジイ!


 と言ってやりたかったが、そんなこと、恩師にできるわけがない。

 現職時代は鬼の形相で弟子たちに魔術を仕込んでいたマクスウェルだが、孫が生まれた途端すっかり性格が変わってしまった。休日はいつも孫のアルティナを連れて歩き、彼女からのどんな要望にも「イエス」で答える。孫に好かれたいからって、さすがに甘やかしすぎだろう。


「ところで、カジ。お前に相談があるのだが、いいかな?」

「何でしょう?」

「これからアルティナは魔王として、領地に不法侵入してくる冒険者に対処したり、多くの仲間をまとめたり、様々な問題を解決しなければならなくなるだろう?」

「そうですね」

「しかしなぁ、孫のためになるべく仕事の負担は減らしてあげたいんだよ」

「はぁ……」


 マクスウェルは時折、串焼きを口へ運びながら話した。刺さっていた肉が次々に消えていく。


 嫌な予感はしていた。

 カジはこの時点で何かを察し、本能が「ここから逃げろ」と伝えてきた。だが、目上の人間の話を遮り、勝手に逃亡していいものか。かつて魔王という種族の最高位になったカジでも、世話になった人物には逆らえない。マクスウェルが死ぬまで自分はこの呪縛に囚われ続けることを、カジは確信していた。


「だからな、カジには領地内へ侵入する冒険者を少しでも減らす手伝いをしてほしいんだ」

「え?」

「しばらく人間の国に出向いて、領地に入りそうな冒険者を先に倒してもらいたい。そうすれば、アルティナの仕事も少しは楽になるだろう?」


 いやいや!

 これから俺は退職して隠居になるのに何を言ってんだよ、糞ジジイ!


「もちろん礼は払う。いくらほしい?」

「えぇ……ちょっと、こちらから金額を設定するなんて、そんな……」

「ハッハッハ、欲のないヤツめ。遠慮することはないんだぞ。冒険者を難なく倒せるような人材の中でも、お前の力はトップクラスだ。一生暮らせるような額を要求しても、誰も文句を言わんさ」


 そうじゃねぇんだよ!

 そもそも仕事を受けたくねぇんだよ!


 カジは心の中で怒号を轟かせるも、表には一切出さずに耐え抜く。

 ただ、彼の頬はピクピクと引きつっていた。


 報酬の多寡が問題ではない。

 マクスウェルも元魔王だけあって、家の財力はそこそこある。だが、それはカジも同じだ。魔王として得てきた給料はほとんど使わずに残しておいた。それは休養するための資金で、これから仕事を請けずともカジは普通に暮らすことができる。


 問題は、カジが仕事を受ける前提で話が進行していることだった。


 分かっているのか、糞ジジイ! 俺だってなぁ、退職後はお前みたいに子孫を作って、のんびり暮らしてみたいとか考えてたんだよ!

 隠居になってようやく仕事やら上下関係やらを忘れて休養できると思っていたのに、その計画が台無しだ! 俺はいつになったら自由になれるんだ!


 心の叫びは止まらない。


「それじゃあ、頼んだぞ? 見合った報酬はこちらで考えておくからな」

「は、はい……」


 こうして、カジは魔王を退職した身でありながら冒険者を討伐するという仕事を受けてしまった。

 マクスウェルは笑みを浮かべながらその場を去り、俺はベンチで深くうなれる。


 胃が痛い。

 目眩もする。

 ああ、一体何をやっているんだろう。


 その日、カジにとって人生最長の溜息が出た。


「畜生……」


 仕事から解放されてゆっくりできると思っていた隠居生活は、新たな魔王とその祖父によって崩されたのである。

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