ツカダ

そのままミノリに毒を持って行く気にはなれなかった。


どうしようか迷っていると、昨日の大きな小鳥のバケモノを思い出した。どうにも様子が気になって、同じ公園の前の藤棚を見に行ってみた。


案の定、あのバケモノは同じ街道をうろうろしていた。


僕を見つけるとすごい勢いで駆け寄ってきた。


「フ、フジモトさん!!!」


逃げたくなったが、ぐっとこらえて待ってみる。バケモノはつんのめりながら僕の目の前で止まった。


「ここらへんに居ればまた通るかと思って。待って、待ってたんです……ぶ、ぺあああああん」


バケモノは体をよじって泣き出した。大きな声をあげながら。

たじろぐ僕をよそにバケモノは勢いよく頭を下げた。


「う、う、噂を鵜呑みにして、申し訳ありませんでした!! あとで問いつめたら、嘘だってみんな白状しまして……。わたしはなんて愚かなことを!」


「あの、なんの話だか……」


「急いでお宅にうかがったら、もぬけのからで、つくばのアトリエに向かうって書き置きをみつけて、こうしてガスマスクと防護服を買って探しに!」


「ここはつくば市なのか?!」


思わず叫ぶ。茨城県つくば市。知っている街だ。とても馴染み深い名前に、ぶわりと記憶が噴き出してくる。豊かな自然、農地、公園、まばらな住宅。ときどき研究所。そんな風情が気に入って、わざわざアトリエを借りたんだ。


バケモノは泣き止んで、きょとんと僕を見上げた。

今度は僕がバケモノににじり寄る。


「おまえは僕を知ってるんだな?! 僕はだれで、どうしてここにいるんだ?」


「あ……あ……。フジモトさん、もしかして記憶が……。……」


バケモノは今にもその場に崩れ落ちそうだった。


「……わたしの口からは、とても全部を説明できません。少なくとも、今は……」


うつむくバケモノを脅してまで何か聞き出そうとは思えなかった。

それをしてはいけないと、本能のようなものが囁く。

でもせめて。


「せめて名前を教えてくれないか? きみと、あと、知っているなら僕の名前を」


「あ、は、はい。わたしはあなたの担当編集のツカダです。」


「担当編集……?」


「あなたは、フジモトさんです。漫画家なんです。繊細かつ正確な作風で有名な、漫画家なんですよ。……何か思い出しませんか……?」


風が吹いて、藤が紫の房を揺らした。


フジモト。

これが自分の名前らしいが、まったく実感がわかない。むしろ違和感すらある。


「ありがとう」


なんだか脱力してしまい、踵を返した。

ぐあいがわるい。横になりたい。


「あ、あの!」


ツカダは立ち去る僕の手をつかみ、メモを握らせた。


「もし帰りたくなったら、連絡ください! 立入禁止区域の前まで、迎えにきます! 新しい仕事もあります!」


メモには電話番号が書いてあった。僕はそれを雑にたたんでポケットに押しこむ。


頭がくらくらする。

もうダメだ。休みたい。

僕はツカダに背を向ける。


「……というか。なんだか。おまえまるで、人間みたいな言い草するな。幽霊か何かなのか?」


「……」


よろよろと立ち去る僕を、ツカダは追ってこなかった。

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