僕、ゴキブリになりました!

上月 亀男

僕、ゴキブリになりました(泣)

第1話 起きたらゴキブリだ!

 僕は目覚めた。


 これは己に隠された壮大な使命に気づいたとか、自分に封印されていた超常的な力が覚醒したとか、いきなり女性のジェンダーに花咲いたとか、そういった意味ではない。


 ただ単に、目覚まし時計の音で眠りから覚めた。それだけのことだ。


 いつもなら、これから始まる不快でマンネリな一日を思って、肩が壊れそうなけだるさと憂鬱感に襲われながら起き上がるのだが、今日はなんだか違っていた。


 目覚めがいいし、頭がすっきりしている。体も軽くてなんだか冴えている!

 こんな気持ちのいい朝は久しぶりだ。今日は何か良い事でもあるのだろうか。


 いつもより若干テンションの高い僕は、早々ベッドから起き上がろうとした。目覚ましを鳴らしたままいつまでも寝てると母親が怒鳴り込んでくるのだ。珍しく寝起きがよいのだから母親のキンキンヒステリー声など聞きたくはない。目覚ましを止めなければ。


「あれ?」


 布団をどかせない。重くて持ち上げられない。それに、いつも布団を頭までかぶって寝ているから視界は暗いはずなのに、やけに明るい。布団の裏側とベッドのシーツがはっきりと見える。


 なんかおかしい。


 僕はとにかく、やわらかくも息の詰まる重圧をかけてくる布団から脱出しようともがいてみた。前進はできる。しかし、いくら前進しても布団から出られない。おかしい。


 まるで布団とベッドがとてつもなく大きくなったか、僕がとてつもなく小さくなったようだった。


 僕はパニックに片足を突っ込みながらも何とか理性を保ち、懸命に寝具のサンドイッチの隙間を前進した。


牟之ムサノブ、目覚ましがうるさいわよ。さっさと起きなさいっ」


 母親のキンキン声がした。まずい。目覚ましが鳴りっぱなしだ。早く止めないとまたねちねち嫌味を言われる。


 しかし、行けども行けども布団からは出られない。


 どうなってるんだ? 


 じたばたもがいているうちに、母親が部屋のドアをノックもなく開けた。


「牟之! また夜遅くまでくだらない昆虫の図鑑なんか見ていたのねっ。規則正しい生活をしなくちゃ勉強は身につかないのよ。でないと東大受験にも影響するわよっ」


 ヒステリーボイスが部屋中にこだました。しかし、次に発せられた声は実に拍子抜けしていた。


「あら。あの子、どこに行ったのかしら?」


 どうやら、僕が布団の中にいることに気づいてないらしい。すぐに足音が近づいてきた。


「まったくあの子は、布団は畳まなくちゃいけないっているも言ってるのに」


 いつかベッドの布団を畳むのはおかしいと言って抗議したことがあるが、自分の意見を絶対に曲げない母親は聞く耳を持たなかった。逆にそんなこと言ってる暇があったら赤本を勉強しろと諭されてしまったくらいだ。


 布団が一気に引っぺがされ、視界に強烈な光が差し込んだ。一瞬目がくらむ。


 視界を取り戻したときに見た母親は驚くほど巨大だった。まるでゴジラだ。

 首を一生懸命に持ち上げて母親と目が合った。瞬間、超音波クラスの悲鳴が全身を揺らした。


「ひぃぃぃぃっ、ゴキブリィ!!」


 辺りを見回したがそれらしきものはいない。それに母親の視線からすると……ひょっとして、え、まさか・・・・・・僕のことぉ!?


 両手を見てみた。肌色ではなくてかてかした焦げ茶色。手のひらも指もなく、ぎざぎざした突起に節関節、先にはかぎ爪。間違いなく人間じゃない!!


 母親は唐突に足を上げて手でスリッパを脱いだ。そしてそれを頭上に振り上げると、さらに聞くに堪えない怒声を発した。


「死ねぇぇぇぇぇえええぇぇ!」


 うわゃあああああ! 


 巨大なスリッパの裏側が僕に迫る。とっさに飛びのいてその一閃をかわした。衝撃でベッドは大きく波うち、僕はそのまま床へと放り出された。


 もの凄い高さを落ちたように感じたが、着地はすんなりといった。落下の衝撃も軽い。確かに今の僕は小さくなっていて、手だけでなく体全体も人間ではないらしい。じゃぁ、僕は本当にゴキブリなのか? 自分がゴキブリになるだなんてまったく訳がわからない。 しかし、今そんなことを考えている暇はない。とにかく逃げなければ命がない。


 フローリングの床を懸命に突っ走る。自分の部屋のはずなのに、まるで学校の運動場を走っているようだった。向こうの壁までがやたら遠い。


 ズシンッ

 

 走っている真横に強烈な揺れと風圧が起きた。見ると巨大なスリッパがそこにあった。母親が足で自分を踏み潰そうとしたのだ。やばい、マジで殺される。


 再度振り上げられた足をかわすため、百八十度旋回、母親の股下を突っ切ってベッドの下に逃げ込んだ。


 奥まで避難し、振り返って外の様子を伺う。母親は四つん這いになり、狐みたいな嫌らしい目でギロリとこちらを覗きこんでいた。


「殺虫剤、持ってこなくちゃ」


 母親は駆け足で部屋を飛び出した。開け放たれた入り口からは、棚をあさって殺虫剤を探す音がごそごそと聞こえてきた。


 絶望だ……。さすがに殺虫剤はかわしきれまい。あぁ、どうしよう。なんて鬼畜な母親だ。実の息子を毒の噴射機で燻り殺そうなんて。殺虫剤の成分はアルカロイドだ。あれ喰らった虫はもの凄く暴れる。相当苦しいはずだ。死に様は畳の上で安らかな老衰死が希望だったのに、こんな酷い最期ってありかよ。


 だいたい、なんで僕はゴキブリになったんだよ。某映画みたいに噛まれたわけでもなければ、秘密結社の研究所が開発したウィルスに感染した覚えもないし、呪いをかけられるほど他人やゴキブリから恨みも買っていない。先月だって、一匹見逃してやったのに。なんでだ。どうしてだよ!


 ズシン、ズシン、と死の足音が近づいてきた。やばい逃げなきゃ。でも、どこへ?


「おっちゃん。こっちこっち」

 

 その時、どこからか声が聞こえた。

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