A-3

 物心ついてから社会に出るまでの15,6年間の日々を振り返ってみても、周囲の人間に恵まれた日々だったことに疑問は持っていない。同時にそれは、どれだけ辛抱強く愛情を注がれても、なお無くしえない胸の裡の疼痛を持て余すような日々だった。


 贔屓目を差し引いても、私の父はだったと思う。職業人として成功を収め、我が子に忍耐強く対話と愛情を注ぎ、旧来的な道徳規範に忠実であろうと努力する人格者で、何より周囲の人間が彼を話題に取り上げる際には、必ずと言っていい程彼の容姿を褒め称えたものだった。高い上背に逞しく均整の取れた骨格と筋肉を備え、面長の顔には優美な目鼻がバランスよく収まっていた。父の男性的な美貌は実子である私にほとんどそっくりそのまま引き継がれた。思春期を迎える頃には私の体は日に日に成長し、父同様ごつごつとした男性的なラインを形成しはじめたが、同時にそれは、はっきりと性自認に目覚めた私にとって何よりの苦痛に他ならなかった。



 義体技術――培養した生体部品と各種のカーボン繊維や骨格で組み上げられた人工の人体部品を、生まれ持った生身の肉体とそっくりそのまま取り換える技術――の進歩と商品化が私にとっての人生における最大の関心事にして唯一の生きる希望となっていたのは、ちょうどその頃だったと記憶している。



 本来持って生まれてくるべきだった女性としての身体を取り戻したい。結論から言えば、私自身の強烈な憧れそのものが、あの善き父と永遠に関係を断ち切る火種になってしまった。非の打ちどころのない人格者であり、敬虔な在家信者であった父は「」の願望を知ると、強硬に反対の態度を取った。父の名誉のために言っておくと、それでも父は強圧的な手段には出なかった。何人ものカウンセラーに私を診断させ、自身も精神医学の専門書や学術書を紐解き、膨大な時間を対話に費やして私に翻意を促した。


 父と最後に会話を交わしたのは、そんな日々が10年近くも続いた後だった。私は大学を卒業するころにはもう家を出ていて、職を得てからは何年も両親とは連絡を取っていなかった。そしてその間に、私は既に全身の義体置換施術費用に十分な金額を稼ぎ終えていた。


 私の真新しい身体の芯まで冷えたつような、冬の日だった。愛する息子からの数年ぶりの電話に飛び付いた母は、私の第一声を聞いた瞬間に電話口の向こうで泣き崩れた。最上級の人工声帯が奏でる高い声は、父から引き継いだ低く美しいバリトンとはかけ離れたものだった。会話もままならなくなった母と電話を替わったのだろう、啜り泣きとともに聞こえる父の声は、私の記憶に残る、思慮深さと力強さを感じさせる父の声からはかけ離れた、弱々しい老年男性のそれだった。


「私に息子は、最初からいなかったんだな」


 お前の幸せを祈っているよ、と、しばらくの沈黙の後漸くそれだけを絞り出した父に、幾分かのとりとめのない言葉をかけて、父の会話は終わった。それが私の聞いた最後の父の声だった。そして彼の自慢の息子は、この日、永遠に消え去ってしまった。




 それからほんの短い期間が、私の人生で数少ない完全に充たされた幸せな時間だった。吟味を重ねた最上級の義体部品は私の憧れた完璧なまでに女性的な美の形をしていて、私はそれをいつでも鏡やガラスに映して陶然と眺めることができた。少なくともその何十日かの間だけは自分のことを、不本意に押し込められた肉体の牢獄から抜け出すことのできた女の子だと疑いなく信じていられた。


 私の憧れそのものの形をした私の義体からだが、私の憧れた仕草や物腰――女性的な美を備えた動きを伴っていないことに気付いたのはその頃だった。力強く快活な表情や、挙動のひとつひとつに壮健さや逞しさを感じさせるそれは、女性的なたおやかな四肢に宿るそれではなく、かつての私、疑いようもなく「男性」として生きてきた私のそれだった。生まれてから二十数年を男性の身体で過ごした私が、理想の女性の身体に違和感なく収まる手段を十全に心得ている道理などある訳はないのだと、そう気づくのは遅すぎたと言えるだろうか?


 十人並みの凡庸な女性の義体からだを選んでいたならば苦悩はせずに済んだのかもしれない。しかし激務の合間を縫って、どれだけ女性らしい(女性の精神と肉体を持って生まれてきた、生まれつきの、『本物』の女性の)振る舞いを模倣しようと、私の手に入れた最高級の女性義体からは、私の努力の成果はいかにも拙く滑稽で、違和感ばかりを一層浮き立たせるように感じられた。


 10年の日々を磨り潰し、下層労働者が一生かかっても払いきれない金額を費やして私が成し遂げたことは、男の肉体の中で自分を少女だと思い込んでいた異常者から、カーボン製の女の殻を被って美女を演じようとする滑稽な道化に変えただけだったのだろうか?女として生きていけないのならば、『私』はどこに戻ればいいのだろう?あるとき心の中に芽生えたこのような考えが、私から自信と生きる意欲を緩やかに奪いつつあった。


 それからの数年間も、私は依然として莫大な金額を『浪費』に垂れ流し続けていた。かつてのような明確な目的意識も希望もなく、何種類かのタイプの違う形のいい胸を、ウェーブのかかった柔い髪やコシのある長い黒髪を、美しい女性の身体の部品を惰性で取り換え続けた。私の身体の上を通り過ぎて行ったそれらの部品が、本当の私の願いを叶えてくれるものでないことは、とうの昔に分かっていた。内側に収まる私そのものが、私の憧れのかたちそのものに合致してはいなかったのだから。



 その取引、私の願いを、本当の意味で叶えうる『商品』を紹介されたのは、何十回目かの部品の換装を経た、確か2年半ほど前のことだった。

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