PHANTOM HEAVEN 【Episode:12】

〔12〕


 ダイナー666にダイヴすると、いつもの常連客達がたむろしている。

 俺とリードはカウンター席に向かった。カウンターテーブルの上に目を走らせて、それらしき爬虫類がいないかを探す。


「コンパス、ピジョンは来ていないか?」

「おお? 奴なら姿を見てねえなあ……まーた、変なもんに擬態してやがるのか? おうい、ピジョン、どっかに隠れているのかあ?」


 コンパスが声を張りながら、ぐるりと首を巡らす。その時、天井からカウンターテーブルの上へと何者かが落ちてきた。

 グラスや酒瓶が床に散らばり、客達が驚愕の声を上げる。


「うおっ!? なんだ!?」


 驚いたコンパスが座っていたスツールから落ちそうになり、俺はそこに転がる何者かに目を瞠った。

 カウンターテーブルの上に転がるその人物は、透明になったり老人になったり、かと思えば急に黒猫に擬態したりと、スピリットが安定していない。


「お、おい……もしかして、ピジョンか!?」

「何か尋常じゃないですよ……! 僕の声は、聞こえますか!?」


 リードも声を掛けるが、ピジョンは苦しそうに低く呻きながら、忙しくなく擬態をし続けている。

 何か、ウィルスの類いを打たれたか……もしくは、スピリットを傷つけられたのか、いずれにしても、このまま放っておくとボディに影響が出るかもしれない……!


「こいつは、マズいぞ……」


 咄嗟に救急箱のキットにアクセスするが、コンパスが俺の肩を掴む。


「こいつは、素人判断せずに、プロに任せた方がいいかもしれねえぞ」

「そうだな、ここは、ミス・ショットの力を借りよう……!」

「待ってろ、俺がセクシー先生に、連絡をとってみるから」


 横臥して呻くピジョンの身体を擦っていたリードが、はっとしたように俺を呼ぶ。


「ピジョン君が、あなたの名前を呟いていますよ……!」

「ト、ワノ……」

「ああ、ここにいるぞ! どうした?」


 ピジョンは、身体を胎児のように丸めるようにしながら、女子高生から柴犬、老人へとせわしなく擬態をし続けている。

 爬虫類になりかけるが、スピリットが安定していないせいで、身体中を玉虫色のの鱗に覆われた青年の姿になり、苦しげに唇を動かす。


「……逃げ、て……トワノ……」

「え?」


 それきりピジョンは固く目を閉じてしまい、俺とリードは顔を見合わせる。その時、人垣をかき分けるようにして、胸元を強調したワンピースに白衣を着たミス・ショットが入店ログインしてくる。

 彼女はリアルの世界でもMEL空間のスピリットの専門医をしている。


「はい、はい! 治療の邪魔よ! 野次馬は下がってちょうだい!」


 そう赤いピンヒールを鳴らすようにしながら、彼女がこちらにやってきて、不満げに俺を見やる。


「あたし、デート中だったのよ?」

「そりゃ、悪かった。だけどこっちも急患なんだよ」


 ミス・ショットは、擬態を繰り返すピジョンを見やり、細く整えられた眉を上げた。


「……これが急患?」

「ああ、情報屋のピジョンだ。この状態でここにやって来た」

「そう……分かったわ」


 ミス・ショットは、診察道具の入ったキットにアクセスしながら、ピジョンを注意深く見つめる。


「ピジョン? あたしの声は聞こえるかしら?」


 しかしピジョンは、ぐったりと彼女の問い掛けに反応することも出来ず、次々とその姿を変えている。ミス・ショットがスピリットをスキャンする機材を取り出す。

 ハンドスキャナーでピジョンを頭から足の爪先までなぞるようにし、彼女はモニターを険しい顔で見つめている。


「どうやらスピリットが何者かに傷つけられたようね……」


 ミス・ショットがファーストエイドキットから、少し大きめの注射器とアンプルを取り出す。


「とりあえず、このワクチンでスピリットの回復を待つしかないわね」

「出た、セクシー先生のお注射……!」


 コンパスが思わずといった具合に呟き、ミス・ショットが注射器を構えながら、赤いルージュの塗られた唇に蠱惑的な笑みを浮かべた。


「後で、あなたにも、打ってあげましょうか? とっても、太ーいやつをね」

「頼むから、そういうのは後にしてくれないか。先生、そのワクチンは本当に効くのか?」


 思わず身を乗り出すと、彼女は迷いなくブスリとピジョンの首筋に注射針を刺す。抜いた注射針をどこか恍惚した面持ちで眺め、ミス・ショットがこちらに顔を向ける。


「医者は百パーセント大丈夫です、なんて言えないけれど……まあ、8割方、効くんじゃないかしら?」


 八割方か……内心ハラハラしながらピジョンを見つめていると、様々なものに擬態していたピジョンの姿が少しずつ安定しはじめる。


「……あっ!」


 リードが小さく声を上げ、ピジョンは真っ白なレオパード・ゲッコーに擬態し、自分の身を守るように小さく丸まった。


「ワクチンが効いたようね」


 ミス・ショットが再び彼の身体をスキャンし、満足げに頷く。俺達はほっと安堵の吐息を漏らした。


「……よかった」

「でも、スピリットが安定するまで、あと数時間は眠った状態になるわ」

「ピジョン君のボディに何か悪い影響は……?」

「きちんと覚醒してから、ログアウトすれば問題ないか? 先生」

「ええ、今はスピリットを休ませる事が先決よ」


 ミス・ショットの言葉に、リードが小さく吐息しながら「ならば一安心ですね」と、そっと乳白色の背中を撫でた。

 それにしても、ピジョンに言っていた言葉が気になる……その時、店内にざわめきが広がり、俺はハッと顔を上げる。


「どうした?」

「なんだあ、ありゃ……?」


 コンパスが険しい面持ちで窓の外を指差し、俺は目を眇める。視界を拡大モードにすると、店から数千ピクセル離れたところに、武装した集団がおり、こちらに近付いてきているのが分かった。

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